表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

中国誤事

中国誤事 蛍雪の謀

作者: ナカタサン

元の意味

蛍雪けいせつこう:苦労して勉学に励むことで功績を残すことができる。

車胤しゃいん孫康そんこうがそれぞれ蛍の光、窓に積もった雪明かりで勉学に励み、高級官吏に出世したことから。

蛍窓雪案けいそうせつあんなどとも言う。

歌謡『蛍の光』はこの故事をもとにして作られた。



それは古代中国での出来事であった。


しんの時代末期、南平郡に車胤しゃいんという少年が住んでいた。

車胤しゃいんは官吏となるために学問を志したが、父の車育しゃいくが南平郡の主簿しゅぼであったにも関わらず家が貧しかったため、夜の明かりにも事欠ことかく始末。

これでは九品中正制度きゅうひんちゅうせいせいどで官吏に登用される事は難しい。

そこで頭の回転が早い車胤しゃいんはどうにかして書が読めるだけの明かりを手に入れることにした。


◇ ◇ ◇ ◇


「父上、どうしてこんなに早く灯りを消してしまうのですか。これでは書が読めません。」


暗がりの中でいきどおる息子に困ったような声で父が答える。


車胤しゃいん、分かっているとは思うがわが家は今とても貧しい。夜に灯す明かりだとて金がかかるのだ。

お前が官吏になるために学問に勤しんでいるのは応援しているし、金さえあればいくらでも書を買い与えてやりたいのだが先立さきだつものが無い。

どうか理解しておくれ。」

「理解はしています。ですが官吏になるには富家ふけ豪族ごうぞくの子弟のように中正(試験官)に多額の賄賂わいろを贈るか、他者の追随ついずいを許さぬほどの知識が必要なのです。

