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ひょっとして、さっきの人より先に思考・運動ができる力がそうなのかと思ったが、上戸さん曰くそうではないらしい。
「あ、どうぞ、寝ててください」
上戸さんが、笑いながら言う。
「何かされるかと思うと寝れないわ」
「からかわないでください」
上戸さんは笑い声が大きくなる。
「ほら、ここで一緒に寝ましょうよ」
ベッドを叩きながらそう言う。胸元少し開くようなしぐさをする。
「やめてください」
上戸さんが軽く俺の腕に触れた瞬間、再びさっきの光景が重なった。
『上戸さん?』
俺の呼びかけに反応しない。
『三島さん?』
同じように反応がない。
俺だけが、この光景を見ているようだ。
天蓋付きのベッドの上で、女王の手に触れている。上戸さんと女王は少しだけ重なって見える。
『お腹の中にあなたの子供がいます。この子の為にも戦争は……』
俺は答えない。一体いつの時代なのだ。部屋の装飾や服装からすると、現代よりもっと古い時代のような印象だ。
『もう名前も考えています。男の子なら、イオン、女の子ならエレナ。どうかしら?』
誰かの声が響く。イオン、エレナ、いい名前だ。
もしかして、これは…… イオン? ということは、もしかして、この男の人と、目の前の女王がイオン・ドラキュラの両親?
スッと、重なっていた光景がもとに戻る。
「マジでベッドに入ってきたらシメるよ」
上戸さんがものすごい形相で睨んでいた。
確かに片膝をのせかけていた。
「す、すみません」
「……」
もし抗ウイルス剤の影響で、イオン・ドラキュラの生まれる前の光景が見えるのだとしたら、それはドラキュラ・ヴァンパイア病が良くなっている兆候とみるか、悪くなっているとみるのだろうか。パッと聞いて考えつくのは、悪化している方だろう。俺はそう思った。現代ドラキュラの発生の瞬間の光景が見えるのは、ドラキュラ・ヴァンパイア病が治りつつある人間が見るものではなく、何等かの継承が必要な者だと考えるのが自然だ。
とすれば、俺だけが症状が悪化している。
冴島さんはイオン・ドラキュラの解析結果待ちだ、ということしか言わないが、どう思っているのだろう。このまま薬の投与を続けて、俺が完全にドラキュラ・ヴァンパイア病になったら…… 除霊士になる、なんて言ってられなくなる。
大学から屋敷に戻り、扉を開けてホールに入ったところで呼びかけられた。
「影山くん。今帰ったのね。おかえりなさい」
「ただいま。どうしたんですか、冴島さん。こんな時間に家にいるなんて」
「ちょっと業務がないから帰ってきたのよ。ちょうどよかった。こっちの部屋に来て。例の幻覚の件でイオン・ドラキュラ博士から回答があったわ」
「はい」
俺は、冴島さんの部屋へ進んだ。
冴島さんの部屋には、最初は何もなかったはずだったが、ベッドと机、小さなタンスが運び込まれていた。
机の上にはノートパソコンがあり、画面がロックされていた。冴島さんがパスコードを打ってロックが解除される。
「イオン博士自体は、生まれてすぐに戦争がはじまり、母親と城を出てしまったそうなの。だから、影山くんが見た光景が本当にそうかはわからないけど、戦争が始まりそうな状況と、山の上にあるお城はイオン博士のご両親がいた城と一致するって」
「いや、俺が知りたいのは……」
「ドラキュラ・ヴァンパイア病が進行しているのか、どうかでしょう? ちゃんとこれから話すわ」
冴島さんは画面をスクロールさせる。
「ここを読んでみるとわかるけど、抗ウイルス剤が働くときに、ドラキュラ・ヴァンパイアウイルスがやられまいとして一時的に活動を強めることは考えられるということね。結局、薬の力にウイルスが勝つことはないだろうから、薬が効いている証拠だ、という判断のようね」
「……」
ウイルスは別に意思をもったものではないだろう。けれど自らの働きを弱めようとする環境変化に、抗うことがあるのだろうか。それともこれすら単純な化学変化の結果なのだろうか。
「ちょっと意味が分かりませんが」
「影山くんって理系じゃなかったの? 今ある状態を保とうとして、逆向きの力が働く法則なんていくらでもあるじゃない」
「……」
逆向きの働き、というだけなら別段不思議ではない。しかし、幻覚をみるというのは、逆向きの力の方が勝っているのではないか? 俺はそう言いたかったが言わなかった。
「イオン博士の見解よ。私も今、イオン博士の見解を超えて判断は出来ない。つまり投与はつづけるわ」
「はい」
確かにイオン・ドラキュラに匹敵するほどこのウイルスを知っている者がいない以上、セカンドオピニオンを求める相手がいない。いたとしてもイオン博士と比較して知識のレベルが低すぎ、信じるに値しないだろう。俺はその見解で納得することにした。
「一応、これは影山くんのアカウントに送っておくから」
「ありがとうございます」
俺は自分の部屋に戻ろうと、一度階段のホールへ出た。
すると、マリアが俺を向いて言う。
「カゲヤマ、アラートヲオシラセシマス」
「えっ、『アラート』って緊急事態ってこと?」
「セイカクニハ、アラートガアッタコトヲオシラセシマス」
俺はマリアの方に近づいて行った。
「ますますわからない。もうアラートは解除されているの?」
「……」
マリアは一切表情を変えずに、黙ってしまった。
「今は、何も起こってないの」
「……オコッテイマセン」
「じゃあ、いつアラートがあったの。アラートって何があったの」
マリアの姿勢がすこし猫背になった。
何かを表現しようとしているのだろうか。
「今言ったこと、教えてよ」
「アラートハ、イチジカンマエデス」
さらに姿勢が縮こまる。
俺はマリアの肩に手をあて、慰めるように言う。
「怒られるとか思ってるのかな。大丈夫だからさ。で、どんなことがあったの」
「……ウエトアヤミガ、ニカイニシンニュウヲココロミマシタ」
「なんだって、なんで早く言わないんだ!」
マリアがさらに俯いてしまう。俺はそれを見てマリアの頭をなでる。
「ごめん。怒ったんじゃないんだ。ちょっとびっくりして」
「ワタシモ、ナゼケンシュツデキナイカ、ワカリマセン」
けれど、どこかで検出したからマリアが自身で『アラート』と言っているわけなんだが。
「アラートトハンダンシタノハ、セルフチェックノタスクガハタライタカラデス」
「けど、二階に入られたわけではない…… んだよね?」
マリアは小さくうなずく。
「映像見れるかな」
「ハイ」
マリアは壁に映像を投影しようとする。
俺は、ハッと気づいてやめさせる。
「ごめん、後で見るから俺のアカウントに送ってくれるかな」
マリアが返事をすると、俺はマリアをそのままにして上戸さんの部屋に向かった。
何故まだ二階に入ろうとするのか。それだけの力がまだ残っているのだろうか。
部屋の前につくと、扉をノックする。それと同時に扉を開ける。
「はいるよ」
ベッドでふとんをかぶる様子が見えた。




