(9)
橋口さんも冴島さんも、何もなかったかのようにパソコンに集中していた。
「(言っとくけど!)」
声は小さかったが、何か、プレッシャーとか、すごみがあった。
「なんだよ」
蘆屋さんは、口の前に人差し指を立てた。
「(声が大きい)」
「(だからなんだよ)」
蘆屋さんは、急に視線をずらした。
「(あのことは言わないで)」
「(あのことってなんだよ)」
視線をずらしたまま、親指の爪を噛むようなしぐさをした。
「(あの式神、龍のことは言わないで)」
「なんで、殺されかけた……(まごっ、おえっ、おえっ)」
言っている途中で、蘆屋さんのその小さな手が、俺ののどぼとけを狙って入ってきたのだ。
「(声が大きい。絶対に言わないで!)」
「(おがおが)」
「(分かった?)」
俺はうなずく。
ようやく手を抜いてくれた。
「(だから、手を突っ込むのやめろよ。それから、なんでだよ、言わないとまずいだろ)」
急に蘆屋さんの表情が変わった。
顔を両手で覆うと、俺に体を預けるかのようにもたれかかってきた。
そして、しゃくるような呼吸音が聞こえてくる。
……泣いている。
「(どうしたの?)」
「(破門されちゃう)」
「(どうして)」
「(師匠に無断で龍みたいな大物式神を呼び出しのがバレたら、あたし……)」
「……」
俺は蘆屋さんの背中に手を回した。
泣いているせいか、すごく熱くなっている。
それに柔らかくて、いい匂いがする。
俺は、蘆屋さんがいとしくなった。同時に、式神の話はしてはいけない気がしてきた。
「(言わないよ)」
「(約束よ?)」
「(うん、約束する)」
「(ありがと)」
手の隙間から、一瞬見えた蘆屋さんの表情が、ニヤリと笑っていたように思えた。
俺と蘆屋さんが冴島さん達のところに戻った時には、二人はそれぞれ別のパソコンを操作していた。
蘆屋さんは師匠である橋口さんの後ろ、俺も師匠の冴島さんの後ろから、何をやっているのか覗き見た。
「連中から良い噂はないわね」
「じゃあ、警察の…… だれでしたっけ、火狼をやっつけてくれた」
「ああ、日向のこと? それなら、さっき相談したわ」
「え、そうなんですか、それなら話は早いんじゃ?」
「やっぱり噂でしかないの。犯罪行為した事実を突き止めてはないわ。だから、逮捕もなにも出来ない」
「……」
さっきの龍の話をするべきだろうか、と俺は悩んだ。大学の広場が、砕かれた様子は殺人未遂の証拠にはならないだろうか。
俺はすこし離れた横にいる蘆屋さんの顔をちらっと見た。
「どうしたの? 蘆屋さんがどうかした」
「えっと、今日……」
あれ? なにかが俺の口を開かせないようにしている。
冴島さんは、パソコンに何かタイプを続けながら、
「今日?」
と言った。俺はのどを抑えたが、別におかしな感じはない。
「えっとですね。今日……」
あっ、分かった。さっき…… 俺は蘆屋さんの方を見た。蘆屋さんは目線だけこちらを見たが、橋口さんの方を向いたまま何か話し合っている。
やられた。蘆屋さんの陰陽の術で、口止めをされたのだ。
「なんなの? 言えないなら、黙ってて」
「あっ、はい。すみません」
「西欧で、降霊や精霊、民間伝承とか、オカルトの研究をしている人がいるから、問い合わせするのよ」
「その人は除霊士ではないんですか?」
「その人は、あくまで研究者ね。ただ強い霊力をもっているから、似たようなことはたまにしているらしいけど」
「へぇ」
冴島さんは、ノートPCの実行キーを『ターン』と音をさせながら叩いた。
「よし」
「すぐ返事がくるといいですね」
「そこはね…… 高齢だから、いつ、このメッセージをみるのかわからないわ」
「?」
「ほとんど一日、寝ていることもあるみたいだし」
「えっ、そういうのは寝たきり老人というのでは?」
「頭は確かだし、腕もたつのよ。ヨーロッパ研修の時に会ったんだから間違いないわ」
「……研修って、それ、何年前ですか?」
「だから、大丈夫だって」
冴島さんは怒った顔をして立ち上がった。
「かんな、そっちはどう」
「すぐは分からないけど、姿は見たってのが何人かいるから、連中が行動に出れば、すぐわかると思うケド」
「行動を起こしてからじゃ遅いかもしれないじゃない。早く分からないの?」
「連中の目的も分からないのに?」
「……そうだったわ。奴らはなにしに国内にはいったの」
目的が分からない敵の行動をさぐるのは難しい。
逆に目的が分かれば、何を、どういう順番で行うのか、およその想像がつくということか。
「さっき日向が言うには、団体はカリスマ的な魅力を持っていた大司教が死に、求心力を失っているそうよ。大司教の代わりになる人物を探している、という可能性はあるわね」
冴島さんの言っていることを考えたが、どうかんがえてもそういうことはありえなさそうだった。
「カリスマ性を持つ人物を探しに? わざわざ言葉の違うこの国に、ですか?」
冴島さんは口を尖らせたが、反論はしてこなかった。橋口さんが言う。
「カゲヤマの言う通りなんだケド。それに、そんな単純なものじゃないんじゃないかしら」
冴島さんは橋口さんに言い返した。
「じゃあ、かんなは単純じゃない理由を考え付くとでも?」
橋口さんが人差し指を立てて話始めた。
「例えば金ね。お金があれば求心力がなくても信者は増やせる。広告・教会の建て替えも出来る。金で間接的に信者を獲得することは出来る」
すぐに冴島さんが反論する。
「金? なんでこの国に金を探しにきてるのよ。経済大国だったころならともかく、今はただの東の外れの国」
「……」
人物や金を探しにくるのなら、何も連中のような半分人間、半分霊体のような連中じゃなくてもいい。連中をよこした、ということは、連中じゃないと感じ取れないとか、連中じゃなきゃ交渉出来ないということなんじゃないか?