(50)
その瞬間を見逃すまい、と火狼が再びジャンプする。
俺はしっかり視野の隅でそれを見ていた。
「バレバレだよ」
俺は真上に指を向けて霊弾を撃った。
俺の霊弾が火狼の体を貫いた…… はずだった。
「!」
俺は正面の牙を手で受け止めた。
ずるっ、と足が滑って後ろに下がる。
首を回してみると、そっちにも牙がある。あたり前だ。正面の牙が下あごなら、背中側には上あごがある。
「ちっ!」
また力が上がると、俺は上あごの方に近づいた。
「なんで霊弾で撃ち抜けなかった?」
俺は体をひねって上あご側にも腕を伸ばした。
腕で耐えられなくなった時、俺の身体は真っ二つになってしまう。
口が動かせない火狼の代わりなのか、外から、紫宮さんの声が聞こえてくる。
『教えてやろう。お前が霊弾で俺を撃ち抜ける、そう過信しているからこうなったのだ』
声は紫宮さんだったが、火狼が言わせているのだ。
『俺は上空で、お前の霊弾を弾くことだけに集中した』
俺は火狼の口に霊光が光って、霊弾を弾くさまを想像した。
「そういう、ことか」
どうする…… このままだといつか力が尽きて体は半分になってしまう。体を牙より内側に、つまり口の中に持ち上げれば噛み砕かれないかもしれないが、口の中に入ってしまう為、飲み込まれてしまう危険がある。
手の先から霊弾を出せばいいが…… 霊弾を撃つ前に腕が、上あごと下あごの力に負けてしまう。
無理…… か……。
「誰か…… 助けて……」
こんな危険な相手を見ないで撃ち抜けると思った俺が甘かった。
「!」
ズルっと手が滑って、少し顎が閉まって、牙が腹に刺さる。
これで体を持ち上げて、口の中に入る方法は出来なくなった。体を持ち上げるには、腕で顎を押し広げないといけない。
痛みと出血で、集中力が切れ始める。
さらに牙が深く体に食い込んでくる。
「……」
ダメだ…… 声も出せない……
誰か…… 助けて……
「大災害?」
冴島は蘆屋の発言を繰り返した。
「屋敷の霊力が失われれば、大災害が起きるって。バランスが崩れるからだって」
「あのアンドロイドが言っていたの」
蘆屋さんはうなずいた。
橋口が言った。
「そのアンドロイド、イオン・ドラキュラが作ったものなんだケド」
「どういう意味よ」
「発言が信頼できるのかってこと」
橋口は指を一本立てて強調するように言った。
「大災害…… 影山くんの一家失踪事件の日をもう一度確認したけど、一年前の大災害と丁度同じ日なのよね」
「それが何なんですか? カゲヤマ一家の失踪と関係があるとか?」
蘆屋が言うと、橋口が蘆屋の額に手を当てた。
「さやかに出てきてもらったほうが都合が良いんケド」
蘆屋が目を閉じ、気を失ったように脱力すると、橋口に抱きとめられた。
「……強引ね」
「私の弟子なんだから、多少は認めて欲しいんだケド」
眠ったような蘆屋が、パッと目を開けて自らの力で立つ。
「あなた、さやかね?」
『そうよ。何よ、急に』
「あなた、大災害知ってる?」
『えっ……』
眉間に皺をよせ、困ったような表情になる。
「なに、その顔」
『記憶が…… 記憶がないの』
両手でこめかみをそれぞれ抑えた。
『あたまが…… いたい……』
「記憶が操作されているのかも」
「そもそもさやかの時の記憶なんて大してなかったはずだケド」
冴島は胸の前で腕を組んでから、右手を口の前にもっていった。
何かある。
さやかの霊は、何かを伝えようとしている。
「気になることがあるから、私、ちょっと調べてみる」
「ちょ、ちょっと…… 勝手にどっか行かないで欲しいんだケド」
「ゴメン!」
冴島は事務所に電話を掛けながら橋口の事務所から出て行ってしまった。
「ぐぁっ……」
たまらず声を出していた。
一瞬、あごの力を抜き、口を開いて、そして再び閉じた。
腹に刺さっていた牙が位置がずれて差し込まれ、傷口が広がった。
「くそっ……」
次、あごの力を緩めたら、その時は全力でここを脱出してやる。もっとも、もう次のチャンスはなさそうだが……
気が遠くなっていた時、頭上の、火狼ののどから、エンジンのような連続音が聞こえてきた。
『ダダダダダダ』
火狼の体が、少し揺れた。
また、同じように連続した音が聞こえた。
『ダダダダダダダダダダダ』
さっきよりながく、次第に大きなはっきりした音が聞こえてくる。
『ダダダダ』
すると、火狼は俺に食らいついたまま、首を上げた。
頭が下を向き、俺は飲み込まれる、と思って目をつぶった。
すると、首を振った勢いで、俺は空中に飛ばされた。
赤い体液をまき散らしながら、俺は屋敷の敷地内の林の中に落ちた。
いくつかの枝が、俺の傷口に突き刺さった。
それらが多少なりとも、地面へぶつかる衝撃を和らげてくれた。
最後には地面に落下したが、その時は最初に放りだされた勢いはなかった。
「銀の銃弾を喰らって死ね」
男の声が聞こえた。
俺は上体を起こし、木の幹に寄り掛かった。
すこしだけ姿が見える。
「日向さん……」
左手に仕込んだマシンガンから炎を上げながら、連続して銃弾を放った。
日向さんは赤い火狼に食われた左腕を、銀の銃弾を連続発射できるマシンガンに替えていた。
