第1話 わはわでわでわ? 2 (1)
クラトの仲間たちが登場します。
どんな子供たちか、ぜひ、読んでいただきたいです。
『八角堂』はその名の通り、八角形の建物だ。木造の洋館で、長生山公園の一角に建っている。
長生山は小牟田市のほぼ中央に位置する山だ。『山』と呼ばれているが、小高い『丘』といった方がいいだろう。丘の上にはサッカーコート二面分ほどの広場があり、周囲にぐるりと桜が植えられている。春には花見客でにぎわう桜の名所だ。
市街地の中心部に形成された住宅街の中、ぽっかりそびえる緑の風景。長生山とその裾野に広がる一帯が長生山公園で、丘から少し離れたところに、その建物がある。
八角堂というのは市民たちが呼んでいる通称だ。正式な名称は他にあると言われているが、その名前を知っている市民はまずいない。八角堂という名前が定着し、今では地図にも八角堂の名が使われている。
戦前に建てられた洋館は、古いせいか、都市伝説のようなうわさ話が尽きない。代表的なものは『神隠しの鏡』『姿なき子供の笑い声』、『美少女の幽霊』『しゃべる化けネコ』……。宝の地図がどこかに隠されているとも言われている。『八角堂七不思議』と言われる話を数えていくと八つ九つと十……といくつもあって、七つに収まっていない『七不思議』だ。小牟田市民なら何かしら一つは耳にしている。
建物の由来についても、華族のお姫さまを幽閉するために建てられたとか、魔女の住む館だったとか、あれこれ言われているが、ある資産家が別邸の離れとして建てたものだというのが本当のところだ。空襲で別邸は燃え、残った離れは戦後に改築された。それがこの八角堂で、改築後は私立図書館として市民に開放されている。
八角堂が長生山公園の敷地にあるのは、元々、その一帯の土地がその資産家のものだったからだ。別邸の広大な庭園に、戦後に手が入れられ、公園に造りかえられたのが長生山公園だ。庭園の噴水は、今も公園の中に残っている。八角堂はその向こうだ。
長生山公園の横を通る道路から噴水を超え、少し奥まった場所に、二階建ての建物が現れる。元は離れだったという割に大きな建物だ。周囲には木々が茂り、森の中の図書館といった風情だ。
クラトは八角堂の門前に立っていた。手には白いカードを持っている。
――明日の午後一時、八角堂にて 和――
カードに書かれた午後一時までまだ十五分ある。少し早く着いてしまった。クラトは自転車を降り、とりあえず、塀沿いに停めておく。
八角堂の周囲は赤いレンガ塀に囲まれており、入口を守るのは黒い鉄製の門扉だ。柵状の門扉は両開きで、閉じると上部がアーチを描く。忍冬のつる草を象った装飾があしらわれ、優美なデザインになっている。
いつもなら朝九時から夜七時まで開け放たれている門が、今日は閉ざされている。ここを通らなければ建物へはたどりつけない。
門扉には、白い長方形の札がかかっていた。何か書いてある。なんだろうと、クラトは札に書かれた文に目を走らせた。
――午後からは書架整理のため、休館とします 三池――
三池というのは、八角堂の管理人だ。いつも白いシャツにベージュのズボン、ゆったりしたカーディガンを着て、紳士然としいる。八角堂を訪れる子供たちからは「おじいちゃん」と呼ばれているが、髪は真っ白でも背筋はぴんと伸びていて、肌つやもいい。実のところ三池は年齢不詳だ。
三池はいつもカウンターの内側で揺り椅子に座って、メガネをかけて本を読んでいる。静かな人だ。クラトは親しく口を聞いたことはないけれど、穏やかな目をした三池に好感を持っていた。
書架整理というのは、探しやすいように決められた順序で本が書棚に収納されているか確認する作業だ。図書館のすべての書棚を確認するため、休館にしたのだろう。
「休館? 開いてないってこと? ここであの女の子に会えるんじゃないの?」
八角堂の休館日は月曜日だが、ゴールデンウィークの間は休まず開いているはずだった。先週、八角堂に本を借りに来たときに、館内のお知らせ板にそう書かれていたのに。いや、門扉にかかっていた札に「午後からは」とあるのだから、午前中は開いていたのだろう。
ならばなぜ? いま閉まってる?
クラトの胸に不安がよぎる。もう一度カードを確認するが、午後一時に八角堂と書かれている。間違いない。これはどういうことだろうと、門扉の柵の合間から八角形の建物の様子をうかがうと――。
ギィ。
門が動いた!
「え、ええ⁈」
ひとりでに門が開くなんて、七不思議にあっただろうか?
クラトはその長身をすくませる。すると――。
ミャア!
