(85)
「さあ、『さやか』出てきなさい」
「……おにいちゃん?」
蘆屋さんは顔を上げると髪を後ろになでつけ、俺の方に向かってきた。
「鍵を開ければいいの、お兄ちゃん」
「!」
俺の肩に腕をのせ、ぶらさがるようにして体を寄せてくる。何か、違う。
「鍵を開けるから、今すぐ鍵を開けるから。ほら、お兄ちゃん」
どんどん『蘆屋』さんの顔が近づいてくる。そして、蘆屋さんは瞳を閉じ、唇を俺の唇に寄せてくる。
「(わたしにあわせて)」
唇と唇が触れる寸前ですれ違い、俺の耳元でそう言った。
「!」
蘆屋さんは正気をとりもどしていたのだ。
あるいは、最初から三島優子の催眠にかかったフリをしていただけなのかもしれない。
「おにちゃん、これじゃ鍵が開けられないわ。もっと私に愛情を示して」
「(ほら、あなたも言って)」
俺は橋口さんの体を乗っ取った女性警官の方を向いて、言った。
「屋敷の鍵をあけるには…… ちょっと体に触れなければいけないんだ。だからこのままではいつまでたっても鍵は開かない」
「……どういう意味」
橋口さんの表情は、俺の言動を怪しんでいるようだった。
「言った通りさ。愛を示すためには、俺のこの手で『さやか』に触れなければならない」
「本当かしら」
橋口さんが、三島優子に同意を求める。
三島優子は「わたし知らない」と言って首を横に振る。
橋口さんはあごに指を当てて何か考えているようだった。俺と、蘆屋さんを交互に見つめながら、言った。
「分かったわ。ただし、自由にするのは左手だけ。それで十分でしょう?」
「なっ……」
「おにいちゃん、それだけでもいいのよ」
いや、待って、左手だけでこの二人を相手できるのか。左手だけということは、右手と両足は縛られたままだぞ。
「よし」
橋口さんがやってきて、パッと手をかざすと、左腕の周辺だけ、ムチが緩む。抜くように左手を上げると、誰かが引っ張り上げたようにまたムチが締まる。
「!」
生き物のようにムチが、ギュウ、と搾り上げると左手が入っていたよりきつく体が拘束された。
「ほら、はやくしなさい」
「少し離れてくれないか。『さやか』が見られていると恥ずかしいって」
橋口さんはいきなり蘆屋さんの腕を引っ張って向き直らせたかと思うと、頬を叩いた。
蘆屋さんの首が吹っ飛ぶかと思うほど、激しく揺れる。
「!」
蘆屋さんと橋口さんが互いを睨んでいる。
「おかしいわね。屋敷の鍵を開けるには『さやか』である必要があるんでしょう?」
まずい。こいつには『さやか』ではなく蘆屋さんであることがバレてしまっている。
「十、数える間に屋敷の鍵を開けなさい。やらなければ、このムチを使って死んだ方がマシ、と思うほど痛めつけてやる」
「くっ」
「私も陰陽師の末裔で、除霊士見習いなのよ!」
蘆屋さんが指で銃の形を作って、霊弾を撃った。
橋口さんに当たる、と思った直前、三島優子が間に入って霊弾を手で弾いた。
「式神よ!」
蘆屋さんが懐から何か文字が書いてある紙を取り出すと、ただ指でなぞって何かを書いた。
書いた紙から宙を舞い、みるみる膨らんでいくと、大型の鳥の姿になった。
「神鷹、この場の敵を撃て!」
紙が変化したその鷹は、暗い空を舞い上がると、勢いよく橋口さんの体をめがけて降りていく。
操られている橋口さんは、手を振りながら避けるのが精いっぱいだった。
鷹は次々と間髪を入れずに攻撃していく。
三島優子も助太刀しようとするが、三羽のどれが降下してくるのかが予想できずに苦戦している。
蘆屋さんが、俺のムチにかかっている術を解こうと、何度も指で撫でつけるが、何かが違うらしくてムチが解けない。
神鷹の攻撃をかわしながら、橋口さんが言う。
「さっき言ったはずよ。屋敷の鍵を開けなさい!」
俺は自由になった左手でムチを解こうと引っ張る。しかし、ムチはきつくなっていくばかりで、ビクともしない。
「ほら! この鳥を引っ込めなさい。あなたにこのムチを解くことはできない」
「……」
俺の表情を見て、蘆屋さんは唇をかむ。そして、スッと手を挙げると、三羽の鷹が紙に戻る。
「ようやく事態を理解したようね。どうあがいても、あなた達の勝ちはない。じゃあ、さっさと屋敷の鍵を開けて」
「ぐっ……」
体がバラバラになりそうなくらい体が痛い。
橋口さんに突き飛ばされて、蘆屋さんが俺に寄りかかる。
「カゲヤマ、ごめん……」
蘆屋さんの瞳に涙が浮かぶ。俺は自由になる左手で抱きよせると、頭にやさしく触れる。
「蘆屋さんは何も悪くないです」
「そんな事言う余裕があんのかよ!」
橋口さんが、パッと俺に手を向ける。
急にムチの締まりがきつくなる。
胸・腹回りがガチガチで動かない。駄目だ…… これ以上締まったら、こ、呼吸が……
「おにいちゃん……」
それは『さやか』の声だった。
蘆屋さんが『さやか』に意識を乗っ取られたのだ。
「鍵を開けましょう」
さやかの手が、俺の手を誘導すると、間髪を入れず鍵を開ける行為が始まる。
薄れていく意識…… こんなことしている俺にはマリアの充電を下品と言える立場じゃないな……
絢美は、乗っ取った女性の体が興奮していると感じた。
鼓動が聞こえるようだったし、頬が熱く感じられたのだ。
意識を乗っ取った女性がそうなるのは、目の前にいる影山という男の手が、体を密着させている蘆屋という女をまさぐっている光景を見ているせいだ。
蘆屋は、気持ちよさそうに声を上げている。
しばらくそれを眺めていると、屋敷の方から三島優子が近づいてくる。
「絢美様、鍵があきました」
「そうか」
影山と蘆屋は、鍵があいたのに気づかないのか、止められないのか、ずっともぞもぞと動き続けている。
絢美はそれを無視して屋敷に入ることに決めた。
「優子、行くわよ」
橋口の姿をした絢美は、三島優子を連れて屋敷に入る。
屋敷の中は真っ暗だった。
しかし、ドラキュラ・ヴァンパイア病の二人には、それが暗いとは感じられなかった。
入った屋敷の正面には、二つに分かれた階段が一度踊り場でつながり、再び両側に分かれて上がっていた。
二つの階段の真ん中には、何かが飾られていたようだった。
「優子、あなたはこっちの奥を見てきて。私は二階にあがる」
指示すると同時に三島優子は奥の部屋へと消えていく。
絢美は、階段に近づくと、すぐに見えない壁にぶつかって倒れてしまった。
「なに?」




