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部屋の左隅から光が差したかと思うと、人の影が見えた。
「こちらです」
警備員が言うと、その人影は頭を下げた。
「担当医の横山です。よろしくお願します」
そう言うと、扉が閉まった。
再び薄暗い部屋に戻った。警備員は医師とは反対側に進み、小さい扉を開いた。
同じように明かりが漏れ出てくる。
「面会時間が終わったら、また地上までお連れしますので」
そう言って警備員は扉を閉めた。
暗い部屋に目が慣れてくると、横山医師の姿が見えてきた。
白衣に大きな黒縁で四角い眼鏡をしている。
髪はたっぷりの整髪剤で無造作に後ろに撫でつけられおり、医者として見ると不潔に思えた。
「記世恵 に用って、あんた達、霊能者?」
「面会の申請のときに伝えているはずですが」
「ああ、ごめん。俺ニ週間ほど連続勤務しているから、ニ週間以内の入館申請だったら、みれてないんだ」
橋口はニ週間と聞いて、漂うにおいがこの男のせいだと思った。
「二人とも除霊士なんです」
「へぇ。霊力はあるの? あるんだろうな、こいつに会いに来るほどなんだから」
横山医師は、暗い部屋の正面にある、大きな扉の閂をずらしている。
「かんぬき? ここまでは電子ロックなのに?」
橋口の言葉に横山は反応した。
「何言ってるの。あんた達ならわかるだろう?」
「!」
橋口が飛び退くように後ろに下がり、冴島の影から扉の様子を除く。
「誰がこんな強い封印を」
「まあ、それだけ強い霊を持った奴がなかにいるってことだ。俺は信じてないから、これだけ封印されていても、簡単に開けれるんだけどな」
横山医師が閂をずらし終わると、扉を押した。
「ちょっと手伝って…… って、そうだよな。霊力のある人には無理だよな」
横山医師が、息をきらせながら押し開ける。
暗い部屋の先に、さらに暗い闇があった。
「このくらい開けば通れるだろう? ほら、入って」
橋口は棒立ちになっている冴島に言う。
「ほら、麗子行きなさいよ」
「……」
橋口は一向に動く様子のない冴島の足が、小刻みに震えているのに気づく。
「麗子……」
「大丈夫。大丈夫だから……」
冴島が自身に暗示をかけている。
「ねぇ、一度来たことがあるって言ってたじゃない」
「あの時は…… 彼が一緒だったから」
「彼って…… あの弟子のこと?」
橋口は自分のあごに手を当てて、何か考え、答えを出した。
「そうか。だからあたしが一緒なんだ」
「……」
冴島は無言でうなずく。
「面会時間がなくなるぜ」
冴島と橋口は横に並んで手をつなぐ。二人で扉の方へ進み、扉の隙間を通るときは、冴島が先に通る。
「うっ」
天井から小さな電球がつるされている。床はうっすらとしか見えない。
橋口はつないでいない方の手で鼻をつまむ。
横山医師は、すぐそのことに気が付いて、言う。
「ああ、ここはトイレとかないから、奴の排泄物は、ここに垂れ流しだ。たまに清掃するが、においは消えない」
しばらくあるくと、すり鉢状に床が傾いていた。
そのすり鉢の中心に、ぼんやりと人影が見える。
「人権無視、とか言わないでね。多分、ここに入るときに何度も書類にサインしていると思うけど」
「……」
床が低くなっているために、高い位置から鎖が垂れ下がり、そこに腕がつながっている。鎖は腕からさらに床まで伸びて、すり鉢の中心部に吸い込まれている。
腕から体は、力なく釣り下がっている。足は膝が床につくかつかないかという状態で、髪は伸び放題で顔は見えない。顔を上げているのか、うつむいているのかもわからない。
「記世恵」
横山医師が呼びかける。
片足ずつ、床につき、ゆっくりと立ち上がる。
「……」
「面会だ」
言い終えると、横山医師がパッと手を横に突き出す。
冴島と橋口は、ハッとして後ろに退く。
ガシャン、と鎖が突っ張る音がする。
目が慣れてきた橋口は、何が起こったかに気付く。
「あっ……」
足でけりだしたわけでもない人の体が、冴島たちの方へ飛び込んできたのだ。
手をつなぎとめている鎖は、ピンと張った状態になっている。
橋口は、そのxxxの姿を見た。
こけた頬、こぼれ落ちてしまうのではないかと思うほど飛び出した目。骨の形がわかるような四肢。妙に膨らんだ腹。老婆のそれのように皮だけの胸。
目をそむけたくなるほど顕著な、栄養失調の状態だ。
しかしこの体が、鎖を引っ張るほど前へ進む力を出している。尋常ではない霊力を感じる。
「記世恵」
「……」
冴島が名前を呼ぶと、記世恵は力なくすり鉢状の中心に戻っていった。
鎖で吊り下げられるままに、ゆらゆら揺れている。
「記世恵、大災害のことを教えてくれ」
「……」
橋口には記世恵の目が、光ったように思えた。
「大災害……」
橋口は声がどこから聞こえてきたのか、声の出所を探した。
「あれほど言ったのに、誰も私の言うことを信じなかった。精神病と決めつけ、こんなところに閉じ込めるから、霊力のバランスが崩れた」
「精神病なのは間違いないさ」
と横山医師が口を挟む。
「何度も予言したはずだ」
「そんなもの、狂言と区別が……」
「シッ」
冴島が口の前に指を立て、横山医師にしゃべるな、と合図する。
「記世恵、大災害のとき、影山醍醐という名の男は……」
「いない」
橋口は眉間にしわを寄せた。いない…… って、なぜ即答するの? 問いを予想していた?
「……いや。影山醍醐は、死んだ」
「大災害で? 大災害で死んだのか? そうなんだな」
冴島が問うと、記世恵は手で髪を後ろに払った。
髪で隠れていた顔が見える。その目で見られると、凍り付いてしまうのではないかと二人は思った。
橋口と冴島は必死に互いの手を握っていた。
「死んだのは、お前たちの言う、影山醍醐ではない」
「何? どういうこと?」
それまで喋れなかった橋口が、力を振り絞って言った。
「死んだのだとしたら、あたし達の近くにいる影山醍醐は、反魂の術を使った結果、死人がよみがえったものなの?」
「ちがう」
カシャン、と震えるように鎖が鳴る。
「それは……」
風もないのに髪が舞い上がり、記世恵の顔を覆った。
「お前たち、すぐさまここを立ち去れ」
「記世恵、いいから教えろ」
冴島はそう言いながら、口元につけていた人差し指と中指を記世恵へ伸ばす。




