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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

かみさまのお嫁さま

作者: タブ﨑

 私という人間は──

 いつまでも普通の毎日を送り、平均値止まりな人生を歩んでゆくのだと思い込んでいた。


「突然の訪問になってしまい申し訳ございません。(にのまえ) 暈禰(かさね)様でお間違い無いでしょうか」


「は、はい……」


 少なくとも、その瞬間までは本気でそう思っていた。そう信じていた。

 "そういうの"はどこか別の世界のお話なのだと思っていた。


「貴女が今回の"花嫁"に選ばれました」


「…………えっ?」


 願望があったのかもしれない。『波風立たぬ人生が一番良い』と。

 そう思っていたのに、私の全てはその一言で大きく変わってしまったのだった。




 ──────────


 からっと晴れ渡る空。校舎の周りを走る野球部。そして微かに響く、遠くの踏切の音。

 私は木陰の中からそんな風景を眺めていた。誰も気に留めない、何年も前から変わらない風景。それでも今こうして意識を寄せて見てみると、何だか特別な物に思えた。


「お待たせ、暈禰(かさね)! 暑い中ゴメン!」


「……ん、ううん。大丈夫だよ」


 ボーっとしたまま木陰から一歩出ると、すぐさま鋭い日差しが私の身体を突き刺した。今はまだ晩春、一応は春なのに例年よりも随分と暑くて参ってしまう。


「じゃあ帰ろっか」


「あ、ちょっと待って」


 中学からの友人『(たちばな) 香澄(かすみ)』に笑顔を向けると彼女は鞄から蓋の開いていないリンゴジュースを取り出した。


「いやー、ホント待たせてごめんね。これ飲む?」


「わ、いいの?」


「うん。昨日ジュース奢ってもらったやつのお返しも含めて」


「そういう事なら貰おうかな…… ありがとね」


 じわじわと表面に水滴を作り出すそれを受け取って歩き出すと、香澄は暑そうに首元を扇ぎながら空を見上げた。


「……そう言えばさあ」


「うん?」


 陽の光に目を刺されて視線を下ろした香澄がニヤリと笑みを浮かべてこちらを見た。

 噂好きな彼女は、昼間聞いた話を下校中に話してくれる事が多い。


「"イブキ様"って知ってる?」


 今日はどんな話だろうかとワクワクしていたのだが、彼女の口から出てきたワードは少しだけ都市伝説的で恐怖心をくすぐるような物だった。


「……怪談?」


「違う違う。この街を護ってくれてる氏神様の事だよ」


「氏神様…… 初耳。そういうの本当にあるんだ」


 独り言のように呟くと香澄は笑顔で話を続けた。


「うん。でね、そのイブキ様って二百年に一人だけこの街の住民から"花嫁"を選ぶんだって」


「え? は、花嫁?」


「そう、花嫁。若い子が選ばれるんだってー!」


 他人の色恋沙汰を冷やかすかのように笑う香澄。対する私は何だか恐ろしいモノを想像してしまっていた。

 花嫁とは名ばかりの供物、選ばれた者は血肉を啜られ死に至る。そんなイメージが背中を冷やした。


「丁度今年がその年なんだってさ」


「"その年"って?」


「察しが悪いなあ。花嫁が選ばれる年だよ」


「え、えー……? なんか怖い……」


 香澄の意図としては案外スケベな神様の噂を面白おかしく話したつもりなのだろう。しかし私からすれば人知の及ばない存在は何だって怖い。

 そんな私の様子を見た香澄はおかしそうに笑った。


「あっはははっ! こんなの迷信だよ。花嫁を選ぶのだって結局は市長さん達がやっているんだし。形式的な儀式をして『お疲れ様! ジュースどうぞ!』って。どうせただのそういうイベントだよ」


「でも、もし本当だったら……」


「まあ本当だったとしても私達が選ばれるような事は無いでしょ。この街はデッカイし年々人口が増えてるからさ、選ばれる確立なんて小数点のずーっと先だよ」


 歩きながら眼前に広がる景色を眺める香澄。

 彼女は"イブキ様"を完全なるフィクションとして捉えているようだ。


「小数点のずっと先……?」


「そ。私たちの日常とは別の世界の話だよねえ」


「……そう、だね。うん」


 香澄の笑顔とは裏腹に、私は小さな胸騒ぎを感じていた。

 私はそういうのとは無縁であるはずだ。万が一にも選ばれるような人間ではない。

 そう分かっているのに、身の程を弁えているのに。イブキ様の話をホラーとして捉えてしまったせいで恐怖によるドキドキが止まらないのであった。




 ──────────


 その夜。スマートフォンで適当にSNSをチェックしていると、すぐ近くで車の停まる音が聞こえた。まさか私の家の前に停まったのだろうか。時刻は20時ちょっと前、こんな時間に客人が来るのは珍しい。


「……」


 スマホを弄る手を止めて暫く聞き耳を立てていると、両親の大きな声が聞こえた。何を言っているのかまでは分からないが、何やら驚いているかのような声だ。

 ちょっとした修羅場を感じ取った私は恐る恐るドアへと近付き、聞き耳を立てようとした。

 その瞬間──


「暈禰ー! ちょっとおいで!!」


「っ! は、はい!」


 母が私を呼んだ。反射的にドアを開けて階段を慎重に降りると、玄関口には市長と数人の大人の姿が見えた。


「……え?」


 思わず声が漏れた。両親も客人達も神妙な面持ちをしている。私はこれから何を聞かされるのだろう。


「暈禰、ここに。落ち着いて聞きなさい」


 市長の目の前を示した父が立ち位置を変えてスペースを作る。それに従って市長の目の前に立つと、彼は厳かな態度で言葉を発した。


「突然の訪問になってしまい申し訳ございません。(にのまえ) 暈禰(かさね)様でお間違い無いでしょうか」


「は、はい……」


 正直、ちょっとだけ察しは付いている。だが、『本当に私なのだろうか』という疑念の方が強い。もしかしたら違うかもしれない。違う可能性の方が大きいはずだ。まさか、よりにもよって私では無いだろう。


「貴女が今回の"花嫁"に選ばれました」


「…………えっ?」


 その一言は、グルグルと渦巻く考えを吹き飛ばすかのように耳から脳へと伝達されていった。


「は、花嫁……」


「この風習についてはご存知でしょうか」


「あ、はい。二百年に一度だけイブキ様が選ぶという……」


「"イブキ様が"という部分に関しては事実とは異なりますが、その通りです。 ……重ねて申し上げますが、その花嫁に貴女が選ばれました」


 状況を飲み込み切れていない事を感じ取ったのか、市長が念を押すように同じ言葉を放った。


「な、なんで私なんですか?」


 戸惑いに包まれた脳が最低限の声を上げる。

 それに対して市長は申し訳なさそうな表情でありながらもしっかりと答えた。


「16歳以上35歳未満の方々から公正な手段を以て選ばせていただきました」


「じゃあ私が選ばれたのは偶然、という事ですか……?」


「……はい」


「拒否権は無いんですか?」


 今度は父が尋ねる。何故かとても不安そうだ。この表情を見ていると、まるでイブキ様が本当に存在しているかのように思えて私も不安になった。


「……申し訳ございません。イブキ様がお怒りになられると何が起こるか……」


「そんな……」


 絶望したかのように声を震わす母。皆様子が変だ。何でここまで本気の表情を浮かべているのだろう。


「え、えっと…… あの! イブキ様の話って迷信なのでは──」


「まさか! 実在しておられるんですぞ!」


「……っ!」


 イブキ様は実在している。反響するようにその言葉が何度も脳内で再生された。

 だったら、私はどうなるのだろう。


「じゃあ私は、これからどうなるんですか……!?」


 感情と共に吐き出した言葉は思ったよりも弱々しく響き渡った。


「申し訳ございません。それについては私にも分かりかねます。なんせ前の花嫁は二百年前の人物なので……」


「……」


 これからも学校に行けるのだろうか。両親や友達とは会えるのだろうか。

 私が私として存在し続けられるのだろうか。


「嫁入りは七日後の昼、正午を予定しておりますので、九時頃にこちらの職員が──


 市長の話の最中であるにも関わらず、私の意識はどこか遠くへと飛んで行ってしまっていた。




 ──────────


 あの日から嫁入りまでの七日間、私は頑張って普通にしようとしていたが五日目に限界を迎えて学校を休んだ。自室に篭りっきりという訳ではないが、家族との時間は今までに類を見ないほど短くなった。両親の顔が見れなくなったのだ。見た瞬間に泣き出してしまいそうだったから。

