(63)
待っていたちんちくりんな女性、つまり橋口は、ため息交じりに言った。
「麗子、お待たせって、待たせかた酷いんだケド」
冴島は両手を合わせて、頭を下げる。
「ごめん。確かにここ、暇をつぶす場所が全くないわよね。どうしても外せないクライアントからの依頼があって」
「こっちも暇でしょうがない、ってわけじゃないんだケド」
「ごめんなさい。今日はどうしても、かんなが必要なの」
冴島は橋口の手を取ってから、抱きついた。
「な、なに、急に」
「怖いの……」
「……」
橋口は冴島の震えを感じて、自らの背筋に寒いものを感じた。
橋口は、振り返って、門の脇に書かれた『国立高等精神病院実験棟』という札を指さした。
「ここに入るのね?」
冴島は無言でうなずいた。
冴島は門に近づくとバッグから小さなカードを取り出した。
そして門についているインターフォンを押す。
「申請していた冴島麗子と橋口かんなです」
『映像を確認します…… あれ、橋口さんという方は?』
冴島が橋口の脇に手を入れて持ち上げる。
『ああ…… そういうことでしたか。映像を確認しました』
「……屈辱的なんだケド」
『事前にお渡ししたカードをかざしてください』
冴島は門についている小さな白いボックスにカードを当てる。
カチャン、と音がして小さな格子状の門が開いた。
冴島が入ると強い力で門が閉まってしまった。
「えっ、私入ってないんだケド」
「カードを持っているでしょ? 私と同じようにして」
橋口も同じようにカードを白いボックスに当てると、カチャリと音がして鍵が開いた。
二人とも門の中に入った。門の中は、何もない芝生の広場だった。
背後に広がる壁と、病棟と思われる建物までは、ニ、三百メートルは離れている。
塀はどこを見ても三、四メートルはあり、さらに塀の上にはバラ線(有刺鉄線)がいくつも並行して伸びていた。
「麗子、ここ、本当に都心なの?」
「……」
冴島は奥に見える建物の方へ必死に歩いていた。
橋口は立ち止まって、広がる塀を見ていた。
「ねぇ、麗子。どうしたの?」
冴島はその間も歩き続ける。
「ゆっくり歩いている時間はないわ。さっきのカード操作から規定時間内に建物につかないと、排除されるのよ」
「えっ? なに? 排除って、わけわからないんだケド」
橋口は立ち止まったまま叫ぶ。
冴島は歩きながら吐き捨てるように言う。
「急げってこと」
施設の警備員の後をついて、冴島、橋口の順で長い廊下を歩いていた。
通路の端にある扉につくと、白いボックスがあり、そこで警備員がカードを操作する。白いボックスから『ピピ』と音がした。
「どうぞ、順番にカードを操作してください」
警備員が白いボックスの前を空けると、冴島が前に出てカードを操作する。『ピピ』と認証音がする。
冴島が下がると、橋口がカードを操作する。『ピピ』と音がしてから、カチャリ、と錠が解ける。
「……ここなの?」
橋口は冴島に問うが、冴島は聞こえていなかった。
警備員が扉を開けると、『ビービービー』と廊下にブザーが鳴動する。
「えっ、なにかなにか間違えましたか?」
警備員が言う。
「扉を開いた、という警報音です。あまり長く開けていると別の警報が発動するので、早くこちらに入ってください」
冴島と橋口は促されるまま、通路の奥に入る。
通路は、少し先が下がっていて、途中で右へ曲がっている。
警備員が扉を閉めると、『ビービー』となっていた音が止んだ。
「少し暗いですので、気を付けて」
警備員は腰から下げていたランタンのスイッチを入れた。
進んでいき、右のカーブが終わると、今度は延々左にカーブしている。
それに先に行けば行くほど下がっている。
冴島がたずねる。
「警備員さん、ここって……」
「ええ、あの塔の地下です」
冴島は納得したような表情を浮かべる。
橋口は言う。
「門から見えていたあの高い塔のこと?」
「そうよ」
冴島は言ったきり、警備員の後を進んでいく。
橋口は考える。
塔の地下をこれだけ掘り下げるなら、高い塔の部分は何があるのだろう。
監視塔? 地下に入れている人間をそんな高いところから監視する意味があるだろうか。
ぐるぐると回って降りていく通路を、何周回っただろうか、警備員が壁に書いてある数値と時計を気にし始めた。
「……」
橋口は、この施設に入った時の仕組みを思い出していた。
「まさか、ここも時間制限があるんじゃ?」
警備員が言う。
「ちょっとペースが遅いです。走れますか? 走れない場合は、スタートのところのカード操作からやり直しです」
警備員は言いながらすでに腕を曲げて走り始めている。
「また戻って、また下るの?」
「走れるなら、走ってください」
橋口は、最後尾をドタドタと走りながら言う。
「何か乗り物を置いとけばいいのに」
「それを利用されたら、抜け出されてしまいます」
走り始めて、五分ほど経ったあたりで先に扉が見えた。
白いボックスにが付いている。
「ぎりぎりなんで、私が先にカード操作します。カード操作とカード操作の時間も規定があるので、とにかく急いでください」
どうやら先頭の人がカード操作すれば少し時間の猶予ができるようだ。
警備員が時計を見ながら、カード操作を待って、ぎりぎりのタイミングでカード操作する。『ピピ』と音がする。
冴島が息を切らせながら、ボックスに到着する。『ピピ』と認証音。
ゼイゼイと肩で息をしながら、ドタドタ走ってくる橋口は間に合わないとみると、カードを冴島に投げた。
「麗子っ!」
冴島がひらひらと舞うカードを叩くように受け取ると、素早く白いボックスにあてた。
『ピピ』と音がして、何か電気モーターが回る音がする。
上、下、横。その音は三か所から聞こえてくる。
音が鳴りやむと、警備員が扉を体を使って押し開ける。
開けた途端、『ビービービー』と連続する警報音が鳴り響く。
扉の先には、螺旋に下ってきた通路よりさらに薄暗い部屋が見える。
「さ、入ってください。扉の解放時間いっぱいまで開けますから、急いで!」
冴島が入ると、最後の橋口がくるのを待った。
もう、ほとんど走れていない。
警備員が時計を見ながらカウントダウンする。
「七、六、五、四……」
「麗子っ……」
扉を通過した瞬間、足がもつれたように倒れ込む。
冴島が橋口を抱きとめる。
「閉めます」
警備員がゆっくりと扉を閉める。
ようやく警報音が鳴りやむ。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
冴島と橋口は抱き合いながら、警備員を見つめる。
「ここから先は、担当の医師が立ち会いますので」
「えっ?」
橋口はこの真っ暗な小部屋に担当医がいると聞いて驚いた。




