毒か花か
おばさまのお庭にはたくさんの花が咲いておりました。紫色の帽子のようなお花に、喇叭のようなお花。白いお花に黄色いお花。色とりどりに咲き乱れるそのお庭は、幼いながらに綺麗なおばさまによくお似合いだと思っておりました。
私はそこで妹と、そして、従兄弟たちとかくれんぼをしてよく遊んだものです。
「もういいかい」
「まぁだだよ」
おばさまのお庭は前庭と裏庭がつながっているということもあり、子どもの私たちには相当広いものでした。その上、たくさんの樹木やこんもりとした低木、物置もあり、隠れる場所には困りません。
私はそっと低木の影に隠れて、時々外の様子を窺いながら、時をやり過ごすのです。
子ども心に見つかってはならぬというほんの少しの背徳感、見つかった時の安堵感と悔しさ。次はどこに隠れれば見つからないのか、どこを探せば効果的なのか。
子どもながらに様々頭を働かせたものでした。
おばさまは一生を独身で過ごしておりましたが、おばさまにはたくさんのお友だちがいるようで、お客様が途切れたことはありませんでした。そして、お友だちがいらしている時には決して私たちを家に上がらせようとはしなかったのを覚えております。
いったいどうしてだったのか、その頃の私にとって、それは本当に不思議で不可解で、ほんのちょっと、ええ、ほんのちょっとですけれど、腹を立てていたのだと思います。
いつもは優しいおばさま。
家では絶対にでないだろうおいしいお菓子をいただいて、ジュースに氷まで入れてくれ、私たちを優しく見守ってくださるおばさまです。
「幸織さん」
私のことを少しお姉さんぽく、そう呼んでくださる優しいおばさまが、お友だちがいらしている時だけ、私を避けものにする、そんな思いすらあったのだと思います。
だから、ある日から、私はお友だちがお見えになったことを承知で、こっそりおばさまの庭に隠れて様子を窺うことにしたのです。
その日遊びに来たお友だちは悲しい顔をしている女の人でした。
おばさまは私が隠れているとも知らず、そのお友だちとひとしきり庭の見える応接間でおしゃべりをしたあと、一緒に庭に下りてこられました。
おそらくおしゃべりは十分くらいだったと思いますが、何せ子どもの頃のお話ですので、確かではございません。お友だちの顔は悲しいままですが、どこか吹っ切れたような、そんな表情にも見えました。
おばさまたちは私が隠れている低木より少しはなれた花壇を見つめて話をしていました。詳しくは聞こえませんでしたが、あなたのおうちにはこのお花はありますか? というような内容であったように思います。
お友だちが頭を振ると、おばさまが花切ばさみでちょきんと花を切ってしまわれました。
ちょきん、ちょきん、ちょきん。
小気味よく聞こえてくるそのリズムは、気持ちのいい音でした。
そして、数本がまとめられ、お友だちの手に渡ります。お友だちは再び涙を見せながら、深くうなだれるようにして「ありがとうございます」とおばさまに言ったのです。
あぁ、そうか。おばさまはお友だちを助けるためにお花をお渡しになったのだな、そう思ったのを今でも忘れられません。
それからの何ヶ月か、その見つかってはいけないかくれんぼに私は夢中になっていました。もちろん、お友だちが来る日、来ない日があるので、毎日一人でかくれんぼをしていたかというとそうでもないのですが、その間隔がちょうどよく、刺激がマンネリ化しない、また退屈にならない期間だったのです。
そして、その楽しみを自分だけのものにしておくのはもったいないと思うようになったのです。
その日も、おばさまはかくれんぼをして遊んでいた私たちに、お友だちが来るからと告げ、それぞれの家に帰るよう伝えました。私は楽しみがあるので素直に応じますが、妹や従兄弟たちは不平を言っておばさまを少し困らせてから、家路へと進んだものです。
私は妹を家まで送ってから……と考えて、ふとこの楽しみを共有したい欲求に駆られてしまったのです。
「ねぇ、聡子」
二つ年下の聡子は私を見上げ「なあに?」と返事をしました。