足元からネコの鳴き声がした。驚いて視線を落とすと、白いネコがクラトの方を見上げ、ふさふさのしっぽを振っていた。門扉に身体を沿わせている。どうやら門に鍵はかかっておらず、白ネコが身体で押し開けたようだ。
白く長い、綿毛のような毛。アクアマリンのような水色の目。上品な姿に、真珠のような首輪。そこに銀色のメダルがキラリと光る。
「昨日のネコちゃん、だよね?」
クラトが腰をかがめて近づくと、ネコは自分が開けたすき間から門の向こうへ、するりと身体をすべりこませた。そのまましっぽを左右に振りながら、流れるような足どりで歩き出す。
「ええ?」
クラトは思わず白ネコを追いかける。
白ネコはクラトの目の前を悠々と歩く。建物の前まで行くとそこから横へ、玄関扉の右わきに生える木にひょいひょいっと登り、にゅいっと伸びた枝に足をかける。そのまま枝の上を数歩、白ネコはそこから小さなのぞき窓のサッシにぴょんと跳び移った。玄関扉の横にある小窓は、ガラス戸が少しだけ空いている。白ネコはそこへ身体を潜りこませた。しっぽの先が小窓の向こうへ消える。
「入っちゃった。どうしよう……」
クラトは白ネコが気になって、玄関の扉に手を伸ばした。木製の重厚な扉にはアンティークな取っ手がついている。クラトは取っ手に手をかけそっと引いてみる。
すぅ――開いた。
館内は明るかった。窓から差しこむ陽の光だけではない、電気が点いている。
建物の中央には八本の柱が建っている。柱は建物の八つの角と建物の中心を結んだ線上に建っているため、八角堂の中に小さな八角形を作っている。柱はまっすぐ天井まで届いており、柱に囲まれた部分は、八角形の吹き抜けになっている。
一階は、壁沿いにソファやテーブルやイスが配置され、利用者が思い思いに本を読んだり勉強したりできるようになっている。漆喰が塗られた白壁には、開閉式の大きな窓。窓の上にはステンドグラスで装飾がなされおり、天気の良い日は色ガラスを通した光が、床にぼんやり虹を映す。
玄関を入って右手はカウンターになっている。左手には壁沿いに一階と二階をつなぐ階段が斜めにかかっていて、階段の下には男子用と女子用のトイレ。それ以外は広いホールになっており、本をすき間なく並べた本棚が並んでいる。
クラトはかぶっていた野球帽をとると器用に丸め、手慣れた動作で背中のリュックの右外ポケットに突っこみながら中央まで進み出た。周囲をぐるりと見回す。
表の門扉の札には書架整理と書かれていたが、本棚の本を整理している様子はない。三池の姿も見えない。誰もいない。しんと静まり返った館内。さっきの白ネコもいない。
「どこに行ったんだろう?」
クラトがもう一度まわりを見回すと、何か黒いものが動いた。クラトは導かれるようにそれを追いかける。黒いものは階段下の男子トイレに入って行った。クラトも中へ入る。
トイレの入り口正面には手洗いカウンターがあり、そこから小便器や個室が横並びに並んでいる。内部の壁にはぐるりと、白地に青い八角形が描かれた、小さな柄タイルが貼られており、床には白い正方形のタイルが敷かれている。
その床にちょこんと座っていたのは、黒ネコだった。カウンターの上の窓からは陽が差しこみ、黒いつややかな毛に光の輪を作っている。
「あれ? この子も昨日の黒ネコだよね?」
しゅっとしたしなやかなシルエットには見覚えがある。強い光を放つ金色の目も、するんと長いしっぽも、前の日に公園で見た黒ネコと同じに見える。
黒ネコは床の上に伸ばしたしっぽをへびのようににょろにょろと揺らしている。クラトがトイレの中に足を踏み入れると、それを待っていたかのように身体を起こし、左奥へ向かって歩き出した。
トイレは壁沿いに横長に作られており、右手が男子トイレ、左手が女子トイレになっている。そのため、男子トイレに入って左へ向かうということは、女子トイレの側に歩いているということになる。
ちょうど女子トイレとの境界にあたる壁には、鏡が取りつけられている。木製の枠で囲われた大きな姿見だ。焦げ茶色の木枠にはつる草が絡み合った彫刻が施されている。大人の全身を映すのに十分な大きさの鏡には、クラトと黒ネコが映っている。
黒ネコは鏡へ近づくと、少し左横に逸れた。そしてにゅぅーっと伸び上がった。目の前の壁に手をついて、二本立ちになる。
ネコってこんなに長くなるの? と、ネコの胴の長さにクラトが驚いていると、黒ネコはさらに左の前足を上へ伸ばした。そして鏡の横のタイルをその前足でかき始めた。
「あっ! ダメだよ、壁を引っ掻いちゃ」
