(87)
「けど、立ってられないんじゃやられちゃう」
ふらっ、と蘆屋さんがひっくりかえりそうになる。おれは慌てて腕を引く。そして、一本背負いをするように蘆屋さんを背中にのせる。
「なっ……」
背中に蘆屋さんの体が密着する。
「俺は蘆屋さんの足の代わりになるんで、蘆屋さんは霊弾を撃ってください」
「わかった」
屋敷から出てくるところを狙えて、屋敷側からは死角になる位置を探す。開く扉の左側なら、扉の影に入る。俺は屋敷の右側へと動く。
「根本的なことを聞くけど」
「何ですか?」
「ドラキュラに『霊弾』って効果あるの?」
俺はすこし落ちてきた蘆屋さんの体をもとに戻すため、背負い直す。
「わか…… りません。霊力に働くんだから、効果無いわけないと思います」
「まったく! てきとうなんだから」
蘆屋さんが俺の頭を叩く。
「!」
「待って…… 来る!」
蘆屋さんが小さい声でそう言った。
屋敷の扉の奥から、微かに白い光がうごめいた。
何かがおかしい。
屋敷の中ではなく、周りから生き物の鳴き声と、羽音が聞こえてくる。
音がどんどん重なっていき、大きなうねりを作り出していた。
何か、空を飛ぶもの。尋常な数ではない。
蘆屋さんが言う。
「星が見えなくなった」
屋敷の扉の奥に見える微かな白い光が、ゆらり、と揺れながら戸口に近づいてくる。
「!」
扉から出てきたのは、裸の女性だった。
だから白かったのか。
それはあの女性警官上戸絢美で間違いなかった。
「あんたは見なくていいからね」
蘆屋さんが俺の顔に手を当てる。
「なっ!」
「いけぇ!」
目を抑えられて見えなかったが、蘆屋さんは霊弾を放った。
当たったか、と思うが、どうも様子がおかしい。
「どうなりました?」
「……まずい事になったわ」
目を覆っていた手が外された。
女性の裸があったはずのところには、何もなかった。何も無いわけではない。その女性の代わりに、黒くうごめく物体で埋め尽くされていたのだ。
「えっ?」
俺は蘆屋さんに耳を引っ張られた。
馬の手綱を引かれたように、俺はその方向を向いた。蘆屋さんが言う。
「屋敷から離れるように逃げるのよ」
「はい」
俺が返事をすると同時くらいに、蘆屋さんは踵を俺の腹に振り込んだ。
「痛いっ!」
「ごめん。乗馬のくせで」
「あんまりだよ……」
そう言いながらも、俺は必死に走っていた。蘆屋さんは後ろを振り返って、時折霊弾を撃っていた。
「何がおこったんです?」
「蝙蝠の群れが、絢美を包み込んだ」
「だ、だから真っ黒だったんですね」
「それだけじゃない」
俺は息が切れてきた。
蘆屋さんが続ける
「蝙蝠の群れが変化した」
「へんげって?」
蘆屋さんの答えはなかった。
前を見た瞬間、俺は目の前に飛び出してきたものに気付いた。
『まずい!』
俺の声と蘆屋さんの声が同時に響いた。
俺は立ち止まった。
蘆屋さんは振り落とされないように、俺の背中にしがみついた。
『何?』
俺は後ろを、蘆屋さんは前を向いた。
真っ黒で大きな犬がいた。大きさは犬というより、大型の虎やライオンといった感じだ。その大きな犬に、大胆に白い肌を露出した、真っ黒なレザーのボンデージ・ファッションに身を包んだ絢美が跨っていた。もう、さほど距離はない。
「いつの間に前に回り込まれたの?」
蘆屋さんの問いに俺は首を振った。蘆屋さんが見ている前方にも、同じ真っ黒な犬がいて、こちらに牙をむいていた。
蝙蝠の群れが変化したのは、この犬に違いなかった。
俺たちの進んできた道の前後を抑えられた。左右は林になっている。逃げるとすればそこしかない。が、そこに逃げ込んでも大して時間も稼げないし、こっちの動きづらさに比べて、四つ足の敵の動き辛さは小さいと思われた。
「……」
犬に跨っている絢美の様子がおかしかった。屋敷から出てきた時も、何かうつろな目つきだったが、それが今も変わっていない。
犬をけしかけるでもないし、何か脅しをかけてくるわけでもない。
犬に担がれている。そんな感じだった。
「どっちをやっつける?」
俺は、絢美が乗っている犬の方を見ながら言った。
「もしかして、こっちの方が分がいい、と思ってるの?」
蘆屋さんが親指で絢美の方を指す。
俺は小さくうなずき返す。
「立てる?」
「うん」
ちらちらと前方も警戒しながら、俺は蘆屋さんを背中から降ろす。
そして指で銃のような形を作って、前、後、と、犬を撃つように構えて警戒する。
蘆屋さんの指先にも霊光が集まってくる。
俺もいつでも撃てるように指先に神経を集中する。
「……」
蘆屋さんの瞳が、いまだ、と言った。
俺は絢美に狙いをつけて、霊弾を放った。
同時に蘆屋の指先からも、強力な霊光を放ちながら弾が発射された。
二つの光跡は、同時に一点を目指して進んでいく。
「やった!」
着弾して、輝く霊光。
その光で、辺りはなにも見えなくなった。
「……」
光が弱まると、まったく変わらぬ様子で絢美が犬に跨っていた。
「えっ、どうして? あれを食らって、なんともないの」
「あの化け犬が食ってしまったんだわ」
「うそ? 霊弾を?」
蘆屋さんは、前、後と警戒しながら、
「屋敷の前で霊弾が消えたのは、こういうことだったんだわ」
「屋敷の前では、こいつら小さい蝙蝠だったんじゃ」
「その通りよ」
「屋敷の前でも、霊弾を食ったの?」
「その時も、さっきみたいに光ってよく見えなかったのよ」
「今は見えたんだろ?」
「あんただって今見えなかったでしょ? 最初は見えないわよ」
そうやって意識してみていないと分からないようなことなのだ。
「霊弾は効かないって、考えた方がいいわね」
「けど、ほかにやりようが……」
「あたしはあるわよ。もう一度式神を放つから、時間をかせいで」
「わかった」
俺は指先を化け犬に向けて、これ以上近づかないように警戒した。
それでも前に出てこようとするときは、霊弾を撃った。霊弾が飛ぶと、犬は当たらないように飛び退いた。
「?」
食えるのなら、避けずに口を開ければ済みそうなんだが……
「カゲヤマ、こっち」
俺は振り向いて、犬の足元に向けて霊弾を放った。
犬は霊弾を食らう様子はなく、後ろにステップして避けてしまう。
蘆屋さんは人差し指と中指を伸ばしたまま口元に当て、何かぶつぶつと唱えた後、その指で紙に文字を描くように動かす。
「神鷹よ、あの犬を蹴散らせ!」
空中に吸い込まれるようにスルスルと紙が飛んでいくと、みるみる姿形、色を変えて、本物の鷹のように変わっていく。




