3.4 二つの、敵②
「あ、ややややっ」
リオナは自分でもよくわからない悲鳴を上げながら、激突するかもしれない恐怖で目を瞑る。しかし、声が聞こえてきた。
「リオナ――――!!」
砂埃が出るほどの速度で、アルフォンスが突進してきた。そして一瞬だけ落ちる速度が緩んだと風を感じた瞬間、アルフォンスの上に落下する。そしてそのまま抱きしめられ、頭を守られるような形でゴロゴロと砂漠を転がった。そして、止まる。
周囲に砂埃が舞う。それが落ち着く頃、リオナが先に体を起こした。すぐ横では、アルフォンスが倒れたまま動かない。
「え、ア、アルフォンス、様?」
砂まみれのアルフォンスは、俯せのまま。これでは息がしづらいだろうと、肩を引いて向きを変えようとする。しかし、動かしづらい。オトコルのときよりも、なぜか力が入らない。
「アルフォンス様!」
「リオナ嬢。頭を打っているかもしれない。揺らさないで」
駆けつけたブライスの指示を聞き、アルフォンスの肩を揺らそうとしていた手をきゅっと縮める。
ブライスがゆっくりとアルフォンスの体の向きを変えた。すると、こめかみの辺りから血が流れてくる。
「そんなっ!」
「赤魔術師、ネイサン・ブライスが命じる! 世界に満ちるマインラールよ、アルの傷を癒やせ!!」
ブライスが詠唱する。傍らでリオナとララが見守る中、淡い光りがアルフォンスの頭部を包む。しかしアルフォンスは目を覚まさない。
ブライスは頭部に直接触れるようにして、もう一度詠唱する。
「赤魔術師、ネイサン・ブライスが命じる!! 世界に満ちるマインラールよ! アルの傷を癒やせ!!」
切迫した詠唱の後、先程よりも強い光りがアルフォンスの頭部を包み込む。
(アルフォンス様……)
何もできないリオナは、ただアルフォンスが目を覚ますことだけを願う。
「アルフォンス様!?」
ぴく、っと、アルフォンスが動いたような気がした。思わず顔をのぞき込んでいると、アルフォンスの手がリオナの方へ伸びる。すかさずその手を取り、ギュッと抱きしめるようにして熱を送った。
「アルフォンス様!!」
「アル!!」
「ぇぃ……リオナ、と、手を、繋げた……」
まだ声はか細いが、アルフォンスが目を覚ました。
ふうっと、脱力したブライスが砂漠に座る。
「おまっ……いや、言いたいことは山ほどあるが、目を覚ましてくれて良かったよ」
「本当に……良かったです……」
「自分を回復できるか」
「いや……補助魔法をしてもらった影響で……今は、無理」
「ブライス様はもう無理なのでしょうか」
「おれもありったけの力を注いだから、魔力が回復しないと難しい」
リオナ達三人が話していると、アルフォンスを見たララが何か恐ろしいものを見たように震えていた。
そんな様子に気づいたリオナが問う。
「ララさん? どうかしましたか」
「ふ、深緑の髪……新緑の瞳……あなた、いえ、あなた様は……」
ララの言葉にハッとなったブライスが、慌ててアルフォンスの頭部をローブで隠す。
王族の印を知らないリオナは、ブライスの行動もララの指摘もわからない。
「リオナ嬢。アルフォンスを運びたい。肩を貸してもらえるか」
「あ、はい……えぇと、ブライス様が運ばれるわけでは?」
「まあ、アルを運ぶだけの体力はまだ残っているが……おれが肩を貸すには身長差があるし、体に負担をかけないような運び方だと横抱きしないといけないから」
「それは嫌だ」
「だろ? アルならそう言うと思った」
ブライスと笑い合えるほど回復したアルフォンス。ララはずっとアルフォンスを見ている。
そんなララに、ブライスが言う。
「受付嬢さん。もうキングスコーピオンはいません。毒にやられている人に解毒剤をあげて下さい」
「え、あ、はい!」
まるで呪縛が解けたように、ララがオトコルの方へ走っていく。
それを見たブライスに促され、リオナはアルフォンスに肩を貸す。
ノキアの街へ帰るまでの道すがら、リオナが落ちる前にアルフォンスが駆けつけられた理由を知る。
ブライスの赤魔術でアルフォンスに補助魔法を使い、全力よりもさらに力を出して動いたのだという。その影響で、アルフォンスは全身筋肉痛のような状態になっているらしい。関節部分がガクガクと震え、リオナの肩を借りても、立っているのもつらいという。
ノキアの南門付近へ行くと、門兵が駆け寄ってくる。アルフォンスは担架で運ばれ、リオナからオトコルの話を聞いた門兵たちが二つ目の担架を持って移動していった。
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激動の時間を終え、ララはギルド長の部屋を出た。アルフォンスの正体については、報告できていない。
今後仕事がなくなるかもしれない。ギルド長には世話になっている。迷惑がかからないうちに自ら辞めた方が。
そんなことを思いながらも、受付嬢としての職務を真っ当すべくカウンターへ行く。
(うっ……)
アルフォンスと一緒にいた御仁と、目が合った。確か、ブライスと呼ばれていたか。
(ブライス……ブライス……どこかで聞いたことがあるのよねぇ……)
ブライスと目は合ったが、あえてこちらから近づかない。近づかなければ、何も問題は起こらない。
ブライスが、微笑みながらゆっくりとララに近づいてくる。ギルドにいた、女性の冒険者たちが黄色い声を上げた。
「先程は、お世話になりました」
「い、いいえ!! わ、私はギルド職員として動いただけで……」
盛大に目を泳がせながら、どうにかブライスから意識をそらそうとする。
そんな努力を無駄にするように、ブライスが優雅な笑みを浮かべた。それを目撃した数名の女性冒険者がふらりと倒れる。
ララとしてはすぐにでも介抱したいが、蛇に睨まれた蛙のように動けない。
「受付嬢さんがいなければ、死人が出ていました。お礼がしたいです。お昼、もしくは夕食をごちそうしても?」
「い、いいえ!! お構いなく!!」
ブライスからの誘いを、ララは全力で拒否する。しかしそんなララを、ブライスは逃がしてくれない。
「困ったな。受付嬢さんにお礼をしないんじゃ、主に怒られちゃいますね」
「ひっ……」
「昼食と夕食、どちらがいいですか」
「ちゅ、昼食で!!」
「では、迎えに来ます。何時頃来ればいいでしょう?」
「お、お昼の鐘がなってから来てもらえればっ」
「わかりました。では、その時間帯にまた来ますね。ララさん?」
最後の微笑みは、ララを竦み上がらせた。リオナの研修時は名前を呼ばなかったのに、微笑みと同時に呼ぶなんて心臓に悪すぎる。
(……きっと、私の人生はここで終わるのでしょう……)
他の受付嬢が、周囲できゃぁきゃぁ騒いでいる。ララの心境とは真逆の反応だ。
結論からすると、ララの人生は終わらなかった。
個室もある料理屋に招かれたララは、ブライスから一つの忠告を受ける。アルフォンスの正体が世間にばれなければ、何も問題はないと。
勿論、ララは全力で誓った。自分の人生のために。
そしてその日の夜、テフィヴィの街で働く姉から、各街のギルドへ通達されていた内容を思い出した。「ブライス」と名乗る男性と一緒にいる人物の、正体を探ってはいけないと。
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