爪を研ごうとしているのか、何かいたずらをしようとしているのか。いや、カリカリ音がしないので爪は出していないようだが、クラトは黒ネコの行動にびっくりして気づかない。爪で引っ掻いてタイルを傷つけていると思い、黒ネコを壁から引き離そうとした。
黒ネコに近寄ると、その手元が目に入る。黒ネコは前足で、一つのタイルを何度も何度もこすっていた。そのタイルは他のものと違い、八角形の柄が浮き上がっている。一見すると気づかないけれど、壁のタイルはところどころこれと同じように八角形が浮き上がったものが使われている。この浮き上がった出っぱりが気になるのだろうと見ていたら――。
カチリ。
何かが噛み合ったような音。
「ん?」
八角形の出っぱりが回転した、ように見えた。見間違いかな? と、クラトは目を凝らす。
すると黒ネコは器用に壁を伝って右横に身体をずらし、今度は鏡の枠の彫刻に前足をかけた。つる草の彫刻の一部だ。つるから枝が立体的に横に伸びている。その枝の部分に黒ネコは両方の前足をかけると、レバーでも引くみたいにその枝を引き下ろした。
カチャン。
枝の部分がぽきりと折れたように下に下がっている。さっきまでは横に伸びていたのに。黒ネコはその枝の下から鏡の正面に四つ足で移動し、鏡に向き合う。そしてそのまま鏡に向かって歩き出した。
「わわっ?」
鏡にぶつかる! とクラトがあわてるけれど、黒ネコは気にも留めない。クラトの心配をよそに、そのまま鏡の向こうへすり抜けた!
「えっ?」
クラトは目を疑った。目をぱちくりさせて、少し冷静になってみる。目の前の光景をもう一度たしかめてみると、ようやく何が起きたか理解した。
黒ネコは鏡の中へ入って行ったのではない。鏡が壁の向こう側に引っこんでいる。鏡と木製の枠との間にすき間ができていた。黒ネコが鏡を頭で押し開け、自分で開けたすき間へ入って行ったのだ。
「こ、これってドアになってるの?」
クラトがこわごわと鏡に手を当てた。
キィ。
クラトが手で押すと鏡はさらに奥へ引っこむ。どうやら本当に、押し開き式の扉になっているようだ。黒ネコが入って行った方とは反対側を軸に、鏡の扉が回転して開くようになっていた。
ニャアァァン!
黒ネコの声が聞こえる。クラトを呼ぶように。
クラトは迷った。鏡扉を開けた正面は、突き当りになっているようだ。けれど黒ネコの姿がない。ネコの声は左の方から聞こえた。
首を中へ突き入れて、左の方へ顔を向ける。 そこには何もなかった。いや、暗くてよくわからない。何があるのかわからない。こんなところへ入るのは怖い。怖いけれど、気になった。クラトはこわごわ、その中へ足を踏み入れた。
向こうの壁と手前の壁に手をかけ、身体を左に向ける。そこは広い空間ではないようだったが、クラト一人くらいなら不自由しない広さがある。
どうしよう……。よく見えないよ……。
クラトが前方をうかがっていると、しゅるりっと足元を何かが通った。
「っ!」
悲鳴も声にならない。なにぶん、ふしぎな話のつきない館だ。クラトは思わずのけぞった。
何かおかしなものでもいるのだろうか?
おそるおそる足元を見ると――ネコ? それも白いネコだ。
トイレ側から差しこむ光に姿を照らされたのは、あの白ネコだった。白ネコは驚くクラトを安心させるように見上げ、しっぽを振っている。それからくるりと回転し、すっとしゃがんだ。そして次の瞬間にはぴょーんと跳んで、バレーボールのアタックでもするようにぺしっと扉の横の壁を叩いた。そしてそのまま落ちるとしゅたっと着地した。
パパパパパッ、と、前方に明かりが灯る。クラトはびくぅっと思わず身をすくめたが、ただ明かりが点いただけだと気づいてほっと胸をなでおろした。
とりあえずこれで様子がわかると前の方を見てみると、床にぽっかり穴が開いていた。いや、穴ではない。地下へ続く階段だ。この階段に沿って、壁にアンティークなライトが五つ、明かりを灯していた。
階段を三段下りたところに、先ほどの黒ネコがいる。こっちへおいでと誘うように、ぴんとしっぽが立っているのが見えた。そこへ白ネコも合流し、二匹はお互いにあいさつを交わす。そしてクラトを振り仰ぎ、しっぽを揺らして待っている。
クラトは勇気を出して階段を下り始めた。ネコたちも階段を下り始める。二匹のネコに導かれるように、クラトは一段ずつゆっくり階段を下りて行った。
階段を下り切ると、目の前に扉があった。扉の足元には、黒と白のネコ。二匹は早く開けてと言うように、クラトのことを見上げている。
クラトはそっと扉を押し開けた。少しだけ開けたすき間から中の様子を探ろうとする。
