灼熱のフロントライン13
「畜生が!」
激昂した兵が、ワーズワースに襲いかかろうとナイフを抜いて走り出そうとした。
しかし、その兵の動きをを膝の高さまで溜まった水が邪魔をする。
一方で、ワーズワースは水球ごとスイスイと空中を泳いでいる。
ザッと、水音が聞こえなんの前触れもなく水中から出現した水の槍が、迫る兵士を足元から貫く。
兵士は倒れ、水がじんわりと赤く染まっていく。
「グッ」
ウィルは唸った。
水は自分の足元にも当然存在する。存在するということは、同じ攻撃が来る可能性があるということだ。
当然、それを防ぐ術はない。防弾アーマーなど意味をなさない。
激しく動揺したウィルだが、部隊を率いる身としては、取り乱すことなどできようはずもない。
「しっかり狙って撃て! この世に万能の防御などない!」
大声で部下を叱咤して、ウィル自身もアサルトライフルを構えてワーズワース目掛けて引き金を引きつづける。
だが、やはり銃弾は無慈悲にもワーズワースの手前で弾け飛んでしまう。
NSAから来たアドバイザーは、魔法使いが銃弾を弾くのは確率だと言っていた。それはどんな魔法使い相手でも、低確率で銃弾が届きうるという事だとウィルは理解している。
「《フリュード・アロー》デプロイ」
ワーズワースを中心に、青紫の燐光が見えた。
「魔法の攻撃だ!」
ワーズワースの真下の水面がいくつも盛り上がり、その先端部がちぎれて一抱えほどの水の玉が生じるや否や、その水球から水が一直線にこちらに向かって飛んでくる。
数は……十発前後。
水なら、あるいは致命傷にならないのではないか。
ウィルのそんな願いも虚しく、飛来する水の矢が逃げることもままならない兵士を襲う。
気の利いた者は、飛来する水の矢に向かって銃撃を浴びせたりして、なんとか抗う。
その抵抗が功を奏したのか、水の矢の一つが爆ぜて矢の形を失う。
だが、それだけだ。
残りの水の矢が、味方の兵士を容赦なく撃ち抜き、水に浮かぶ躯へ変える。
いや、それだけではない。
「うわぁぁぁ……がぼっ」
砕けた水の矢の残りが、別の兵の顔面に纏わりついた。
その兵はバチャバチャと自分の顔を引っ掻いて、なんとか水を引き剥がそうともがいているが、水は離れない。
「アーティファクト・クリーチャー|《処刑するアメーバ》を発動しました。
そいつは……少々働きものでして」
アーティファクト・クリーチャーなるものが何なのか、ウィルにはわからなかったが非常に厄介な攻撃である事は間違いなさそうだ。
顔面に水が纏わりついていれば、溺死するのは必然。
ウィルは部下の兵士達が一気に浮足立つのを感じた。
それでも誰も逃げ出さないのは、普段の訓練の賜物か。
そして、ワーズワースが攻撃を再開。何度目かの水の矢がばら撒かれ、あるものは腹を貫通されて即死し、あるものは足を吹き飛ばされて水中に転がる。
対してこちらの攻撃は、一切ワーズワースに届かないという絶望的状況が続く。
「シット!」
効かないからと言って、攻撃を止めることもできないので、ウィルは自分のアサルトライフルのマガジンを差し替えて、発砲を続ける。
そうしている間にも、味方が少しづつ減っていく。
ここで再び例のアーティファクト・クリーチャーという奴が放たれ、三人の部下が捕えられる。
現状この攻撃への対策はない。食らったら後は、溺死するのを見ているしかない状況だ。
「ディッツ少尉!」
その対策のない攻撃を受けたうちの一人、ディッツ少尉が手榴弾を掲げた。
ウィルは……いや、その場にいる全員が、その意図するところを理解した。
「援護射撃だ!」
比較的ワーズワースに近い位置に居たディッツは、三〇フィートもない距離を水をかき分けて進む。
