(70)
『わかったわ』
俺はゆっくりと塀から顔を出してあたりを確認する。
車が途切れたところで、道を渡る。
もし走って移動したとしても、この一瞬では見えなくなるほど遠くには行けない。となると、姿が見えなくなったのは、家の方向に曲がったのだ。
「……」
まずはアパートの一階をぐるっと回る。
時々、上の通路に誰かいないか確認する。
郵便受けで部屋の番号を確認して、数字がニから始まれば二階に、一なら一階を確認するだろう。だとすれば、三島優子も同じことをするだろう。もしこの建物に入ろうとしたのなら、最初から二階にあがったに違いない。
俺は音を立てないように手すりに捕まる手に体重をかけるようにして、極力足音を消して上がる。上がり切ったら態勢を低く構えて、見つからないように確認する。
「……」
通路には誰もない。
小さなアパートだ。もうこれ以上隠れるところはない。もしあるとすれば、部屋の鍵が開いていて入ってしまった、ぐらいだろうか。
俺は足音をたてないようにゆっくり廊下を進む。
部屋の前につくと、扉のノブを回す。音をたてないように、ゆっくりと。
……回った。蘆屋さんが鍵を閉め忘れた? 俺は三島優子が中に入った、と仮定して調べることにした。
体を低く沈めて、扉を引いて中の様子をうかがう。
靴もなければ、土足で上がったような足跡もない。
奥には充電器が接続されているマリアが目を閉じて立っている。
もし、誰かが侵入したとして、あのマリアの姿を見れば…… 逃げ出すか、倒そうとするのではないか。俺はさらに考える。マリアが何事もなくそこに立ったまま充電しているのならば、誰も入っていない…… はずだ。俺は安心した。
扉を開いて、中に入りマリアに
「ただいま」
とい小さい声で告げた。マリアは目を開ける。
「カゲヤマ…… ウシロノヒトハダレデスカ?」
「!」
後ろを振り返る途中で、俺は強く突き飛ばされた。
仰向けに部屋の中へ倒れ込む。
突き飛ばした何者かが、素早く俺を抑え込む。
「マリア、助けてくれ!」
「デキマセン、ウゴケマセン」
「どうしてだ?」
マリアの反応がない。状況がようやくわかってきた。俺の上に圧し掛かっているのは、女だった。
茶髪の、ショートカット…… つまり、三島優子だ。
「マリアは助けてくれないわ」
三島優子は、首を絞めるわけでもなく、真白い紐で足を縛って動けなくしてきた。次に同じ別の紐で、俺の両腕を頭の上で縛り上げた。腕が耳を塞いでしまい、よく聞こえない。
「どういうことだ?」
「ふふ、それはあらかじめ細工をしたからよ。それ以上は秘密」
俺は三島優子をどかそうと体をよじるが、手足が動かない為か、簡単に押さえつけられてしまう。
「なんでこんなことするんだ?」
「復讐よ」
「やめろ!」
「これでも、あなたはやめろ、というかしら?」
「?」
動けない俺の腹の上に跨って、三島優子はいきなり上着を脱ぎ始めた。
いや、脱ぐというより、破り捨てた。
「あばれなくていいのよ。こっちが動いてあげるから」
大胆に破けた服を捨てると、三島優子は下着姿になった。
すると今度は俺の服を脱がせ始めた。
腕が縛られて上がっているせいで、上半身は胸をはだけたところで終わった。そしてベルトを外して、パンツを膝まで下げてしまう。下半身は下着だけだ。
「何がしたいんだ? 復讐じゃないのか?」
「期待しているのかしら? 大丈夫。確実に復讐をするわ」
お互いの下着同士が擦れ合う。すこしだけむき出しになっている肌が重なる。
殺されるかどうかという状況において、同時に俺は別の興奮を感じていた。
「あん……」
三島優子のその声に、俺の体が反応してしまう。
と、部屋の扉が開く。
「!」
三島優子は急に俺の体に覆いかぶさる。
俺は慌てて両手で三島をはねのける。
「えっ?」
俺は両手で三島をはねのけることができた。
おかしい、ついさっきまで縛られていたはずだ。足も自由に動く。
三島優子は扉の方へ駆け寄る。
「おまわりさん、この男に強姦されそうになりました」
なんだって? 警察官がなぜここにきている?
「えっ? どういうことですか?」
制服の警察官が三島優子に質問を返す。
「玄関口に立っていた私を見るなり扉を開けて、ひっぱり込んだんです。それで、ほら、こんな風に服を破って……」
服は破られているし、俺はパンツを下ろしている。状況的に、どう見ても分が悪い。
「上戸さん、ちょっと代わって」
制服の警官が出ていくと、代わりに同じく制服の女性警官が入ってきた。
女性警官は、髪を肩まで伸ばしていてかわいらしい顔をしていた。その割に、制服の胸や腰回りはきつそうだった。太っているのではなく、標準体型より出るところが出ているのだろう。
女性警官は、三島優子の姿をじっと見て『大丈夫ですか』と言って近づき、小さい声で何か話していた。
それから、うなずくと、俺の方を振り返る。
「まちがいない強姦未遂事件ですね」
駄目だ…… もう、おしまいだ。俺はそう思った。
俺と三島優子はパトカーで警察署に移送され、事情を聞かれることになった。
自分が見たままを懸命に説明し終えたころ、取り調べ室に橋口さんが入ってきた。
「カゲヤマ、状況が理解できないんだケド」
俺はうつむいて机を見つめた。
「俺も分からないです」
「橋口さん、ちょっと」
取調室の扉を開けて、橋口さんは行ってしまった。
「とりあえず、しばらく留置場で過ごしてもらうから」
「俺は何もしていません」
「状況から、はいそうですか、とはいかないのは分かるな?」
私服の警察官は、そういうと俺を留置場まで引っ張っていった。
留置場に入ると、鍵を閉めた。
「さっき言ってた君のバイト先の除霊士が来るまで、そこで待っててくれ」
「……」
バイト先の除霊士、つまり冴島さんが引受人となってくれるのだ。
私服の警察官がいなくなると、部屋は急に静かになった。
これがあいつの言う『復讐』なのだろうか。
確かに、有罪になれば除霊士の試験を受けることもできないだろう。出来たとして、この事実がある限り、受かることもないだろう。犯罪者が公的に霊力を使う『除霊士』になんてなるわけがない。
仰向けに寝転がって、天井を見ていると、扉が開いている間鳴り続ける警報音がなった。誰かがやってきたのだ。
足を振りその反動を使って立ち上がった。
「……冴島さん?」
自分で言っておきながら、違う、と判断した。今の様子から、一人しか入って来ていない。一人でここに入ってくるということは、部外者はいないのだ。




