夏の約束1
7月の下旬。空は快晴。白く輝く太陽が私の腕に容赦なく照りつける。
自転車に乗っていたときは風を感じられたから暑さが多少押さえられていたけれど、自転車から降りたとたんに夏の暑さだけでなく体を動かしたことで発生した熱も加わり、余計に体が熱くなってしまった。
私は自転車置き場に自転車を止めて校舎へと向かう。グラウンドには朝練をしている運動部の人たちがランニングをしているのが見える。こんなに暑いときでも走らないと行けない運動部は大変だと思う。私は美術部だから運動部の大変さは分からないけれど、私は運動部に入らなくてよかったと心から思う。
下駄箱のところで靴を脱ぎ、靴を履き替え、私は校舎の中に入る。
校舎の中は日差しがないからか、校舎の外よりは涼しく感じられる。
私は教室に行く前に図書室へと向かう。今日が返却期限の本を朝の内に返しておくことにした。
図書室は2階にあり、教室が2階にある2年生の私たちは気軽に本を借りに行くことが出来る。私は階段を上り、図書室へと向かう。階段の近くには小さなエレベーターがあるけれどそれは荷物をあげるためのものだから生徒は使ってはいけないことになっている。
階段を上った先の廊下の左側には窓があり、そこから大きな杉の木が見える。右側には資料室があり、その壁に掲示板となっている。掲示板には「図書館便り」や「今月のオススメ本」といった張り紙やポスターが数枚貼られている。そして突き当たりには目的地の図書室がある。
ドアを開けて私は図書室に入る。朝の早い内に来たからか、中に生徒の姿は見えなかった。
図書室の入り口は私が入ってきた方とその反対側に1つずつある。私の入ってきた方には六人掛けのテーブルが6つあり、そこで自由に本を読んだり勉強をすることが出来る。壁には教室で使っているものと同じ黒板が付いている。反対側の入り口には本棚があり、本の貸し出し・返却のカウンターもそちら側の入り口の前にある。
本を返却するために図書室の奥へ進むと、図書室の先生(司書でいいのかな)が本の整理をしていた。
「本間先生、おはようございます」
「あら、安藤さん。おはよう。何か借りに来たの?」先生は作業の手を止め、にっこり笑いながら答える。
「いえ、返却の方です」私はスクールバッグから一冊の本を取り出す。
「分かったわ。じゃあカウンターに行こっか」
「はい」
私たちはカウンターに向かう。
先生はカウンターの後ろの方に回り込んで、カウンターの引き出しから小さなはんこを取り出した。
「『秘密の花園』か。どうだった?」先生は私が差し出した本を見て言う。
「すてきなお話でした」私は読んだ感想を正直に伝える。
それを聞いた先生はうれしそうに微笑む。
「私も好きなの。『小公子』はもう読んだかしら」
「まだです」
「小公子も秘密の花園と同じ作者の作品だから、安藤さんもきっと気に入ると思うわ」そう言って先生は私の貸し出しカードの返却の所にはんこを押した。
「ありがとうございます。今度読んでみます」
そう言って私は図書室をあとにした。
廊下を歩いている内に体を覆っていた熱が引けてきて、暑さがそれほど気にならなくなってきた。
もしかしたら本間先生と話をしたおかげかもしれない。本間先生は生徒の間では癒やし系と言われていて、私も先生と本の話をするのが好きだ。
そして私は2年棟に到着した。私は本を返すために早めに登校していたため、私が学校に着いたときはそれほど生徒がいなかったけれど、図書室にいる間に続々と生徒が登校してきていた。
途中でほかのクラスの美術部の友達に会ったり話をしていたため、私が自分の教室に着いたのは朝読書の始まる20分前になっていた。
教室の扉をガラガラと開けると、窓側の席の方で千秋と椿が何か話していた。
「なっちゃんおはよ!」私が来たことに気づいた千秋が私に向けて手を振る。
「夏希ちゃんおはよー」椿も私に気づいて声をかける。
「千秋、椿、おはよう。もう来てたんだ」
「うん。さっきまで朝練してた」千秋は吹奏楽部に所属していて、ホルンという楽器を担当している。
「うちはいつもこの時間」
「椿は良いよね。家から学校まで歩いて10分かからないとか、ホント羨ましい。私は自転車だったから暑すぎて死ぬかと思った」
「ホントそうだよね。わたしの家も椿の家くらい学校に近ければよかった」
私の言葉に千秋も同意する。千秋も私と同じく、自転車で学校に通っている。
「いっそ椿の家に住みたいな」
「賛成。私も椿の家に住みたい」
「えー、2人は多いよ」私と千秋の冗談に椿がケラケラ笑う。
「それにしても、なんで夏は暑いんだろ」
「春くらいの気温がちょうど良いのにね」椿が下敷きで顔を扇ぎながら言う。
「わたしは秋の方がいい。春は花粉があるから鼻水が止まらないし」
「あきちゃん花粉症だもんね」
「春の間はホント大変だったよ。夏になったら落ち着いたんだけどね」
ここまで言ったとき、千秋は何かを思い出したように私に顔を向けた。
「あっ、そうだ。夏希が来る前に椿と話していたんだけど、あの噂ってもう聞いた?」
「あの噂?」
「資料室に出たっていう噂」
「出たって、何が」
「これ」そう言って千秋は肘を曲げ、手首から力を抜き、手の甲を私に見せるようにして手を自身の胸の前にもってくる。
「幽霊?」私は思わず聞き返してしまった。
そのとき、教室の扉の開く音がした。私は反射的に振り返った。
そこには鍵谷君がいた。
鍵谷君はバッグを左肩にかけて教室に入ってくる。
鍵谷君を見ていたら目が合った。私はとっさに目をそらしてしまった。
「柊也君、おはよう」椿が声をかける。
「ああ、おはよう」鍵谷君は素っ気なく言った。
鍵谷君は彼の席である私の隣の席についてバッグを下ろした。
「ねえ、柊也君はもうあの噂聞いた? 資料室の幽霊の噂」
「いや、知らない」
「今からなっちゃんに聞かせてあげようと思っていたところだったんだけど、鍵谷も聞く?」
「幽霊ねえ・・・・・・話したいんだろ。聞くよ」鍵谷君はバッグを開けて中身を自分の机の中に入れ始めた。
そこに、さっきまで別の男子と話をしていた池沢君がやってきた。
「何の話? 俺も聞いて良い?」池沢君はそう言いながら椅子の背もたれに腕を乗せ、背もたれが脚と脚の間に来るようにして、本来座るべき向きと逆に座った。
「あんたは呼んでないわよ。勝手にすれば」池沢君に対して千秋が冷たく言い放つ。
「なら勝手に聞くからな」池沢君もムキになって返す。
「もう、朝から夫婦喧嘩しないでよ」椿が呆れたように言う。
「してないわよ!」
「してねえよ!」
ふたりは同時に椿を見て、息のぴったりとあった否定の言葉を飛ばす。
「もうそれくらいにして、幽霊の噂を教えてよ」
私の言葉を聞いて千秋は我に返ったようで、深呼吸をしてから話を始めた。