五十五のお話
「向こうの…世界…どうして…?」
せっかく元の世界に戻れたのに、どうしてまた戻らなくてはならないのだ?
「王子様に…会いに行きましょう」
「会ってどうするの?もう…私戻れたんだよ?ここに…」
よく考えてみれば、チェシャ猫はどうやってここへ来たのだろうか。
私はゆっくり立ち上がる。足元には沢山の首がないぬいぐるみたちがころがっている。
「お兄さんに、会わなくていいんですか?」
「…っ」
現実世界に戻り、なぜか頭の痛みも消え、私は普通のことを考えられるようになった。普通うさぎは喋らないとか、普通アヒルは服を着ないとか…。
だから、普通なら死んだ人間とは会えないんだ。兄とは…、もう一生会えないのだ。
「待ってますよ」
「…っ!?」
私はチェシャ猫に構わず部屋を出た。階段を下り、外へ走った。
これ以上頭の中をぐちゃぐちゃにはしたくない。私はただ走った。
車も自転車も人も、野良猫の一匹すら見当たらない。信号も動いてない。
私は紅く染まる見慣れた道を歩いて行く。
「…」
誰の名前も呼ぶことのできない私は、静かに虚しさを飲み込んだ。
これからどうするか……。母を探す?父を探す?……それともチェシャ猫についていく…?
「…」
いつの間にか、私の通っていた中学校の前にたどり着いていた。正門は開け放たれている。
中学校…。あれ、私って中学生…だったっけ…。いや、高校生…?
自分の歳すら分からなくなって出雲はひどく落ち込んだ。
「…え…」
人だ。影に紛れてマンションの角を曲がるのを私は見逃さなかった。
私は走ってその人を追いかける。この際、泥棒であろうが人であれば何でもいい。
私は勢いよく角を曲がる。
「待ってぇ!!」
私が叫ぶとその人はピタリと止まった。
「…あなた…」
間違いない。あれは、あの時私を怒鳴りつけた小さい頃の自分だ。服の色が、水色ではなく真っ黒に変わっている。
「大きくなったら、もっと悪い子になっちゃうのね…」
嫌味のように彼女はそう呟き、前を歩き出した。
「全部ぐちゃぐちゃ、お家もママもパパも…。お兄ちゃんもいなくなった。全部あなたのせいよ。全部、全部」
ゆらゆらと揺れる小さな影は、怒りと悲しみの塊のようだった。
私はただ静かについていく。
「あの時死んじゃえばよかったんだ。バーンってなったとき。油をいっぱいつけてたらよかったんだ」
何の話をしているか私にはよく分からなかった。
一体どこへ行くのだろう。
「ねぇ…」
「早くチェシャ猫に連れていかれなよ」
よく遊んでいた神社の目の前で彼女は止まった。振り返り私を睨みつける。
「そして王子様に殺されて、た…うぅっ!?」
「!?」
小さい私が怒鳴った瞬間、チェシャ猫が突然現れ彼女の首を掴み上げた。
「チェシャ猫何してるの!?やめて、離してあげて!!」
慌てて出雲はチェシャ猫の腕を掴み、小さな頃の自分を助けようとするが、チェシャ猫はびくともしない。
「これは闇です」
「や…闇って…」
苦しそうにする小さな頃の自分。見るのが辛い。
「闇は形を変え、あなたを飲み込もうとするんです。早く消さないといけません」
「う…あっ…」
握られた喉はブチリと裂かれ、ドス黒い液体が流れ出ている。全身が液体に変わり、地面にビシャビシャと落ちる。
「王子様に…殺されるって……」
闇の言ったあの言葉がとても気になった。チェシャ猫は黙って私を見る。
「王子様は…そんな事しません…」
ブワっと嫌な風が吹いた。
私はどうもチェシャ猫を信じることが出来ない。
「さぁ、戻りましょう」
チェシャ猫は私に手を差し伸べた。
どうする、どうする?と言わんばかりに心臓は脈打つ。
力では敵わない、逃げることは出来ても、すぐに追いつかれる。
「い…嫌だ…」
私は一歩下がった。チェシャ猫は手を下ろし、私をじっと見ている。
薄っすら笑っているように見えるが、前髪の下に隠れた目はひどく寂しそうだった。
「ここはあなたのいるべき世界じゃない」
「違う!ここは現実の世界、いるべきじゃないのはあなたよ!!」
どうしよう……、酷いことを言ってしまった。
チェシャ猫は表情を変えず、ただずっと私を見ていた。
「…ごめん…なさい…」
私の目からはなぜか涙が出てくる。
前が見えないよ…
「泣かないでください、大丈夫ですから…」
チェシャ猫は包み込むように私を抱きしめた。
優しい、懐かしい匂いでいっぱいだ。
色々雑ですみません。後で多分直します。