と、足元にいたネコたちがしゅるしゅるっとすき間に入りこむ。あっと思ったときには、二匹の姿はなかった。
ネコたちのすばやさにあ然としながら、クラトはすーはーと深呼吸する。気を取り直し、中の様子をうかがう。扉の中は薄暗い。
すぐ向こうは石造りの土間になっていて、正面の上がり口は土間から少し高く、畳三枚ぶんほどの板間になっている。右手の壁際に下駄箱が置かれ、くつが六足、並べてあった。四足は明らかに子供用とわかる小さなものだ。左手には横にスライドさせる引き戸がある。
引き戸は少し開いていた。ちょうどネコが通るくらいのすき間だ。
クラトは引き戸の向こうに注意を向ける。
「あれー? チョコ? マシュマロまでいるぞ」
「どうしたんだよ? おまえら」
すき間から男の子の声がもれ聞こえ、クラトの背に緊張が走る。クラトは音を立てないようにくつを脱いだ。他のくつに並べて下駄箱にしまうと、引き戸のすき間をのぞこうとした。
ところが、こそこそしているのが後ろめたかったのか気持ちが逸ったのか、クラトは何もない場所でつまずいてしまう。ガタンッ! と引き戸にぶつかってしまった。
「誰⁈」
鋭い誰何の声が上がる。
クラトはこれ以上かくれていられずに、引き戸を開けた。一歩中へ足を踏み入れる。
室内は広い板張りの間になっていた。中央に白いふかふかのラグが敷いてあり、その真ん中には円い茶ぶ台が置かれている。それを囲むように子供が数人、座っていた。
正面には移動式の大きなホワイトボード。その前に、中学生くらいの少年が立っている。その少年の手前にはクラトと同じ年頃の男の子が座り、クラトから見て左に女の子が二人隣どうしに座っていて、白ネコと黒ネコを一匹ずつ抱いていた。その隣、クラトから一番近い位置には小柄な少年がラグの上に寝転がっており、その向こう、ボードの近くのラグの端の方に、フードをかぶった小柄な子が体育座りをしている。
子供たちは息を詰めたように、クラトの顔を凝視したまま固まっていた。クラトもそれに引きずられるように、突っ立ったまま息を止めた。
「やべぇ!」
小柄な少年が弾かれたように立ち上がった。大げさな手振りで頭を抱える。それから大あわてで、今度はしゃがみこんで何かを探し始める。
「えっとえっと……あった!」
小柄な少年は、また立ち上がるとクラトの方を向いた。
「ようこそッ! わわわ会へ!」
パパーン!
大きな声とともに、耳をつくような音が鳴る。そして細いひも状のものがたくさんクラトめがけて飛んできた。
「う、うわあぁ!」
クラトは驚いて後ずさり、転げそうになった。あわやのところで踏ん張り、引き戸をつかんでひっくり返るのを免れる。
「な、なに?」
何が何やらわからない。クラトはおどおどと子供たちの顔を見回す。
「おい、イタ! お前ナニやってるんだよ!」
「びっくりさせてどうするのよっ!」
小柄な少年が他の子供たちに責められる。
「なんだよッ! 新メンバーを歓迎してやっただけだろッ!」
イタと呼ばれた少年は、ぶぅっとほおをふくらませる。その手にはクラッカー。中身が散らからないように本体にくっついているタイプのものだ。円錐形の本体からは赤、黄色、青、緑、オレンジと、色とりどりの細いひも状のリボンがいくつも垂れ下っている。さきほどの大きな音の正体は、これのようだ。
「やめた方がいいって言ったのに!」
「へんッ! そんなの聞いてねぇよ!」
「私はちゃんと言いましたっ!」
いつの間にか、白ネコを抱えていた女の子とイタと呼ばれた少年の言い合いになっていた。少女が次の攻撃をしようと口を開く。それにかぶせるように、クラトは思わず声を上げていた。
「あ、あの……」
部屋の中にいた少年少女の目が、いっせいにクラトに向かう。急に視線を集めて、クラトは硬直したものの、ゆっくり息を吐き出し、口にした。
「ぼ、ぼくは大丈夫だから、言い合いはやめてよ。ええと、よくわからないけど、ぼくを怖がらせようとしてたんじゃなくて、歓迎しようとしてくれてたんだよね? それなのに、ぼくがびっくりしすぎちゃって」
クラトがまゆをハの字にしながら言うと、ふっと他の子供たちの空気が緩んだ。
「イタ、彼がこう言ってくれたからといって調子に乗らないようにね。驚かせてケガをさせていたらどうするの」
中学生くらいの少年に落ち着いた声音で諭されると、イタはしゅんと肩を落とす。
「それに、彼はまだ新メンバーに決まったわけじゃない。ナゴヒメがスカウトしただけで、ぼくたちの組織に入ってくれるかどうかは彼次第なんだから」
ナゴヒメ? ぼくたちの組織?
