帰らざる旅路8
ここまでの戦闘で、敵性勢力には魔法使いが居ない事はわかっていた。
故に、ラーズは楽勝……少なくとも戦術や戦略が介在しないレベルで負ける事はないと考えていた。
「……うわ。熱っ!」
唐突に洞窟内に放たれた炎にラーズが悲鳴を上げる。
よく、ラーズに限らず炎系の魔法使いには炎は無効。みたいに思われている節があるが、これは間違いである。
実際ラーズの保護障壁は熱を極めて効率よく遮断するが、その防御は完璧ではない。
ましてや、ナパーム油脂などぶっかけられたら、たまったものではない。
ナパーム油脂。要するに火炎放射器である。
火炎放射器という武器は、一般に考えられている以上に凶悪である。ナパーム油脂は一度燃え上がると、水をかけても消えることはなく、その燃焼温度は条件次第では一〇〇〇度を超える。加えて、閉鎖空間では周囲の酸素を奪うのである。
「大丈夫かよ!?」
「びっくりした。ヤケドしたらどうすんだよ」
普通はヤケドでは済まないのだが、ラーズはダメージの大半を見てからカットしたのだ。
「……しかし、ファイアスロアーとは考えたな。
非人道的過ぎて考慮もしてなかった」
状況を考えれば、火炎放射器は有効な武器であることは否定できない。
しかし、センチュリアの倫理観ではそんな武器を使うことなど考えられないのである。ゆえにアベルもその可能性を除外していた。これはミスである。
もし、今火炎放射器で炙られたのがアベルだったら、全身に大やけどを負っていたかもしれない。
「なんて奴らだ」
ラーズは悪態を付いた。
現状、追跡者たちは曲がり角の奥に陣取って、こちらに火炎放射器を向けている。
それでも炎に対して耐性のあるラーズはともかく、アベルがうかつに顔を出せば一発で戦闘不能に陥る可能性がある程度には危険である。
「でもまあ、干渉できるんだろ?」
「当然」
アベルの問にラーズは答えた。
ラーズの力の本質は物体の酸化である。普段使う炎の魔法は、酸化が最もわかりやすい炎という形で見えているに過ぎない。
つまり、ラーズは物体が燃えるのを妨害する能力も持っているのである。
無論、制限があるのは言うまでもないが。
「バックアップするぜ?」
「おーけい。顔出す時間だけファイアスロアーに妨害かけるから、《フリージングチェイン》とかで狩れるか?」
《フリージングチェイン》とは、アベル手持ちの効果付きダメージ魔法である。地面や壁を這いまわる氷の鎖を多数放ち、これに接触した相手を氷漬けにするという効果がある。
アベルの魔法特有の、直接ダメージが低めな代わりに、相手に莫大なリカバリーコストを要求するタイプの魔法の筆頭と言える代物だ。
「じゃあ行くぜ」
声を潜めて、ラーズは指を三本立てた。
二、一とカウントダウンを行って、〇のタイミングより少し早く飛び出す。
もちろん、待ち構えていた敵が火炎放射器をラーズに向けて放とうとするが、すでに周囲の空間はラーズによって燃焼阻害が行われている。
兵士たちの持つ火炎放射器はその先端から、黄色ががかったナパーム油脂を噴き出しただけだった。
兵士たちの唖然とした顔。
そして、そこへアベルが躍り出た。
「……《フリージングチェイン》デプロイ!」
アベルは掲げた右手に灯った青白い光の玉を、自分の足元に叩きつけた。
地面に吸い込まれた青白い光は、一瞬で床と言わず壁と言わず、走りまわる光の鎖に変じる。
これらの鎖は、当然熱源誘導機能と友軍識別機能を持っている。
故に、鎖はラーズの足元を抜けて、その向こうの兵士二名に殺到した。
キン。と澄んだ音がしたかと思うと、地面や壁から飛び出した青白い鎖が、彼らを氷の彫像に変える。
「後六……GoGoGo!」
言いながら、今しがたできたばかりの氷の彫像の横をすり抜けて、ラーズが走る。無論アベルも後を追う。
残りの追手は隠れているつもりなのかもしれないが、狭い洞窟の中である。ラーズの探知を逃れるのは非常に困難である。
実際に。
「《炎の矢・改》デプロイ!」
壁際のくぼみの横を走り抜けざま、そのくぼみにラーズが魔法を投げ込むと、悲鳴を上げながら兵士が二人転がり出してきた。
ラーズの魔法で火炎放射器の燃料に着火したらしく、すぐに二人は火だるまになった。
それでも、二人の内一人は気合で……なのかどうかわからないが……アベルに抱きつくように躍りかかる。
「……こっちにくんな! 熱いだろ!