 両親も幾度となく市へ抗議していたようだが、全て無駄だったようだ。きっと、両親だって私の顔を見たら泣くだろう。

 泣きたくないし、泣く姿を見たくもない。だから部屋に篭るしかなかった。

 そうやって過ごしながら迎えた当日である今日、何もする気が起こらないまま迎えた九時。あの日と同じ車の音が家のすぐ外で聞こえた。


「……」


 辛うじて覚えている『九時頃に職員がどうのこうの』というやつだろう。静かに聞き耳を立てていると、再び両親の声が聞こえてきた。


「暈禰、おいで」


「はい」


 言われるままに部屋を出て階段を降りると、あの日に比べて少人数の大人の人が玄関に立っていた。


「いいかい、暈禰。これから君は嫁入りの為の準備しに行くんだ。その後ここに戻って来られるかどうかは分からない」


「……うん」


 上の空のまま父の話を聞いている私を見た両親が心配そうな表情を浮かべる。


「……あっ、う、うん! 分かった! 行ってくるね!」


 その表情に気付き慌てて気丈に振る舞うと母親が泣きそうな顔になった。


「大丈夫だよ! 今日戻って来れなくても、多分嫁入り後でも実家に顔を出すくらいなら出来ると思うから!」


「そろそろお時間です。暈禰様、お車へ」


 まともな別れの言葉も言えていないのに職員が乗車を促す。


「じゃあ行ってくるね、ママ、パパ。きっと何らかの形で帰って来るから。一足早い親離れだと思って応援してて!」


「……うん。頑張ってね」


「いつでも電話してきて良いからな」


 ほんの少しだけ安心出来たのか、それとも悲しむ顔を見せまいと思ったのか。両親の私を見る眼差しから悲しみの色が薄れたように見えた。

 その様子を見届けて車に乗ると、暫くの間を置いてからゆっくりと走り出した。


「……本当に、いきなりになってしまって申し訳ございません」


 両親の姿が見えなくなった頃、運転していた男性が後部座席の私へと声をかけた。


「いえ…… あの、先程は両親に『戻ってくる』と言いましたが、実際にそういった事は可能なのでしょうか」


「我々には分かりかねます…… 少なくとも今までの花嫁が元の場所に帰って来たという記録は残っておりません」


「……イブキ様自身に関する事は?」


「申し訳ございません、正確な情報としてお伝え出来る事はありません。資料として残っている物は無く、伝わっている話は憶測から生まれた口伝のみなので……」


 つまるところ、『イブキ様についてよく分かっていない』から『花嫁がどうなるのか分からない』という事なのだろう。


「……」


 平均値からは程遠い人生だ。正直今でも実感が湧いていない。

 『私の一生は今日で終わるのだろうか』という感情と『流石に死にはしないだろう』という楽観が入り混じって自分でもどういう気持ちでいるのか分からない。

 ただ一つ。諦めの感情が生まれかけている事だけは自覚できた。

 その後の時間の流れは早かった。

 良くない未来を思い描いているうちに着付けも化粧も終わり、気が付いた時には太陽は真上まで昇って来ていた。

 全てが完璧に終わって姿見を見せられても、そこに見える人物が他人に見えた。実物を見た事すらなかった白無垢に、興味を持った事などなかった化粧。これが自分だと言われても困ってしまう。


「では、参りましょうか」


 建物の出口で待っていた市長が高級車の後部座席のドアを開ける。小さく礼をしてそれに乗り込むと、ここに来る時とは別の人が運転席に乗って車を走らせ始めた。今度は女性の方だ。


「……」


 言葉は無い。

 車は私が通った事の無い道をどんどん進んでゆき、ついに森の中へと入ってしまった。そこから更に数キロメートル進み、横道の前で車が止まった。


「ここからは道が細くなるので歩きです。付いて来て下さい」


「はい」


 降車した女性に続いて私も車から降りる。乾燥した柔らかい土が私の脚を受け止めた。


「あの、イブキ様はどこにいらっしゃるのですか?」


「この森の奥にあるお社です」


 指差す先を見てもただ森が広がっているだけだった。

 だが植物に包まれている割には鬱蒼としているような印象は無く安心感を感じた。


「少し先まではまだ道があるから良いのですが、途中から道が無くなりますのでお気を付けください」


 そう忠告をして歩き始める彼女に続いて、私も森の道を進み始めた。

 歩きながら周囲を見渡す。

 差し込む光が葉の緑に反射されて空気に淡い色を付け、頭上では葉の隙間に小さく点在する青空が私を見守り、名も知らない鳥が聴いた事の無い綺麗な声を発している。少し遠くでは私達に気付いたリスが慌てて走り出している姿が見えた。


「……」


 良い風景だ。陽の温もりに包まれた命がそれぞれの生を謳歌し、非日常なようでありながらも落ち着いた時間が流れている。

 希望的観測ではあるが、こんな空間に住んでいるのならイブキ様は私が思っているような怖い存在ではないのかもしれないと思った。

 

「この辺から足場が悪くなります。ご注意ください」


「はい」


 落ち葉と草のカーペットをサクサクと踏みしめる。

 足を挫かないようにひたすら歩き続けていると、遠くに建物のような物が見えてきた。


「あちらがイブキ様がお住まいになっているお社です」


「あれが……」


 徐々に近づいてくるその建物は、お社というよりも"古風な民家"に見えた。倉もある。


「お社、なんですか?」


「はい。見た目はともかく、建物としてはそういう扱いになっております」


「へえー……」


 家の周りは綺麗に整備されており、窓の下には植木鉢が並べられていた。植えられているのはプチトマトやナスなどの野菜、そしてバジルや紫蘇を始めとするハーブ類もあった。更に少し視線を移すと裏庭のような空間に加えて灯油タンクまでもが見えた。

 もはや普通の家だ。こんな光景を見ると実在しているのか否かと考えていたのが馬鹿馬鹿しく思えてきた。


「では、私はこれで」


「えっ? 私一人で行くんですか?」


「『イブキ様と花嫁が初めて対面する場には第三者が居てはならない』。昔から守られているしきたりです。と言っても暫くは帰らずに身を隠すだけですので、何か問題があれば大声を出して下さい。その時は駆け付けますから」


