7.4 ハルトレーベン家の事情①
少し長めの文章量です。
アルフォンスから王族に課せられた規定を聞いたリオナは、応接室を出ていった夫妻の様子を振り返る。
「規定を守るならば、当主の方がブライス様に何かしら仕掛けるということでしょうか。ですが、奥方様は嫁がせると言っていました。夫婦で話し合いができていませんよね?」
「それはぼくも思った。当主は婿を迎えたい、奥方は嫁がせたい。後継者がいるのなら嫁がせても問題はないと思う。ただ、男親としては娘を家に置いておきたいのかもしれない、とも思える」
「お嬢様が倒れたと聞いて、もの凄い勢いで部屋までやって来ましたもんね。当主の方はお嬢様を溺愛しているのかもしれません」
「とにかく、三日。滞在すると決めた以上はその約束を違えては駄目だ。ネイサンは大丈夫だと思うけど、罠に嵌められないように気をつけて。それでリオナは、できる限りハルトレーベン嬢と一緒にいてもらえるかな? それが当主の願いを阻止すると思うし、夫妻の噛み合わない様子も気になる。何か話を聞ければ」
「わかりました! わたしもあのお嬢様の様子は気になりますし、体調が良いようだったら話を聞いてみます」
三日間の方針が決まった。
すると話の切れる時機を見計らったように、執事が戻ってきた。それぞれ客室に案内される。三部屋が近かったことは喜ばしく、ブライスの部屋が彼女のすぐ隣と指定されたことは想定内だ。
昼食の準備が整うまで客室にておくつろぎください。そんな執事の言葉を受け、アルフォンスに誘われたリオナはブライスが通された客室へ行く。
「ネイサン、そっちの抽斗がついた戸棚を扉の前に持っていって。リオナは、遮光幕を纏めている紐を持ってきてくれる?」
アルフォンスの指示のもと、間違いが起こるなんて思わせないように細工していく。アルフォンスはリオナとは反対側の窓へ行き、紐を持ってくる。
腰高の戸棚を隣室と繋がる扉の前に持っていったブライスは、アルフォンスとリオナからそれぞれ紐を受け取った。そして抽斗の持ち手の部分と扉の取っ手を固定する。
「よし。これでひとまず大丈夫かな。リオナ、早速で申し訳ないけど、ハルトレーベン嬢の所に行ってもらえる?」
「わかりました! では、行ってきます!」
意気揚々とブライスが通された客室を出る。そしてすぐ隣の部屋の扉を叩く。
「どうぞ。お入りなさい」
聞こえてきた声は、しっかりとしていた。呼吸ができるようになったことで、体調も落ち着いたのかもしれない。
「失礼します」
入室すると、彼女は胸元を締めつけない緩やかな服を着ていた。大きさの違いにまた自分の胸に手を置いてしまったが、リオナは寝台から長椅子に移動していた彼女の近くへ行く。
一度見たら忘れられないような深いオレンジ色の瞳を見ていると、ハッとしたように扇子で顔を隠された。そして、ギュムッと眉間に皺を寄せられる。
「あなた、名前は?」
「リオナです」
「そう。姓がないなら、貴族ではないのね」
「はい。研磨師になったら、姓を名乗る予定です」
「研磨師……それは、男性しかなれないものではなくて?」
「現状は、そうですね。でも、女の人でも受験料さえ貯められれば試験を受けられます。かなり高いので、その一回で合格しないと大変なんですけど……」
「そう……リオナは良いわね。何にも縛られない。自由って、素晴らしいことよ」
「アルフォンス様が、連れ出してくれたんです」
「あなたは、アルフォンス様と将来を誓い合っているのかしら」
「い、いいえっ。そんな関係ではないですっ」
「そうなの。それならブライス卿とかしら」
「いいえ、ブライス様とも違います」
「それなら、あなた達三人の関係は?」
「三人とも冒険者なので、パーティーメンバーとして一緒に行動しています」
「冒険者……アルフォンス様と、ブライス卿も?」
「そうですよ。わたしは冒険者になって一ヶ月少々ですけど、お二人は二年も先に冒険者として活動されてます」
彼女からされる質問に答えていく。
(な、なんだろう……お嬢様に、こちら側を探られているような緊張感がある……)
話し続けていれば、彼女をブライスから遠ざけられる。そう思うが、何を話せばいいかと悩む。
なぜ倒れるぐらいまで胸元を締めつけていたのか聞こうとすると、彼女が急にリオナの腕を引いた。突然のことで対応できず、長椅子の後ろで転ぶ。起き上がろうとすると、どうかそのままでと指示を受ける。そして机に扇子が置かれる音がした。
理解できないまま長椅子の背に隠れるような状態になっていると、扉が開けられる。
「あぁ、臭い! 臭いわぁ!! この部屋はいつ来ても娼婦臭いわぁ!」
聞こえてきた、ハルトレーベン夫人と思われる女性が言う内容に驚く。そもそも、部屋の中は臭くない。
状況がまったくわからない。しかし一つ言えることは、夫人の意見に同調するように嘲笑する人間が複数いるということだ。
(はぁ?? しょうふ……娼婦? 夜のお姉さん? え、なんで、娘じゃないの?)
