3.
「とりあえずミラーハウスは空振りね。ウララビ、次はどこに行くべきだって思う?」
「くん」
「どこに行くべきだと思う、ウララビくん?」
「アクアツアーだ」
目星のないあたしが尋ねてみると、当座の相棒は躊躇なく言い切った。
「ミラーハウス、アクアツアー、ジェットコースター、観覧車、メリーゴーラウンド。奴らが巣食うのはそこだ。お前の後輩も、いずれかに囚われているだろう」
「ん? ドリームキャッスルは違うの? あそこには拷問部屋があるって聞くけど」
するとウララビは首を振り、
「キャッスルに拷問部屋などはない。あれは、ただの訓練施設だ」
「訓練……」
拷問と聞き違えるくらいの訓練。
それが一体どんなものか、全然知りたいとは思えなかった。少なくとも愛くるしい動作や、着ぐるみのままでの軽快なステップなんかとは別次元のもののはずだ。
「……えっと、まずアクアツアーからなのはなんで?」
ミラーハウスから近いのは、メリーゴーラウンドかジェットコースターだ。
まだこのウサギを完全に信頼したわけじゃないあたしは、意図を透かすように着ぐるみの顔をじっと見つめる。
「今挙げた順に、奴らは質が悪い。ミラーハウスとアクアツアーは対処しやすい部類に属する。ミラーハウスは鏡に、アクアツアーは水に依存するからな」
「なるほどなるほど。楽なとこから回って、そこで見つかればラッキーってわけね。というか観覧車とメリーゴーラウンドってそんなにヤバいの?」
「噂からも瞭然だろう。ミラーハウス、アクアツアー、ジェットコースター。これらにまつわる怪奇譚は、全て開園中のものだ」
「あ、そっか」
言われて思い至った。
開園中と廃園後。その視点でわけると、観覧車とメリーゴーラウンドは異質なんだ。
観覧車は明確に「廃園って単語が出てるし、開園中にメリーゴーラウンドが回ってたって何の不思議もない。夜に動いてたとしても、点検かなんかだって普通は思う。
「そういう事だ」
あたしの理解を察して、ウララビが頷いた。
「他が休眠に入ったその後も、こいつらだけはしぶとく活動を続けている」
言われて、あたしはメリーゴーラウンドへと目を向けた。
今はただ、ぼんやり闇に聳えるばかりだけれど。観覧車がか細い声を出すだけなのに対して、これは自ら煌びやかに回転してのけるのだ。
餌食を招き寄せて捕食する、まるで虫食い花のようだと思った。
「あと、ひとつ提案なんだけど」
背中に走った怖気と怯えを悟られぬよう、あたしは声を張り上げる。
「危険の少ないとこを手分けして探すっていうのは、悪手?」
「駄目だな」
素っ気なくウララビは首を振った。
「危険度の高低はあくまで比較だ。どのアトラクションにおいても、単身の場合安全は保証できない。だがそれ以上の理由として、奴らは生きた人間に反応する。人がいなければ巣穴の奥に引きこもったままだ。お前の後輩を探すのも、討ち滅ぼすのもままならない」
マニュアルを読み上げるようなきっぱりした語調に、あたしは思わずウララビの顔を見上げる。
今の物言い、彼は「生きた人間」の中に自分を含めていなかった。
つまりは、ウララビも向こう側の存在という事なんだろう。
*
というわけで、アクアツアーにやって来たんだけれども。
そのコースを見て、あたしは絶句していた。
だってここは廃園だ。廃墟と言ってもいい。だからここの水だって、すっかり抜かれてると思い込んでた。空の水路をマリを探して走ればいいやって決め込んでいた。
なのに、そこには満々たる水面が、夜空を映して黒々と揺らめいている。
「え、これどうするの?」
「船で行く」
「船って、だってそんなのどこにも……」
あたしの言いを遮って、ウララビが夜の向こうを指し示した。
まるで所作に応じたように、水の上をするすると駆けて来るものがある。やがて船着場に到着したのは、昔幾度となく乗った、このアトラクションのツアーボートだった。
ひらりと意外な身軽さでウララビはそれに飛び乗り、
「どうした。行くぞ」
当然のようにあたしに手を差し伸べた。
──ううう、嫌だなあ。
おっかなびっくり乗り込むと、ボートはすいと岸辺を離れた。そうして、水路を矢のように進んでいく。
勿論ウララビやあたしは操縦なんてしていない。自分の意志を持ってるみたいな、驀地に目的地を目指す動きだった。
ていうか凄く自由に航行してるんだけど、これって下のレールに沿ってくものじゃあないの?
