戦火拡大8
そして、声の主は……
「マザードラゴン。お召し物が汚れます」
ワーズワースが言ったように、声の主はマザードラゴンたるガブリエルだ。
国家の元首たるガブリエルが、水没した地下フロアに来るのは、なかなかどうして凄いことである。
「汚れる?」
ワーズワースに言われてか、ガブリエルは自分の体を見下ろす。
ガブリエルの格好は、胸まであるゴム長に、二の腕まであるゴム手袋、翼が濡れるのが嫌なのかそのへんに置いてあったであろうゴミ袋を翼に何枚も被せている。
これに加えて、医療用のサージカルマスクにゴーグルという、おおよそ一国家の指導者とは思えない姿だ。
「なんて格好を……」
「あらあら、お姉ちゃん。水竜じゃないから、撥水魔法なんて便利な物は持ってないのよ」
アベルの呻きにガブリエルが答える。
「なにより、濁った水の中歩くのは、どう考えても危ないだろ。
ハリガネでも刺さったら超大事だぜ」
そんなことになったらまず間違いなく、ガブリエルを現場に入れた担当者の首が飛ぶ。かわいそうな話だ。
「魔力を帯びてない物が、わたしの保護障壁を突破できるとでも?」
「そうは思わないけど……いや、そもそもなんでここに? あと石の魚ってなんなんだ」
いろいろ謎はあるのだが、アベルにとって優先順位の高い謎はこの二つであると言える。
「部下の安否確認よ。ワーズワースが動けなくなったら、エッグの内政に大きな影響が出るわ。
……そうそう。ワーズワース。
水槽は国家の機密予算で決済しておいたわ。清掃業者が入った後に採寸して作成だから、五週間くらいかかるそうよ」
「御意」
ワーズワースが一礼すると、ワーズワースの周囲を漂っていた水の玉も、軽くお辞儀をした。
実に芸が細かい。
「あとはメディア向けのアクションね。お姉ちゃん、仕事してます。って感じ、しない?」
その場でクルリと回ってガブリエルは言うが、どう贔屓目に見ても可愛くないし、仕事してますアピールもできていないようにアベルには見えた。
「今仕事してますアピールなんか出来てない。って思ったでしょう? これからやるのよ」
そう言って、ガブリエルはどこからか取り出したプラスチック製の試験管の中の液体を、周囲にぶち撒けた。それも一本ではなく、次々と流していく。
「それは?」
「汚れを取り込む植物性プランクトンと、それを食べる動物性プランクトン。
植物性プランクトンの方は、遺伝子操作でわたしの魔力を通すように改造した物よ」
そんな物を水に流して大丈夫なのかとアベルは思うわけだが、よくよく考えてみればガブリエルが普段使っているひまわりも同じような物なので、今さら心配するような事でもないのかも知れない。
「それで、石の魚だけど……」
「この石剣……そのへんの水の中に落ちてたけど……」
「保管庫に転がっていたのが、流れてきたんでしょうね。ソレ、通常状態だと水に浮くのよねえ」
アベルが見た地点で水に沈んでいたという事は、水を吸ったりするアーティファクトなのだろうか? とアベルは考えた。
「石の魚はキングダム時代に盛んに作られたアーティファクトの一種よ。
その使用用途は……」
「使用用途は?」
盛んに作られたということは、キングダムを下支えしたテクノロジーで作られた、恐るべきアーティファクトの可能性がある。
アベルとしても、期待せざるをえない。
「水筒よ。すいとう。
兵士が持ち歩くやつ」
「ええ!?」
想像の斜め下のガブリエルの答えに、アベルは不満と落胆の声を上げた。
「だって、コレ。剣の形してるじゃん? それで、水筒なのか?」
「今、水吸って三キロくらいになってるでしょ? それ」
確かに石の魚はずっしりと重い。
「そのまま、キングダムの兵に支給されてる剣帯に付いてる小剣の鞘に突き刺して、行軍の時に持っていくのよ」
「なんで……そんなことに……」
ガブリエルは人差し指を立てて、続ける。
「石の魚以外を買わないでいいからよ。キングダムだって、兵士の装備の調達コストは圧縮したいから、入札で有利になるわ」
いきなり、夢も希望もない魔法王国の裏事情をガブリエルが語る。
確かに、兵隊の装備と考えると水筒を収めるハーネスを買わなくていいのは、大いなるメリットだが、なんというか漠然としたキングダムへの憧れのようなものが崩れていくのをアベルは感じた。悲しい。
「というわけで、それは大量生産された水筒なので珍しくもない代物よ。
そのへんに落ちてたんなら、どこかから流れてきたって事だから、その程度のレベルで保管されるアーティファクトってわけ。欲しいならあげるわよ?」
一瞬凄いアーティファクトかと思った石の魚は、ただの水筒だった。
ガブリエルの口調から、それは本当に語るにも値しない代物なのが伝わってくる。
それでも、くれるというなら貰っておこうとアベルは思う。
古代の何でもないテクノロジーが、最新鋭の電子制御で化けるという事はままあるのだ。
◇◆◇◆◇◆◇
「マザードラゴンの政権放送が始まるわよ」
A5126のブリッジのメインディスプレイに、エッグフロントで流れている放送が表示されている。
「レクシーから、全艦隊スタッフに達します。