「は、はい。ありがとうございます」


「イブキ様は悪い存在ではありませんが、一応お気を付けて」


 そう言った女性は来た道を戻り、少し離れた位置の大きな木の陰に身を隠した。 


「……」


 行かなければ。ここまでくるともう恐怖心は消え失せていた。

 代わりに今は『どんな人なのだろう。ちゃんと話せるだろうか』と、数時間前までは抱いていなかった暢気な思考が私の身体を強張らせている。


「……インターホンって」


 玄関口まで来て気が付いた。現代においてもたまに見かける古いタイプのやつが当たり前のように取り付けられている。お社としての威厳を微塵も感じない。

 恐る恐るそのインターホンを押すと家の中から『ピンポン』と馴染み深い音が漏れて聞こえた。


「……」


 数十秒待っても反応が無い。


「ご、ごめんくださひ……」


 緊張で大きな声が出ない。これではイブキ様には聞こえていないだろう。

 もう一度インターホンを押そうか迷っていると──


「──すまない、遅くなった。入って来て良いぞ。鍵は開いておる」


 扉を挟んだすぐ前方から声が聞こえて来た。


「ほ……っ! は、はいっ!!」


 ずっと静かだったのにいきなり低めの声が聞こえたもんだから驚きで変な声が出てしまった。

 恐る恐る引き戸を開くと、そこには私よりも背丈の小さな少女が居た。

 真っ直ぐに伸びた白い髪には柔らかくもキメの整った輝きが走り、小さな体には優しい水色に藤の花の柄を浮かべた着物を纏っている。かなりの"美少女"だ。


「いらっしゃ……い……? あー、おぬしは?」


 全身を確認した少女が戸惑ったように私の顔を見つめる。その瞳は冬の青空を宝石に閉じ込めたかのように綺麗だった。


「あ、あの、私(にのまえ) 暈禰(かさね)って言います。花嫁として来ました! イブキ様はいらっしゃいますでしょうか!」


 そこまで言い切ると少女は唖然としたような表情で数度瞬きをした。


「またか……」


「えっ?」


 困惑と呆れが混ざったような声を発した少女は暫く腕を組んで考えた後、『仕方ない』といった顔をしながら首を傾げた。


「いや、すまん。詳しい話は中でしようかの。上がってくれ」


「は、はい……」


 その背中について屋内へ上がり込む。

 玄関から廊下へ進み、そして襖の一つを開けた少女は中へ入るように手で示した。


「座布団が敷いてあるから、そこに座って待っておれ」


「し、失礼します……」


 フカフカの座布団に座ると少女は慌ただしく別の部屋へと早歩きで向かい、そして二人分の麦茶を持って戻って来た。


「待たせた。ニノマエ…… カサネと言ったか」


 ちゃぶ台に麦茶を置きながら少女が向かいに腰を掛ける。


「は、はい。麦茶ありがとうございます」


「そんな畏まる程の品じゃないぞ」


 深々と下げた頭を恐る恐る上げると、少女は改めて私の全身を見回しながら麦茶を一口飲んだ。


「……あの、イブキ様は今ご不在なのでしょうか」


「んん、いや私がイブキじゃ」


「あっ、え?」


 私の反応を見た少女、もといイブキ様は困り眉でありながらも笑顔を浮かべた。


「女性、だったんですか?」


「そうじゃ。なのに花嫁が次々と…… くふふ」


 少し意地悪な表情で頬杖をついたイブキ様が私の瞳を見つめる。儚い系の綺麗な顔からは想像も付かない強気な表情に少し冷や汗が出た。


「これで花嫁が来たのは四回連続。いや、私が氏神になってから花嫁しか来ておらん。皆私の事を男だと思っとるんじゃろうな。 ……一度くらい花婿が来てくれても良いのに。のう?」


「あ、あはは」


 愛想笑いをすると彼女は気の抜けた声と共にため息をついた。


「はあ。まあ、これからよろしく頼むぞ。カサネ」


「えっ、送り返したりしないんですか?」


「……」


 てっきり『男を連れてこい』という話に続くのだと思っていた。

 私の言葉を聞いたイブキ様は真顔のまま静止し、暫く私の顔を見つめた。


「勘違いしておるようじゃが、別に私は結婚相手が欲しい訳ではないぞ?」


「そうなんですか?」


「ああ。そもそもここに花嫁として訪れるのは街の人達が勝手に始めた事。"花嫁"ってのもおぬしらが勝手に言っているだけじゃろう」


「ええ……」


 だとするとイブキ様は何もしていないのに『二百年に一度"花嫁"を要求する神様』だと思われているという事だ。だいぶ深刻な風評被害に思わず眉をしかめてしまった。


「つまりさっき言ったのは言葉通り『どうせ人が来るんなら顔の良い花婿も一度は見てみたい』ってだけの事じゃ。驚きはしたが期待外れだなんて思っとらんし、追い出したりなんかせんよ」


 優しい言葉を掛けてくれているが、対する私は自分がここに居る意味について考えてしまった。


「……」


 俯き、揃えた手を見つめる。

 嫁入りの儀式は街の人が勝手にやっているだけ。イブキ様本人は特に結婚相手が欲しい訳では無かった。なら私は今何の為に何をやらされているのだろう。

 微かな理不尽を感じて眩暈を起こしかけた私を見たイブキ様は首をかしげて唸り声をあげた。


「もしかして、おぬし自身の意思でここに来たって訳では無いのか?」


「はい」


「……勘違いしていたのは私も同じという訳か」


 右手で自分の頭を抑えたイブキ様が改めて私の目を見据えた。


「……帰りたいよな」


「…………はい。ごめんなさい」


 私の心情はイブキ様からすれば見え透いているのだろう。素直な気持ちを伝えると、彼女は共感を示すように深く頷いた。


「うむ、まあ強いられたんなら当然そう思うよな。街まで送ろう。わざわざこんな所まで来させてしまって悪かったな」


 そう言ったイブキ様は少しだけ寂しそうな笑顔を浮かべながら私と目を合わせた。


「あっ……」


 その顔を見ると、何故か『このまま帰っていいのだろうか』という気持ちが生まれた。


「で、でも! もう少しだけここに居ても良いですか?」


「ん? ああ、構わないが──」


 使命感と思い付きだけの発言を聞いたイブキ様は少し意外そうな顔をしながら立ち上がった。


「まず着替えた方が良いな。いつまでもそんな服装じゃあ気が休まらんじゃろ。こっちへおいで、その古臭ケバい化粧も落としてしまおう」


「ふ、古臭ケバい…… そんな風に見えてます?」


「かははは! ああ。これはこれで可愛らしいから安心せい」


「う、ぐ……」


 急いで立ち上がり、イブキ様に続いて廊下へと出た。

 行き先は隣の部屋。化粧台と複数の箪笥がある和室だった。


「そういえば、こんな森の中をその服装で歩いてきたのか?」


「はい」


「かーっ! そりゃ大変だったじゃろ。馬鹿でもしないわ、そんな事。脱げ脱げ」


「わ、ちょ……」


 手際よく身に着けている物を剥がれ、成す術も無く下着のみの姿にされてしまった。


「ぜ、全部脱がすんですか!?」


「そりゃそうじゃろう。この肌襦袢、結構汗を吸っておるわ。このままじゃ気持ち悪かろ? こんな厚着をするよりも浴衣でも着ていた方が良いじゃろ。 ……おっと、その前に化粧を落としに行こう」


