(15)
「いいから言う通りにして。上がるわよ」
「うん」
状況が理解出来た。
つまり、今ロフトの下で蘆屋さんはシャワーを浴びたままの姿…… 下着も何もつけてない。つまり裸。裸体の女性だ。
それが今、まさにロフトを上がってくる。
俺は可能な限り目を細めた。
「いい? 目、閉じてる?」
「閉じてるよ」
「信じるわよ?」
トントントン、と梯子を上ってくる音がする。
髪はアップにしてタオルを巻いていた。
「!」
なんだ、裸じゃないじゃないか。
「あっ、見たでしょ?」
「(なんだよ、タオル巻いてるんだからちょっとぐらい見てもいいだろ)」
「やっぱり! 目を開いてないなら、なんでタオル巻いてるってわかるのよ」
「いや、想像だよ。心眼とでも言うべき能力だよ。本当に見てないから。そっちこそこっちを信じてないんだろ?」
「信じていてもタオルぐらい巻くわよ」
「(ちっ)」
「なによっ。これからが重要なんだから、今度こそ目をつぶっていてよ」
「何するんだよ」
「聞いたらまた薄目を開けるんでしょ。冴島さんがあんたのセクハラに気を付けてって言っていたの、今、思い出したわ」
俺の顔にタオルがかけられた。
生暖かいタオル。さっきまで蘆屋さんに巻かれていたタオルだ。
「おい、何も見えないぞ」
「やっぱり目を開けたのね。見ないでって言ってるでしょ」
「タオルかけることはないじゃないか」
「最初からこうしておけば良かったんだわ」
タオルを透かして見える蘆屋さんは、腰に手をあてて俺を見下ろしている。
「目の前にこんなものがあると眠れないんだよ、早く取ってくれ」
いや、これは裸が見たいわけではない。本当のことだった。
「何その良く分からない言い訳は? あたしの着替えがそんなに見たいの?」
タオル越しに、見える影は、せわしなく動いている。
「み、見たいわけないじゃないか。さっきも言った通り、顔に何か掛かっていると眠れないんだよ」
「ほらっ、取ってあげる」
「!」
「ばっちり目を開けてるじゃない」
俺の目の前に蘆屋さんの顔があった。
寝間着を着ているのだが、少し襟元から胸が…… 見えそうだった。俺は、つばを飲み込んだ。
「なによ」
化粧をしている時も美人だと思うが、シャワー後のほのかに温かく、蒸気が出ていそうな顔も綺麗だった。
おまけに少しセクシーだった。
「……べ、べつに」
「悪いけどあたし寝るから。おとなしくしててね」
「うん」
蘆屋さんはゆっくりと横で頭に巻いていたタオルで髪を乾かす。
そして、近くにあった洗濯氷魚にタオルをかけると、布団に入った。
「おやすみ」
「おやすみ」
と返す。しかし、蘆屋さん姿と声に刺激された俺は、もうしばらく眠れそうになかった。
最近、大学で同じ時間から授業がある日は、蘆屋さんと一緒に学校に行っている。
一緒に住み始めた当初は蘆屋さんがわざと早く出たりして、俺と一緒に通わないようにしていたらしい。だが、最近は早く出かけるのに疲れれたのか、俺に慣れたのか、あるいは諦めたのか、俺が出るのに合わせて家を出る。
『あんたに鍵を渡すのがいやだから、先に出るのを止めただけよ』
家を出るとき、今日もいつもの通りそう言った。
電車に乗っている時も、以前はわざと離れた(けれども視野には入る程度に)ところに立ったり、座ったりしていたが、最近は横に座ったり、となりのつり革につかまったりするようになってきた。座った時はよくあるが、つり革につかまっているのにうたた寝して、俺に寄り掛かってくることもあった。
『あたしが寝てる間、何かしなかったわよね』
今日も電車を降りるとき、俺にそう言った。
学校につくと、そこからは学科が違う為に、ほとんどの授業は別だった。
だから手を振って別れるのだが、最近、蘆屋さんも小さく振り返してくるようになった。
『あんたがしつこく手を振るから、反射的に振るようになっただけよ』
といつも通り、独り言を言って、蘆屋さんは廊下の角に消えていった。
俺は蘆屋さんと別れると、自分のうける教室に入った。
ノートを開くと、昨日もらった名刺が出てきた。
「紫宮あおい。有限会社リーディングカンパニー、総務部……」
小さい声で読み上げた。
とりあえず、オフィス側の電話番号をスマフォに登録する。会社名と括弧して紫宮あおい、と書く。名刺の裏を見る。どうやら、SNSのアカウントのようだ。
捨てアカでSNSにアクセスする。
あおいさんは、一般女子のような写真を上げているわけではなかった。
「なんだろう、この地味な写真」
風景写真ばかりだった。
中心に映っている建物を撮ったと思われる写真が数枚。それが終わると、また別の建物を撮った写真になっている。『いいね』されることを目的としているというより、まるで報告書の為の資料のような印象だ。
「……」
とりあえず、裏面のSNSのアカウントと電話番号を登録した。
どうしてこの建物の写真を撮っているのかわからなかったが、一枚だけ『いいね』と反応してみる。
SNSの更新を見る限り、そういう反応を見ている訳でもなさそうだった。
そして、メッセージを入れた。
『今日のおやつ時、昨日のカフェで会えませんか?』
それだけ書いてスマフォを切った。
午前の授業がすべて終わり、学食に向かった。
トレイを持った学生の列に並んでいると、後ろから突かれた。
「?」
「あんた一人で食べるの?」
俺はいつも言っている通りに答えた。
「えっ? あ、いや、蘆屋さん、一緒に食べない?」
「本当はいやだけど、今日は偶然一緒に食べる人がいないから、食べてもいいわよ」
「良かった」
俺は定食を頼んで、蘆屋さんはうどんを注文した。
空いている席に向き合って座った。
「ここのうどんは食べなれた味がするから好きなのよ」
確かに汁の色がよくあるものよりずっと薄い。
「へぇ」
「あんたいっつも定食であきないの?」




