帰らざる旅路9
「……痛ってえ!
でも助かった……か?」
その部屋は幅二メートル、奥行きが三メートル程の部屋……いや通路かも知れない。だった。
奥に見える扉と、今しがたラーズが飛び込んできた扉の二つ以外、とくにこれと言ったものは見えない。
「エアロックってやつだね。
クラウンの探査潜水艇に乗った時に見たのと、おんなじ感じだね」
レイルは言った。
なんで、潜水艇に乗ったことがあるのかにも若干興味があったが、ラーズは考えないことにした。
仕事である。バッドゲームズのプレイヤーも楽ではないのである。
「なんか……へんな音が……」
「ん。するな」
ゴーといううなり音は、宇宙船の外壁を水が叩いている音だろう。
「でもまあ、普通に考えて宇宙船が水ごときでどうこうなるワケ……ないよな?」
最後が疑問形だが、ラーズはそういう。
最後が疑問形なのは、宇宙船がへんな振動を起こし始めたからである。
「……ないよな?」
もう一度、周囲を見回してラーズは言った。無論誰も答えないが。
直後、得も知れない音を立てて、足場が揺れた。
斜めに傾いて、滑る。
……水に押されてる!?
裏切られたような、期待通りのようななんとも言えない気持ちでラーズは思った。
ズン。と低い音と衝撃。宇宙船が壁にぶつかったのだろう。
ぶつかったのだろう。などと呑気に言っている場合ではない。
ラーズを含む四人は、なすすべもなくその衝撃で吹っ飛ぶ。
すくなともラーズは天井に一回、壁に二回叩きつけられた。保護障壁を上げているとほかのメンツに接触した時、大けがをさせかねないので、この衝撃を緩和する手段はやせ我慢しかない。
「……っー」
「みなさん! 危険なので何かにつかまって!」
ラーズは脇腹を強打して悶絶している所に、ワンテンポ遅れてスピーカーから流れたエージェント・クロウラーの声が重なった。
「遅せーよ! 大体つかまる場所なんかねえだろ!」
こぶしを振り上げて、抗議の声を上げる。まあ、エージェント・クロウラーに聞こえているのかどうかわからないが。
「……痛たた」
こちらはアベル。どこかで頭を切ったらしく額の辺りから流血している。
「……この狭いところで、シェイクされ続けたら体がもたねえぞ」
アベルの意見には、ラーズも大いに同意するところだ。
「中へ入ろう。
なにか適切なシートに座るべきだと思うよ」
レイルはすでに、奥の扉を開けにかかっている。
……なんでこいつは魔法も使わずに、さっきのでノーダメージなんだよ?
エレーナなどは、よっぽど打ち所が悪かったのか、伸びてアベルに抱えられている。
こっちは役得か? いや、現状で役得でも大マイナスか。
「レイルに続け!」
エレーナを抱えているアベルを先に行かせる。
「前は……左だね」
エアロックの出口を出たところで通路は左右に分かれている。
丁度エアロックの長さが、船の全幅と同じくらいなので、この通路の突き当りの壁の向うは船の反対側の外と言うことになる。
ここで再び衝撃。
今度は、明確にガンというなにかが船体に当たる音が聞こえた。
「……これって、洞窟が崩れてる……?」
「ラーズ早く!」
レイルが珍しく叫ぶ。見ればアベルはエレーナを抱えて、通路の奥に引っ込むところだ。
それに呼応するように、船の後部が徐々に下がっていく。
「!?」
ラーズは外で水泳してしまったので、全身ずぶぬれである。
そして、船の床のリノリウムのような素材。これがまたよく滑る。
「エージェント! 早く飛ばして!」
船の前の方に向かって叫びながら、レイルは手にした杖をラーズの方に伸ばす。
船の傾斜はあっという間に、三〇度程度に達した。
「うわあ」
という若干情けない声を上げて、ラーズはレイルの差し出した杖に飛びついた。
本来なら、レイルが自分の体重を支えられるか考えなければならないシチュエーションなのだが、残念ながらその余裕がラーズにはなかった。
「ぐっ!」
レイルが歯を食いしばる。
コイツもこんな顔するんだ。とラーズはちょっといいものを見た気分になった。
一瞬、レイルが魔法を展開する気配を見せたが、それらは魔力を流れることなく霧散して消えた。
レイルをもってしても、やはりコンピュータの助けなしに瞬時に魔法を発動させる事などできないのある。