クラトの頭にハテナが浮かぶ。とまどいの目でその少年を見ると、相手と目が合った。
「加瀬くん、だよね?」
声をかけられ、クラトは反射的にこくんとうなずく。
「こっちにおいで。みんなを紹介するから」
手招きされて、クラトはぎくしゃく歩き出す。するとイタが寄って来て、「さっさと来いよ」とぶっきらぼうに言ってクラトの手を乱暴につかんだ。イタに手を引かれ、いや、引きずられるように、クラトはラグのところまで歩かされた。
「座れよ」
やはりぶっきらぼうに言われ、クラトは素直にイタの隣に腰を下ろす。わけがわからないまま、とりあえず、背中のリュックを下ろして茶ぶ台の下に押しこんだ。
視線を上げるとホワイトボードが目に入った。ボードには、漢字が連ねて書かれている。
宇美 結理
護宮 朱怜
桐内 伽耶子
醍智院 威太郎
醍智院 小春
嘉南 翼
「……み……り? ……まもる、みや、しゅ……?」
全然読めない。
「ここに書かれているのが、ここにいるメンバーの名前だよ。難しい漢字もあるし、読み方が特殊なのもあるから、わからないよね。とりあえず、ここに書いてある順に紹介していくよ。まずはぼくから」
中学生くらいの少年はそう言うと、「宇美 結理」と書かれている部分をトントンと指でたたく。
「ぼくの名前はウミ ユーリ。小牟田小学校の六年生です。わわわ会小牟田支部の副支部長をしています」
わわわかい?
クラトの頭にまたもやハテナが浮かぶ。
わわわ会の副部長を名乗った少年は、中学生に見えたが違っていた。長身のクラトよりわずかに背が高いようだ。銀の細いフレームのメガネをかけている。レンズの奥には切れ長のすっとした目。見るからに頭が良さそうな少年だった。他の少年よりやや低めの声はしゃべり方とあいまって、やはり頭が良さそうな印象を抱かせた。
「支部長は家の事情で今日は顔を出せないから、ぼくが代わりに進行させてもらうね」
ユーリは自己紹介をすませると、ボードの前に腰を下ろした。ユーリの前に座っていた少年と、ラグの端に座るフードの子の間だ。
「宇美 結理」の次は「護宮 朱怜」。
「ぼくの隣は、『護る』に『宮』で『モリミヤ』って言うんだ」
ユーリの紹介で、彼の左隣に座る少年が手を挙げる。
「さっき『まもるみや』って読んでたけど、よくこの字を『まもる』って読めたな」
ミヤが感心するように言う。「護宮」は「護」の字を「もり」と呼んでいるが、この字は「まもる」とも読む。画数も多く難しい字なので、クラトが読み方を知っていたことにミヤは驚いたようだ。
クラトは少し照れながら「ぼくのお父さんが『まもる』っていう名前で、この漢字を書くから知ってたんだ」と答えた。ミヤは納得したらしく、うんうんとうなずく。
「ミヤの場合は苗字は読めても、名前は読めないよね」
ミヤの隣の少女が口をはさむ。イタと言い合いをしていた少女だ。彼女の言うとおり、クラトは頭をひねる。「朱怜」と書かれた名前をどう読んでいいのか。
「ミヤの名前はこれで『アレン』って読むんだよ。読み方を知らないと読めないよね」
とユーリが教えてくれる。
「アレン?」
ちょっと読めない。クラトが驚いてボードの漢字を見つめていると、ミヤはイヤそうな顔をする。人に読み方をわかってもらえないのがイヤなのか、それとも……。
「オレ、自分の名前、好きじゃないんだよ」
ぶすっとした顔でミヤがそっぽを向く。
クラトはびっくりして、思わず「なんで?!」と声にしていた。
「カッコイイのに!」
クラトが意外な思いでミヤを見ると、ミヤは頭をかく。
「オレはもっと和風でケイハクじゃない名前がいいよ。……だから、名前で呼ぶなよ? オレのことはミヤでいいから!」
ミヤが念を押すようにクラトに言い渡すけれど、クラトは他のことが気にかかった。
「ケイハクって?」
クラトが疑問を口にすると、ユーリが「言葉や態度が軽々しいことを軽薄っていうんだけどね。ざっくり言うと、チャラいってこと」と教えてくれた。
アレンってチャラい名前なのかな?