《マジックシールド》デプロイ!」
《マジックシールド》はスタンダードな指向性防御魔法である。術者の任意の方向に直径二メートル程の魔力の盾を生成する。
アベルのかざした右手の先に、青白い光でできた魔法陣が形成される。
躍りかかってきた兵士……文字通り火だるまだ……が、その盾の先で動きを止める。
防御特化のアベルが作る盾を突破できないのである。通常ならその盾は直径二メートル程なので回り込む、という選択肢もあるのだが、洞窟の中という閉鎖空間でそれはできない。
「《ファイアウォール》デプロイ」
そこへ、ラーズの追撃。発生した炎の壁が、兵士2名を飲み込みアベルの作った盾まで押し込む。
「……ファイアスロアーなんか持ち出しといて、自分が燃えるのはイヤ。なんて言わないよな?」
「当然だろ」
ラーズとアベルは言葉を交わして、再び走り始めた。
「っしゃぁ!」
と気合の声を上げ、ラーズは追撃してきた兵士の一人を剣で斬って捨てる。
「これで十人か……増えてるな」
「増援だが……一気に増えないなら、まだ何とかなるな」
「どっちかというと、オレはVMEの電池が気になる所だが」
アベルは右のてのひらに視線を落とした。外からは見えないが、アベル自身にはVMEのステータス画面が見えているはずだ。
「本気でこの戦闘が終わったら、すっからかんになりそうだな。
まあ、まだ戦闘が続くようなら、もう助からないだろうが」
「……足音が遠ざかって行くな……撤収か?
……いや」
ラーズは希望的観測を述べたが、そんなわけはない。
これは次の攻撃の前触れである。
「……さて、今度はどんな手で来る?」
何しろ敵は宇宙人なのだ。何を考えているか分かったものではない。
正直言って、人間が武器を持って目の前に出てくるなら、ラーズ的にはOKである。
問題は……
「問題は」
思った事をラーズは口にした。
「問題は、致命的な殲滅攻撃を敵が選択した場合だな……
……例えば」
「……この洞窟って、どう考えてもプラチナレイクの水面より下だよな……」
上の方を見ながらアベルは言った。
普通こういった水面下にある洞窟は浸水して水没している物だが、ここはどういう理屈かはわからないが、普通に乾いている。
これもエージェント・クロウラーの所属する宇宙人達のテクノロジーなのかも知れない。
もっとも、物理的に壁に穴が開いてなお、水が入ってこない物なのだろうか?
