2.5 借金
ごみ箱から取り出した鞄とマラシェイしか荷物がなかったリオナは、これからどうすればいいのか聞く。鼻をつまんでブライスとふざけあっていたアルフォンスが立ち止まった。
「そうだね。とりあえずぼく達が泊まっている宿屋に行こう」
「ちょっと待て。その前に、清潔にするぞ」
日が傾いてきた時間だ。家に帰る人たちの邪魔にならないように、路地裏へ移動する。そしてブライスが、リオナとアルフォンスに手を向けた。
「赤魔術師ネイサン・ブライスが命じる。世界に満ちるマインラールよ、二人の汚れを落とせ」
詠唱が終わると、ブライスの手から出た泡がリオナとアルフォンスを包む。そして水で流され、風で乾燥まで終わった。
「すごい……赤魔術師って何でもできるんですね」
「赤魔術師は、何でもできるが、何かを極められない。アルみたいに回復特化の白魔術師が羨ましいよ」
「お二人は冒険者なんですよね? 冒険者って、職業を選べないんですか」
「リオナも冒険者になりたい?」
「はい! 研磨師試験の受験料を稼ぎたいので、なりたいです」
「リオナは夢があるもんね。応援するよ」
「ありがとうございます」
「冒険者の職業に関しては、ギルドで登録する時でいい。宿屋へ戻る前に、リオナ嬢を治してあげないか」
「リオナ。ネイサンの時にも言ったと思うけど、直接触った方が効果が高まるんだ。触ってもいいかな」
「は、はい。お願いします」
一瞬だけ、さきほど抱きつき合ったことを思い出してしまって緊張した。しかし目を閉じて心の準備を整ったことを伝える。
「……リオナ。目は閉じちゃ駄目だ」
「へっ? あ、はい。わかりました」
注意され、じっと見つめるようにアルフォンスを見る。目が合うアルフォンスの新緑の瞳が、動揺しているように揺れていた。
「……ごめん。やっぱり目を閉じて」
「はい。わかりました」
指示の通り目を閉じる。恐る恐る、というようなゆっくりとした動作で、リオナの顔がアルフォンスの両手に包まれた。
「白魔術師アルフォンス・アドルフ・アディントンが命じる。世界に満ちるマインラールよ、リオナの傷を癒やせ」
詠唱が終わると、顔に触れたアルフォンスの手から溢れた温かな熱がじんわりと広がっていく。
(顔の至るところが、引っ張られているみたい)
これまで、何度もオルゴーラに暴力を振るわれてきた。傷を塞ぐような薬はもちろん与えられないし、同じ場所に何度も痣ができたこともある。それら全ての傷が、アルフォンスの魔法によって治療されていった。
「ありがとうございます。何だか、すごく顔がすっきりしたような気がします」
顔を映すものは何もない。しかし無意識に顔を触って、かさついているが何も傷がないとわかった。筋肉や神経の機能まで回復し、血行も良くなったように感じる。腫れも、浮腫もなくなった。
「アルフォンス様? ブライス様?」
何も反応がない二人を呼ぶと、ハッとしたように動き出す。どこかで見たような反応を示した二人は、互いに向かい合い、頷いたブライスが路地裏から出ていった。
「ネイサンに、ちょっとローブを買いに行ってもらったから。少しここで待ってて。ネイサンが戻ったら、ローブで顔を隠してね」
「は、はい。わかりました」
お礼を言いつつ、アルフォンスの行動に首を傾げる。まるで街道からの不審者を見張るように、路地裏から様子を探っている。
そして、ブライスが戻ってきたようだ。足早に路地裏に入ってくる。持っているのは、薄いピンクのローブ。
「おいくらですか? 今は払えませんが、冒険者になってから返します」
「リオナは気にしなくていい。ぼくが払うから」
「いいえ! そんなわけにはいかないです。アルフォンス様にはすでに、百万ガルド払ってもらっています」
「それこそ、気にしなくていい。あれは返さなくていいお金だから」
「返さなくて良いお金なんて、世の中にないです。お金は大事なんですよ?」
ぐいっと近づくリオナに、アルフォンスがたじろぐ。
そんなリオナに、ブライスが薄いピンクのローブを渡す。
「リオナ嬢がそこまで言うなら、稼げるようになったら徴収しよう。千五百ガルドだ」
「せんっ……わ、わかりました。ありがとうございます」
ローブを受け取り、早速着た。ブライスが買ってきたローブをリオナが着る。その瞬間を目撃したアルフォンスが、路地裏から出ようとした。
「どうしたんだ、アル」
「緊急事態だったからすっかり頭から抜け落ちていたけど、ネイサンが……ぼく以外の男が買った服をリオナが着るなんてありえない!! 今すぐに他のローブを買ってくる!!」
「待て待て。リオナ嬢への結納金が全資産だったろうが。所持金ゼロで店に行くな」
「止めてくれるな、ネイサン。男には行かなくてはならない時がある」
「少なくとも、今じゃない。落ち着け、アル。よく考えてみろ。別に男女の仲じゃない。金さえ支払われれば終わる浅い関係だ」
「言われてみればそうか。ふふん。確かにぼくの気持ちとは全く比べ物にならなかったね」
「お二人は仲が良いですね」
「まあね。ネイサンとは、乳兄弟だから。ずっと一緒にいてくれてる。ネイサンには感謝しかない」
「ほ、ほら、リオナ嬢もローブを着たことだし、宿屋に行くぞ」
照れ隠しをするように、ブライスが足早に路地裏を出る。そんなブライスを見て面白そうに笑うアルフォンスを見て、やはり仲が良いなとまた思う。
リオナも二人を追いかけるようにして宿屋へ向かった。




