陸軍危機一髪! 幻の都攻防戦5
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五月。霞ケ浦の気候はとても穏やかで過ごしやすい。
午前の飛行予定を終えたラーズは、桟橋に係留されたレン11の左の翼に腰かけて本を読みながら、サンドイッチをかじっていた。
読んでいる本は、ライセンス試験の過去問題集である。
坂井曰く、過去問というが、実質的にはこれがそのまま試験に出るらしい。
したがって、ラーズはこれを答え事丸暗記する事にした。
ラーズお得意の知能指数の暴力で解決、である。学生時代は、試験範囲全暗記という暴力的手法により、あまたの試験を突破してきた実績がある。今度もこれで行けるはずだ。
と。
「ラーズ! こんなところに居たーっ!」
唐突にかかった、甲高い声にラーズは顔を上げた。
「!?」
そのに立っていた人物にラーズは困惑。思わず声を上げる。
「なゆ太!? ……バカなっ! 死んだはずじゃ!?」
「なによ! その言い草! ほかに言う事ないの!?」
被っていた赤いベレー帽を力いっぱい地面に叩きつけて、那由他が叫ぶ。
そんなことを言われても困る。なにしろ、今この瞬間までラーズは完全に、一点の曇りも無く、那由他の事など忘れていたのだ。
それにしても、那由他の恰好は赤いベレー帽に赤いワンピースという物だ。情報部の人間とは思えない。
……ああ。情報部と思えないのはいい事……なのか?
とラーズは首をひねった。
「……しっかし、弟が大リーグボールとか投げそうな恰好だな」
「他にいう事、ってのはそういう事じゃないの!? ねえ聞いてる!?
大変だったのよ!? 特高に捕まって!」
「自分で、大丈夫だから、つって特高に連れていかれたんじゃあ?」
なにしろ、あの時ラーズは特高を焼き払うというオプションを用意していたのだ。
「言葉のアヤというか、内調の建前というか、わかるでしょう!?」
「わからねーよ」
当たり前である。
大体、ラーズは内調のスタッフを那由他以外知らない。
「もう! 尋問されたり拷問されたり……半年よ? 半年!」
「……! 拷問!?」
興味深げにラーズは、那由他の方にすっ、っと近づき。
「詳しく! ……やっぱり、えっちな拷問なのか? そうなのか?」
「なんでそこに食いついてくるのよ!?
……顔に布かぶせられて、水ぶっかけられるのよ」
「ガチの拷問じゃねーか。一定の需要があるのは認めるが、オレはそんなん欲してない」
一気に興味を失って、ラーズは再びレン11の翼によじ登った。
「別に特高は、アンタの性的趣向を満足させる組織じゃ……聞きなさい!」
那由他の言葉を最後まで聞かず、読書に戻ったラーズに対して那由他が怒る。
「いや、もう興味ないから。
そんな話聞いてるくらいなら、水脈とかダウジングしてるほうがマシだし」
しっし、と言わんばかりに手を振る。
ラーズとしては、那由他を弄って遊んでいるほど暇ではないのだ。
日没後。ラーズが兵舎の食堂で夕食を食べ終えて、ホロノートを開いていると、坂井が現れた。
午前中の飛行訓練の後、どこかに出かけていたようだが、今の時間になって戻ってきた。
「坂井さん。直帰じゃないんですか?」
「まあ、直帰でもよかったんだが……一応様子を見に来た。
試験勉強はどうよ?」
「航空力学関連は、ほぼ完ぺきに暗記したんで、ひっかけ問題でもない限り、九〇点以上は固いレベルまで。あとは航空関連の法律とかについては六割くらいは……」
「上等上等。このペースなら再来週……六月の第一週の試験で行けるな」
そこまで言って、坂井はラーズの向かいの席に腰かける。
食堂に人影はほとんど居ない……居るのは、未練がましくこちらを凝視している那由他だけだ。
坂井は、声を潜めて続ける。
「……ところで、お前。いつもどこで寝てるんだ?」
問われて、ラーズは答えに詰まった。
現状ラーズがやらないといけないことは、飛行機のライセンス取得と新たな魔法の開発の二つである。
本来なら、どちらも人生をかけて行うような大事業なのだが、ラーズとしてはどちらもないがしろにはできない。
時間は一日に二四時間しかないので、必然的にこの二つ以外の時間は削り落とされる結果になる。
ラーズは睡眠時間を極限まで削っていた。寝るのは、水練の係留桟橋の脇にあるベンチだ。
これには、単にお金を使いたくないという物と、通うのが楽、という二つの意味がある。
「……まあ、そこらへんで適当に……」
うまい嘘が思いつかなかったので、ラーズは正直に、しかしなるべくソフトにぼかして、事実を伝えた。
「適当ってお前……確かに、もう温いのは認めるが、体壊すぞ。
宿くらい何とかしてやるから、来い!」
「いいですよ。そんな迷惑かけるなんて」
「迷惑なら、お前がここで野宿してる方が迷惑だ!」
至極もっともな意見で、坂井は反論する。
◇◆◇◆◇◆◇
坂井はラーズを連れて、土浦のパイロット宿泊施設に戻った。
坂井の口添えで、ラーズにも個室が与えられた。
「これでおとなしく寝るだろ」
そう坂井は考えたが、それが甘い考えだというのは、すぐに分かった。
ラーズを放り込んだ隣の部屋からは、延々とキーボードのパンチ音が聞こえるのだ。
……そんなに、コンピュータ弄ってどうするつもりなんだが……
そんなことを考えながら、坂井が腕時計に視線を落とすと時刻は午前二時を回っていた。
ちなみに、坂井が着けているのはセイコー製の航空時計だ。航空時計というのは、普通の時計の三時の位置に十二時が配されている時計である。これは、左手でスロットルレバーを握ったとき、奥側に十二時が来るようにデザインされたものだ。
「……三時……あいつタフだな」
キーボードを叩いているラーズの事を思い、つぶやく。
しかし、坂井とて昼間は激務についている。さすがに夜も更ければ眠くもなる。
……!