「……ああ……」
あからさまに苦しい声を出すレイル。
当たり前である。ラーズの体重は七五キロ程。装備品まで含めると八〇キロを超える。これを十三歳の少年に支えろというのは無茶な話と言える。
「……ダメか!?」
判断は一瞬。ラーズは杖から手を放した。
別に後ろの方に落ちたからと言って、死ぬわけではだろう。
「エージェント・クロウラー! 飛ばせー!」
ラーズは叫んで、地面を蹴った。
その直後、ドンという衝撃音と共に、船が動いたのが分かった。
結構な衝撃である。扉のところで補助バーをつかんでいたレイルすら体が一瞬浮いた程だ。
そして、そのレイルの体浮いた空間をスライディングの要領ですり抜けて、アベルがラーズの方に走り寄る。
今、自分たちの乗っている宇宙船がどうなっているのか、ラーズにはわからなかったが、上下左右に振り回されるその中、アベルはラーズにたどり着く。
「《ショックサプレッション》!」
アベルはラーズにしがみついたまま、防御魔法を展開。
二人は、そのまま四度ばかり壁……か床かわからないが……に打ち付けられる。
「痛てえ!」
今日何度目かわからない、言葉。
「……ああ。畜生……なんで生きてんだ、オレ」
アベルも愚痴をこぼす。
だが、気が付いてみれば床は水平になり、衝撃も襲ってこなくなっている。
「……もしかして……助かった……?」
「いやあ、一難去っただけだろ」
安堵の息を付くラーズにアベルが言う。
ひどい話である。だが、ラーズも同意だった。
「じゃあ、もう一難くらい……来るか?」
「ひどい目にあったぜ」
「まったくだ」
口々に文句を言いながら、アベルとラーズは船の前の方へ向かう。
最初に入ろうとしていた扉の向こうには、飛行機のキャビンのような部屋があり、十席程のシートが据え付けられていた。
「なんでここまで辿り着けないかなあ」
と、独り言を言いながら、ラーズは一番近い席に座った。
固い座面と腰によくフィットする良いシートであると、ラーズは思った。
もしかすると、この船は金持ち用のクルーザー的な船なのかもしれない。
そんな船で、これから戦闘している所を飛ぶ。など冗談ではないのだが、ラーズは考えないことにした。本当にそうだった時、心が萎えそうだったからである。
「で、外はどうなったんだ」
壁にある、窓……だと思う、樹脂製のシャッターに手を伸ばしラーズは言う。
現実的な状況判断と、怖いもの見たさがそれぞれ半分と言った所だが、まあ見たいものは見たい。
「うわあ、すげえ」
樹脂製のシャッターを開け、窓の外に広がる光景にラーズは、なんのひねりもない感嘆の声を上げた。
それも致し方ないだろう。
遥か遠くに臨む青く輝く水平線……要するにセンチュリアの昼の部分だ……と、満天の星空。いづれも今までセンチュリアの住人で見たものは居ないだろう。
「キレイだね……」
自らもシャッターを開け、外を見たレイルもただ感想を述べるのみ。
「帰って来られる……かな?」
レイルのその言葉が誰に向けられたものなのか、ラーズにはわからなかったが、ラーズもまた同じ気持ちだった。
「盛り上がってる所、悪いが左側は地獄の光景だぞ」
アベルが、船の左側の窓を示して言う。
「どういうことだよ」
言いながら、ラーズは席を移動し、窓の外を除いた。
「ああ。これは確かに地獄だわ」
ラーズが見ていた側が、昼の部分の方だと言うことは、反対側はセンチュリアの夜の側という事になる。
その暗闇の先、きらきらと輝くそれは決して星ではない。
なぜなら、それは動いているからだ。
「宇宙人の宇宙船……だよな? どうかんがえても」
「だろうなあ。どう考えても楽観的な物には見えないよなあ」
ラーズのつぶやきにアベルが答える。
光の粒一つが一隻だと仮定すると、一〇〇隻以上は大気圏の上の方に居ることになる。
まして、その一か所に集まっているとも思えないので、実際はその数倍は居ると言う事だろう。
「……」
ラーズは無言で席を立ち、操縦席……なんとなく前の方だと思う……に向かった。
操縦席、というか操縦室はあっさり見つかった。
巨大と言っても全長五〇メートルほどの船である。ほとんど当てずっぽうでも見つかるだろうが。
「……エージェント・クロウラー!