全員作業を一時中断し、近くのテレビジョンに注目」
「プリシラより通信。全艦内モニターに政見放送の画像を転送」
「アイ。艦長」
「さてさて」
レクシーは司令官シートにゆったりと腰掛け、モニターを注視する。
ルビィを乗せた『グラミー』は着艦したという報告を受けているが、検疫にかかる時間を考慮すると、こちらは間に合わないだろう。
この放送はガブリエル……ひいてはエッグという国の今後の行動指針を発表する物だ。
アイオブザワールドは政府とは隔絶された組織だが、艦隊を率いるレクシーにとっては十分影響を受ける物となる。
画面には、エッグ攻撃に関するマザードラゴンの政権放送。とテロップが出ている。
そして、放送開始を告げる珍妙なジングルが鳴って、ガブリエルが画面に現れた。
バックリと肩の開いた式服は、当代マザードラゴンの正装だ。
「エッグに暮らす全てのドラゴンに、国家の指導者たるわたし。マザードラゴン、ガブリエル=ファー=レインが申し上げます」
高くもなく低くもない声。喋るピッチも悪くないスピーチだとレクシーは思った。
同時に、この政見放送は事前に録画された物なのかも知れないと、レクシーは感じる。
「この度、敵性宇宙人の侵入により、エッグ1内部の市街地に甚大な被害を出したのは痛恨の極みであり、この邪悪な行いは目に余る物があります」
流石にエッグの外にも流れている放送に、具体的な被害情報を乗せるような真似はしない。
だが、今の発言だけでも実際に攻撃を受けている街を見た民は、被害の様子を思い浮かべるはずだ。
誰が書いたかわからないが、よいスピーチ原稿である。
「またこの件に際して、敵性宇宙人をドラゴンの聖域たるエッグ1に招き入れるという、重大な背徳行為を行ったドラゴンの存在が確認されています。
敵に与するこれら恥知らずな者は、このマザードラゴンが自ら先頭に立ち、完膚なきまでに粉砕することを約束します」
「これは……怒ってるわね」
レクシーは言った。
通常、政治家の言う自ら先頭に立ち。などというのは方便である事は言うまでもない。
だが、ガブリエルは粉砕するとまで言い切っているので、最低でもガブリエルの直属クラス……ユーノかシャングリラが攻撃の陣頭指揮を取る事になるだろう。もちろん最大は本当に言葉通り、ガブリエルが敵を粉砕しに行くプランだろう。
「やはり、全面戦争になりますか。提督」
プリシラも言う。
その声に恐れはない。アイオブザワールドの艦隊は既知宇宙最強であり、その総旗艦の艦長であるプリシラが敵を恐れる事などあり得ないのだ。
「あら? 戦争は嫌い?」
「ノー。ウデがなります」
「そう来なくちゃ」
レクシーとプリシラが話している間にも、ガブリエルの政見放送は続く。
エッグ市街地の復興プランと市民への保証が示され、ソーラーシャフトの通行船舶に対するチェック体制の強化が語られる。
復興プランや保証に関しては、普通というのがレクシーの感想だ。
エッグの懐は結構痛むことになるので、しばらくしたら増税やむ無しとなるだろう。
その辺りまで含めて、事前に想定されたシナリオの一つといった所か。
「……そして、本時刻を持ってエッグはアメリカ合衆国の国家承認を取り消し、以後これを邪悪で好戦的な蛮族集団と捉え、これに所属あるいは協力する国家、集団に対する無条件かつ無制限の攻撃を実施することとします」
「おっと、これは……」
プリシラはガブリエルの言葉の意味を悟ったようだ。
「無差別攻撃の方は、プロトコル通りの発言だけど……国家承認取り消しは、少々タイミングが早いわね?」
無差別攻撃は報復攻撃プロトコルとセットなので、レクシー的には驚く事はないのだが、国家承認の取り消しは少々予想外の動きと言える。
なにしろ、国家承認を取り消すという事は国家間の外交チャンネルを閉ざすという事なので影響は極めて大きい。具体的には降伏して投降した敵兵の扱いなどに多大な影響を及ぼすだろう。
「ウチは王様の一存で、敵兵の扱いが決められるからいいけど、騎士団とか大変よ。
捕虜にならないから、通常法で裁くしかないし」
「どうするんでしょう?」
「まあ、現実的な運用はその場で処刑でしょうねえ。
処刑は民のウケはいいと思うけれど……騎士団の末端兵が心をやられるわよ」
ただし、そのへんの配慮をガブリエルやワーズワースが怠るとは思えない。
何か考えがあると見ていいだろう。
ガブリエルの方は、被害者の名前を読み上げるフェイズに突入している。
もう演説は終わりなのだろう。
パン! とレクシーは手を叩いた。
「レクシーより艦隊全艦に達します。
マザードラゴンの言葉からもわかるように、エッグはアメリカ……だった蛮族と降伏なしの絶滅戦争に突入します。
……しかしながら我が艦隊は、これからキャラバンへ合流し船のメンテナンスえお受けます。
ロイ・アンド・ロジャーの営業から、艦隊のスタッフを接待したい旨の連絡が来ているので、メンテナンス中の時間は有意義に過ごすように」
レクシーが言うと、そこかしこから歓声が上がった。
ロイ・アンド・ロジャーなら、最高級のもてなしをしてくれるという期待だろう。