「こ、この格好のままでですか!?」


「ふふ、そうじゃ」


 慌ただしく手を引かれ、今度は下着姿のまま洗面台へと連れて行かれた。


「化粧の落とし方は分かるか?」


 洗顔用のヘアバンドをこちらへ手渡す。


「あんまり……」


 質問に答えながら髪の毛を纏めると、イブキ様は更にいくつかの洗顔料を取り出した。近所のドラッグストアで見た事のある物だ。


「ふむ、では私がやろう。顔に触れるが構わんか?」


「は、はい。よろしくお願いします」


「ふふ」


 クレンジングバームを手に広げたイブキ様は背伸びをして私の顔全体を撫で始めた。

 少し屈んで高さを合わせるとやりやすくなったのか、頬や目元を撫でる手つきが少し柔らかくなった。


「……ほう、なるほど。おぬしは地が白そうじゃな。思ったより薄化粧じゃ」


「自分ではよく分かりませ──」


「うおおっ、口に入るぞ。返事はせんでも良い」


 露わになってゆく素顔に反応を示しながらテキパキと顔全体の化粧を落とし洗顔を終え、更に化粧水などのケアまで完遂したイブキ様は満足そうに私の顔を見つめて笑った。


「うむ。やはり歳不相応の化粧よりも素顔の方がずっと良い!」


「そ、そうですか……?」


「ああ。次は浴衣を選ぼう。こっちじゃ!」


 楽しそうにバタバタと廊下を突き進むイブキ様に連れられ、先程白無垢を剥がれた部屋へと戻って来た。


「着方は分かるか?」


 話しながらイブキ様が箪笥の上の段から簡単な肌着を取り出し、こちらへと手渡す。


「分かりません……」


 何故サイズの合うものがあるのだろうと思いつつ先ほどのように質問に答えながら着用すると、イブキ様は笑顔で箪笥を締めた。


「そうかそうか、私に任せておけ」


 今度は下の段が開かれた。

 そこには色とりどりの浴衣が入っていた。『これを着るからには出かけないと勿体ない』と感じる程に綺麗な浴衣も何着かある。


「綺麗…… そう言えば浴衣って普段着として使っていい物なんですか?」


「もちろん。結構快適じゃぞ」


「へえー…… お祭りの時に着る物だと思ってました」


「それも間違いではないが、くつろぐためのカジュアルな着物として使う事も出来る。ほれ」


 解説を挟んだイブキ様は四着の浴衣を取り出した。


「おぬしに合うサイズはこの四つじゃな。どれがいい?」


 白地に桜の花の柄、黒地に紫陽花の柄、紺の地に白のドット柄、そして最後の一着は優しい朱色の地に白いマーガレットの可愛らしい柄だ。


「じゃあ、この朱色のがいいです」


「おっ、分かった」


 手際よく残りの浴衣を仕舞ったイブキ様が浴衣の着付けを始めた。


「うむ、やっぱり明るい色が良く似合う。若さかのぅ」


 まだ袖を通しただけの私を見てイブキ様が目を細めた。

 帯を締め終えて姿見を見ると、自分でも『ちょっと似合ってるかも』と思える姿がそこにあった。


「ふう、よし。とりあえずはこれでオッケーじゃな。 ……お化粧もしたいが、さっき落としたばかりだからやめておこう」


 腰に手を当てたイブキ様が私の全身を見つめて頷く。その瞬間、私のお腹から音が鳴った。


「かははは、良い返事じゃ」


「あ…… こ、これは、その……」


 顔が熱くなってゆく。安心したせいか朝食すら食べていなかった事を思い出した。


「おぬし、昼食はまだじゃろう」 


「はい……」


 頷くと、イブキ様は得意げな笑顔で箪笥を閉じた。


「ふふ、実は私もまだなんじゃ。帰る前に腹ごしらえといくか。ちぃとばかし時間がかかるが、空腹を耐えながら帰るよりはマシじゃろ」


「いいんですか?」


「ああ。おいで」


 優しい笑顔で手を引くイブキ様に導かれ、私は居間へと案内された。内装は意外にも近代的であった。"居間"よりも"リビング"と呼ぶ方がしっくりくる。


「さて、食べたらおぬしを送り届けようかね。名残惜しいがちゃっちゃと済ませてしまおう」


 袖をたすき掛けにした上から更に割烹着を来たイブキ様が長い髪の毛をポニーテールに纏めて台所に立った。こちらもリビングの雰囲気に違わぬ近代的なダイニングキッチンだ。


「私は待っているだけでいいんですか?」


「ああ。客人なんだから当然じゃ」


 "客人だから"と言ってくれているが、押しかけた上で着物を貸してもらい食事まで作って貰うというのは申し訳なさで潰れそうだ。


「……」


 それに私は本来"花嫁"としてここに来たはずだ。

 イブキ様からすると、私は望みとは違う人間であった。なのに一度は私を受け入れようとしてくれた。それに対して私は『帰りたい』などと言ってしまった。今思えば、とんでもなく失礼ではないか。


「あの……」


「なんじゃ?」


 これ以上失礼を重ねて迷惑をかけるような事はしたくない。何かしらの形で誠意をもって彼女と接したい。今この場でできる事と言えば──


「お手伝い、させてくれませんか?」


「お手伝い?」


 料理の手伝いだ。

 大した事ではないが、積極的に歩み寄ろうという姿勢でいないとそれこそただの"失礼な人"になってしまう。

 私の言葉を聞いたイブキ様は少しだけ驚いたように動きを止め、そして笑顔でもう一着の割烹着をこちらに差し出した。


「じゃあお言葉に甘えて…… お願いしようかの」


「! ありがとうございます!」


「ふふふ、なんでおぬしが礼を言うんじゃ。おかしな子じゃの」


 浴衣の上から割烹着を着る私に対してイブキ様は冷蔵庫から鶏もも肉とチューブの生姜を取り出した。


「何を作るんですか?」


「私の大好物、"塩からあげ"じゃ!」


「おおー……」


「量は…… まあ一枚半で良いか。たくさん食べたいし」


 二枚ある鶏もも肉のうちの一枚を二つに切り分け、片方をラップに包んで冷凍庫に入れた。


「さて、おぬし。料理の腕はどの程度じゃ?」


「えっと……」


「訊き方を変えよう。自分でもギリギリ作れそうだなって思う料理は何じゃ?」


 それはそれで答え方に困る質問だ。


「……ベーコンエッグ?」


「……そりゃ焼くだけじゃろ。あまり料理が得意ではないのか?」


「はい……」


 自分から手伝いを申し出ておいてなんだが、私は料理が全くできない。包丁で切るとか物を焼くとか茹でるとかなら出来るがそれ以上は無理だ。揚げ物も一人でやった事など無い。


「んまぁ大丈夫じゃろ。ちゃんと説明を聞いて作れば失敗なんてしようがないからの」


「ごめんなさい、お手伝いをするって言ったのにこんな……」


「謝る事など無いよ、私としては楽しく料理が出来ればそれでいい。あまり気負い過ぎるな」


 一度手を洗いフォークを取り出したイブキ様が笑顔を見せた。


「……はい。頑張ります!」


「うん。その意気じゃ。まずは肉の処理じゃな。おぬしは手を洗ってから半分に切った方を頼む」


「はい!」


 私の分のまな板と包丁を取り出したイブキ様が広いキッチンにそれを隣り合わせで並べた


「見えるか、この白い紐みたいなやつ。これが"すじ"じゃ」


 洗い終えた手を拭いていると、まな板の上で鶏肉を広げたイブキ様が白い紐をつまんでこちらに見せた。


「は、はい」


「まずはこれを…… こうやって取り除く!」


 紐を上に引いて包丁を動かすと、すじが綺麗に取り除かれた。


「おお」


「コツとしては包丁を持つ手には力を入れ過ぎすに細かく動かす事。そしてもう片方の手で紐の方を引っ張るようにすれば簡単に取れるはずじゃ。感覚としては『肉から切り離す』というよりも『付け根を刃で擦る』くらいのつもりでって感じじゃ」


「分かりました」


 すじを見つけ、言われた通りにやってみると説明の通り簡単に取れた。だが──


「あれ、お肉が付いてしまいました」


 取り除かれたすじには可食部であるはずの肉が付いていた。一緒に切ってしまったようだ。


「ふふ、少しであれば気にせんでもよい。最初にしては上出来じゃ」

 