クラトにはよくわからないが、ミヤにとってはそうらしい。
「オレは一郎とか金之助とか、そういう名前の方が好きなの。アレンなんかより断然カッコイイよ。いいよなー、イタロウなんてイタロウだよ? カッコイイよなー」
イタと呼ばれた少年の名前は「イタロウ」というらしい。ミヤは独自の感性で、イタロウのことをうらやましそうに見る。その目を受けて、イタロウは「にっ!」と得意げな顔で笑ってみせた。自分の名前を気に入っているようだ。
「でも、似合ってると思うけど……」
クラトが思わず口にする。
これが、見るからに日本人という見た目をしているなら「アレン」と名乗るのが恥ずかしいかもしれないが、ミヤならそういう恥ずかしさを感じる必要はなさそうに思えた。むしろ、ミヤの外見で「金之助」と名乗る方がミスマッチなのではないだろうか。
自分の名前の何が気に入らないのだろうと首をひねりながら、クラトはミヤを見る。
ミヤは透けると金色に見えそうな明るい薄茶の髪に、同じような薄茶の瞳、肌の色も白く、それだけでも日本人離れしていた。顔の造りは、彫が深いとはいわないけれど目は大きく鼻筋も通り、どことなく西洋風の顔立ちに見えなくもない。
「もしかして、ミヤくんもハーフ?」
クラトがその可能性に思い当たって聞いてみると、ミヤは首を横に振った。
「見た目と名前のせいで、たまに間違えられることがあるけど。オレは日本人。ただ、母親が色素の薄いタイプなんだ。肌の色も白くて、日に焼いても黒くならずに赤くなるタイプでさ。髪や目の色もオレと同じなんだ。でも、母さんも外国の人の血が混じってるわけじゃないんだけどさー」
なんでだろ? と首を傾げながらも、答えを求めているわけではないようだ。
「ミヤんちはさ、和菓子屋なんだぜ! もりみ屋っていうの」
イタロウが口をはさむ。
「もりみ屋? それって赤レンガ会館近くの和菓子屋さんのこと? あんこが絶品の――」
クラトが聞くと、ミヤが嬉しそうな顔をした。
「そうそう! そこそこ! 赤レンガ会館のとこ! もりみ屋はじいちゃんがやってるんだ。あんこもさ、じいちゃんの手作りなんだっ!」
クラトに「あんこが絶品」と言われて、ミヤはごきげんだ。ミヤはもりみ屋の和菓子と、それを作っている祖父母のことをほめられるのが何より嬉しく、喜ばしいという。
ミヤはすっかりクラトに好印象を持ったようで、嬉々として「なあ、何が好き?」と聞く。クラトも、大好きな和菓子屋のこととなると口がなめらかだ。
あれもいいけどこれもいいと和菓子の話で盛り上がっていると、ユーリが「次に行くよ」と苦笑しながら割って入る。ミヤの隣の少女が手を挙げた。
「彼女はキリウチ カヤコちゃん」
「桐内 伽耶子」。
伽耶子はキリッと気の強そうな顔つきで、大人びた感じがする少女だ。長くまっすぐな黒髪をポニーテールにしている。クラトより頭半分は小さいけれど、女の子にしては背の高い方だろう。全体的にほっそりしていて、特に手足は細く長く、ティーン向けの雑誌のモデルのようだ。
「ミヤは友中小、カヤちゃんは葉山南小で、二人とも五年生だよ」
「よろしくね」と伽耶子がクラトに手を振る。白ネコは伽耶子のひざで丸まっており、伽耶子の声に合わせるようにふさふさのしっぽを揺らめかせた。
「なーに気取ってんだよ、カーコのくせに!」
身体を茶ぶ台の下に潜りこませ、足の先で伽耶子のひざを攻撃するのは、伽耶子の向かいに座るイタロウだ。
「うっさいわね! イタ! ジャマしないでよ! ちびっこのくせに!」
「なんだと? デカ女!」
ぎゃーぎゃーやり合う二人に、おろおろするのはクラトだけ。白ネコすら薄目を開けただけで、また閉じてすぅすぅと寝息を立てる。他のメンバーはどうやら慣れっこのようで、「そこの二人、ジャレないで」と、ユーリがあきれた声を出す。
「ジャレてねーし!」
「だってイタローが……」
なんだって、なによ、とまだまだ続きそうな二人をよそに、ユーリは次に、自分の右隣に座る子の紹介に移る。「ちょっと飛ばして、一番端の子を先に紹介するね」とユーリはホワイトボードを指さす。
一番端に書かれた名前は、「嘉南 翼」。
「この子は、カナミ ツバサ。ツバサは上宮小の三年生で、ぼくの幼馴染みなんだ」
翼はひざを両手で抱かえている。フードを目深にかぶっていて、顔はよくわからない。頭を少し動かし、わかるかわからないかくらいの微かな会釈をした。どうやら人見知りのようだ。