「……だよな。オレも多分お前と同じことを考えてる」
「……穴、開けるよな。普通。
殺すつもりなら」
微妙に腰を引きながらアベル。
「ああ」
こちらも腰を引きながらラーズ。
火炎放射器が封じ込めを意図したものであるなら、その運用も納得いくというものである。
「ああっ! やっぱり水のにおいがするぞ! 逃げろ!」
アベルが叫んだ。
言うが早いか、ラーズとアベルは走り出した。
だが、とんでもない風が洞窟内を吹き荒れて、二人の行くてを遮る。
この風の出どころは簡単である。どこかから洞窟内に流れ込んでいる水が空気を押し出しているのである。
「うわ来た!」
後ろを振り返ったラーズが叫んだ。
言うまでもなく水が流れ込んできているのだ。
「アベル! 凍らせろ!」
「無理! 無茶ぬかすな!」
ラーズの無茶ぶりぬアベルが叫び返す。
アベルの氷の魔法は、単位時間あたりに奪える熱量が決まっているので、あまりの大量の水を凍らせることはできない。
従って……
「じゃあ死ぬ気で走れぇ! 死ぬぞ!」
だが現実問題として、それほど広くもなく走りやすくもない洞窟内で、流れ込んでくる水から逃れるなど不可能である。
「ぎゃ!」
という悲鳴を上げかけたアベルが水に追いつかれた。そのまま水に飲まれる。
水竜であるアベルが水で死ぬのか? とラーズは思ったが。冷静に考えれば大質量で押しつぶされれば死ぬ。水とかは関係ない。
もっとも、他人の心配など無用だ。ともラーズは考えた。
後、ほんのコンマ数秒で自分も水に飲まれるだろう。
何分経ったのか、あるいは何秒だったのかはわからないが、ラーズの目の前で視界が開けた。
地面に転がったラーズの上に、やはり転がってきたアベルが折り重なるように倒れ込む。
「……し……」
「し?」
絞り出すような声で呻くアベルの隣にしゃがみこんだエレーナが、その言葉に耳を傾ける。
「……死ぬかと思った!? いや死んだんじゃないのか!?」
唐突に飛び上がるように起き上がったアベル。
「いや、生きてるから」
至極冷静にエレーナが返す。
「わたしが風の魔法で、水の侵入をシャットアウトしたのよ!」
やたら誇らしげに胸を張って言う。
要するに、水を遮断して個体……要するにラーズとアベルだ……を通過させる障壁を作ったという事だろう。
風系の魔法は地味だとか言われることの多いし、実際地味だが実は可用性の高い魔法が結構ある。
エレーナの魔法は確か気圧制御だったはずなので、『個体は通すが液体は通さない』と言った特性の障壁を作れたのだろう。
……本来どういう場面で使おうと思ってたのか知らねえけど。
「できれば、宇宙人をシャットアウトしてくれれば、助かったんだけどねぇ」
とレイル。
まあ、至極もっともな意見である。
「……まあ、それはいいんだが……」
微妙に口ごもりながらアベルは言葉を続ける。
「……エレーナの魔法って、そんなに長く持つのか?」
アベルの疑問はもっともである。この宇宙船を隠した施設が地下何メートルくらいにあるのかは分からないが、プラチナレイクの水が流れ込んできているなら、尋常ではない水圧がかかっていると推測できる。
ラーズの体感では、楽観的に見てもエレーナの魔法出力はラーズの4割と言ったところだろう。
……オレなら支えられるか?
と自問する。無論、エレーナが張った障壁にかかっている水圧の話である。
答えは決まっている。そんなん無理である。
アベルなら水圧軽減などの魔法もあるだろうが、エレーナにそんなテクニカルな魔法があるとは思えない。
そして、レイルは既に魔法が枯れている。
「……エージェント・クロウラー! 早くしてくれー!
