(53)
「ゴメン、まず俺が……」
俺が逃げ出そうと扉の方へ立ち上がると、加藤さんが言う。
「待って、除霊してよ。お願いだから」
立ち上がったものの俺の手は、扉のノブに届かなかった。
足が、足がソファーと、加藤さんの膨れ上がった体が押し付けてくるテーブルに挟まれて抜けないのだ。
『痛い』
俺と加藤さんの悲鳴に似た声がシンクロした。
もう加藤さんは腹と背中が、加藤さんの座っていた方の壁と、俺のいた方の壁につくほど大きくなっていた。
「GLP、『助逃壁』で」
右手で竜頭を回し始める。
しかし、大きくなった加藤さんの胸でGLPの画面が見えなくなってしまう。
「しまった!」
このまま一か八か竜頭を押し込むか、正確に『助逃壁』を探すか……
もう決断する時間はなかった。手を顔の方に持ってくる隙間がなかった。
「そうだ! ヘリさん『助逃壁』を起動」
GLPには『ヘリ』という名前の音声アシスタントが存在し、竜頭を操作しなくても音声で起動できることを思い出したのだ。
しかし、GLPの反応はなかった。
俺はもう一度言う。
「ヘリさん『助逃壁』を起動」
『すみません。理解できません』
なんだって! そんな馬鹿な。『助逃壁』は『じょとうへき』じゃないのか?
俺は混乱した。しかし、声を出せるスペースも加藤さんの膨張する体でふさがれそうだった。
「ヘリさん『じょ、とう、へき』を起動」
しばらくの沈黙……
だめか?
『助逃壁ですね。起動します』
やった!
俺の腕のあたりから光る壁が徐々に大きく広がっていく。
加藤さんの体に押されているせいか、ほとんど前に進まず、『助逃壁』の光の枠が、その場でドンドン広がっていく。
『助逃壁』は霊を押しやっていくので、俺と加藤さんの間に隙間が出てきていく。
そして、最終的に部屋の壁に『助逃壁』が着くと、本物の、やせた加藤さんの体がこちら側に現れた。
壁に張り付いている『助逃壁』がブルブルと蠢いている。
俺は大きく深呼吸した。
「なに、これ?」
「君に憑りついていた霊だよ」
「!」
『助逃壁』から一筋の白い煙のようなものが飛び出してくる。
俺は人差し指で狙って、霊弾で撃ち抜いた。
すると『助逃壁』に押さえつけられながらも、蠢いていたものの動きが止まった。
すると『助逃壁』も壁をすり抜けるように進みながら消えて行った。
「……」
加藤さんは不安げに俺の袖をつかみ、背中に回った。
「ねぇ、大丈夫? もう平気?」
俺は周囲を見渡した。
分かる限り霊的な異常は感じ取れなかった。
「大丈夫。だと思う」
「頼りないわね」
「俺の師の除霊事務所に行って、見てもらおう」
「……」
「大丈夫。過去の話はしないから」
「……」
「俺の師は女性だし。ね?」
加藤さんはなんとかうなずいた。
俺は事務所に電話を掛けたが、転送されていて、中島さんが出た。
中島さんの話だと、どうやら、まだ橋口さんの事務所にいるようだった。
「あれ…… 俺がバイトに出るときにすれ違って、また事務所に残っちゃったのかな……」
『まあ、とにかく橋口さんの事務所にいるのは間違いないから。念のため電話してから行ってね』
「はい」
俺は冴島さんの携帯にかけた。
「あの、冴島さん。悪徳な除霊師の被害にあった方がいて…… はい…… そうなんです。冴島さんのところに連れて行きたいのですが…… はい…… 橋口事務所ですね…… えっ、分かりました。けど中島さんはもう事務所から離れて…… はい。わ、わかりました」
俺の顔を見て、加藤さんが不安そうな顔をする。
「大丈夫。冴島さんの事務所に来てくれるって」
なぜ橋口さんの事務所に行っては駄目なのかは分からなかった。
とにかく来るなという事だった。だから、中島さんに言って事務所をもう一度開けてくれるということだった。
俺たちは冴島除霊事務所に向かって、電車で移動した。
「じゃ、私、事務所に戻るわね」
冴島は、橋口事務所の扉に立ち、サムターンをガチャリとひねって鍵を開けた。
「麗子、さっきことはどうするの?」
ソファーに寝てしまっている蘆屋をちらっと見て、橋口がそう言った。
「蘆屋さんにはまだ話さないで。私とかんなの間での話ってことで」
「GPAを使って調べる?」
「……考えがまとまったらまた相談する」
「わかった」
冴島は橋口の事務所を出ると、駐車場で待っていた松岡に連絡する。
松岡は言われた通り、通りに車を回して、冴島が降りて来ると後部座席の扉を開ける。
「事務所に」
「かしこまりました」
松岡が運転席に戻ると、滑るように車が走り出す。
短い合流車線でスムーズに加速し、高速を進む。
「少し寝るわ。到着2分前に起こして」
「かしこまりました」
「中島さん!」
俺と加藤さんが冴島事務所に上がってきたとき、ちょうど中島さんが事務所の鍵を開けているところだった。
「あら、ちょうどよかった」
「すみません。戻ってもらっちゃって」
「冴島さんの指示なんだからしかたないわよね。そちらは?」
俺は冴島さん以外に、加藤さんを何て紹介しようか考えていなかった。
「……えっと」
「バイト先の友達なんです。ちょっと冴島さんにご相談があって」
「そうなのね。霊の問題は緊急なこと多いから、気にしないで。さ、どうぞ」
中島さんが、来客用の打ち合わせ室の扉を開けた。
俺が先に入って、加藤さんを招き入れた。
「飲み物は何がいいかしら?」
中島さんがさりげなく用意可能な飲み物のリストを見せる。
「じゃあ、オレンジジュース」
そう言えばさっきのカラオケルームでも同じものを飲んでいたな、と俺は思った。
「俺も同じで」
中島さんが奥に行くと、俺は加藤さんの視線を追った。
その視線の先には袈裟を着た人形が立っていた。




