三十二のお話
「ぅ…」
突如自称チェシャ猫が呻き声をあげた。私を飲み込んでいく黒い液体はピタリと止まった。私は正気を取り戻した。
「何…してるんですか?」
聞き覚えのある冷たい声、チェシャ猫ではない。あれは…
「し…死神さん…!!」
自称チェシャ猫の後ろに、あの真っ黒な格好の死神さんが立っていた。どうしてこんなところに…?ドス黒い液体は私からスルスルと離れていく。
「ハハハ…、失敗か」
ガクッと自称チェシャ猫は地面に膝をついた。背中にあの時の、リアンのところのナイフが刺さっている。
「まぁ、君に会えただけでもよかった、今回は諦めるよ…」
そう言って、自称チェシャ猫はドス黒い液体となり地面の中に入っていった。その場にはあのナイフだけが残されていた。私は安心して、全身の力が一気に抜け、地面に座り込んだ。
「大丈夫…ですか?」
死神さんが心配そうにこちらへ急いで来てくれた。完璧にではないが、私が唯一思い出すことの出来た人だ。私は安心して安心して、涙が出てきた。
「死ぬかと思った…あぁ…怖かった…」
「大丈夫ですよ、大丈夫」
死神さんは優しく抱きしめてくれた。私は死神さんの腕の中で幼児のように泣いた。もう何も考えたくない。
「なんでこんなところに…?」
少し落ち着いた私は死神さんに尋ねた。死神さんはニコッと笑った。
「たまたま、この辺で大きな闇の気配を感じて…気になって行ってみたんです」
「へー…なんか、奇跡的…ありがと!」
私がそう言うと、死神さんは照れて顔を隠した。可愛い人だなぁ…
「ねぇ、私と同い年の男と女見なかった?それとチェシャ猫…」
死神さんは、チェシャ猫と聞くと一瞬ムスッとした顔になった。そういえばそうだったな…
「分かりません…」
「うぅ…」
名前を聞くのも嫌というくらい仲が悪いのか…。私が立ち上がると死神さんも立ち上がった。
「ねぇ…なんでそんなにチェシャ猫が嫌いなの?」
私は恐る恐る聞いた。死神さんは少し困ったような顔をした。怒ってはいないようだ、よかった…
「アイツ…ズルいんですもん…」
「何が?」
死神さんは少し顔を赤らめて小さく言った。一体何がズルいんだろう。あれからずっと気になっていたのだ。なかなか答えてくれない。
「ねぇ、何がズルいのー?」
「…」
死神さんは顔を隠して答えてくれない。気になるじゃないか!私は色々考えてみる。チェシャ猫と…死神さん…。チェシャ猫がじゃんけんでズルしたとか?いや、リアンの紅茶ロシアンルーレットでズルした…?いや、料理長の料理で何かあったとか…?分からない…
「ね〜教えてよ〜、気になるじゃん!」
私は顔を隠した死神さんをポカポカ叩いてみた。死神さんは「恥ずかしいです…」と言って頑なに教えてくれない。恥ずかしい事?やっぱりじゃんけんで負けたとかの小さな事なのだろうか。
「その…ズルいんです…私だって…もっとあなたと…一緒にいたい…」
隠した真っ赤な顔をチラリと出して死神さんは言った。
…
「え?」
これは乙女ゲームか何かか?本当にそんな事を言ってくれる人がいたなんて…しかも私に…。こっちまで恥ずかしくなって、顔から火が出そうだ。
「すみません…、私は死神、本当はいてはいけない存在…あなたと…本当は一緒にいてはいけない存在…」
「わわわっ、そんな事ないよ!!うんっ、一緒にいよう!!」
混乱して私は自分でも何を言っているか分からなくなった。真っ赤な顔でシュンとしている死神さんをどうにか慰めたくて、頭に浮かんだ言葉を適当に繋げて口に出した。
「ダメなんです…私はあなたを傷つける存在…だから…」
「そっ、そんな事ないって!あ…」
待てよ、そういえば傷つける存在って…?
「どうしてあなたは傷つける存在なの?」
私が尋ねると、死神さんは「え?」と言って私を見た。しかし、すぐに「あぁ」と一人で納得した。
「記憶が…無いんでしたね…」
「うん…」
難しい顔をして死神さんは何かを考えている。私がふと空を見上げると、さっきまであんなに真っ赤だった空が、ミカンのようなオレンジ色に変わっていた。不思議な空だ…
「立ち話もあれなので…その辺に座りましょう」
そう言って死神さんは真っ黒な木を指差した。私たちはその木の下に座った。
「私の事…どこまで…思い出せました?」
「んー…、私が作った…くらいかな…分からない…」
なんで思い出せないんだろう。まるで、記憶を鍋に入れて蓋をして、鎖を巻きつけ鍵をかけたみたいな感じだ。そして、流れ星みたいに、ものすごく早く動くから捕まえられないんだ。
「そうですか…。じゃあ、色々お話ししてもいいですか?」
私は静かに頷いた。
色々変です、すみません。後で直します。




