(62)
「カゲヤマ、ナニカアリマシタカ?」
「……」
俺を恨んでいる人間がいる。そういえばいいだけの話だが、言ってはいけない気がしていた。
俺を守ろうとするだろう。俺を庇おうとするかもしれない。
そんなことをしてもらうような人間なのか。
とにかく迷惑をかけちゃいけない。
「何でもない。マリア、加藤さんと一緒にバイト先に行っててもらえないかな」
「ん? じゃあ、どこかいくの?」
蘆屋さんが言う。
「ちょっと寄るところがあって」
「あやしいわね」
「いいだろう? バイトが終われば、部屋に戻るから」
蘆屋さんがなぜか俺の手を取る。
「約束よ」
「どうしたの?」
俺は手をみて聞き返す。
「わからないけど……」
「約束する」
加藤さんとマリアは居酒屋のバイトに行き、蘆屋さんは部屋に帰っていった。
大学の構内を歩き回ったが、さっきの女性は見つからなかった。
茶髪、ショートは何人か見つけたが、回り込んでみると、別人だった。
俺は学食外の自動販売機でコーヒーを買って、近くのベンチで座って飲んでいた。
「あの動画……」
さっきの女性が俺に向けて見せていた画像を思い出していた。
俺の背後から撮っている映像だった。
だとすると、マリアが記録した映像だ。
マリアの映像はおそらく警察しかコピーしていないだろう。
その映像を見せられた時、自身のスマフォで撮ったのだとすれば…… 橋口さんに話して、事情を聴いた人間か、映像を見せた人間で調べれば……
いつのまにか日が落ちたらしく、校内の外灯が付いた。
校舎は研究室などが集まった棟を除いて、真っ暗で不気味に見える。
「!」
後頭部に何か当てられた。
「動かないで」
正面にもベンチがあって、そっちは外灯が当たっていたが、こっち側は葉の影ができていて暗かった。
俺は座るベンチを間違えた、と後悔した。
「さっきの女性ですよね?」
「振り向いたら撃ち抜くわよ」
後頭部にあたる、ひんやりした感覚とともに、体も気持ちもゾッと震えた。
「騒いだり、電話をかけるそぶりがあればその瞬間に引き金を引くわ。ほら、立ち上がって。河原の方に行きましょう」
「わかった」
俺は振り返れないまま、河原に向かった。
土手の手前は車が通行する道路になっているため、若干の明かりがあるが、土手を超えてしまうと、対岸の建物の明かりぐらいで、河原は暗かった。
「誰もいないぞ。まだ進むのか」
「……」
女性は俺の背中をつつき続ける。
どこからか、二人とは違う足音が聞こえてくる。
「!」
「止まりなさい」
しばらくすると、それが誰か…… というか、どういう人物かが分かった。
個人が特定出来たわけではなく、強い霊圧を感じたのだ。
そして明確に足跡が聞こえる状況になると、GLPが腕を刺激した。
「俺たちがわかるか?」
その女性がそう言った。
同時に、外国語の音声も耳に入ってきた。
「えっ、何いまの」
女性は自分の意志に反してしゃべったことに驚いているようだった。
俺は、思いつく人物の名前を言った。
「エリーの仲間、トーマス、エリック、ピートだろう?」
「見えてもいないのに、よくわかったな」
女性は俺の背中を突いていた手を下げてしまった。
「振り返ってもいいのかな?」
「ああ、もちろんだ」
俺は振り返った。
女性はどこか遠くを見るような目で、川の対岸の方を見ているようだった。
女性の背後から、その両肩をつかんでいる金髪の男がいる。
二人の右横には、頭三つ分は高い、例の大男がいた。
「自己紹介しよう」
女性は表情を変えずに、淡々と口を動かす。
「大男はトーマス、こっちがピートだ」
「その女性は関係ないだろう。もう離せ」
「残念だが、この女性は君に復讐する、という大事な用事がある。まだ返すわけにはいかないんだ」
と話す女性は、もう自らの力では立っていないようだった。背後にいるピートという金髪の男が支えているのだ。
「その女性に何をした?」
「殺された彼の復讐の手伝いを申し出ただけだ」
「エリーが殺したじゃないか。恨むなら、お前らを恨むのが筋だ」
「今、そんなことを言っても聞こえていないさ」
「この女性は彼の復讐。俺たちはエリーの復讐だ」
トーマスという大男が片手を地面について、前傾姿勢をとった。アメフトか、ラグビーか何か、全力で飛び出す前のような姿勢だ。
「行くぞ!」
女性の声とともに、トーマスが走り始める。
俺はどっちに避けていいか悩んでいる間に、トーマスの肩を腹に食らう。
砂利道に頭を強打し、車に当てられたように滑って止まった。
土手の明かりを背にして、トーマスの黒く大きい影が近づいてくる。
手をついて立ち上がろうとするとき、俺は腹から上がってきた体液を吐いた。
「今のはまだ序の口だ」
目の前の大男のセリフを、背後にいる女性が言う。
「お前はまだ、エリーと同じ絶望を味わってない」
逆光ではっきりとはわからなかったが、トーマスがにやりと笑った。
トーマスが指を組んで、俺の背中に叩きつけた。
砂利道に顔を強打して、目の前が暗くなる。
都心に近い私鉄の駅だった。
住所としては都心ではあるが、その駅の周辺には、通常ならあるべきものが何もなかった。
本屋、喫茶店、パン屋、ラーメン屋、パチンコ店…… およそ人が集まる『駅』という機能をはたしていないように思える。
店がないとしても駐輪場やタクシー乗り場、バスのロータリーなどがあれば、まだ人の気配もありそうだが、それすらない。
正確には、それは駅の南側に限られていた。
北側には、少ないながら飲食店が存在するからだ。
その何もない駅の南側出口に、トレンチコートを着た巨乳だがちんちくりんの女性が立っていた。
「おそいんだケド」
南側出口には、高い塀が広がっていて、奥には白い建物が見えた。さらに奥に給水塔か、エレベータの試験塔なのか、同じような白くて極端に細長い形の塔が立っていた。
広がる高い塀の一か所にだけ、小さな格子状の門があり、女性はその前で待つように言われていた。
門の脇には、『国立高等精神病院実験棟』と書かれていた。
女性は何度かその文字を読み、スマフォで検索しては首をかしげていた。
検索結果が少なすぎたのだ。公式ページ以外、噂話の掲示板や、wikiのようなものも見つからない。明らかに人為的に隠ぺいされているようだった。
待ちくたびれたころ、南側出口に降りる階段から人の足音がした。
女性は小一時間ここで待っていたが、階段を下りてくる人は初めてだった。
下りてきた人物は、手を上げて言った。
「かんな、お待たせ」




