(55)
まずい、急所を蹴られる。
俺は顔と股間に意識を集中する。
蹴り込まれるに違いない、そう思って体を縮めて準備した。
しかし、一向に蹴りが来ない。
『ほら、待っててやるから立てよ?』
何故床に倒れている敵にとどめを刺してこないのか、分からないまま俺は立ち上がる。
気持ちを集中させ、霊を、気配を読んだ。
うっすら浮かび上がる敵の姿に向かって、左を打ち込む。
スッと、見えていたと思った姿が消えてしまう。
周りを見回しても、どこにいるか分からない。
「えっ?」
俺は真後ろに殺気を感じて振り返る。
一瞬、さっき見た敵の姿のようなものが視界に入って、消えた。
もしかして、見える?
俺は正面だけでなく、細かく後ろと左右に目を配りながら、霊の姿を追いかけた。
「う、う…… ん」
また、加藤さんの声だ。
俺は無意識の中で何かを期待しながら、加藤さんの方を向いてしまった。
「うっ……」
俺の体に、体重の乗った、強烈なボディが入った。
ボディを撃ってこれる場所に対して、俺もジャブを返す。
手応えがない。
反対側か……
ガタッと机の音がして、俺はまたしても戦闘中にもかかわらず、加藤さんの方を向いてしまった。何か素敵なものが見えると思ってしまった。
ドン、と音がしたかのような、強烈がボディが叩き込まれる。
俺はさっきと逆の方へ打ち返す。
やはりそれは空を切る。
再びボディ。もう一度同じ方向に手を出す。それも当たらない。
またボディ。反射的にフックを放つが、何者にも引っ掛からない。
「ちくしょう……」
体がくの字に折れ曲がったまま、霊の繰り出す左右のフックを頬に食らう。
一発一発に体重が乗っていて、首が吹き飛びそうだ。
なんとか腕を上げて、顔面をブロックすると、再びボディ。
「あぁ……」
反射的に手を伸ばすが、やはり当たらない。
「(ダメだ…… 勝てない……)」
俺は膝をついて崩れるように倒れた。
今度こそとどめをうってくる。俺は顔面と下腹部に意識を集中した。
『ほら、立てよ』
俺は『無理だよ』と言葉が浮かぶが口が動かない。
このまま殴り殺される。
頭の中に死がちらついた。
「!」
その時、突然部屋の灯りが消えた。
霊が蹴り込むことを意識していた両手の先に、ほのかに灯りが点っていることに気付く。
霊弾を撃つ前に手が光る、霊光というやつだった。
すると、その霊光に映る影が見えた。
「影山くん。見えた?」
俺は答えようとしたが声が出なかった。
口の中に溜まった体液を吐いた。
「さ、冴島さん……」
「霊光に映る敵を撃ちなさい」
霊光に光る?
『お前から殺してやる!』
俺は必死に冴島さんの声がした方を見つめた。
霊光を反射する、ぼんやりと見える動くものが見える。
「いた!」
俺は迷わずもう一方の手から霊弾を撃った。
闇を貫く、青白いレーザーのように霊弾が伸びていく。
そして霊弾はぼんやり動く影を貫く。
「?」
まさか、冴島さんを……
「冴島さんっ!」
灯りが付いた。
灯りのスイッチを押している冴島さんの姿が見えた。
体を曲げて「つ」の字を作っているように見える。
「どうしたんですか?」
「何言ってんの? 影山くんの霊弾に貫かれそうだったから、必死に避けているのよ」
俺は素早く駆け寄る。
「ご、ごめんなさい」
「残念ながら倒せたわけではないようね。どこに隙間があるのかわからないけど、逃げたわ」
逃げられたのか、俺はそう思って部屋の壁や天井を見回した。
すると、突然冴島さんが叫ぶ。
「あーーーーっ!」
俺の後ろの方を指さしているようだった。
「えっ、な、なんですか?」
俺は振り返る。
「違う。床よ、何やってんの? 血だらけじゃない」
「あっ、すみません」
冴島さんの後をついて、血を吐いてしまった場所にくる。
「まあ、これは悪霊との戦いで仕方ないわよね」
俺はうなずいた。
「クリーニング代の請求はするけど」
「えっ…… そんな勘弁してください」
と俺が冴島さんに懇願するが、冴島さんは何かを見つけたらしくて、横を向いている。
そして、俺の方を向き直った。
明らかに顔が怒っている。
「誰? なんで女の子をテーブルに寝かせてるの? もしかして、ここで……」
加藤さんの事だ。
俺が駆け寄ると、加藤さんは膝を立てて足を開いていた。
……つまり、下着が丸見えだった。
俺はまぶしい光を避けるように手で加藤さんの方を隠して、冴島さんに言う。
「あの、この娘はですね。さっき連絡した悪徳除霊師に騙されたという」
「じゃあ、なんでこんな格好なの?」
「えっ…… それは、この子が勝手に」
冴島さんが近づいてきた。
俺の耳元で、そっと言う。
「さっきの悪霊がこの娘に入り込もうとして、入れず、気絶した。なんでそれくらい説明できないの? 除霊士を目指しているあなたは、知識としてそれを知っているはず。けど、知ってても相手に説明できないと除霊士になった時、あなたのクライアントは不安になるわよ」
まさかここで除霊士になる為のアドバイスをもらうと思ってもいなかった。
「は、はい。わかりました」
冴島さんが、また別の事に気が付いたようで部屋の隅にある長いソファーに進む。
「玲香までこんなことに……」
中島さんは寝ているようだったが、うなされるように声をあげる。
靴は脱げていてストッキングをはいた両足が、声に合わせて絡むように動く。
艶めかしい。俺は少しその動きに興奮していた。
「えっと、これもさっきと同じで……」
「ねぇ、正直に言いなさいよ。玲香の状況みて、興奮してるんでしょ?」
「いえ、けっしてそんなことは」
まるで心を読まれたようだ。
冴島さんはあきれたような顔をで腕を組んだ。
「これはさっきの加藤さんとは違うわよ。あの悪霊は玲香には入れないはず」
「えっ、どうして」
「除霊事務所で働くんだから、対悪霊の対策はしてるの」
冴島さんが中島さんの胸元のネックレスを引っ張り出す。
「これ。さっきの悪霊が入ろうとするなら、これで十分防げるはず」
俺にはアクセサリについた宝珠の力が見えなかった。
「そうなんですね」




