(52)
「これ大災害の被害者リストなんだケド」
「ええ」
冴島が話を取り返すように言う。
「お母さま、お亡くなりになったの?」
「……よく覚えてない」
「さっき『ええ』って言ったじゃない」
さやかは、タブレットから目をそらした。
「関わっていたのはたしか」
「関わっていた? ってどういう意味?」
と冴島が追及する。
「分からない……」
さやかが動かしている蘆屋の体が、首を横に振ると、両耳を手でふさいだ。
「ちょっとまって、さやか」
冴島はタブレットを蘆屋の目の前に出す。
「……」
「もう一つ聞きたいの。こっちは、こっちはどういう意味?」
冴島はもう一つの名前を指さした。
「頭が痛い。もう、ここには居られない……」
「さやか、ちょっと待って」
冴島が追いかけるように手を伸ばすが、蘆屋の体は、引っ張っていた糸が切れたようにソファーに横になってしまった。
橋口はもう一度額に手をあて、一方の手に呪文を唱えた。
「……」
橋口は何度も呪文を唱えるが、蘆屋のからだはピクリとも動かない。
「どうしたの?」
「反応しない。さやかが拒絶しているのかも」
「拒絶? 大災害ってなんなのよ。何があったの?」
「またカゲヤマをGPAにかけるしかないのかも」
冴島は軽く握った手を口の前に置き、独り言を言うかのようにしゃべった。
「まさか…… だとしたら、影山くんにGPAをかけても、無理なんじゃ……」
「それどういう意味?」
「だって本人が大災害の被害者かも知れないから……」
「ちょっとまって、それじゃ……」
「うん。いろいろと食い違う点もあるから、確証はないけど」
冴島と橋口は見つめ合い、無言の中で同意していた。
加藤さんがカラオケしたい、というからスマフォで近所のカラオケ店を探して入った。
案内された部屋は、膝を突き合せざるを得ないくらい、小さい部屋だった。
座ると、俺たちはドリンクを頼んだ。
加藤さんは、俺の右横の壁をなんとなく眺めている。
店員がやってきて、ドリンクをテーブルにおいていく。
加藤さんは、まだぼんやりと俺の後ろの壁を見たままだった。俺は言った。
「あれ? 歌わないの?」
加藤さんが、ようやく反応して、俺の方を見た。
「こういうとこじゃないと、恥ずかしいから」
「?」
「こっちの事情だから別に気にしないで。ほら、乾杯しましょ」
俺と加藤さんはジュースで乾杯した。
「そうだ。加藤さん、さっき店長が帰っていいよ、って言ったの、あれ夜間労働の手当を払いたくないからですよ。もう少しだけ店にいれば、手当付いたんですよ。もうすこし店にいないと、バイト代、損してますよ」
加藤さんはジュースを置く。
「別に、それくらい、いいじゃないですか」
そう言って、加藤さんは笑った。
「どうせ大した額じゃないでしょ」
「何言ってるんですか。キャベツにマヨネーズつけれるかどうかの瀬戸際だよ」
「?」
加藤さんは首を傾げた。
「あっ、俺の食生活の話です」
「食生活? なんかちょっと興味がありますね。キャベツ食べているんですか? ダイエットか何か?」
「違う違う。単純に貧乏なんだよ」
「そうは見えないですけど」
「……ありがとう」
ジュースを飲み干してから、加藤さんが言った。
「それより、影山くんって除霊士目指しているんだって?」
「?」
大学でも、バイト先でも、誰にも言ったことがない、はずだった。彼女は何故それを知っている。
「あっ、警戒させちゃった? ちょっと影山くんのこと、調べさせてもらったの」
「俺のこと調べたって?」
「いいじゃない。そんなこと、どうでも」
加藤さんが急に暗い顔になる。
「除霊士見習いの影山くん。私の頼みを聞いてもらえる?」
「えっ?」
「除霊よ。簡単な除霊のお願い」
「いや、調べたんなら知っているだろうけど、俺には免許ないから出来ないよ」
「免許持っている人に頼むと高額な除霊代を支払わなきゃならないでしょ。私にはそんなお金を払えないの」
「だとしても、法に違反するから……」
加藤さんが立ち上がる。
「うるさい。誰にでも正義を振りかざすなよ!」
そして、加藤さんの様子が変わった。
「違法な降霊師に霊を憑けられた人は、誰が助けてくれるんだ? 助けてやるから、正規の金を払えってか? 何様なんだよ、除霊士ってのは」
物凄い剣幕だった。おそらく、こうなることが分かっているから、カラオケルームに入ったのだろう。
「どういうこと?」
うつむいた加藤さんから、ぽたっ、ぽたっ、と涙が落ちた。
「泣いて……」
「うるさい! やるのか、やらないのか、どっちなんだよ」
「……わかったよ。けど、俺の手に負えないような霊だってある。確かめさせてくれるかい」
「ほら、勝手にして」
加藤さんが狭いシートに体を投げ出した。
「……」
「どうしたの? やりなさいよ。この為にここに入ったんだから」
「大丈夫だよ、横にならなくても」
「……」
上体を起こし、加藤さんが不思議そうに見つめる。
俺は言う。
「もしかして、除霊について何か、勘違いしてない?」
「除霊って、エッチなことをする必要があるんじゃないの?」
「ないよ?」
「……本当」