 私の手元を見て微笑んだイブキ様が更に黄ばんだ脂身を切って取り除いた。


「次はフォークで穴を開ける。今回は付け込みの時間を設けないからの」


「味を染みやすくするんですね」


「そうじゃ」


 ぐちゃぐちゃにならないよう適度に気を遣いながら穴を開けてゆく。

 満遍なく穴を開け終わると、イブキ様は再び包丁を手に取った。


「さて、お次はカットじゃな。大きさは自由じゃが、私のオススメとしては"余裕を持って一口で食べられるサイズ"じゃ。こんな風に」


 小さめに肉を切ったイブキ様がその欠片を私に見せた。


「これに関してはコツも何もない。完全に個人の好みじゃ。食べ応えのある肉が好きならもっと大きめでも良いからな」


「は、はい!」


 次々と肉を切ってゆくイブキ様について行くように、私も肉を切り始めた。

 生肉を切るというのは初めての経験だったから多少手こずったが、それでも最後の一切れを切る頃には要領を掴めていた。


「次は味付け。今回の材料は塩と生姜とゴマ油だけじゃ。酒やニンニクを入れる時もあるが…… 昼食だからニンニクは無い方が良い。そして酒は丁度昨日切らしてしまった。まあこれだけでも十分美味しくできるから問題は無い」


 説明をしながら戸棚からボウルと塩を取り出す。


「ニンニクは分かりますけど、料理酒の有無って何が変わるんですか?」


「主に臭み消しじゃ。旨味が増したりもするが、唐揚げの場合は食べ比べでもしないと変化が分かりにくいじゃろうな」


「へえー……」


 説明をしながらポイポイと鶏肉をボウルに放り込んでゆく。


「それぞれの分量はどれくらいですか?」


「目分量じゃ」


「……あー」


「まあまあ、ちゃんと説明するから見ておれ」


 手を洗いチューブ生姜を手に取ったイブキ様が苦笑いを浮かべた。


「生姜と── 今は使わないがニンニクはどちらも『もも肉一枚につき一センチ程度が基準』と覚えておけばいい。今回は一枚半だから一センチに追加でちょびっと。好みに合わせて増やしても減らしてもいい。やってみるか?」