「まったく、どうして娼婦を養わないといけないのかしら? 旦那様のことは愛しているけれど、本当にこの娼婦のことだけは理解できないわ」
「お母様、何か御用ですか」
「あぁ、イヤだわ! この部屋には羽虫もいるみたい! 耳障りな音ね。害虫は駆除しないと」
夫人の言葉を皮切りに、長椅子の周囲に人が集まってくる。とっさに彼女が長椅子の上を横に移動しなければ、リオナの存在がばれてしまったかもしれない。ルビーフレイムの豊かな髪から、ポタポタと雫が落ちる。
彼女は今、びしょ濡れだろう。
「なんて嫌らしい体。いえ、卑しい体かしら。その下品な体で、旦那様を籠絡したのでしょう!? 誰のおかげで家にいられると思っているの!? 恥を知りなさい」
「お母様のご用件はなんでしょうか」
「娼婦を産んだ覚えはないわ!! でもそうね、どうしても知りたいというのなら用件を伝えてあげてもいいわ」
「どうしても知りたいです。教えてください」
「あはっ。そんな態度で教えると思う!? 頭が高いんじゃなくて?」
夫人に言われた彼女は、長椅子から床に下りて膝をつく。長椅子の隙間から見えるほど、顔を床に近づけている。
「お母様がなぜわたくしの部屋に来たのか、どうか教えてください」
「いいわぁ。教えてあげる」
今すぐにでも飛び出したい。しかし彼女は、リオナがここにいることを隠してくれた。だから、飛び出してしまったら彼女の配慮が無駄になる。
ばれないようにせめて、と、リオナは長椅子の背からギリギリ出ない場所から様子を探る。
(なっ……)
思わず口を手で塞いだ。そうしないと、叫んでしまいそうだった。
ハルトレーベン夫人は、娘であるはずの彼女の髪を鷲掴み、強引に上を向かせていた。
「娼婦には娼婦らしい仕事を与えてあげるわ。いいこと? 旦那様が客と認めた二人。どちらでもいいからお前の体を押しつけなさい。旦那様は違うけれど、あんな若者なら簡単でしょ?」
彼女だけでなく、アルフォンスやブライスまでも嘲るような言い方だ。また飛び出しそうになったが、手の甲をつねって我慢する。
「直に昼食が来るわ。恵んであげることに感謝しなさい?」
高笑いをしながらハルトレーベン夫人と取り巻き達が去って行く。
扉が開け放たれたままだったため、リオナがすぐに閉める。水をかけられてびしょ濡れだった彼女は、まるで日常茶飯事だと言うように、衣装部屋から新たな服を取り出す。リオナに構わず着替えた服は、全体的にゆったりとした服だ。体の線がわかりづらい。
「ごめんなさいね、怪我はなかったかしら」
「あ、はい……」
謝罪しつつ、彼女はリオナのために水気をとるための布を持ってきてくれた。




