Ⅰ.糖の支配者
そこはそこは暗い路地裏。
雀は眠りついて蝙蝠は目、覚ます。
──バサッ、バサッ、と……。軽く羽ばたいた音。であるのにも関わらず夜のだんまり木霊波打つ。
日常は静々過ぎていくもの。
何ごと起きることなく平和たゆたう。
その……はずだった。
──コツン、コツン、と。雀の眠り妨げる気うとい音……は我慢強く一歩、また一歩と潜み歩む。
辛抱強くじっくり、ねっとりと。
そのしめやかな熱りはどこからくるやら、臓すらすり減るおもいもあるだろうに。
肌の露出を控えたか、上からすっぽり黒布一枚。さながら這い寄る鼠の坊さんだ。
……雀はどうしたもんかと考える。……考える。
粘り強くとっくり、のったりと。
明かりが降りて、ひかめく毛並みは真っ白だ。絢爛と照る端の瞳も月にあてられたか。どこか淡い。だがまあ、闇中だからかその目はよく滲んだ。ぶわーっと、ぶわーっと……。
……弛まれしきもっ玉だ。いつまでと続く。
いつまでと……。
──束の間……。ひととき……。たちのいて。
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(ひゃわわわわ、どしよ。しぬ)
現在時刻──日付の変わり目。闇空に溶けた雀はとある窓際に突っ伏していた。
その姿は今にも崩れ廃るか、瞬きの文字すらなく、石像と化した雀は堅牢でいて、されど脆かしい。
それもそのはず。箸で触れりゃあほろりと落ちる……秘めたる想いは豆腐の心。
(とうといとうといとうとい)
縫い付く視線はガラス越し。鼓動はばくばく投げ咲いて。それでも雀は糸折らず。
(こんなに可愛い人が他にいるわけない)
針先映るは鉄幹美人、とはいえず。しいていうなれば天使の具現。
(何も考えられ……)
白い羽毛に包まれし、眠りこけるは姫の化身。
身なりは見えず、すや立つ息吹と揺らる顔。その二つだけさえあれば充分だと言いたげて、心折れるは真の臓。
(……)
時が止まったか。もっともなことだ。誰も彼もがそうなるだろうに。
その可愛らしいお顔は子猫ちゃん。眉の毛は霜霞のごとく、それでいて……それでいて。
(は! ダメだダメだ。それどころじゃない。やるべきことを思い出せ! 思いだ……)
思い浮かぶは紫蘭の花目。粉雪まさりし色の髪──流れる面は八面玲瓏。
──あっ。すずゆ!
(あ)
泡ぶく夢想に時思い、雀は死にゆくように眠った。
眠るはずだった……。
──コツン、コツン、と。それはまるで鼠の小僧。忍びの足を伸ばしていても彼には分かってしまうのだ。
(は! 忘れていた……ティア様に見惚れて族の存在を忘れていた)
なぜならそれは、すやすやと寝入るお姫様──ティア・ローレン・チューチエ公女殿下の影の守護者だからだ。
(すぐ終わらせる)
守り鳥は子夜の空を鬱け思い、今日も小さく羽ばたくのである。生より賜りし名は『メシカ』。表から見ればお菓子屋さんの好青年で、裏から見れば組織の王で、中から見れば守護者の雀。そんな三役職の業務は大変で、日毎夜毎に度重なる。
──『外』は素晴らしい、と雀は唄う。
雲上まで駆け登り、世にも珍しい半色の瞳孔が射抜くは荘厳たる世界。
巨大な丸い泡を描く城壁の外には樹々が立ち並び、その先行きは山々まで連なる。
尾の方面に向ければ平らな野原に花が生い茂り、続く足先には丘が見え透く。
東西南北と翻っては開拓された道が堂々と謳う。
──『内』は酷く綺麗だ、と雀は嘆く。
自然の海によって巻かれた気泡のただ中。空気の因子がごちゃ混ぜになる由縁はまさしく文明開化。
人の手により切り拓かれた建物の並びは整頓で。
文明の力によって建てられた素材は、木やレンガや石やと様々で。
四角い建物や丸い建物や縦長い建物が、縁の境界線から中央に向けてずらーっと並び。
その中心にはどでかいお城が立ち尽くし、それはなにより豪華爛漫で。
毅然たるお城をまっ四角の形で囲む──四つの頂点達も華やかさは負けてない。