「は、はい!」


 チューブ生姜を受け取り"一センチに追加で少し"を意識しながらやって見せるとイブキ様が笑顔で頷いた。ちゃんと出来たようだ。


「お次は塩。これはとても曖昧じゃ。私は『もも肉一枚で二つまみ』という風にやっているが、それより若干少なくても良い」


「少なくてもいいんですか?」


「ああ。入れ過ぎて取り返しが付かなくなる事に比べれば、薄味になる事は悪い事じゃない。後から塩を加えれば良い話じゃからな。よっと」


 話しながら塩を加えたイブキ様は次にボウルと小さじをこちらに手渡した。


「次はゴマ油。無くても良いが私は入れた方が好きじゃ。小さじ半分程度でも十分じゃが、これも好みに合わせて変えて良い。今回はお客様であるカサネに任せようかの」


「えーっと…… じゃあ普通くらいで……」


 説明の通り小さじ半分程度のごま油を入れる。その隣でイブキ様は包丁とまな板を洗い、布巾で水滴を拭った


「後は揉み込んで味を全体に行き渡らせるだけじゃ。私は揚げ油とサラダの準備をするからやっておいてくれ」


「揉み込む……」


「言葉の通り混ぜるように揉むんじゃ」


 冷蔵庫からリーフレタスと新玉ねぎを取り出しながら手をワキワキと動かす。


「素手でですか?」


「そうじゃ」


 更に赤パプリカを取り出したイブキ様は底の深いフライパンに油を張り、火にかけ始めた


「生肉を素手で揉む……?」


「かはは! そのうち慣れる! ビニール手袋は無いから諦めるんじゃな!」


「ひええ……」


「というかさっき普通に触っていたじゃろ。同じ事じゃ、頑張れ!」


「押さえるのと揉むのでは話が…… ううん……」


 覚悟を決められないまま手を肉の海に突っ込む。心地の良い感触ではない。


「うわ…… うわあ、これは……」


 ネチネチと手に纏わりつくような揉み心地に耐えながらも、全体に馴染ませるように意識して揉み込む。


「おっ、なかなか上手いじゃないか」


「本当ですか……?」


「うむ」


 玉ねぎとパプリカを切り終えたイブキ様が片栗粉と白すりごまを取り出した。


「油も温まって来たし、もうそろそろ良い頃合いじゃろう。ありがとうな」


「い、いえ……」


 優しい笑顔に少し照れながらボウルを渡す。


「次は揚げる工程じゃ。衣のレシピは家庭によってまちまちじゃが、私は薄力粉とすりごまを合わせるのが好きじゃ」


 ポリ袋の中に二つの粉を入れて振って混ぜる。分量の説明は特に無い。


「……分量は?」


「片栗粉大匙二とすりごま大匙一程度じゃな。すりごまを入れすぎると胡麻の香りしかしなくなるから注意じゃ。手、洗ってもよいぞ。そこの洗剤を使うと良い」


「あ、はい。お借りします」


 手を洗い終えて隣を見ると、イブキ様は下味をつけた鶏肉を次々とポリ袋の中に入れ始めた。

 全ての肉が入ると空気を含ませるように袋の口を掴み、細かく揺らして中身を混ぜた。そして全体に均等に粉がかかった所で鶏肉の一つを油に入れた。

 シュワっという音と共に表面から泡が上る。その様子を確認したイブキ様は次々と肉を油に入れ始めた。


「ふむ、この量なら全部入りそうじゃな。やっぱり大きめのフライパンを買っておいて正解じゃった」


 一度に多くの鶏肉が入り温度が下がったのか、油のシュワシュワが若干落ち着いた。


「ほれ。少しの間油の番を頼む」


 イブキ様が菜箸をこちらに差し出す。


「えっ? はい」


 断ることも出来ずにその箸を受け取ると彼女はフライパンを覗き込みながら端にある一つを指差した。一番最初に入れたやつだ。


「これ。このくらいの色になったらひっくり返してくれ。油跳ねが怖ければ無理にやらんでも良いからな。火傷しないように気を付けるんじゃぞ」


「わ、分かりました」


「重ねて言うが、怖ければ無理にやろうとせずに声をかけてくれ」


「はい」


 頷いて見せるとイブキ様は用意しておいた野菜を盛って二人分のサラダを完成させ、更に私の隣で味噌汁を作り始めた。


「……」


 シュワシュワと揚がってゆく唐揚げを見つめる。

 いわゆる"きつね色"に達した物を慎重に動かし、全体に熱を通してゆく。

 素人目に見て『そろそろ大丈夫だろうか』思い始めた頃、イブキ様が揚げ物バットを取り出した。


「そろそろ良い頃合いじゃな。ちゃんと全体に色がついておる。ありがとう、なかなか上手いもんじゃな」


 私から菜箸を受け取り、唐揚げを油の中から拾い上げてゆく。綺麗なきつね色だ。


「さて、後は油が切れるのを待ったら完成じゃ。味噌汁が出来る頃には丁度良い具合になっているだろうから、おぬしは配膳をして待っていてくれ」


「分かりました」


 とりあえず完成していた二人分のサラダをテーブルへと運ぶ。更に出来たての味噌汁と米を盛ったお茶碗を家庭科で習った通りに並べてゆく。

 とりあえず今完成している物を全て配膳し終えると、最後にイブキ様が唐揚げの乗った皿をテーブルの真ん中に置いた。


「……おいしそう」


 配膳を終え一息ついた時、食卓に良い香りが立ち込めている事に気が付いた。

 ホカホカのごはんの香り、からあげの香ばしい香り、味噌汁の優しい香り。

 一言で表すならば"安心できる香り"だ。何も知らず納得も自覚も追い付かぬ間に連れて来られた森の奥だというのに、馴染み深い家庭料理が目の前にある。

 『思えばよく分からない状況だな』と呆然としていると、レモンやドレッシング等を持ったイブキ様がポニーテールを揺らしながら私の隣を通り過ぎた。


「ふふ、自分の手が加わっているのだから尚更美味しそうに見えるじゃろ。早速食べようかの」


 そのまま食卓へ着く。それに合わせて私も彼女の正面の席に腰を下ろした。


「では、いただきます」


「いただきます」


 食前の挨拶をして箸を手に取る。

 どうすればよいのだろう。家族以外の者と共に食事をするのならマナーを守りたいと思うのだが、こういった場合どのタイミングで何から手を付ければ良いのだろう。

 そんな下らない事を考えていると、イブキ様が唐揚げを頬張った。


「はふっ」


 サクサクと良い音を立てながら咀嚼し、飲み込むと明るい笑顔を浮かべた。


「うまい! ささ、カサネも遠慮せず」


「は、はい。いただきます」


 促されるまま唐揚げを口に運ぶ。


「……!」


 サクッと揚がった衣に閉じ込められた肉汁が飛び出す。火傷するような熱さは無い。丁度いい温度だ。盛り付けや配膳などの時間を挟んだからだろう。

 控えめな塩気と共に舌へと流れる肉汁の旨味、そして生姜のほのかな香り。その後にはすり胡麻の香ばしくも素朴な香りが鼻へ抜けて行った。ニンニクを入れなかったことで衣の香ばしさが際立っている。