「この船って、どこを向かってるの?}
「巣だ。こうして人を誘い込むのが奴の常套手段だ。直上に来たら逆にこちらから乗り込んで、仕留める」
待って。ちょっと待って。なんなのこのマスコット。さっきも「討ち滅ぼす」とか言ってたけど、なんでこんなにも殺る気なの? 失業した恨みなの?
あたしはマリたちが見つかればそれでいいんだからね、と念押ししたくなったところで、船が停まった。
「着いたな。行ってくる」
「行くって、え?」
引き止める間もなかった。
ウララビは「ちょっとコンビニ」みたいな気軽さで船の外に踏み出して、そのままどぼんと水に沈む。大した深さじゃないはずなのに、桃色はたちまちに見えなくなってしまった。
それきり、辺りは静まり返る。
聞こえるのは、ちゃぷ、ちゃぷ、と船を洗う波の音だけ。黒い水は底を見通せず、周囲の空間も射干玉の闇だ。
心細さがいや増して、今更ながら恐怖がぞくりと肌を這った。
ウララビの変なヤツ具合に当てられて麻痺してたけど、この状況、相当おかしいしおっかない。
そりゃあの着ぐるみがいなくちゃ二進も三進も行かなかった。でもあいつの所為で、よりどうしようもない深みにはまり込んでしまっているような気もする。
そんな不安を見透かしたみたいに。
ごぽり。
唐突に、水面で気泡が弾けた。
身を震わせてそちらを見ると、また、ごぽり。さっきよりも近い位置で大きな泡がまた割れて、波紋を広げる。
──何? 何が起きてるの?
船から身を乗り出すようにしてそちらを見透かす。でも、やっぱり何も見えない。
ごぽり、ごぼり、ごぼり。
泡が連続して弾ける。その間隔が徐々に短くなっていく。
やがて黒い水を激しく割って、あたしの鼻先に首が飛び出した。
それはぬめりとした鱗をびっしりと生やしていた。頬の横には切れ込みのようなエラ。細い月光を、暗く澱んだ淵のような魚眼が反射する。
「きゃ──!」
船内に仰け反って、あたしは悲鳴を上げかける。
でも首に続いて出たのは腕だった。ふわふわの、ピンクの毛皮に包まれたウララビの腕だった。シンクロナイズドスイミングの決めポーズみたいな格好で、彼は手のひらの上に、半魚人っぽいのの首を載せて飛び出してきたのだ。
ウララビは立ち泳ぎのまま、もう一度見せつけるように生首をあたしの鼻先に近づける。ちょ、グロ……!?
「済んだぞ。下に人はいなかった」
「あ、うん。そう……」
ね、ちょっと待って。なんなの今の出方? その演出、絶対必要なかったよね?
色々とツッコミたかったけど、言葉が出ない。
そんなあたしを尻目にウララビは首を投げ捨て、ざばりと水音を立ててボートに再度乗り込んでくる。
「あ、ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
制止は、残念ながら遅かった。
あたしは揺れる船体に掴まりながら眉をしかめる。水をたっぷり吸った着ぐるみがそのまんま上がってきたら、ボートの中は水浸しになるに決まってる。あたしも余波でびしょ濡れだ。
「……って、あれ?」
でも、そうはならなかった。
不思議な事に彼の毛皮からは、一滴の雫も滴っていない。どころか全般的にふわふわとしたままだった。
その体は、少しも濡れていないのだ。
──やっぱりこいつも、この世のものじゃないんだ。
改めて、そう思った。
だけど濡れウサギじゃなかったお陰で、気が付けた事もある。
彼のあちこちに生じた毛皮の剥がれ。真新しいそれは経年劣化のほつれじゃなくて、きっと今、水中で受けた傷のはずだった。
動機はよくわかんないけど、でもウララビがあたしたちの為に動いてくれてるのは確かみたいだし。それになんていうかこいつ、結構律儀で真面目で不器用で、おまけにどっか世間知らずだし。
なら、もうちょっとだけ信じてやってもいいかもしれない。