自分でも気が付かない内に、眠っていたらしい。
ラーズの部屋から聞こえてきていたキーボードを叩く音は、いつの間にか消えていた。
「……!」
坂井はベッドから這い出した。
別に、なにがあったわけではない。言うなれば、なんとなく、だ。
しかし、窓から外を見てみると、あろうことかラーズが脱走しているのが見えた。
「やろう」
ジャケットをつかんで、坂井は立ち上がった。
ラーズを追うのだ。
霞ケ浦までラーズは来た。
坂井もそれを追う。気づかれては居ないだろう。
「……何やる気だ?」
坂井が思っていると、ラーズは砂浜まで下りていく。
きょろきょろと周りを見回したあと、ラーズは左手を上げた。
「!?」
ラーズの左手首の赤く光るリング状のものが見えた。
これは、坂井も昼間に見ている。ラーズが手首に装着していたゴツイ時計のようなヤツだ。
このデバイスは普段から、薄赤く光っていたが、今ははっきり見えるほど明るく輝いている。
「《フレアフェザー》……デプロイ!」
ラーズが左手を横に振る。
同時に、ラーズの周囲に赤く輝く複雑無比な幾何学模様が舞い散る。
……なんだあれは……!?
それは、ラーズが使った魔法の構成が視覚化したものである。これは、魔法使いの素質のある者にしか見る事はできない。
「……アタッチ!」
声と同時に、ラーズの背中に炎でできた巨大な翼が生じる。
その両翼は差し渡し五メートルにもなるだろうか。
直後、海に向かってラーズが駆けだす。
……まさか……飛ぶのか……
ラーズはその翼で霞ケ浦の夜空に舞い上がった。
坂井が見ている先で、急速に加速して行く。
「すげえな……あれが魔法か……」
魔法の力の存在は草加から聞いている。しかし、こうして目の当たりにすると、あまりの事に声も出ない。
◇◆◇◆◇◆◇
夜の霞ケ浦を超低空で飛びながら、ラーズはホロデッキに映し出される各種パラメータを、横目で読んでいた。
今使っている魔法は《フレアフェザー》の新しい形態、ハイパークルーズ。第三類超高機動魔法である。
これは《フレアフェザー》の設計段階から盛り込まれていた機能であり、センチュリアの技術力では実現できなかった機能だ。
これらの機能は、本来アベルやレイルと言った強大な力を持った魔法使いと競り合うために、ラーズが心血を注いで作り上げた物だ。
しかし、純粋なスポーツマンシップに乗っ取って設計された魔法を、戦争の道具のように使うのを、ラーズはいささか不本意だと思っていた。
だが、実際に運用している魔法自体は、不本意でもなんでもない。
「レスポンス良すぎぃ!」
ラーズの率直な感想である。
デバイスの処理能力が上がっているので、いちいち反応が良いのはもちろん、浮動小数点の演算精度も影響しているように感じられる。
「はっはぁー」
霞ケ浦の上を超低空て飛びながら、右に左に推進力を振る。
帝国の技術力で再構築された《フレアフェザー》ハイパークルーズは、ラーズの想像を超える性能を発揮している。
これは、デバイスの処理能力の向上により、単位時間当たりに使える魔力量が増えた結果である。
しかし、それも結果オーライである。なにしろ、帝国には魔法の出力制限をするレギュレーションもないのだ。
ラーズは、炎でできた翼を空打ちして、上空に舞い上がった。
実は、翼を空打ちする意味はない。アベルが急制動をかける時にやっているのを見て、自分もやってみたいと思っていただけである。
高度五〇メートル程まで舞い上がったラーズは、クルリと反転。
水面から突き出ている、なにかの杭を目指して降下する。漁業用の何かの目印だろうか。
ラーズが、その直径十センチほどの杭の上に着地すると、水面に同心円状の波が生じる。
「制動能力も抜群だ。変な脳汁出るな……
……デタッチ!」
続けて、《フレアフェザー》のさらなる機能試験に移る。
飛行用モードでアタッチされていた《フレアフェザー》は、デタッチすることで、元の《フレアフェザー》に戻る。
ラーズの背中から炎の翼が揺らめくようにはがれ、それは再びラーズが胸の高さに上げた手のひらの上で炎の鳥の形を取る。
「っけ!」
そして、ラーズはその炎でできた鳥を水面に向かって放つ。
射撃モードは触発、時限信管もオフの瞬発である。
ラーズから十五メートル程離れた水面に、《フレアフェザー》は着弾。
腹に響く轟音を立てて、それは弾けた。
「……おっ、おっ……っと」
飛来した衝撃波で、杭から落ちそうになってラーズは珍妙なダンスを踊った。
「……すげえ威力だな……」
……これズルくねえか?
この段になって、ようやくラーズはなぜセンチュリアで、レギュレーションが作られて出力制限が行われるようになったのかを悟った。
こんな威力の魔法をぶつけ合ったら、魔法使い同士であっても死人が出るに決まっている。
なるほど、センチュリアの魔法使いは、良心にまみれていたと言えそうだ。
……ゆえに、侵略を許した。
そして、これも事実である。
残念な事に、本当の意味で戦争らしい戦争を知らないセンチュリアは、平和すぎたのだ。
「悲しい上に、皮肉だな」
そんな感想を振り払うように、ラーズは再び《フレアフェザー》を発動、土浦の方に飛び去った。




