(75)
ない…… イオン・ドラキュラの研究書に記載があったドラキュラ・ヴァンパイア病ならばあるはずの犬歯がない。
俺は立ち上がって、窓を開けた。
まだ陽の光はある。
「三島さん!」
俺は三島さんの脇から手を入れて持ち上げるように起こした。そして、窓から顔を出させる。
陽の光を浴びれば、石化して砂のように…… いや、発火したように溶けてただれて……
「どうしたの? まだ夕暮れまでは時間があるみたいだけど」
そんなに高い位置の陽の光ではないものの、ドラキュラ・ヴァンパイア病なら危険な陽の光のはずだった。
まったく問題ない…… はずがない……
「……」
三島優子は無言で俺の顔を見つめていた。俺はその視線を避けるしかできなかった。
俺はスマフォを取り出して、ピートの顔写真を探した。
その画面を三島優子に見せる。
「こいつ、知ってるだろう?」
「知らない」
俺は三島優子の肩をつかみ、揺さぶるようにして言う。
「嘘つけ。もうこいつに会ったらだめだ。ドラキュラ・ヴァンパイア病が慢性化したら、もう人間には……」
三島優子は平然とした表情で、俺のスマフォを指さす。
「……この人が、ドラキュラってこと?」
「こいつだろ? 君に恋人がビルから落ちる映像を見せたのは」
「だから、知らないって。私が彼がビルから飛び降りたのを知ったのは、警察…… 関係者よ。こんな男じゃない」
「警察関係者?」
「……」
言ってはいけないことを口にしたように、三島優子は急に黙ってうつむいた。
「けど、俺に銃を突き立てた時は、ピートやトーマスのいるところに俺を連れて行った。知らないはずはない」
「あの時、初めて彼らと会ったわ」
三島優子は顔を上げ、怒ったように言った。
「ほら、やっぱり知っているんじゃないか。なぜ知らないって」
「ちがう、本当に違うの。あの時、私はその警察関係者からの指示であなたを河原に誘導した」
警察関係者…… とすれば、あの時の女性警官? だが明らかに警官である人物を、ワザワザ『警察関係者』という言い方をするだろうか。
「四角くて硬いものを押し当てて、銃のように思わせるところも、今回の強姦で訴えるのも、全部その警察関係者の考えよ」
「それは、あの警察署にいた、女性警官か?」
あの女性警官は…… そうかあの女性警官がドラキュラ・ヴァンパイア病で、ピートの眷属であれば、留置場から姿を消すこともできる。
女性警官がピートとつながっているなら、ピートのいる場所に誘導するように指示したり、無実の罪を作り上げることもたやすいだろう。
「ね、だから私の条件を聞いて」
「条件?」
「ここにくる時にメッセージを入れたでしょう?」
三島優子は俺の体を登ってくるかのように顔を近づけてきた。
「ああ、訴えを取り下げる条件のこと?」
「私は、その警察関係者に脅されている。あなたを社会的に抹殺するようにしなければ、殺す、って。けど、あなたを社会的に抹殺しても私は殺されるに違いない。いろいろ知りすぎた」
「条件てのは、その警察関係者から守れ、ということか?」
三島優子はうなずいた。
俺には、目の前の女性が嘘をついているようには思えなかった。
「お願い……」
「俺が守れ……」
三島優子は窓を閉め、カーテンを引いた。
そして俺に飛び込むように抱き着いてきた。
俺は勢いに負けて、床に倒れた。
「守って…… お願い……」
再び、桃のような、甘い果実の香りがあたりを包んだ。
顔を近づけてくる妙齢の女性に、俺は状況も忘れて夢中になっていた。
「ねっ…… いいでしょ」
互いの体に触れて、気持ちが高ぶってくる。
「……いいって、どういう……」
やわらかい感触といい匂い、耳をそっと刺激してくるような声、吐息。
俺は床にべったりと寝転んでしまった。
三島優子が、俺の服を脱がし始めると同時に、自ら服を脱いでいく。
「!」
彼女が下着だけになった瞬間、俺の手の先に球状の霊光が輝き始めた。
「……ちょっと、これ…… なに?」
俺の意思とは無関係に、霊光は勝手に大きくなっていく。俺の体の上で大きくなった霊光は、三島優子の体を弾くように震えた。
「えっ?」
霊光の圧力を受け、三島優子は驚いたように飛び退いた。霊光はもはや床から腰上までになるほどの大きな球になっている。
俺もさすがに重く感じ始めて、体から霊光を下して立ち上がった。
俺の手とは関係なしに、まだまだ大きくなっている。
「なんだ、これ」
霊光の中に、何か映像が映った。
大学のキャンパス。女性の警官がメモをもって学生に話を聞いている。
「あれ、この女性警官」
見たことがあるというより、俺の留置場に来て、消えた、あの女性警官だった。
じっと見ていると、警官は別の学生にも声をかけている。
何人かに話を聞いた後、女性警官に近づいてきた人物がいた。
「これ君だよね」
「……」
三島優子は黙っていた。
霊光の中の映像で女性警官が何か話すと、三島優子は突然顔を覆って泣き始めた。
そうか、三島優子がマリアの撮影した映像を見ることができた理由だ。俺はようやくそのことに気付いた。ピートが直接マリアの映像を入手していなくても、警察関係者を使えば見せることはできる。
まてまて…… とすると、女性警官がピートの眷属、つまりドラキュラ……
映像は、突然、ベッドに寝転ぶ女性二人の映像になる。
裸の二人は、楽し気に話しながらお互い体に触れている。そしてそのうち、お互いの唇が引き寄せられていく……
「やめて! もうやめて!」
この霊光を誰が作って、何のためにこんな映像を流したのか。
女性警官がピートの眷属だとすれば、三島優子はこの女性警官の眷属なのだ。直接ピートは知らなくても、結果としてピートに協力できるのだ。
「じゃあ、今近づいてきたのも……」
霊光は急速に小さくなって、消えてしまった。
「そうよ。あなたをドラキュラ・ヴァンパイアにして操るため」
三島優子は内ももを床につけるように足を開いて座り、顔を両手で覆った。
「けど、そうしないと私が殺されるのよ」
「もうあの警官に会っちゃだめだ」
俺はそう言って三島優子の肩に手を置いた。
覆っていた手をどけて、俺を睨んだ。
「イヤよ」
開いた口の両端にはドラキュラ・ヴァンパイア病特有の犬歯が伸びていた。
「うわっ!」
三島優子の肩を後ろに突き飛ばし、俺は立ち上がって後ずさりした。
三島優子はまるで頭を紐で吊られているかのように、勢いよく立ち上がる。