「……とてもおいしいです」


 そして飲み込んだ後には後味と共にゴマ油の香りが鼻を抜ける

 味わい深くも素直で、それでいて特別な味だ。お弁当に入っていたら最高だなあと、そんな考えが過った。


「大成功じゃな」


 笑ったイブキ様が味噌汁を口に含む。

 ほっこりした表情で息をついた彼女を見ていると、私の心に小さな疑問が浮かんだ。


「あの、イブキ様」


「なんじゃ?」


「着物からお食事まで、何から何までありがとうございます」


「ふふ、どういたしまして」


 そんな事かと笑顔を浮かべたイブキ様が白米を口に運ぶ。


「……その、失礼な事をお訊ねしてしまいますが、どうしてここまでしてくれたのですか?」


 恐る恐る尋ねると、彼女は口の中の物を飲み込んでから答えた。


「そうしたかったからじゃ。人間と関わるのは久しぶりじゃからのう、つい楽しくなってしまって」


「"久しぶり"…… そうか、200年に一度ですもんね……」


「ああ」


 頷いたイブキ様が暗算をするように上を向きながら人差し指を動かした。


「前の"花嫁"は73で死んでしまったからのう…… ここに来たのが14の時じゃったから…… あー、一緒に居られたのは59年か。てことは141年ぶりじゃな」


「141年ぶり…… 改めて考えると、とんでもない時間ですね」


 驚く私の顔を見たイブキ様は少しだけ困った表情を浮かべた。


「ああ。だがその間ずっと一人きりって訳ではないから心配は無用じゃよ。友人だっておるからな」


 そしてどこか慌てるようにご飯をかき込み、私の顔を見た。


「ほら、さっさと食べてしまえ。冷めると美味しさ半減じゃ」


「は、はい……」


 イブキ様は141年もの間、この家に独りで過ごしていた。

 空腹すらも忘れてしまうような事実を前に、私はゆっくりと箸を動かし始めた。




 ──────────


「ごちそうさまでした。美味しかったです」


「ふふ、そうか。一緒に作ったからかもしれないな」


 暗い考え事が浮かびつつも、イブキ様のご飯はやっぱり美味しかった。

 箸が進まないという事など起こる訳が無く、結局普通に平らげてしまった。


「ふう。腹ごしらえも済んだ事だし、そろそろおぬしを町まで送り帰そうかの」


「……」


 その言葉で再び考え事が蘇った。このまま帰っても良いのだろうか。

 ここへ来る時と同様、帰ってしまう事についてもいまいち納得できていないような気がする。

 全ては同情に起因する感情なのだろうか。だとしたら私は嫌な人間だ。


「帰っちゃっても良いんでしょうか? ……その、職務放棄になってしまうのでは」


「まあ、私が良いと言えば良い事になるんじゃないかのぉ。町の大人たちにちゃんと説明するんじゃぞ」


「……」


 何処までも、どの場面においても。私は自分で決められない人間なのだと思って嫌になってしまう。

 このまま一人にして良いのだろうか。

 良いのか駄目なのか、それは結局イブキ様本人が決める事だ。

 今は『帰っても良い』という事で話が進んでいるが、もしその言葉が本人の感情とは逆なのだとしたら、私はどうすればよいのだろう。


「分かり、ました……」


 イブキ様の表情が脳裏に蘇る。着付けと料理の時の楽しそうな顔、そして帰りたいと伝えた時に一瞬見えた寂しそうな顔。

 このままではモヤモヤが一生続いてしまいそうだ。後悔だっていつまでも続くかもしれない。なのにどうしても、たった一歩踏み込む事が出来ない。

 『本当は迷惑に思われているかもしれない』とか『今のこの感情で留まることを選んだら失礼に当たるかもしれない』という気持ちが私の邪魔をしている。


「まずは外に出ようか。町まで私の力で飛ばしてやろう」


 イブキ様が席を立つ。


「あの、この浴衣はどうすれば──」


「ん、カサネにやる。似合っててサイズもピッタリな人に持っててもらった方が良いじゃろ」


「そう、ですか……」


 廊下を歩き、玄関へ。そして外へ出た。

 時刻は二時の四十分前後。夕暮れまでにはまだ少し時間がある。


「カサネ。帰す前にこれを」


「はい」


 周囲を見渡しているとイブキ様が手紙のような物を私に差し出した。


「改めて確認するが、町長だか市長だかの指示でここまで来たんじゃろ」


「は、はい」


「なら、そいつにこれを渡しておいてくれ」


 雰囲気だけ古びたような封筒に包まれたそれを受け取るとイブキ様は私の頭を撫でた。


「楽しかったぞ。ありがとうな」


「……いえ、こちらこそありがとうございました」


 目を細めたイブキ様が私と目を合わせる。そのまま数秒、言葉も無く撫でられる感覚に葛藤を重ねていると、何故か意識が朦朧としてきた。


「達者でな。カサネ」


 その言葉を最後に私の意識は途切れた。




 ──────────


 気が付いたら私は街に戻っていた。といっても街中ではなく森に入る直前の道だ。


「……夢、じゃない」


 イブキ様に貰った着物。そして手紙。どちらも優しい香りが残っている。


「……」


 これで良かったのだろうか。

 イブキ様の事ももちろんそうだが、何より私自身の在り方について考えずにはいられない。

 これではただ流されているだけではないか。数少ない自己主張と言えば『帰りたい』と『手伝いたい』だけ。それ以降の全ての判断は彼女任せになってしまっていた。


「私…… 駄目だな……」


 思わず独り言が漏れる。今更考えてももう何も出来ない。

 道行く車を視界の端に据え、大人しく帰路につこうとしたその時、後方から私の横を通過するかに思えた車が数メートル先に停車した。

 この辺りは住宅街だ。誰かの家に何かしらの用事がある人だろう。そう思って通り過ぎようとしたら車の中から声をかけられた。


「暈禰様! いかがなさいました? どうしてここに?」


「へ?」


 理解の追いつかない頭を動かして声がした方向を見つめると、そこには私をお社まで送り届けた女性が居た。


「あ…… えっと」


(いずみ)と申します」


「泉さん、何と説明すれば良いのか……」


 簡単な言葉でも十分に伝わっただろう。それでも何故か思考が空回りして言葉が出なかった。


「助手席へお乗りください。ゆっくりでいいので聞かせてもらえませんか」


「はい……」


 促されるまま助手席へ乗り込むと、車がゆっくりと走り出した。


「私…… イブキ様に『帰りたいか』って訊かれて、『はい』って答えてしまったんです。そしたら帰る事になりまして」


「……ド直球ですね、お互いに。はっは……」


 呆れたような苦笑いを浮かべた泉が乾いた笑い声を漏らす。


「でもまあ、簡単な話で安心しましたよ。追い出されたりしてたら色々と面倒そうですから」


 法定速度を遵守しながら街の中を走ってゆく。


「……私の我儘です」


「ふふ、そうですか」


 見覚えのある道に入り、更に車は突き進む。私を家まで送り届けてくれるつもりなのだろう。


「後悔してます」


「おや。元の場所に戻れるというのに?」


「はい……」


「ふむ、なぜ?」


 自分自身の気持ちを確かめるように俯くと、泉は静かに話の続きを促した。


「イブキ様は…… 人と関わるのは141年ぶりだって言っていました」


「……」


「それを聞いたのは『帰りたい』って事を伝えた後なんですけど…… 帰りたいって言われた時のイブキ様の気持ちを考えると、胸が詰まる思いで……」


 吐露された気持ちを黙って聞いていた泉がコンビニの駐車場に車を停めた。


「なるほど。このまま帰ってしまうというのは貴女にとって"納得のいく結果"ではないんですね」


「はい」


 自分でも驚く程にすんなりと返事が出た。

 この気持ちをちゃんとイブキ様に伝えられていれば、と更に後悔が深まった


「ふむ…… おや、そちらの手紙は?」


 私の手元に視線を落としながら泉が尋ねる。


「あ、市長さんへ渡すようにイブキ様から受け取った物です」


「イブキ様から……? 確認してもよろしいでしょうか」


「はい……」


 手紙を差し出すと、泉は封筒の裏と表を交互に確認し、封を切った。


「あ、開けちゃって良いんですか!?」


「イブキ様や花嫁の儀式に関する事は私が責任者という事になっています。先に目を通しちゃっても特に問題はありませんよ」


 綺麗に開かれた封筒をこちらに渡し、手紙の本文を読み込む。


「ふむ。筆跡からして本人が書いた物であることは間違いありませんね」


「え……? イブキ様の事を知って──」


「『もう花嫁は寄越さなくても良い』」


 流れるように運ばれていた泉の視線が一点で止まる。

 唐突に発された言葉が手紙の内容であると察するのに一秒と掛からなかった。


「……えっ?」


 後頭部に冷水を掛けられたような感覚に襲われる。


「ど、どうして?」


 口ぶりからして人間と関わるのが好きであるように見えたのだが。私の言動が気に障ってしまったのだろうか。


「……『他人の人生を犠牲にしてまで寂しさを埋めるくらいなら、独りに慣れてしまった方が良い。私は悪い神にはなりたくない』」


「……」


「『昔は信心深い子達が喜んでここに来てくれていたが、今はもうそういう時代ではないのかもしれないな』」

 

「そんな……」


 言葉を失うとはこういう事だろう。

 私が拒絶してしまったせいで、イブキ様はこの先も独りでいる事を選んでしまった。


「『カサネは純粋で優しい子だ。もし心配しているようであれば上手い事フォローを入れておいてくれ。咎めるような事もしないように。この街の事は守り続けるから安心せい』」


 読み終えた泉は複雑な表情で手紙を見つめていた。


「……イブキ様」


 心が騒ぎ続けている。

 こんな感情に触れてしまえば、もう黙っている事なんてできない。


「泉さん、もう一度イブキ様の所まで連れて行ってくれませんか?」


 イブキ様は優しい神様だった。私達学生の間で半ば都市伝説のように噂されていても、大人たちに恐れられても。それでもこの街を守り続けている。そして自分を一度拒絶した人にも理解を示して世話を焼いてくれた。