加藤さんはテーブルに手を突き、さらに涙をこぼした。
「どうしたの?」
「私と…… いえ、何でもない。うすうす分かっていたけど、やっぱり、騙されていたのね」
「えっ? どういうこと」
「除霊士という奴がきて、言ったわ。どんな霊が憑いているか調べてやる。調べると、今度は除霊をしてやるから体を開けって」
前髪で加藤さんの表情は分からない。
「えっ、まさか」
「……そうよ。捧げたわ」
「そいつのこと教えて。俺の師匠に言って、訴えてやる」
「ヤメて!」
そう言ってテーブルを叩いた。
「私がどういう目にあったか、影山くん以外にも知られてしまうのよ。もうこれ以上傷つきたくない」
「俺は誰にも言わないよ」
加藤さんはうつむいたまま、首を振る。髪の毛がつられて踊るようにくねる。
そしてうつむいたまま話を続ける。
「考えてみれば、除霊をしてやるって言ったそいつ、そいつが街に現れてからだった。私が変な霊に取りつかれたのは」
「どんな霊」
「触れようとするガラスが割れるの」
「えっ?」
「コップ、窓ガラス、握ってもいない内から割れる。家ではプラスチックのコップにしたわ。学校で窓際に立てなくなったし、家は雨戸を閉めたままになった」
そう話す声は震えていた。
俺は想像してみた。
手を伸ばすと、ガラスが割れる。
窓を開けようとすると、ガラスが割れる。
危険だし、割れたガラスにさらに手を伸ばしたら……
「そしたら、家にきた新聞の勧誘の後に、そいつが玄関に立って、言ったの。窓ガラスが割れませんか? それは除霊が必要ですって」
扉ののぞき窓から、外に立っている奇妙に手を体側に沿わせている人間を想像した。なぜそんな格好をした人物を想像したのかはわからない。
「……」
「母も私もすぐにそいつを迎え入れたわ。話を聞かせてほしい、って」
そうなるだろう。娘がガラスを割りまくっているところに、ガラスが割れませんか? と的確な指摘をしてくるのだ。怪しいとか疑う前に、なんでそんな情報を知っているのか知りたくなるだろう。
「最初、除霊をするための費用は少額だった。信じられないだろうから、お試しだと言っていた。母と私はもう、すぐにそれをやってもらうことを決断した。それを受けると、本当に効果があった。ガラスを割らなくて済むようになった。けど、二週間経つと、急に効果が消えた。それどころか、霊の振る舞いが酷くなった」
「霊の振る舞い?」
うつむいたままうなずいた。垂れた髪で、加藤さんの表情は見えない。
「また、ガラスが割れ始めた。大丈夫だ、と思って入った喫茶店で頼んだアイスコーヒーのグラスを割ってしまった。店員が別のグラスで作り直し、私の前に運んでくれた時、再び触れる前に割れた。私はいたたまれなくなって店を飛び出した」
完全に悪徳除霊師の手口だ。
こいつらは除霊をしているというより、降霊をしている連中だ。
「私はたまらず母に頼んだ。そして男を呼んだ。今度は高額な金と同時に、私を要求してきた」
俺は想像してはいけない、と思いながらも加藤さんの体つきを見ながら、どんな状況だったのかを思い描いてしまう。
「拒否したわ。けど拒否した時に金額を釣り上げてきた」
母からすれば当然の流れだろう。
金の代わりに、望まない体の関係を強要してくるなんて、本当に卑劣な奴だ。
「母のへそくりを使って、金で除霊をしてもらったわ。その時の除霊で、問題が解決した後、またさらに酷い症状がやってきた。電車のドアのガラスが割れた時。もうダメだ、って思った」
電車のガラスは相当に硬度があるだろう。窓ガラスや、グラスの比じゃない。
それが割れたのだとしたら、絶望してしまうのも無理はない。
「結局、その状態を脱する為に、男の最後の要求をのんだ」
またテーブルに涙が落ちた。
最後の要求、おそらくある限りの金と、体の関係、なのだろう。
そこまで聞いて、俺は気づいた。
「それは、辛いだろうけど、その霊に関しては、取り除けたってことなの? だって、今、グラスはわれてないじゃない」
「今はね。今は、違う霊が憑いたのよ。その男が憑けたに違いない、別の霊が」
「!」
一瞬、加藤さんの輪郭がブレたように見えた。
一回り大きくなったような、そんな感じ。
ゆっくりと、手で髪を背中の方に流しながら、加藤さんは顔を上げた。
さっきまでの顔つきとは違う、一回り脂肪がついたような丸々とした顔。
「えっ、もしかして」
「これは軽い方」
そう言うと、また体表が一回り大きくなった。輪郭が一瞬二重にも三重にもブレて見える。
「ま、まって」
俺は加藤さんを落ち着かせようと手を伸ばした。
「ダメ……」
ブン、と音がしたように姿がブレると、加藤さんはさらに大きくなった。横にばかり大きくなるのではなく、身長も少し大きくなっていた。
「ちょっと待って」
大きくなるペースが速すぎた。
俺と加藤さんの間にあった机が、加藤さんの膨れた太ももで俺の方にひっくり返った。
加藤さんの巨大化は止まらなかった。
「まずい」
俺は部屋を出る扉を見た。引く方向にドアを開けねばならず、このままだと開けられなくなることが確実だった。