ワーズワースは気づいているのかどうか、判断はつかない。
そもそもイルカの視界がどの様に見えているのか、ウィルには知見がなかった。
ディッツは手榴弾のピンを抜いた。距離は五フィートもない。
「行ける!」
誰かが歓喜の声を上げたその刹那。
「《ウェイブ・ディザスター》デプロイ」
ワーズワースは尾ひれを振るように、クルリと一回転した。
その瞬間、ワーズワースの周囲の水が見上げる程の高さまで盛り上がった。ウィルの足元の水位もみるみる減っていく。
「今なら走れる! 全員退避っ。退避だー」
勇敢なディッツには申し訳が立たないが、部隊を生還させるチャンスはここしかないとウィルは判断した。
部下の応答も待たずに、出入り口に向かって走り出す。
ちらりとウィルが振り返ると、水が引いたことで倒された部下の姿が顕になっている。その数は二〇以上。
部隊の三分の一以上を失った。
兵力三割喪失は全滅と同義である事は、明白だ。
まさか宰相のワーズワースが、単独で中隊規模の軍を殲滅するだけの能力を持っているというのは想定外中の想定外である。
この情報は、何としても持ち帰らなければならない。ついでに、ウィルたちは地球人で初めてワーズワースの姿を見た事になる。これも価値のある情報だ。
「決して逃げる口実ではないぞ」
そう呟きながら、ウィルはエレベータホールまで戻ってきた。
ワーズワースは……追って来ないようだ。
「……たっ助かった、のか……」
「甘えるな。ここは敵地のど真ん中だ」
部下の弱気な発言に、一喝してウィルは次の動きを考えた。
やはり、ユグドラシル神殿に突入している他部隊との合流を目指すべきだろうか。
あるいは、いったん外に退避するという選択肢もある。
外に出れば、上空に待機している宇宙艦と通信も可能だろう。
チン! と音がした。
「エレベータが……」
ここはエレベータホールである。この状況でも動いているエレベータがあるのだろい。
「全員、武器を構えろ」
このエレベータは敵の施設である。従って、それを使っているのもドラゴンである可能性が高い。
「ワーズワースが呼んだ援軍かもしれんぞ!」
実際、増援がエレベータで来るのか? という疑問はあるが、もし敵の援軍なら一網打尽にできるチャンスでもある。
左から二番目のエレベータのドアに表示されている数字が、黄色いビックリマークに変わっているので、この扉が開くのだろう。
ウィルも注意深く扉を睨みながら、アサルトライフルを構えた。
間もなく扉が開く。
「味方だ!」
海兵の軍服を見て、ウィルは声を上げた。
「どこの部隊だ? 屋上チームか? 屋上は制圧できたのか? 部隊長は誰だ?」
ウィルは畳み掛けるように喋ったが、ここでようやく海兵の様子がおかしい事に気づいた。
おかしいと言えば、そもそも兵が敵地でエレベータに乗っているのもおかしい。
「おい! 所属を名乗れ!」
ウィルが厳しい声を上げた、まさにその時。
エレベータから三〇人ほどの兵がなだれ出てくる。
皆一様に顔色が悪く、その目はどこを見ているかも判別が付かない。
「少佐! 危ない!」
部下がウィルの腕を掴んで引っ張った。
おかげでなだれ出して来た海兵の手を逃れたウィルだが、その異様さに言葉が出ない。
それは一言で言うなら、パニック映画のゾンビである。
知恵も持たず、ただ生者に襲いかかる動く死体。まさにそれである。
もし本当に死体を操るような術があるなら、早く手を打たないと全滅するとウィルは危惧した。
「総員、自分の身を守れ!」
すでに、部下とゾンビ軍団が入り乱れているので撤退は難しい状況だ。
ウィルは胸の前に装備したハンドガンを抜こうとして、まだ右腕を掴まれている事に気づいた。
「マコーヴィッツ軍曹……!」
