(13)
「裏にプライベートな連絡先が書いてありますから」
「あ、ありがとうございます」
「じゃあ、また」
紫宮さんが手を出してくる。俺もその手に応えて握手をする。
駅方向に戻っていく彼女が、小さく手を振った。
俺も同じような感じに手を振り返す。
優しい微笑み。
はっ、と気づきビルを振り返る。
どこにも灯りがつかない。
「……まさか」
入ったふりだけされて、裏口から抜け出てしまったのだろうか?
俺は慌ててビルの入り口に駆け寄った。
真っ暗だった。
このビルの廊下は昼間も暗かったが、日が落ちた今は真っ暗だった。
ゆっくりと確かめるように歩く。
蜘蛛の糸に引っかかったようだ。手を動かしてそれを絡みとる。
さらに歩いていくと、エレベータがあった。エレベータの表示灯は、一階に静止していることになっている。
ガタン、と大きい音がしてエレベータの扉が開く。
エレベータ内の明かりは点いている。
逆光で、シルエットしかわからなかったが、女だった。
女は、なにか分からない言葉を話した。
「?」
つづいて、女はクルリ、と指を回した。
背中を向けて、入り口の方を向く。
まるで、何かに押し戻されるように、ビルの廊下を歩き始めた。
ビルを出ると、後ろを突いてくる女もビルを出た。
駅の方へ歩いていくと、俺は言った。
「エリー、待て」
と同時に俺はエリーの背中に手を当てた。
「!」
エリーは両手を上げて止まった。
エリーは何か話しているが、その言葉は分からなかった。
俺は前を歩いている式神に「お前が通訳しろ」と言った。
俺の姿そっくりの式神が立ち止まり、エリーと俺の方に向き直った。
そして、式神はよくわからない言葉を話した。エリーが変な言葉を言い始めると、式神はほぼ同時に話し始めた。
「人形使いが人形を見破れなかったなんて」
俺も答える。
「お前はなんの目的でこの国に来た」
式神がほぼ同時に、外国語を話していく。
「パスポートに書いてあるわ。観光目的よ」
式神の声は男の声だったが、話し方は女性風だった。
「何故俺を狙ってくる」
式神が通訳する言葉、つまりエリーが話す言葉はよく聞き取れない。英語なのか、他のヨーロッパ言語なのかもわからなかった。
「はぁ? だいたい、今日は、あなたの方から仕掛けてきたのよ」
「真剣に答えろ。喫茶店にいた時から俺がいるのが分かっていたんだろう?」
「ふん、何もしていない外国人観光客に、手出しできるのかしら。こっちは痴漢、って叫ぶことが出来るのよ」
エリーは顔を横に向け、片目で俺を睨みつけて、そう言った。
俺もにらみ返し、言った。
「背中に手を置いたこの状態なら、そう叫ぶ前に君を気絶させることも出来るぞ」
「……」
しまった! 式神から意識を離しすぎたっ……
「うわっ!」
後ろに回られた自身の式神に、首を絞められてしまった。
背中から手を放してしまうと、女は駅の方向へ走って逃げていった。
「くそっ」
俺は人差し指と中指を伸ばして口元につけ、念じ、指を払う。すると、俺の姿をした式神が紙に戻る。
戻った紙に絡みついていた髪の毛があった。髪の毛は燃えはじめ、紙にも火をつける。
落ちたアスファルトの上で、紙が燃え尽き、真っ黒い灰が残った。
スマフォに電話が入った。冴島さんだった。
「今、たまたま近くにいた『かんな』を向かわせたから」
「ごめんなさい。逃げられました」
「……そう。まあ、影山くんが無事でよかったわ。とりあえず、かんなと合流して、かんなに家まで送ってもらいなさい」
「は、はい」
バイクが止まると、俺はそっと足を抜くようにしてバイクを降りた。そしてヘルメットを指示されたところに固定する。
「橋口さん、ありがとうございました」
「いいのよ。こっちも霊力をもらったから」
「?」
「いいから、いいから。じゃあね」
「運転気をつけてください」
橋口さんは軽く左手を挙げて、バイクを飛ばして帰ってしまった。
俺は道を渡ってアパートの二階に上がる。
自分の住んでいる部屋の扉の呼び鈴を押す。部屋の奥から声がする。
「はーい」
芦屋さんの声だった。
扉の向こうに気配を感じる。
「あ、なんだ」
そう聞こえると、鍵だけがガチャリ、と開く。
俺は扉を開いて中に入る。
「ただいま」
「……」
芦屋さんは何も返してくれない。
「芦屋さん、もうご飯食べた?」
「……食べてないけど」
「一緒に食べに行かない?」
俺は戸口の方を指さして言った。
「なんであたしがあんたなんかと」
「そう」
俺は歩き出した。
「また出ていくの?」
立ち止まってお腹を軽く抑える。
「お腹空いてるし……」
「冷蔵庫の材料は使っていいわよ」
「えっ? 本当? なら、蘆屋さんの分も作るけど、いい?」
俺は冷蔵庫に戻り、開けて中を確認する。
「どうしても、って言うなら」
「うん。じゃあ、そうするね」
料理は居酒屋のバイトで多少経験があった。と言っても作るのは目玉焼き、野菜炒め、ペペロンチーノ、ナポリタンぐらいだが、俺自身は毎日それらのの繰り返しでも問題なかった。蘆屋さんも同じとは限らないが、今日つくるぐらいは問題ないだろう。