このままだと、オレたち死にそうだー!」
割と悲痛なラーズの言葉に、意外にも返答はあった。
「……まもなく準備が終わります。
船の中へ!」
「よし行くぞ!」
言うなり、ラーズ、アベル、レイルの順で走り出す。
だが、
「……ん?」
と、アベルが足を止めて振り向く。
「エレーナ行くぞ! というかそこにいたら、もうすぐ死ぬぞ」
既に障壁が壊れることを前提にアベルが声をかける。
「……ええ。行きたいんだけど……その……」
ああ。とラーズは理解した。
どうやら、エレーナが張った障壁の正体は維持型らしい。
維持型とは、一定時間毎に維持コストを要求するタイプの魔法の事で、一般的にはエンチャントと言われる。
このタイプは要するに、効果が高いが制約が多い。という魔法である。高機動の飛行魔法などは大抵このタイプだ。
なるほど、こういった代物ならエレーナでも大圧力に対抗する障壁を作ることができるわけである。
「《氷の矢・改》で二秒かそこらの時間を稼ぐ。その間に跳べ」
エレーナは飛行魔法を持っていない。しかし、エレーナは代わりに《スキップ》という魔法を使う。
《スキップ》とは、分類上は瞬間移動に分類される魔法だが、実際の所は一〇〇メートル程の距離を2秒程の時間で移動する魔法である。これだけなら十分に便利そうなのだが、有視界内しか移動先に指定できなかったり、連続使用するとどんどん跳べる距離が短くなるなど制約も多く、使いどころが難しい。
「五秒!」
声を上げながらアベルは左足を引き、右手を左肩にやる。
その右手に青白い光が灯る。
アベルは普段、こういった打撃魔法を使わないので、これは結構レアな光景である。
それを見たエレーナの顔が引きつる。
まあ、この状況なら覚悟を決めざるを得ない。
エージェント・クロウラーの居る桟橋までの距離は、約七〇メートル。加えて下り階段が三〇段程。
十分に《スキップ》の射程距離内である。ラーズとてエレーナが跳ぶところは何度も見ているので、これは大丈夫だろうと思った。
だが、問題はアベルである。
アベル本人の言葉によれば、《氷の矢・改》で流れ込んでくる水が止まっているのは二秒だという。
ラーズには、エレーナが今支えている障壁にどれだけの水圧が掛かっているか分からなかったが、果たして魔法を行使してアベルが逃げる時間があるのだろうか?
「……くそっ!」
と毒づいて、ラーズは再び走り出した。
ほとんど同時に、アベルのカウントは〇を迎える。
「《氷の矢・改》! デプロイ!」
通常の《氷の矢》が、疑似的に作ったツララ上の氷を数発放つのに対して、《氷の矢・改》は数発の冷気の矢を放つ。
冷気の矢は着弾した物体から熱を奪い、瞬間的に凍結させる。
この場合は、エレーナが支えていた大量の水である。
「《クイック・スキップ》!」
エレーナが跳んだ。
同時にアベルは身を翻して走り出す。高機動魔法はドラゴンのアベルを持ってしても、飛び立つのに少々時間がかかるためこのシチュエーションでは適切ではない。
現にアベルは走るだけ、である。
だが、羽根や尻尾がついているドラゴンの体重は重い。飛ばないとなると、これは完全におもりである。
実際の所、アベルは一〇〇メートルを十三秒程で走るとラーズは記憶している。学生時代に体育の時間に計測した数値だが。
決して足が遅いわけでないが、流れ込んでくる水に比べて速いか、と問われればノーである。
そして、アベルの言った通り、《氷の矢・改》によってできた氷に亀裂が走る。
……間に合わない!
ラーズはそう思ったし、まわりもきっとそう思ったに違いない。
「貸しとくぜ。相棒」
最大出力の《ウォースカイ》で舞い上がったラーズは、勢いをそのままにアベルの頭上を通過、奥の壁をへばりつく。
水が流れ込んできた。ほんの一瞬、ささやかに流れた水はすぐに濁流に変わり、すべてを飲み込もうと広がってくる。
「っけぇ!」
壁を足場に、ラーズが最大加速で再び飛び立つ。経過時間はアベルのカウント終了から三秒内外。
加速しながら、アベルの背中に飛びついてそのまま宇宙船の扉に向かって飛び込む。
アベルを抱えたラーズが宇宙船の扉をくぐると、エレーナが壁の赤い大きいボタンをグーで叩く。
しゅっ! という空気の音が聞こえ、速やかに宇宙船の扉が閉鎖される。