(32)
蘆屋さんの顔が真っ赤を通りすぎた。
「そんなわけないでしょ!」
「けどしたのは蘆屋さんじゃなくて『さやか』なんでしょ。蘆屋さんが気づかないところでそうなってる可能性だって」
また不思議な間をおいて、首を振る。
「じゃ、自動的にBってことになるけども」
蘆屋さんはうつむいて、もじもじしている。
また変に間をおいて俺はうなずく。
「ふーん」
冴島さんは冷静な顔ををしてそう言った。
「まぁ、でもそれは『さやか』なのよね。蘆屋さんとは清い関係なのよね」
命令が解かれた俺は声に出して言った。
「そうです。蘆屋さんはさっきちょっと抱きしめただけです」
「それなら、私だって今抱きしめられたもの。付き合っているには相当しないわね」
そう言いながら、冴島さんは俺に向けて手を向けて、掃うような仕草をした。また、何か命令を入れたようだった。
「は、はい。そうです」
「今日は、頭を冷やしてきなさい」
「はい」
俺はそのまま部屋の扉の方へ向かって歩き出した。
「カゲヤマ、どこ行くの?」
「頭を冷やしてきます……」
俺の意志ではないが、口がそう言っていた。
外に出た俺は、あてもなく道路に出た。
いつになったら、頭を冷やしたってことになるんだろう。もしかして、しばらく帰れないんだろうか。
……なんて、そんなことを思いながら、アパートの周りの、夜中の風景を眺めている。
道路を挟んで、正面には屋敷が見える。
近いのに、とても遠い場所。
自分の家なのに、住めない家。
もう一度、この屋敷に踏み込んで、俺の記憶とともに謎が解ければいいのに。
「……」
なぜ、この屋敷に入らないんだろう。
日向さんが言っていた、霊的に光り輝く場所。あれは、ここのことを言っているのではないのか。
ヨーロッパ便のような高高度を飛ぶ飛行機からも見える霊光。
本当にここなのだとしたら、俺が確かめるしかない。
失われたものは、俺の記憶、俺の家族。しょせん俺自身の問題なのだ。
除霊士になる訓練をしているんだ。俺は、以前の無力な俺ではない。
俺が立ち入って、俺が解決すればいいだけじゃないのか……
そうだ。入ってみよう。
俺は道路を渡って、屋敷の入り口に向かった。
二本指をスッと伸ばし、扉に当てて、勝手口の鍵を開ける。入ったら鍵をかける。
「出来るのか…… 俺に」
無意識にそう言って、俺は屋敷の方へ歩き始めた。
どこからか、霊弾が俺に向かって放たれる。
小さい。あまりにエネルギーが小さい。何故かそう思えた。俺は霊弾を手のひらで受けると、その霊弾は体に取り込まれるかのように消えてしまう。
一つ消えると、また別の場所から俺を目がけて降ってくる。軌道からすると、砲撃のようだ。
同じように手で受け止めると、それも取り込まれるように消えてしまう。
「しかし、誰が撃っているんだ」
周囲を見渡すが、霊圧を感じない。
空気のゆがみも、オーラも何も、霊的気配がない。
「……」
俺は後の霊弾を無視して歩き続けた。
屋敷が見えてきた頃には、霊弾は止んでいた。
「さあ、ついた」
自分に言い聞かせるようにそう言っていた。
屋敷に入れば、俺の記憶が戻る。家族のことが分かる。そんな気がした。
「?」
GLPに違和感があった。
あまりいい予兆ではない。GLPが何かに反応にしているということは、霊的な何かがあるということだ。GLPのマニュアルには掲載されていない機能に違いない。
俺は周りを見渡した。
何もいない。
というか、何かいる、という気配が徹底的にない。なさすぎるのだ。
草を踏む音、枝が揺れる音、とにかく音はしない。目に入るものはすべて静止していて、虫や鳥、小動物も動いていない。
返って不気味だ。
これは『何かいる』ことの裏返しに思える。
俺は、決意して屋敷の入り口に進む。
ドアを開けようとした瞬間、屋敷が抵抗した。
「!」
正面の扉が、爆音で鳴らすスピーカーのように激しく振動した。
音はしなかったが、まるで発せられた音に飛ばされたかのように、体が後ろに吹っ飛んだ。
「なんだ……」
そうだ…… 以前入った時は、蘆屋さん、いや『さやか』を使って鍵を開けた。
だが、今日はそれをしていない……
もう一度近づいて、扉に触れるか触れないか、という瞬間。
ブンッ、と音でもしそうなくらい、扉がブレて俺に波動を当てる。
吹き飛ばれる俺の体は、またさっきの位置まで戻ってしまっている。
『入れないのか』
後ろから声がした。その声は、俺にはまったく理解できない言語だった。
「誰だ?」
木々の間の闇が裂けたように見えた。
そこから巨大な人影が現れる。
岩のような男、という表現がぴったりくるような人物だった。
口から下、顎部分が広く、大きい。縫ったような傷跡と、こめかみにネジが刺さっていれば、まんまフランケンシュタインのような輪郭の顔を持った男だった。
どこかで見たことが…… ある。
こいつ、レストランで、エリーという女がいた部屋から出てきた男に違いない。
『お前がここの鍵じゃないんなら、エリックが良く言うように、死んでもらった方が都合よさそうだな』
知らない言語で耳の中に、言葉の意味が頭の中に響いた。
まるで同時通訳を聞いているような感覚になる。
「お前は誰だ」
『ここで死ぬんだから答える必要はないな』
振り上げた大きな拳が霊光を放った。
音を立てて俺に振り下ろされる。
顔面を守るように手の平を差し出すと、ドン、という大きな音が弾ける。
「ぐあっ……」
まるで側転をするように頭、足先、頭、足先、と地面をこすり、吹き飛ばされてしまう。
屋敷に飛ばされた時の力より百倍強いように思える。
『初弾を耐えたのは、あいつら三人以外じゃ、初めてだ』
目に血が入ってくる。