クラト自身も人見知りな方だ。それに場見知りといえばいいのか、場の雰囲気などのせいで、日ごろ親しくしている相手であってもうまく話せなくなってしまうこともある。翼にそっけない態度をとられても不快に思うことはなく、クラトは逆に翼に親近感を覚えた。
「ぼくとツバサは校区のせいで小学校は違うけど、家が近所なんだ」
ユーリが説明すると、翼はユーリを見上げた。クラトからは翼の表情は見えないけれど、なんとなく、ユーリを見て笑ったように感じられた。ユーリが幼馴染みだと紹介するだけあって、二人は仲が良さそうだ。
「かっつんって言うんだぜ!」
伽耶子とのやりとりがすんだのか、イタロウがクラトに話しかけてきた。
「かっつん? ……ああ! カナミツバサ、だから『カ』と『ツ』で『かっつん』なんだ!」
「かっつん」が翼の愛称だと気づいて、クラトがぽんと手を打つ。
「カッコイイだろ! かっつんっていうのは、オレ様がつけたあだ名なんだぜ!」
得意げに言うイタロウ。「へえー、そうなんだ」と素直に感心してみせるクラト。「『かっつん』はカッコイイのか?」というつっこみは誰も入れない。クラトの素直さに、なんとなく気を抜かれてしまったようだ。
「それじゃ、次はそこの元気過ぎるメンバーを紹介しようか」
ユーリは笑いを噛み殺すように、イタロウの方を見た。
「オレ、オレの番ね! オレはダイチイン イタロウ! イタロウ様って呼んでいいぞ!」
と、「醍智院 威太郎」は張り切って名乗った。
威太郎は元気のかたまり。黒い髪は短くこざっぱり刈りこまれ、黒々とした目はパッチリ、肌は日に焼け、やんちゃそうな見た目を裏切らない、大きな声でハキハキしゃべる少年だ。
「オレ様は、里見小の四年生なんだぜ!」
と威太郎が言うのに、クラトは驚いた。
「えっ⁈ それじゃ、ぼくと同い年⁈」
「えっ⁈ おまえも四年生⁈」
二人は驚いて見つめ合う。
威太郎が同じ年に見えなかったのは、その小柄な体型のせいだった。クラトは自分が標準よりずっと大きいことは知っているけれど、それにしても威太郎は小さい。
クラトの身長は四月の身体測定ではついに百六十センチを超えていた。そのクラトに比べ、威太郎の身長は百三十センチを切っているのではないだろうか? 二人が並んでも同じ学年には見えないだろう。立てば三十センチは身長差がありそうだ。
威太郎も、身長の高いクラトを年上だと思っていたようだ。
年上だと思っていたにしてはクラトに対して威張り散らしていた威太郎だったが、先輩風を吹かせたかっただけらしい。
「なんだ、同い年かよ」
遠慮して損したとうそぶく威太郎と違い、クラトは驚きのあまり声も出ない。
クラトの驚きは嫌味がない分、威太郎が小学四年生には見えないほど小さく見えると訴えているようなものだった。
威太郎はおもしろくなさそうにむっつりと口を引き結ぶ。そしてズボンのポケットをごそごそ探ると、一枚のカードを取り出した。カードの色は薄い紫。
威太郎が取り出したのは、免許証のようなカードだ。名前の欄に「醍智院 威太郎」と書かれている。八角堂で発行している、本を借りるときにカウンターで提示する図書館カードだ。
「ほら見てみろよ、オレの生年月日!」
と、威太郎は名前の下に書かれた生年月日を指で示す。見れば確かに、威太郎が生まれた年はクラトと同じだ。
カードを見てクラトは目を見張った。けれどそれは、威太郎が同じ年だと証明されたことに驚いたのではない。カードの色を見て驚いたのだ。
八角堂の図書館カードは十二色あり、借りた冊数が増えて一定数を超えると色の違うカードに取り換えてくれることになっていた。薄紫色のカードは千二百冊以上の本を借りた人しかもらえないことになっている。
「すごいよ! 薄紫のカードだ! ぼくと同い年なのにもう薄紫のカードを持ってるなんて。威太郎くんは本をたくさん読むんだねぇ!」
クラトの純粋な賛辞は威太郎には慣れないもので、大いに照れた様子を見せる。ほめられて悪い気がするはずもなく、威太郎は得意満面で言い放った。
「そうか! そんなにすごいか! だったら、お前のこと、オレ様の子分にしてやるぜ!」
おいおい、子分はないだろうと、ユーリたちは心の中でつっこんだが、二人には関係なく、
「え! いいの?!」
とクラトは喜んで受け入れてしまった。そんなクラトにユーリたちはびっくりだ。「意外な展開だ」とミヤがこぼし、ユーリたちが「うん」とうなずいた。
「そっかそっか、よし、これからはオレ様がビシバシ鍛えてやるとするかな!」
と、威太郎は絶好調だ。