外のアレ見たか!?」
「侵略者の船ですね。問題はないでしょう」
操縦席……というのかどうかは分からないが、シートに座ったエージェント・クロウラーは小さな舵輪に手をかけながら答えた。
「ないのか!?」
にわかには信じられない、その言葉にラーズは驚愕する。
「はい。あれらの船は既に軌道封鎖の準備に入っています。
少なくとも上からの命令がなければ、我々を追跡する事はできません。
そのタイムラグがどれくらいかは分かりかねますが……我々が、大気圏を抜けて超光速飛行に入るのに間に合うことは、ほぼ無いと言っていいでしょう」
「いま、さらっと超光速って言ったよな?
超光速飛行に入れば安全だと?」
「超光速飛行中の船は、それぞれ孤立した次元の中を飛びます。外部から干渉する事は事実上不可能です」
「……じゃあ、安心していい?」
最後は、若干の期待を込めてラーズは問う。
「はい。
それよりそろそろ大気圏を抜けます。席に」
そういうエージェント・クロウラーに対してラーズは、操縦席の隣に腰かけた。
「見ててもいいか?」
「問題ありませんが、センチュリアの人々には他言無用でお願いします。
それとシートベルトを」
宇宙船のシートベルトと言っても、普通のバックル式のシートベルトである。装着するのに難しい事はなかった。
改めてラーズが右舷の窓の外を覗くと、もうすでに惑星センチュリアの全景が見えるようになっていた。
既に数万キロは離れたという事だ。
「サニタリオンを回り込んだら、超光速飛行に入ります」
惑星センチュリアは二つの衛星を持つ惑星である。衛星サニタリオンは第一衛星で、センチュリアから約九〇万キロの距離を回っている青い月である。
かつて、サニタリオンが青いのはこの衛星には大気があって、この地を高度に進んだ文明が治めていると言われていた。
「……実際にはサニタリオンには大気はなく、青く見えるのは青以外の光を吸収するケイ素系の鉱物によるもの……か」
「よくご存じですね。マイスタ・ラーズ」
「……なに、何かのテレビ特番の受け売りだよ」
そんなことを言っている間に、サニタリオンが迫ってくる。
最初正面に見えていたそれは、エージェント・クロウラーの操舵によって船の左側に流れる。
エージェント・クロウラーはマイクと取り、再び艦内放送を行う。
「みなさん。この船はこれから超光速飛行を行います。
閃光と破裂音に注意してください」
「閃光ってのは、なんか感覚的にわかるんだが……破裂音なんかするのか?」
その放送内容についてラーズが尋ねる。
「はい。超光速飛行に入る瞬間に、ソリトン化した粒子が船の中を貫通していきます。
その粒子が、空気の分子に接触すると熱を持つので、破裂します」
「……奥が深いんだなぁ」
……オレたち魔法使いだぜ? なんで宇宙船乗ってるんだよ?
そんな疑問が頭を擡げる。
「超光速飛行一分前です。皆さんご準備を」
再び、マイクを取ったエージェント・クロウラーは言った。
そして、いくつかのスイッチを操作する。
超光速飛行というのは、ラーズが考えていたより簡単な操作のようだ。
そして、エージェント・クロウラーが予告した一分後、船内は純白の光で満たされた。