(23)
『冴島さん?』
『もうすこし我慢して』
『えっ?』
と言うか、言わないかの間に、目の前の風景が目まぐるしく変わり始めた。
まるで魔法を見せられているように、部屋の形や広さが変わり、他人が後ろ向きに歩いたりしている。それらの変化が、ものすごいスピードで行われていく。
中には記憶のある景色もある。
かみくう村、データセンター、内装を何度もやり直しているビル…… 大学の風景。
そして、闇。
延々と続く闇。
おそらく俺の記憶がない時期をGPAでサーチしているのだろう。
俺は耐え切れなくなって寝てしまった。
『お兄ちゃん、起きなよ。早くっ!』
さやかの声がした。
俺は重い瞼を開いた。
ピントが外れた映像を見ているように、もやっとした姿が見えた。
目を細めてみてもピンとは合わない。顔を近づけてみるが、やっぱり同じだった。
『……』
これだけ顔を近づけてもさやかの反応がない。
と、俺は意志に反して言った。
『ああ、そうだ。母さんはいないんだったな』
『朝食はさやかが作ったから食べてみてよ』
『ありがとう』
今の俺の反応とは違う形で回りが進んでいく。
そうか。これは、記録された動画をみているようなものなのだ、と思った。GPAで記憶の再生をしているのだ。
『お兄ちゃん……』
目の前のピントの外れた映像が、俺に向かって唇を向けた。
『おはようのキスは?』
ぼんやりとした映像のまま、さやからしき女性の顔に俺は近づいていく。
キスをするか、という瞬間に闇。暗転。
「ちっ……」
歯並びの悪い口から、舌打ちする音が聞こえた。
冴島は、そのエンジニアを横目で睨みつけた。
「どうでもいい記憶を再生しないで」
エンジニアはノートPCに表示されている、横に長いバーの黒い部分を指で示した。
「この周辺で見れるところはさっきんとこぐらいですけどね」
「だから、そこはどうでもいい」
「見てみましょうよ」
エンジニアがマウスを動かすと、さっきのあたりにカーソルがついた。
周りの風景が変わって、食卓に座り、さやかと向いあって食事をしていた。
さやかは作った料理を指差して言った。
『どお? おいしい?」
『おいしいよ。ありがとう」
俺は部屋に掛けてある時計を見た。
『あれ? さやか、ゆっくりしてて間に合うの?』
『知らなかったっけ? 試験休みだよ』
俺は無意識にカレンダーを見る。
カレンダーには試験休み、というような印はなかった。
俺はカレンダーのある日付に、丸が付けてあるのに気付く。それは、赤いマジックで、中の数字が良く分からないくらいにグルグルと何回も書き入れてある。気付いた時に、体が震えるのを感じた。
そしてその日付は、もう近い。
漠然と震える俺は、ここでさやかに、今日が何日で、あのマークの日は何があるのか、と聞きたかった。
『……』
そうだ。これは記憶。記憶の再生に過ぎない。こちらから働きかけることは出来ないのだ。
『?』
さやかは、俺の視線を感じ取ったのか、カレンダーを見てから振り返った。
『楽しみだね』
楽しみ? あの日が? 俺は何の日だか分からないのに、寒気がした。
『あれ? お兄ちゃんは楽しみじゃないの? どんな出会いがあるのか、とか』
出会い? そんな日ではなかったはずだ。あの赤いマジックで、グルグルと何度も円を描いた印の日。あの日は、確か……
『今の自分も、今のお兄ちゃんもいいけどさ。お父さん曰く、”もっと新しく、もっと素晴らしいもの”になるんでしょう?』
俺は答えない。
明らかに俺は何かを知っていて、さやかにそれを知らせていない。
もしかして、もうこの時点で俺は記憶を抑え込まれてしまっているのでは……
パッ、と周囲が暗くなる。
そして、カレンダーが正面に見える。
さっき気付いた、真っ赤にマーキングされた、問題の日付。
さやかがカレンダーを見てから振り返る。
口を開くか、と思うと暗転する。
またカレンダーが正面にくる。
GPAを操作して、何かを引き出そうとしているのだ。
「おととしのこの日付……」
冴島がそうつぶやくと、ノートPCを操作しているエンジニアが、がちゃがちゃの歯をむき出しにして、言った。
「ああ、これって、あの日でしょ? 影山家失踪事件が起こったってされている日」
「えっ!?」
冴島が大きい声を出すと、エンジニアはノートPCを続けて操作する。
「ウェブ魚拓があると思ったけど……」
カチャカチャとキーボードから入力すると、映像が表示された。
「影山家失踪事件捜査まとめサイト?」
「当時色々話題になったからね。世界的企業の創業者一家が行方不明なんて」
冴島はノートPCの画面をのぞき込む。
「日付の特定までしていたの?」
「目撃情報から推測する事件発生日はけっこう当初からわかってましたよ?」
「なんでそんな日付を覚えているの?」
「まあ、こういう業界なもんで…… あれ? 事件当時から霊的な噂が色々ありましたよ!?」
冴島は腕を組み、右手の指を顎にあてた。
「じゃあ、今のカレンダーにマークされた日、それがその日なのね?」
エンジニアはウェブ魚拓をスクロールしながら、日付のところを表示させ、指差した。
「……でしょ?」
「!」
暗闇。
いや、一瞬だけ、明るくなったりする。
しかし、そのほとんどは闇。
俺のGPAで記憶をサーチしているのだろうか。
背後に、嫌な気配を感じる。
振り返るが、やはりそこは闇だった。
また、一瞬だけ、あたりが明るくなる。
……いる。
気配を感じたのは、これだ。
暗闇に戻ったそのあたりを、もう一度、良く考えてみる。
GPAで時間軸を行ったり来たりする。