「……ええ。分かりました」


 そんな神様に、"孤独になる事を選ばせてしまった"のだ。これではいっそのこと町ごと見放された方が何千倍もマシだ。

 涙を必死に堪えていると、駐車場から道路へと出た車が来た道を戻り始めた。


「……帰りたいと願った貴女の気持ちは、世間一般的に批判されるような物ではないと私は思います」


「……はい」


「誰だって自分の人生を大事にしたいと思うものです。 ……捧げられると思うような相手が居れば話が変わりますがね」


 市街地を抜け、森の道へと入った車がスピードを上げた。


「貴女はイブキ様の所へ戻って、一体何をするおつもりで?」


「まずは謝って、それから『一緒に居させてください』ってお願いします」


「それは同情心に起因する思いですか?」


 最後の確認をするように泉が尋ねる。


「いいえ」


「ではどのような気持ちを持っているのです?」


「一言ではとても表せませんが…… 私はイブキ様が孤独にならざるを得ないこの状況を変えたいと思いました」


 花嫁に選ばれた事を告げられた日から今朝までの全てを思い返しながら言葉を続ける。


「私の友人はイブキ様の存在を信じていませんでした。そして実在している事を知っている大人たちは皆イブキ様の事を恐れていた。本当は優しい神様なのに」


「……」


「そして何より、私自身も何も知らずにイブキ様の事を拒絶してしまった。 ……"私が"、イブキ様がその手紙を書く最後の切っ掛けになってしまったのだと思います」


「償いという事ですか?」


「その気持ちもあるのかもしれません。でも──」


 最後の最後。私の心の深奥の気持ちを確かめる。


「私は、イブキ様に幸せになってほしいと思いました」


「貴女が彼女と共に過ごす事でそれが叶えられると。"この状況"を変える事ができるという事ですか」


「断言はできませんが、きっとその足掛かりにはなれると思います」


 私がイブキ様の本当の姿を知らせて行けばきっと悪いイメージは払拭されてゆくはずだ。

 そしていずれは、この街を守ってくれる優しい神様として愛されるようになるはずだ。


「貴女はそれで良いのですか? 自分の人生そのものを使う事になってしまいますが」


「今はまだ分かりません。でもそんな人生も嫌ではない、と思います」


「……ふふふ、会ったばかりですものね。分からなくて当然かもしれません。ではここで降りて下さい」


「え? 分かりました」


 窓の外を見る。最初にお社へ行った際に降りた場所とは全く違う場所だ。

 素直に車から降りると彼女も続いて車を降り、私の隣に立った。


「泉さん? 一体何を──!?」


 周囲を見渡してから改めて泉の方を向くと、彼女の様子がおかしい事に気が付いた。

 頭からは狐のような長い耳が伸び、腰からは艶やかで大きな尾が出てきていた。

 そして月のような黄色い輝きを帯びた瞳がこちらを向いている。

 頭髪や尾の色も相まってまるで"夜"が人の形を成して現れたかのように見えた。


「な、な……!?」


「貴女がイブキ様の花嫁になるのなら、これからは友人として私とも交友を深めてゆく事になるでしょう。 ……改めて自己紹介を」


 立派な尾を揺らした泉が綺麗な仕草で頭を下げる。


「私の本名は(いずみ)ではなく『セン』、月元(つきもと)(せん)と申します。見ての通り妖狐であり、そしてイブキ様の一番の友人でもあります」


「え、な。よ、妖狐?」


「そう、妖狐。ヒトのフリをしている狐さんです」


 車の鍵を閉めた泉は私の身体を抱え上げた。


「ひっ」


「今から術を使ってイブキ様の所に行きますからね。しっかり掴まっていてくださいな」


「え、ちょ…… 普通に行くのでは駄目なんですか!?」


「こっちの方が早いので。善は急げですよ」


 否応なしに術が発動すると、泉の身体が大きな黒い狐の姿に変化して風よりも早く森の中を駆け始めた。


「ほら、あっという間にお社が見えてきた。距離で言えばまだ半分以上も残っていたのに。やっぱりこっちの方が何倍も速いんですよ」


「……──!!」


 風圧で息が詰まり言葉を返せない。

 まともな意思疎通もできないままお社へ辿り着くと、泉の姿は耳と尻尾のみを残して元の人間の姿に戻った。


「お疲れさまでした。おや、全然着崩れていませんね。流石イブキ様が着付けただけはあります」


「ひえ…… はあ、ふう…… な、なんで…… イブキ様が着付けた事を知って……」


 満足気な泉に髪の毛を整えられながら私は息を整える。


「彼女の癖のようなものがあったので。では私は先程のように後ろから見ています。貴女の気持ちをイブキ様にぶつけてやって下さい。応援してます!」


「は、はひ……」


 深呼吸で心臓を押さえつけて玄関に立つ。

 先程も押したようにインターホンを鳴らすと、イブキ様の声と足音が聞こえて来た。


「はぁい。今行くから待っておれー」


 声を聞くと何故だか涙が出そうになった。

 のこのこと戻って来てしまったが、大丈夫だろうか。そんな自問に答えを返す前に扉が開いてしまった。


「待たせ…… は、カサネ? 忘れ物か?」


 思いもよらない事を目の当たりにしたように目を丸くしている。

 その瞳を真っ直ぐに見つめ、そして頭を下げた。


「ごめんなさい。何も知らないで拒絶するような事を言ってしまって」


「……?」


 イブキ様は何を言っているのか分からないかのようにしばらく沈黙していた。

 そしてどういう事か理解したようで、小さな笑い声と共に小さな手が私の頭を撫でた。


「……ずっと、私が生まれるずっと前からこの街を守ってくれていたのに。私は……っ」


「いい、いい。気にするな。私だって深く考えずにカサネの人生を奪おうとしていたんじゃ」


「それとこれとではまるで重みが──っ」


「違わんよ」


 頭を撫でる手が頬へと移り、頭を上げるように導かれる。

 今は顔を上げたくない。涙に濡れた顔を見られたくないからだ。


「いや、"違わない"なんて事は無いな。少なくとも私にとってはカサネの命の方が重く思える。守る対象だからじゃろうな」


「っ……」


 笑顔の中に一つまみの悲しみが見えた。

 今までの笑顔もずっとそうだったのだろうか。


「だから、孤独になる事を選ぶんですか?」


「……そうじゃな、今までがおかしかったんじゃ。本来であれば守る対象である者の人生を縛り付けるなんて」


 自嘲するように空を見上げる。


「過去の花嫁は自ら希望してここへ来てくれていたが…… 本当は彼女達も突き返すべきだったのかもしれないな」


「でも、それじゃあ…… この先ずっと一人でこの街を守り続けるんですか?」


「そうじゃ」


「そんなの、悲しすぎます……」


「氏神の行きつく先なんて皆こんなもんじゃろ」


 玄関から外へと出たイブキ様が太陽の下で大きく伸びをする。


「都市伝説扱いだとか恐れられているだとか。そういった事をカサネは心配してくれているのじゃろう」


「……はい」


「かはは。優しい子じゃの」


 周囲を見渡し、そしてこちらへと向き直る。


「おぬしみたいな子が居ると分かっただけでも私は十分に頑張れる。ありがとうな」


「それだけじゃ駄目だと思います!」


 反射的に声が出た。


「こんなに優しい神様なのに、いつまでも誤解されたままただ使命を全うする為だけに存在するなんて…… 間違っていると思います!!」


「ふふ。そうかの?」


「そうです!!」


 余裕そうな態度を見せるイブキ様に歩み寄り、その手を握る。


「だから、私が変えて見せます。私にやらせてください!」


「……何を?」


「恐れられる対象だとか、都市伝説の中の存在だとか、そういった認識を変えたいんです」


「どうやって?」


「それは…… 私が貴女の隣で幸せそうにしている姿を皆に…… 見せる、とか……?」


 言っていて恥ずかしくなってきた。


「くっ、かはははは! 名案じゃな! 一緒におるカサネが幸せそうであれば私の評価も多少上がるかもしれんもんな!」


 "堪えきれない"という様子で豪快に笑ったイブキ様が目尻に滲んだ涙を拭いながら私の目を見つめた。


「じゃが、それではおぬしはこれから私と共に過ごすという事にならないか? 元の場所に帰って今まで通りの人生を送りたかったんじゃろう?」


「さっきまでは、そう思っていました」


「ほう。今は違うのか」


「はい」


 しっかりした返事を返すとイブキ様は真面目な表情を浮かべた。


「私をここに…… 貴方の隣に居させて下さい」


「どうしてそこまでしてくれるんじゃ?」


 私が言った言葉と全く同じ質問が投げかけられる。


「そうしたいと思ったから…… 優しくて暖かい。そんな神様に私の人生を捧げたいと思ったからです」


「……随分と優しい言葉をくれるのじゃな」


 感慨深そうに遠くを見つめたイブキ様が目元を拭った。


「ああ、そういう事ならば私の側に居てくれ。じゃが自由まで縛るつもりは無い。(しもべ)や召使いなどではないから頑張りすぎないように。私らの人生は"二人三脚"じゃからな」


「は、はい!」


 自然と笑顔が浮かんだ私の顔を見たイブキ様は嬉しそうな顔で頷いた。


「私の名は天堂(てんどう) 伊吹(いぶき)。末永くよろしく頼むぞ、カサネ」


「よろしくお願いします!」


 固い握手を結ぶ。

 その数秒後、伊吹が私の背後の茂みに向かって声をかけた


「……ところで私たちの関係はどういう事になるんかのう、センよ」


「え?」


「貴女達の気持ち次第ですが、どちらにしてもやはり表向きは伴侶や配偶者で通すのが無難だと思います」


 素直に姿を現した泉がこちらへと歩いてくる。


「月元さんの事、気付いていたんですか?」


 戸惑いながら尋ねると伊吹は苦笑いを浮かべた。


「ああ。森の中だとセンの気は目立つからの」


「都会に染まった弊害ですかねえ」


「それ以外に無いじゃろ」


「そういう概念があるんですね……」


 よく分からないなりに頷くと、伊吹は私の襟元を正して背中をポンと叩いた。


「さて、お喋りはこの辺にしようかの。カサネ、ここでの生活を始める前にまずは両親へ顔を見せてやるといい。おぬしが何のためにここで生きる事を選んだのか、ちゃんと説明して安心させてきなさい」


「は、はい!」


「という事でセン、ちょっと送ってくる」


「はい。私も今日の所は失礼いたします」


 泉が頷くと伊吹は私の手を握り、術を発動させた。

 視界が光に包まれ浮遊感が過ったと思ったら目の前の景色が一瞬にして変わった。


「ここは…… 私の家?」


「さ、行っておいで。私はここで待っているから」


「伊吹様は一緒に来ないんですか?」


「今の私は恐れられる対象なのじゃろう? おぬしが誤解を解いてくれたら改めて挨拶に伺う事にするよ」


「そうですか…… 頑張ります!」


「ふふ。ああ、楽しみにしているからの」


 伊吹に見守られながら、玄関のドアを開けた。


「ただいま! お父さん、お母さん。あのね──」


 明日から普通じゃない毎日が始まる。前までの私とは全てが違う特別な日常だ。

 そんな変化を楽しみに思いながら、私は最初の一歩を踏み出したのだった。

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