それに私が官吏にさえ成れれば、俸禄ほうろくと後ろ暗い事をしたい者たちからの付け届けで我が家は間違いなく富みます。

どうか中正による推挙すいきょまで、推挙すいきょまででいいのです。私に学問をさせてください。」


必死ですがる息子に心動かされる車育しゃいくだったが、息子の望むまま油を使っていては明日の食すら危ぶまれる。

油に変わる夜の明かりを考えていた車育しゃいくはふと思いつくものがあった。


車胤しゃいん、薄布の袋を用意してやろう。丁度季節は夏の終わり、川辺に行けばまだ蛍がたくさん飛んでいる。

蛍を布に詰め、明かりの代わりにするのだ。」


父の思い付きに明らかに落胆らくたんしてうなだれる息子は大きなため息とともに言った。


「父上、例え百匹集めたとて蛍程度の明滅めいめつする明かりで文字は読めません。それに集めた蛍は一晩もてばすべて死んでしまいます。

そのようなくだらない虫取りをしている間も惜しいというのに、どうして父上は…。」


その時車胤しゃいん脳髄のうずいに電撃が走ったように何かを閃いた。


「そうか、父上。蛍ですか、とても素晴すばらしい案です。さっそく薄布の袋を用意していただけるよう母上にお願いしましょう。

私は今から蛍を集めに行ってまいります。」


もう夜も遅いと止める父を振り切り、母から布袋を受け取った車胤しゃいんはその晩袋いっぱいの蛍を集めて来た。

そして次の日も次の日も、車胤しゃいんの蛍採集は夏が終わり蛍が居なくなるまで続けられた。

蛍が捕れなくなると、車胤しゃいんは父に言った。


「父上、主簿しゅぼ伝手つてを使って私を太守の王胡之おうこし様に会わせてください。」

「太守様に会ってなんとする。いくら太守様にお願いしようとも、中正の推挙すいきょが無くては官吏になど成れないぞ。」

「別に推挙すいきょ口利くちききをお願いしたり、お金の無心に行くわけではありません。会えば毎夜蛍を集めた成果が現れるかもしれませんので。」


首をかしげる父であったが、自分の立場であれば短い時間太守様にお目通り願うことなど造作ぞうさもない。

息子にくれぐれも失礼が無いように厳しく言い含めると、数日後に息子と共に太守王胡之おうこしと会えるよう約束を取り付けた。


車育しゃいく堅物かたぶつのおぬしがわしに会いたいとは珍しいこともあるものよ。なんぞ問題でも出たのか。」


太守王胡之おうこし椅子いすに深く腰を掛けながらその太った腹を揺らす。


「いいえ、王胡之おうこし様の貴重なる時間を割いて頂いて誠に恐縮なのですが、本日は我が愚息ぐそくがどうしても王胡之おうこし様にお会いしたいと申しておりまして。」

「ふぉほほ、よかろう。政務も無く暇をしていたところじゃ。」


王胡之おうこしの細い目が値踏ねぶみする様に車胤しゃいんを捉える。


「お初にお目にかかります、私は車育しゃいくそく車胤しゃいんと申します。本日は常日頃より敬愛する王胡之おうこし様にお会いできて大変嬉しく感じております。」

「ほう。敬愛かね。」

「はい、父よりも毎夜のように王胡之おうこし様のように誰からも敬愛される徳の高いひとかどの人物に成れと言われております。

父が下々の者から付け届けも受け取らず堅物かたぶつ揶揄やゆされるのも、自らが受け取ったまいない王胡之おうこし様の大徳だいとくに傷をつけてしまっては死してびてもまだ足りないという事と聞き及んでいますが、実際に会って確信いたしました。

その全てを見透かすようなたかのように鋭い眼光と、威光があふれ出すような貫禄かんろくのあるお姿。

一言言葉を交わしただけでも分かるような、高い知性の輝きは私が今まで会ったどのような者も並び付きません。

王胡之おうこし様のその威徳を目にすれば、分別もつかぬ赤子すらもこうべを垂れることでしょう。」

「ふぉほほほ。堅物かたぶつの息子にしてはよくわかっているではないか。」


その後も車胤しゃいん王胡之おうこしを歯の浮くような台詞せりふを並べ立てて持ち上げ、褒めたたえた。

気を良くした王胡之おうこしが言った。


車育しゃいくよ、この息子わしが見るに将来高官に上る相であろうことが分かる。勿論わしには及ばぬだろうがな。

息子を学問に励ませ、来たる日に中正に判じさせるが良かろう。」


すると車胤しゃいんは目に見えて落胆らくたんしたような表情となり言った。


「私は今日まで王胡之おうこし様を目指して学問に励んでまいりましたが、とても時間が足りないのです。

貧しさに夜は家の灯りも消え、わずかでも書を読み進めるべく蛍を集めて灯りとしましたがそれができるのも夏だけの事。

秋にさしかかった今では蛍もおらず日も短くなりゆきて、書を開ける時間も減っております。」

「む、蛍とな。最近夜がな布袋いっぱいに捕えた蛍を運ぶ不可思議ふかしぎな小僧がいると聞いていたが、お前だったのか。」

「はい、お恥ずかしながら、きっとそれは私でしょう。」


王胡之おうこしは眼を閉じてしばらく考えると言った。


車胤しゃいんといったな、わしの屋敷は警備のため陽が落ちてから明けるまで火を灯している部屋がある。

そこを使い勉学に励め。屋敷への立ち入りはわしが許す。」


この時のために車胤しゃいんは蛍を捕え運ぶ際、故意に何度も王胡之おうこしの家人にさりげなく接触していたのです。

夜中に蛍を運ぶ不可思議ふかしぎな小僧の噂は家人から王胡之おうこしへと伝わり、やがて王胡之おうこしの思考にしっかりと根を下ろしました。

強く印象に残っていた不可思議ふかしぎな小僧が、自分にあこがれ貧しさを乗り越えて学問を修めようとする少年だったと知った王胡之おうこしは、つい車胤しゃいんの手助けを申し出てしまいました。

この後王胡之おうこしの屋敷で勉学をする事になった車胤しゃいんは、たゆまぬ努力を続けながら人脈を作り、数々のはかりごとを成功させながら高級官吏に抜擢ばってきされ、最後には吏部尚書りぶしょうしょの官位まで昇りつめました。


◇ ◇ ◇ ◇


この出来事は同時代の雪明かりを使ってはかりごとを成功させ、書を読むための灯りを手に入れ出世した孫康そんこうと合わせ『蛍雪けいせつぼう』として後々までに語り継がれた。



中国誤事

蛍雪けいせつぼう:ただ生真面目きまじめに勉学に励み知識を積み上げるだけでは功績は上げられない、知恵をしぼって策謀さくぼうを成功させてこそ大きなことが成し遂げられるのだ。



車胤の参考文献:Wikipedia

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