──ああ、美しい。とはならない。
街の至るところにある灯火は綺麗に咲き誇る。もったないからと遊休地には花の良さを伝える場所も。光はポツっ、と消えたり着いたりと生気は沢山。
──それでも美しい、とはならない。雀はただ乞うてるだけである。
路地裏……公女殿下……。
(いたな)
小さいながらも睨みを利かせる姿は捕食者の鳶の目。まだ奴は気付いていないが……。
──コツン、コツン、と。その足先は迷いもなく一直線。四つの頂点の内の一つ、チューニエ公爵家……の離れにある一つのお家。
離れでも立派ではある。『大きさ』か……林檎と梨の違いくらいだ……それだと分からないか。イチゴとメロンの違いか……それだと大雑把か。
じゃあみかんとすいかくらいだろう。
みかんは人の手で軽く剥ける。ゆえに警備は甘い。
──だからこそ影の守り鳥がいる。その『実』を守るために。『皮』の役目を果たすために。
「こんな夜中から何してるんだい?」
「なっ!?」
雀は囀る。鼠の坊さんの背後から。
鼠は大きくかぶって振り返った。
坊さんは『それ』を見たとき、驚きのあまり目を見張った。自然に声が出た。
それは暗殺者たる己の存在に気付いたからか。それとも己の索敵力に引っ掛かることがなかったからか。はたまた雀が話したとこか……。
「砂の蓮華。もしかして……」
雀の姿を模っていた者はもういまい。雀の存在たる所以を知らしめていたのはその『蓮華』──この世界に住まう者は心臓の内部に華という核があり、空気には蓮素というものが溶け込まれている。それは太古の昔から確立された共通の概念。華は嘘偽りのない、己を表すたった一つの能力が恵まれる。華を操るためには空気中に溶け込む『蓮素』と体のエネルギー源である『ブドウ糖』を混ぜ合わせて『蓮』を練り、『華』の核へと干渉する事で『蓮華』という超能力を起こすことができる。そして、それらを扱う者を蓮華士と呼んだ。
「これは高士……いや特士クラスか!?」
その中でも卓越した蓮華を扱う者は蓮華宝士と呼ばれた。
こんな詩歌がある。
蓮華無士は、日常不便と、匙投げて。
蓮華低士は、日常便利と、喜んで。
蓮華中士は、個人個人と、相手取り。
蓮華高士は、個人で数人、蹴散らして。
蓮華特士は、個人で軍隊、無双して。
蓮華宝士は、国畏怖させては、蓮華そのもの。
「さて、どうかな?」
白い小さな粒子が捻りに捻いて混ぜやこぜやと形を取っていく。手はできた。足はできた。体はできたと順番に。あれやこれやとやってる内に、顕れるは『神』なる権現。
男女問わずして人を吸い寄せるであろうかんばせに、たおやかさを持った益荒雄は、振り合いよりかは寸足らず。それでも奇跡の調和と言える。月に照り返す端の瞳はやっぱり微かにどこか淡い。暮夜に晒された白糸の滝は人並みの女性より艶やかで。蝶よ花よと流れに流れ、のどっくび裏に差し掛かる。派手な簪の岩にぶつかり背まで流暢に落水だ。そのピン先は黒岩で、元へ辿れば徐々太く、更に辿って根本へ、おーきなまーるい紫水晶。足元までのさばる黒いコートのおかげか、顔髪がより極立つ。はだけた前は白いシャツ。下のパンツは夜闇と同……。
……そう、彼は重度のロリコン……ではなく『ティア』コンである。瞳といい、髪といい、長さといい、すーべておんなじだ。外面だけではあるが……。
……そう、彼は重度の『ティア』コンである。それこそが『神』の姿。そしてこれは『裏』の姿。
「お前は組織のボス『キビー』か! 同業じゃねーか!」
「同じではないけどね。私は神に害する者だけを屠るだけさ。全ては神のために」
神より命を賜り授かった裏の名は『キビー』。もちろん、口調も変えている。それも神のためだ。神なる存在に粗があってはいけないのだ。
「ボスはかなり強いと聞いたが。まさか蓮華特士とはな。でもよ、お前俺と相性悪いぜ」
布一枚を上から被り、顔は頭巾巻き付けて、闇夜に溶ける黒一辺。さながらそれは鼠小僧。悪人面がいかめしい。