「オレの子分その一はコパルだったけど、クラトを子分その一にしてやるよ。コパル、お前はその二だぞ」
と、威太郎は伽耶子の左隣に座る少女に言う。その少女を威太郎は自分の妹だと紹介した。座った状態でも、少女の方が威太郎より背が高いらしいことがわかる。
「コパルはオレの双子の妹で、ダイチイン コハルって言うの。オレはコパルって呼んでるけど。コパルのパは『パア』の『パ』なんだ」
威太郎は偉そうに言った。
「パア」だと言われた小春だったが、さほど気にした風もなく、
「小春、パアじゃないよ」
とおっとり、兄の言うことを否定した。
小春は威太郎より大きいようだが、クラトよりはずっと小さい。
伽耶子はTシャツに薄手のパーカーを羽織り、ショートパンツをはいたシンプルなスタイルだけれど、小春はその名のイメージに合う淡いピンク色に小花を散らした春のワンピースだ。袖にはリボンがついている。
威太郎と小春は双子ということだが、顔立ちはそれほど似ていなかった。鼻の形は似ているが、目は威太郎の方がぱっちりしていて、小春の方はまぶたが厚ぼったい。
肩までの髪は毛先がふわんとカールしているのが女の子らしく、ほんわかした雰囲気の少女だ。クラトに見られて少し恥ずかしそうにはにかむ顔が、クラトの目には可愛いらしく映った。
「そんでそんで? 次はお前の番な!」
威太郎にせかされる。他のメンバーもクラトが名乗るのを待っていた。
クラトが目をやると、ユーリがにっこり笑ってうなずく。話していいよと言われているのを感じて、クラトは落ち着いた気持ちで自己紹介した。
「ぼくは加瀬クラトです。岬小学校の四年生です」
クラトが名乗ると、威太郎たちが拍手する。
ユーリが立ち上がり、小春の隣にクラトの名前を書き連ねた。
「クラトって呼んでいいよな!」
威太郎は呼び捨てにすることに決めてしまった。
「じゃあ、ぼくたちも呼び捨てにしていい?」
ユーリたちが言うのに、クラトはこくこくとうなずいた。
「小春はクラトくんって呼ぶね」
隣にいた小春が、小声でささやいた。
「小春は呼び捨てするの恥ずかしいから。威太郎くんのこともいっくんって呼んでるの」
「じゃあ、ぼくは……小春ちゃんって呼んでいい?」
「うん」
小春は花が咲いたように、にっこり笑った。
学校では同じクラスの女子のことは苗字にさんづけで呼んでいる。女の子の名前をちゃんづけで呼ぶのなんて幼稚園以来のことで、クラトはちょっと照れた。
「なあなあクラト。岬小なら、うちと近いじゃん」
「うん、そうだよね。威太郎くんは里見小だって言ったよね」
ということは、小春も当然、威太郎と同じ里見小なのだろう。
「くんづけするなよ。なんかヘンな感じするだろ?」
威太郎がイヤがると、「じゃあ威太郎サマ?」と、クラトがあっさり返すので、威太郎の方がびっくりしてしまう。自分で呼べと言っておいても、本当にそんな呼ばれ方をしたかったわけではない。クラトが嫌味で言ったのではないのがわかるだけに威太郎は気まずそうな顔になる。
「サマはなし! 威太郎でいいんだよ!」
口をとがらせ、威太郎はびしりとクラトに人差し指をつきつける。その勢いに押されるように、クラトはうなずいた。そして、「威太郎かあ……。呼び捨てってあんまりしないから、なんか照れくさいな」と笑った。
「威太郎はさっきから子分にするとか威太郎サマと呼べとか、好き勝手なことばっかり言ってるけど、クラトはそういうのイヤじゃないの?」
ミヤに聞かれて、クラトはちょっと考えてみる。イヤな感じはしなかった。だって、
「威太郎く…ん……威太郎、は、ぼくのことをバカにして威張ってるわけじゃないよね? 人を見下したりバカにしたりする人の目や声とは違うもの。だから平気。それに子分にするってことは、ぼくのめんどうを見てくれるってことだよね? ぼく、トロいからテキパキできないこと多いし……。威太郎がいろいろ教えてくれるなら心強いなって思って」
クラトの耳によみがえったのは将大の声だ。威太郎の声とは全く違う。威太郎の「子分にする」は「気に入った」と言っているように聞こえたから、イヤな気持ちになんてならなかった。
「よしっ!」と大きな声を上げると、威太郎はバシッと叩くようにクラトの肩に手を置いた。
「わわわ会のことなら、この威太郎サマに――サマづけはしなくていいからな! ――威太郎サマに、なんでも聞いていいからな!」
威太郎はそう言って、自分の胸をどんと叩いた。
読んでいただいてありがとうございます。
これから、本題に入っていくので、続きを読んでいただければと思います。