「お姉ちゃんと一緒におばさまの秘密のお友だちを見てみない?」
最初は渋っていた聡子でしたが、最後には私の推しに負けてしまったようでした。それに、いつもしているかくれんぼと一緒という言葉も秘密という言葉も有効だったのだろうと思っています。
私は聡子を連れておばさまの家へ忍び込んだのです。
悪いことをしているとは露も思っておりませんでした。なんと言ってもおばさまはお友だちを助けているのです。そして、その助け方がお花を使って。
お庭を彩るあの綺麗なお花が人を助けることになる。そんな素敵なことを私一人で止めておくのはもったいないとすら思っていたのですから。
今から考えると五年生の私のなんと浅はかなこと、と言ってしまいそうですけれど。
おばさまのお庭に忍び込んだ私と聡子は応接間にいるお友だちとおばさまに気付かれないように、そっと裏庭へと潜り込みました。おばさまたちはいつも花壇にいることが多く、時々、紅の花を咲かせる木の下や庭の端に咲く小さな白い花にもやってきました。
しかし、その頃の私は見つかったことがないという奢りもあったのでしょう。聡子を連れて、勝手にここなら大丈夫と決めて応接間と庭の様子がよく見える物置の影に隠れることにしたのです。
それに、優しいおばさまです。見つかったとしてもきっと赦してくれる、そんな風な甘い気持ちもあったのだと思います。
ところが、その日、おばさまはさまざまな花をお友だちと愛で、いつまで経っても花切ばさみを取り出さないのです。
「聡子、もう少し奥へ入れる? おばさまが来そうなの」
物置と塀の隙間に身を隠していた私は奥にいる聡子にこっそりと伝えました。
「うん、わかった」
その頃は聡子もこの遊びが楽しいと思っていたようだったので、私を真似てこっそりと伝えてきました。しかし、私はそのようには感じなかったのです。
おばさまが近づいてくる。取り返しがつかないことが起きる。
そんな不安を抱えていました。
妹との温度差は私の抱える緊張にも比例します。
私が急ぎすぎたのでしょう。聡子が躓いてしまったのです。
聡子は賢い子でした。だから、「あ」と声を小さく上げただけで、かくれんぼを続けてくれました。だけど、私の心臓は飛び出そうな程の鼓動を高めていました。
おばさまと目が合った気がしたのです。
とても冷たくて、とてもおばさまとは思えない氷のような表情。
それも束の間、視線を逸らすようにして微笑み、お友だちを促すように紅の花を咲かせる木の麓へと歩いて行かれました。
「工作がお得意ということですので、お箸など作ってみられてはいかがです?」
お友だちは小さく頷きます。おばさまは優しく微笑みました。
そして、紅の花が咲く夾竹桃の小枝に鋏が添えられたのです。
ちょきん
その日以来、私はその遊びをやめることにしました。行ってはならない、そんな気がしたのです。聡子はそのことを不思議に思っていたようですが、私が行かないので、聡子もおばさまの家に寄りつかなくなりました。だけど、私があのお庭を忘れることは片時もありませんでした。
色とりどりのお花が咲き乱れる、魅惑のお庭。
いつしか私はおばさまのお庭にあった花を全て覚えていたのです。大人になってからも必ず頭のどこかで思い返し、他人様の花壇を見てはおばさまのお庭の花々を探しているようになっていました。
そんなおばさまが亡くなって、私にこの家を遺してくださったのです。
お庭はあの時と全く変わらないまま、まるで私のためでもあるかのように手入れされておりました。
えぇ、だから、おばさまがしていたようにお花が欲しいという方には、喜んでお花を差し上げていますわ。鈴蘭に水仙、ジギタリス。カロライナジャスミンにイヌサフラン、トリカブト。シキミに夾竹桃……。
私を幸せな気持ちにしてくれる花……。
そして皆に幸せを惜しみなく分け与えられる花……。
あら、お客様のようです。申し訳ないのですけれど、お引き取りしていただいても構いませんか?
いえ、いつでもいらしてくださっていいのですよ。
ここでいつでも待っておりますので。
身近にある毒草には充分にお気をつけください