「知ってるか? 俺は蓮華高士だが華は『雷』なんだぜ。全身砂野郎のお前なら感電して死ぬよななぁ!!」
バチバチとこの場に似つかわしくない音をあげて雷に巻かれた鼠は爆ぜた。整えられた石の絨毯を蹴り立て音の壁を打ち破り、その先行きは──ただの棒立ちしている雀の長だ。
「おらよ!」
ばらばらと小粒の粒子が一つとなって、盾を創る速度は雷より速い。鼠の伸ばす雷光纏いし右腕は、キビーの胸に展開された盾を打っていた。だがしかし、胸と盾の間に隙は無く完全密着の状態であり、それは奴が望んだ結果でもあった。
「効かないね」
それは確かに『奴』が望んだ現実である。されども『彼』もまたそれを望んでいたのだ。
「なぜだ!」
──そもそもの話だ。電通ずる物を伝導体、電通ざる物を絶縁体として、砂はどちらの性質も持っている。砂鉄あるよう金属成分が多ければ導電性を持つし、石英を主とする珪砂などは絶縁性がある。
そしてこの流れから行くとキビーの能力は絶縁性に当たることになる。
「逆に問おうか」
「なぜ効かない!」
でもそれだと至近距離にする意味がない。それならわざわざ体から離れた所で盾なり壁なりするべきだろう。
──そう、根本から違う。
「人から糖を抜いたらどうなると思う?」
キビーの右手は鼠の頭に乗せられていた。
鼠は「なぜだ?」と声が上ずる。じれったいや、もどかしいや、はがゆいやと三拍子。からなる音色は──神への贄。
「糖分と糖質と糖類は違う。その中でも糖類に位置するブドウ糖。人の脳はね。ブドウ糖以外をエネルギー源として使えないんだ。それは蓮華を扱う点でも分かっているだろう?」
鼠の身体から生気の素粒子が抜けていく。
鼠は「お、ま、なにし」と声が欠ける。
枯れそうや、しなびるや、ほからびるやと三拍子。繰られる音色は──神への禊。
「それを踏まえた上でもう一度問うが、そのブドウ糖を抜けばどうなると思う?」
鼠から漏れ出づる仄かな光。穢れを落とし尽くした鼠は地に伏した。声を上げることもない。もう清められたのだから。贄は投げられ禊ぎは終わった。鐘は天へと鳴ったのだ。
「もう話せないか。まあ脳という司令塔が動かなくなれば体の各機能は動かなくなるよね」
鼠の周りで爛々と躍る粒子も祝福しているのか、その小さな粒は凝縮されて残るはただの願いの残滓──創り上げるは儀式の結晶。それはひとえに言って神への供物。
「砂糖ってのはね。電気を通さないんだ。君の口にした通り相性悪かったね。」
それは砂糖。キビーは『糖』の華の核を持つ者である。
しかし階級差はあれど、相性次第ではひっくり返る。だから鼠の坊さんは駆けたのだ。失敗に終わってしまったが。
「後さ、勘違いしていたけど私は糖の支配者で蓮華宝士さ。まあ自称ではあるがね」
キビーは『表』では『メシカ』と名乗るお菓子屋さんなのだ。だからこそ表と裏と中で通じ、全てはその能力たる所縁がここにある。偶然が偶然を呼んだのではない。奇跡でもなければ運命でもない。全ては神によって導かれた宿命。生まれる前から決まっていたのだ。この儀式すらもだ。
「全ては神のために」
そう、それは『ティア・ローレン・チューチエ』公女殿下こと、『ティア』様のために。
何度でも言おう。三役の彼は全ての顔で『ティア』コンであると。
「さてと」
ひと段落とついた声、それをしきりにキビーはぱらぱらと散り舞う砂糖へ戻り雀へと化ける。『裏』から『中』へと。
「……」
雀は鼠を見やり、その蓮華により生み出された砂糖で鼠を囲い込み、外からの圧力で潰していく。何事もなかったようにするために。
「いくか」
雀は飛ぶ鼠と言われることもある。羽のない鼠は空を飛躍する鼠には届かない。元より勝負は決まっていたのだ。
そして雀が考えていることはただ一つ。
(ティアちゃまぁぁぁ)
今日も今日とて恋する少女をただ想い、翼をはためかせて帰途につくのだ。雀の巣へと。