ティア・ローレン・チューチエ
「ん?」
粉雪よりも勝るきめ細かい白髪は背中一杯に広がり、全頭部はピョンと跳ねた癖がついていた。うっすりとした端色の瞳はメシカと同じだ。白のワンピースにはところどころ黒い刺繍が施されていて、それがより魅惑を誘う。小さな口から出る吐息はまだ幼く、年齢的には十六歳なのだがどうにも成長の兆しがない。
「……」
「めしかー?」
小首を傾げるあどけない顔によってメシカは粉砕してしまった。心あらずといったところか。背伸びをしながらメシカの面前で手をフリフリとする少女の名はティア・ローレン・チューチエ。あざとい仕草に見えるが、すんなりとした自然体は天使たる所以の舞であろう。
「おーい。めしか!」
「はぅあ!」
「ひさしぶり」
「ひ、ひしゃし」
ティアは息を吹き返したメシカに対して、そのしたったらずの声で追い打ちをかける。メシカはもう何がなんだか分からないといった状態で頭はパニック真っ只中だ。
「おいで」
ティアは軽やかにベッドに敷かれた布団の上に座って、ポンポンと叩く。可愛らしい桃色と清らかな白で構成された部屋はメシカが通ってきた世界とは一風変わっていた。装飾や調度品の数は少なく勉強机と時計、それから窓の近くに配置された大人二人は寝れるであろう天蓋付きベッドぐらいしかない。窓硝子の向こう側に広がる町並みもやはり華やかさはなく飾りっけがない。丁度そこからが平民街と富民街の境界線にあたるからかもしれないが……。
「は、はいっ!」
「こっち」
「こ、これ! よかったた」
「ふふ、私はいいですからお二人で召し上がってください。スプーンもご用意しております」
メシカは舌がもつれながらも手に持った梱包の封を切り、二つのモンブランを侍女へ渡す……が、彼女はやんわりとそれを断った。
「ありがと」
ティアは菓子折りを持ってきてくれたメシカと侍女の対応にお礼を添えて、笑みを浮かべた。それは愛想ではなく純粋な笑みだった。流れるようにして侍女からスプーンを二人とも渡されるが、メシカにはティアの隣に座る勇気なんてなく立ち続けながら硬直状態である。二人のそんな光景を見て甘い笑みを絶やさない侍女はちょっと意地が悪い。
「ん。美味しい」
先にティアは二つのうちの一つを手に取って食べ始めた。それを見て少し慌てながらメシカも続くが、正気を失っているのかスプーンなんて使わずに丸ごと口の中に放り込んでしまう。そんな様子をティアは楽しそうに見つめているが……。
──まずい、なんだこれは?
ケーキにはありえないようなガリガリとした咀嚼音を立てていた。それは割れてすらいない生卵のまんまで、山の部分はそれを生地としてクリームを巻いていたのである。
──カモミルの奴め!!
黒幕の正体に気付いて腹を立てるメシカだが、「は!」と、ティアの方へ目がいくのは仕方ない。なぜなら悪魔の手が入っているのか入っていないかで、それがケーキの有無にも関わってくるからだ。
「ん?」
ティアのあっけからんとした様子にメシカはホッとした。ただ、ティアにはメシカの感情が理解できなかったのか、またもや小首を揺らしてメシカへと精神攻撃をする。それに負けじと心を無にした彼は獣のようにモンブランを一気に食べ干した。彼女の目の前で残すなんて事は絶対にできないからだ。それからティアが食べ終わるまでの間は沈黙が場を支配する。
寂しい空間とは裏腹に、メシカは投げ打つ鼓動を必死に制御しているが。その空間を破るように、食べ終わったティアは「もうすぐ学園はじまる」と、ポツッと言った。
「楽しみ」
「そう……ですか」
詰まるメシカの声は様々な想いが混ざり合っていた……その束の間──ピンポーンと空を切る音が家全体に鳴り渡る。「私が出てきます」と侍女が対応に当たる。
「すずこないかな?」
「すずですか?」
すず……それはメシカが雀に化けている時の呼称であり、当然彼はそのことを理解しているが知らない振りをする。何故なら雀は雀の役割があるからだ。
「うん。ティアの可愛いおともだち」
騙しているようで心苦しいのかメシカの顔には影が過ぎる。表と裏と中の戦いは彼のみぞ知るたった一つの秘密の宝石箱。その箱を開けることは誰にもできやしない。それがたとえ恋する少女の前だとしても。いや、だからなのかもしれない。焦がれる想いはその名の如く焦げている。火は燃える。今も灰にならないように燃え続けている。それが彼の『意志』だ。
「僕も雀に会えますかね?」
「うん。きっと!」
きっと……それはないだろう。一匹と一人が重なることは絶対にありえないのだから。親愛なる想いに対してはその炎で温もりを与え続けるのだ。それが彼の『本能』である。
──いつまでも、いつまでも、お供します。ティア・ローレン・チューチエ様。
『本能』と『意志』を得た動物は自由でありながらも目的に向かってただ突き進む。それがこの世の真理である。目的が無ければ人は絶対に動かないし、裏には何かしらを抱えている。たとえ善意からくるものであろうとしても助けたいという思いや、悪意からくるものであったとしてもその人にとっては正義かもしれない。目的は人によって違うし、他人からの見られ方も違うし、全ての色は違うのだ。それが世界の理でもあり、メシカが起こした結果でもある。