「そうか…… さっきの連続音は、あの弾丸が着弾した音」
腕を奪われた日向さんは、火狼に対しての恨みは人一倍あるはずだ。
だから、もしかしたらここで待っていたのかもしれない。
「死ねぇ!」
火狼はいつの間にか、人の大きさほどに体が小さくなっていた。
回復できないダメージがあると、それを切り離して体を小さく作り直す。以前の火狼達もそうやって動きが鈍くなるのを回避していた。
人の大きさほどになると、火狼の素早さは本来の狼のそれを凌駕いしていた。
日向さんの銃弾がまったく当たらなくなってくる。
「まずい…… 日向さん…… ぐふぉ」
口から赤い体液が流れた。
腹から流れる血は、懸命に手で押さえていたが止まる気配はなかった。
俺は必死に目を開けていたが、眠気が優ってしまった。
「あれ? 気が付いたみたいなんだケド」
橋口さんが俺の正面からのぞき込んでいる。
「?」
俺は周りを見回した。
仕切りで囲まれた空間に、来客用なのかソファーが向かい合わせに置いてあって、真ん中には低いテーブルがある。
どうやら俺はそのソファーに横になっているようだった。
「ここは橋口除霊事務所よ。さっき日向が、あんたを連れてきたんだケド」
「日向さんっ!?」
俺は上体を起こした。
服が血だらけだったが、服の穴の開いた部分から見える体に、傷はなかった。
「日向なら、あとでメッセージ見ろ、とだけ言って、どっか行っちゃったケド」
「メッセージ?」
「スマフォのアプリのことじゃないの?」
俺はポケットからスマフォを取り出した。
確かに日向さんからメッセージがあった。
『火狼は倒した』
そのメッセージには再生ボタンのようなものが付いていた。
俺は押すのを躊躇った。
「どうしたのよ?」
「……」
ガチャリ、と扉が開く音がすると、仕切りの間から蘆屋さんが顔を出した。
「あっ! カゲヤマ、目が覚めたのね」
蘆屋さんが何か買ってきたのか、コンビニの袋をテーブルに置いて俺の横に座った。
勢いで、ふらっと誰もいない側に倒れ掛かると、そこに橋口さんが座って、支えになってくれた。
「まだ回復してないから、無理しちゃダメなんだケド」
「いや、今のは蘆屋さんが」
「何それ。再生してよ」
蘆屋さんが俺のスマフォの画面をタッチした。
「あっ!」
動画が始まると、蘆屋さんが勝手に画面を大きく変えてしまった。
『……をカゲヤマに』
と声が入っていた。
「紫宮さん!」
紫宮さんの体は、全体に発光していた。
「えっ、どういうこと? まさか……」
俺が橋口さんと蘆屋さんの顔を見ると、二人は神妙な顔つきでスマフォを見ていた。
『ああ、今撮っている。ちゃんとアイツに見せるから、余計なことは言うな』
それは日向さんの声だった。
『やっぱり、火狼がいなくなると、私も生きていけないんだわ。見て。もう向こうが透けて見える』
紫宮さんが手を上に掲げると、確かに手のひらを透かして、空が見えていた。
『カゲヤマ……』
紫宮さんが体中を光らせながら歩いていく。
移動すると後ろに残り香のように光る物質が残っていく。
光り終わると、それも消える。
紫宮さんは、浄化されているのだ。
霊体が形を保てなくなっているのだ。
『ありがとうカゲヤマ。それに私のせいで大怪我して…… ごめん』
違うよ、俺が勝手に油断したせいなんだ。
紫宮さんの前だから、格好をつけたかったんだよ。
スマフォが紫宮さんを追いかけるように動いた時、地面に脱ぎ捨てられた青いジャケットが映った。
青いジャケット…… これ、青い火狼のものか?
『カゲヤマが私を撃たなかったように、私もカゲヤマを撃てなかったよ』
紫宮さんが向かっていた先には、俺がいた。
映像に映る俺は、木の幹に寄り掛かって、真っ赤に血で染まった腹を両手で抑えて眠っていた。
「何っ、この傷……」
橋口さんの声が少し震え気味なのがかる。
『カゲヤマ…… さっきGLPが言ってた方法で私を救って……』
紫宮さんは俺にまたがり、俯いている俺の顔を両手で押し上げた。
俺のスマフォに手を添えている蘆屋さんの手が震えた。
「キス? なんでここでキス? GLPって何て言ったのよ?」
蘆屋さんは俺の襟を絞って、揺すった。
「火狼からの解放のために何をしたらいいか聞いただけだよ」
「なんて答えなのよ。キスなの? キスすれば火狼の支配から逃れられるの?」
ここで『せいてきむすびつき』と答えたら半殺しにされてしまう。
「……」
映像の中の紫宮さんが立ち上がると、また空に手を透かした。
『やっぱり…… これじゃダメなのね。もう火狼の霊力もなくなる……』
紫宮さんがもう一度俺の頭を手で上向かせると、キスをした。
「またっ!」
『さようなら、カゲヤマ。完全霊体の私が、一瞬だけど、人になる夢を見ることが出来た。ありがとう』
体中が小さく光り輝き、後ろの風景が透けて見えてきた。
そして動くことも出来なくなって、同じ表情、姿勢のままどんどん薄くなって、消えた。
そして画面が急に何もない林の中を映し出した、と思うと声が入った。
『これを見せて、なんになるってんだ』
映像はそこで終わった。
俺の頬に涙がつたった。
橋口さんが言った。




