(12)
「じゃあ、お茶でもどうですか? 駅前のカフェですけど」
女性は俺の背後側、駅側の方向を指さす。
これが逆ナンという奴なのか。俺の人生に訪れた春なのか。
「はい、よろこんで」
働いていたのは一年以上前なのに、俺は居酒屋店員風にそう答えた。
「?」
一瞬凍り付くような間。いや、魔、というべきか。
「あはははは」
「ははは」
とりあえず、道が良く分かっていない俺は、さりげなく女性の少し後ろを歩いた。
「ああ、そうだ名前を教えていませんでしたよね」
「あ、俺は……」
「まずは私から話しますから。紫宮あおいと言います。漢字で書く時、『の』は入れないんです」
「むらさきのみや、ですか」
「ええ。『の』がないから、『しきゅう』って読めれてしまうことがあって」
「ああ、そうですね」
俺は感じを想像しながら、そう言った。確かに紫はしとも読むな。けど、音が悪いだろう。シキュウって言ったら、別の字があてられてしまいそうさ。
急に、手を差し伸べられた。
ちょっと考えて、意味に気が付いた。俺の番、ということだ。
「あっ、そうですよね。俺、影山醍醐です。だいご、が例の歴史の人物と同じで何回か役に立ちました。試験の時に名前を書くのが大変なんで、よくひらがなで書いてました」
「そうですね、字画多いですもんね。私の場合、『あおい』の方は元々ひらがななんで」
「へぇ…… 可愛らしいですね」
「あっ、よく名前だけは可愛らしいって言われます」
前を歩く紫宮さんは、後ろで自身の右手首を掴みながら、はずむように歩いている。
「あおいさん自身もかわいいですよ」
紫宮さんは、振り返ると耳に手をあてて言った。
「えっ?」
歯の浮いたセリフを聞き返されてしまって、二度言う訳にもいかず、恥ずかしくなった。
「あ、いえ」
そんなことを話している内に駅のロータリーに着いていた。
喫茶店の窓から店内を覗くと、混んではいるが、空席はあった。
その時、腕につけているGLPのあたりで違和感があった。
「?」
「カゲヤマさん、どうかしました?」
俺は店の中に目を通し、周囲にも目を配って、この違和感の元となった人物を探した。
ぐるっと一回転したら、紫宮さんの顔が目の前にあった。
「ど・う・か・し・ま・し・た・か?」
「いえ。なんでもないです」
店に入り、ドリンクをオーダーし、出来上がると、各々もって席に運んだ。
選んだ席は、意外と机の大きさが小さくて、違いの距離が近い。
机のドリンクを手にとるたび、つい、紫宮さんの胸をみてしまう。そして、柔らかい感触を思い出す。
「……」
「カゲヤマさん? あれ? 聞こえてます?」
「あっ、なんでもないです」
そう言うと紫宮さんはクスッと笑う。
「結構頻繁に、『あっ、なんでもないです』って状態になりますよね」
「すみません」
紫宮さんは笑っている。
「個人的なこと聞いてもいいですか? 年齢とか、ご職業とか」
「ああ…… いいですよ。そろそろ21になります。職業ってまだ学生です。バイトはしてるんですけど、それも結構ブラックなのばっかり」
「へぇ、今はなんのバイトを?」
「不定期ですけど、工事現場の道路に立っている人いるじゃなですか? あれやってます」
「えーあれ楽そうですけど、実際は大変ですよね?」
「やってることは別にいいんですけどね。車の人が文句言ってきたり、いやがらせみたいなことしてくるのがヤですね」
またGLPに違和感があった。
なんだろう、と思って周囲を見回し始める。
なんだ、この違和感の原因がこの中にいるはずなんだ。
ぐるっと全体を見回して、もう一度窓際の客を見た時、一人の客の顔に見覚えがあった。
に、人形使いの女…… まさか、こんなところに?
俺はあの時一緒にいた大男もいないか、店内を確認し直した。
「……なんですよ。って、聞いてます?」
大男の方はいないようだ。と思った時、紫宮さんの声に気が付いた。
「あっ、な、なんんでもないです」
「……うふふふっ。またですよ。また、『あっ、なんでもないです』って言ってます」
俺は立ち上がって、頭を下げた。そして、顔を上げた。
「ごめんなさい。ちょっと、俺、急用を思い出しちゃって?」
紫宮さんは驚いた感じもなく、冷静に言った。
「バイトですか?」
「似たような感じのことです。ごめんなさい。今度またゆっくりお茶しましょう。おごりますから」
俺の言葉に、うなずいて答えてくれた。そして、自分の飲み物を手で持とうとすると、手の平をみせて、制止された。
「あっ、片付けはやっておきます」
「ありがとうございます」
そう言って俺は慌てて喫茶店の外に出た。
駅側の人混み、反対側に散らばっていく人々。
……見つけた。
西欧の顔立ち。白くきめ細かい肌に、ビビッドな口紅。間違いなくレストランで俺を操った『人形使い』だった。
女は、駅から離れる方向に歩いている。
目立たないように、見失わないように、あるいていると、さっき頭突きを食らった駐車場を抜け、紫宮さんが働いているビルの方へ近づいていく。紫宮さんのいたフロアの明かりが消えたので、ビルは真っ暗だった。
もしかすると、最初の違和感もこっちの女だったか? 俺はビルの角から様子を確認した。
左右を確認すると、女はビルに入っていった。
もし女が勤めているなら、しばらくすればフロアに灯りがつくだろう。
俺はスマフォで冴島さんに連絡した。
『例の人形遣いを見つけました』
しばらくすると、既読、がつき『エリーとかいう女ね。またいつの間にか操られないように気をつけなさい。人形使いってのは、一度、操ったことがある相手は、次も簡単に操れるらしいわよ』と送ってきた。
『注意します』
とメッセージを入れると同時に、現在の位置情報を送った。
俺はまた待っているうちに、眠くなってきていた。
「ダメだ…… ねちゃ、だめだ……」
「あれ? ここに戻ってたんですか?」
「……紫宮さん。あの、えっと……」
「あ、カゲヤマさん、用事があるんでしたよね。けど、これ渡しとくの忘れたから。はい」
紫宮さんは俺に名刺を渡してきた。




