2.6 想定外の幸福
リオナは、宿屋に到着して現実を知る。窓を使うような高級な宿なのだ。ブライスのおかげでリオナも部屋を借りれるようになった。しかしその宿泊代は、一泊一万五千ガルド。
「こ、この料金も、しっかりと返します!」
「別に急がないから、気負いすぎなくていい。とりあえず明日、ノキアの街の冒険者ギルドへ向かおう」
「わ、わかりました。よろしくお願いします」
「リオナ、緊張しなくて大丈夫。今日はゆっくり休んで。朝になったら部屋まで迎えに行くから」
「は、はい。また明日、よろしくお願いします!」
「お休み、リオナ」
「お、お休みなさい」
宿屋の入口付近には、人がいなかった。だから問題なく部屋まで行ったが、アルフォンスは三階の角部屋。ブライスはその隣だ。リオナはさらにその隣。倉庫の隅の寝藁で寝ていたリオナには十分すぎるほどの部屋だ。
二人がそれぞれの部屋に入っていくことを確認したリオナは、与えられた部屋へ入る。取っ手がついた部屋で寝るなんて初めてだと緊張しながら一歩足を踏みだす。
敷かれていた絨毯に足音が消えていく。さすが、一泊一万五千ガルド。寝台へ行くまでの道ですら高級感が漂っている。
「ふ、ふかふかぁ……。これは、無理だ」
手でふわふわ度合いを確認した。勇気を出して座ってもみた。しかし、寝台はリオナにとって未知の領域すぎて畏れ多い。ブライスに借金をする形になっているのだから、リオナが好きに使っていいはずだ。しかし、五年も寝藁で寝ていた。ジェイコブがいたときだって、ここまで柔らかい寝場所ではなかったのだ。リオナ史上最上級の寝台で寝られるわけがない。
「……うん。ほら、ここの絨毯だって藁より柔らかい」
入口付近の絨毯に寝っ転がる。すきま風もないし、硬い寝藁が刺さることもない。
リオナは広い部屋の入口付近で一晩明かした。
翌、早朝。ガバッと体を起こす。
「朝ご飯! って、そうだった。もう十一人分作る必要ないんだ」
日が昇るよりも前に起きてしまったから、絨毯の上で体を伸ばし、アルフォンスたちを待つ。
「……何かすることないのかな」
毎日、次に何をしようかなんて考える余裕がなかった。いつも同じ時間に起きて、準備して、作業して、また食事の準備をしてと繰り返していた。だから、ただ待つだけなのは落ち着かない。
立ち上がり、部屋の隅々まで歩く。黒と白で纏められた室内は部屋の角ですら埃がなく、家具も艶があってよく手入れされている。
室内には何も手を出せない。それならば宿屋の調理場や他の場所で手伝えないかと部屋を出ようとした。
「……ここの鍵って、どうすればいいんだろう」
高級宿どころか、どこかに泊まることすら初めてだ。ここにジェイコブはいないし、アルフォンスもまだ来ない。部屋を出てもいいのかわからないから、何もできない。
リオナは、大人しく呼ばれるまで絨毯の上で座って待つことにした。
そして、待つこと一時間ほど。アルフォンスが迎えに来てくれた。待ってましたとばかりに扉を開け、驚かれてしまったが、そのままアルフォンスと一緒に宿屋の一階へ行く。
昨日はわからなかったが、一階で食事を取れるらしい。先に行っていたブライスが席を取ってくれている。
リオナとアルフォンスも席に着くと、湯気が出ている出来立ての朝食が運ばれてきた。野菜スープと長パンだ。
「……こ、これはいくらでしょうか」
「宿泊者は朝食が無料になっているから気にしなくていい」
「む、無料!? す、すごい……」
高級宿は待遇が違う。そんなことを思いながら、温かい朝食を取り始める。一匙、二匙とスープを食べていくが、手が進まない。
「リオナ? どうしたの?」
「とても美味しくて、もっと食べたいと思うんですが……温かい食事なんて久しぶりすぎて、すでに満腹を通り越してしまいました」
「え、嘘でしょ!? まだたったの二口じゃん」
「そ、そうですよね。せっかく用意していただいているのだから、もっと食べないといけないですよね……」
一匙掬う。口に入れて、野菜スープを飲み込む。体の中を温かいスープが流れていく。
そして、既に満腹以上の量を食べていたリオナは、食べ過ぎによって気持ち悪くなってしまった。
(ここで倒れたらダメだ……倒れたらダメだ……)
目を見開き、野菜スープを睨む。そうやって平静を保とうとした。
「ちょっ!? リオナ!? 無理しないで!!」
木匙を持ったまま手を震わせるリオナは、最早アルフォンスの声すら遠い。迷惑をかけないようにと思うのに、意識を保っていられなくなった。
ふらっと体が傾き、椅子から倒れ落ちそうになったところをアルフォンスが支えてくれる。
「リオナ、無理しないで。部屋に戻ろう」
「そ、そういう、わけには……」
「デューオルチョインだって一瞬で倒してたじゃん。冒険者登録すればドロップ品も減らないし、すぐに稼げるようになるよ。ほら、部屋まで一緒に行くから」
あの選択制戦士を一瞬で倒す!? そんな話を聞いた、朝食を食べていた他の冒険者達の関心が一気にリオナへ集まった。
そんな空気を察したらしいブライスが、リオナを運ぼうと立ち上がる。
「ネイサンはここで待機! ぼくがリオナを運ぶから!」
リオナとアルフォンスは同じくらいの身長だ。だからリオナは心配したが、そこはアルフォンスも男の子。筋肉量の違いで、危なげながらもリオナを抱き上げた――かったようだ。
「あの、アルフォンス様。肩を貸してもらえますか」
プルプルしながら運ばれるのは心苦しく、リオナは代替案を提示した。
アルフォンスも、無理してリオナを怪我させたくないと思ったらしい。リオナの提案に乗ってくれた。
「ありがとうございます」
リオナはアルフォンスの肩を借りながら、三階の部屋へ行く。そしてそのまま絨毯の上で寝ようとして止められ、寝台で寝ることになってしまった。
(ふ、ふかふかぁ……!)
リオナの体調が良くなったら冒険者登録に行こう。そんな約束をし、実際に外に出たのは、それから三日後のことだった。