助けてくれた兵の名を呼びながら、ウィルは振り返り……絶句した。
マコーヴィッツ軍曹は、頭に一本の短い矢を受けた状態で動かなくなっていたのだ。
直後。マコーヴィッツだった物が、海兵と同じように唸り声を上げてウィルに覆いかぶさった。
「やめるんだマコーヴィッツ軍曹! 止めないか! マコーヴィッツ!」
仕方なしにウィルは左手でハンドガンをなんとか抜いて、マコーヴィッツの頭を二発撃った。
「すまない……」
マコーヴィッツはパタリと動きをとめた。
ウィルが味方の兵を撃ったことで、部下達も海兵に向かって発砲を始める。
「クソっ、なんて事だ」
ウィルはマコーヴィッツの死体を押しのけて、なんとか立ち上がった。
自身のアサルトライフルを拾い上げる。
「事態を、掌握しないと……」
と言っても、ウィルにできることは、せいぜい海兵を安らかに眠らせてやる事しかない。
現状は敵地で同士討ちが起きているという、おおよそ最悪中の最悪の事態と言っていいのだが、悪い事というのは得てして重なる物だ。
「《炎の矢・黒陽》デプロイ」
エレベータホールに甲高い声が響いた。
直後飛来したオレンジ色の炎が、正確無比にウィルの部下たちを襲う。
炎の矢に貫通された者は、その場で海兵の集団に囲まれ、おぞましい最後を遂げる。炎の矢に三〇フィート以上も吹き飛ばされて、壁に叩きつけられた者はそのまま動かなくなる。
ウィルは一瞬で、さらに数名の部下を失った。
さらに悪い事に、海兵に襲われた者も壁に叩きつけられた者も、明らかに生者とは思えない姿のまま起き上がり、生きているウィルの部下を襲い始めたのだ。
「……マイガー」
海兵もこうやって全滅し、その後は亡者として味方を襲っているのだ。
神をも恐れぬ邪悪な所業にウィルは怒りを覚えた。
先程の攻撃の主を探す。
ウィルに魔法の事はわからないが、この魔法を使っている奴が死ねば、あるいは部下たちも生き返るのではないかと考えたのだ。
そして、見た。
いつの間にそこに現れたのか、可憐な少女の姿をしたそれは、エレベータホールの中央に立っていた。
翼も尻尾もないこの少女がドラゴンで無いことは明白だが、同時に死者に襲われないという事は敵である事の証明でもあった。
ウィルは声を掛けようとは思わなかった。
確実に殺すために、手榴弾を左手に握ることも忘れない。
左腕で支えたアサルトライフルのサイト越しに、その少女の頭を狙って、引き金を引く。
パキッ。とサプレッサー越しの銃声。今までの流れから銃弾は、少女の手前で弾かれるとウィルは考えていた。
だが、少女はふわりと踊るように体を翻して、銃弾の弾道から体を引いてしまう。
「外れた!?」
流石に避けられるとは思っていなかったウィルは、慌てて第二射の為に狙いをつけ直す。
いや、つけ直せない。速い。
一呼吸の半分以下で、間合いが消滅する。
「《プル》」
突如、ウィルの体が不可視の力で、少女の方へ飛んだ。
「がふぁっ」
少女は飛んできたウィルの腹に、カウンターの膝蹴りを入れてきたのだ。
ボディアーマーが砕け、みぞおちに強烈な一撃をもらったウィルは、その勢いで宙に浮き上がった。
「《ボールライトニング》」
空中のウィルに対して、恐るべき威力の魔法が追撃として放たれる。
ほとんどゼロ距離から放たれたオレンジ色の光球は、ウィルに接触すると大爆発した。
爆発の威力で床に転がったウィルだが、なんとか意識を保っているし、なんとか動くこともできる。
相手が少女だから。などと言っていられる状況ではない。
ウィルは、少女が近づいてきたら何とか抑え込んでナイフで殺すと決めた。
「ふん……死んだふり? まあいいわ。
《火刑に処す》」
一瞬でウィルは炎に包まれ、そこで意識を失った。




