ノートゥング作戦1
ノートゥング作戦
「……詳細な報告書は一両日中にアップロードします。ドラゴンマスター」
レクシーはオーウェン・サイラースでの一連の出来事についての報告を終えた。
「……」
通信の向こうで、アベルは終始無言だった。
「……シャーベットは、勇敢だったか?」
さらに十分な沈黙の後、アベルはボソッとそう言った。
「誰かの為に、自分の死と向き合うのはとても恐ろしい事です。そこで、他者の為に死を選ぶのは並大抵の事ではありません。
死地において、シャーベットは勇敢でした」
レクシーは迷うことなくそう答えた。
実際、シャーベットが最後に何を考えたのかはわからない。レクシーへの怨嗟だったのかも知れない。
「……わかった。
ルビィはいつ頃回復しそうだ?」
「おおよそ二四時間前の状況になりますが、二四時間前の段階で一週間ほどの予定です」
「……ルビィが無事だったのは幸いか」
「はい。マイスタ・ラーズが迷わず逃げてくれたおかげで、被害は最小でした」
もし、ラーズがシャーベットも助けようとして毒ガスが充満する場所に留まっていたらと考えると、レクシーを持って背筋が寒くなる。
「レクシーの率直な感想が聞きたいんだが……市街地で毒ガスを使うっていうのは、実際問題どうなんだ? あり得るのか?」
この質問にレクシーはどう回答するか、少し迷った。
「いくつかの観点からアプローチさせていただきますが、まず戦略的には有効です。
騎士団は、除染が終わるまで歩兵をまともに展開できないので、アメリカ軍の上陸部隊は有利に戦闘を進める事ができます」
「違いない」
「次に道義的な問題ですが、国際的な政治の場でこの事象に賛同する国は存在しないでしょう。
さらにエッグ側としては、これにより市街地でのBC兵器の使用権を得ました。
アメリカ側は、どこに飛んで来るかわからないBC兵器に対応しないといけないことになります」
今、エッグの上層部ではどこをBC兵器で攻撃するかについて、議論がなされているはずだ。
レクシーとしてはBC兵器の使用に反対なのだが、攻撃は騎士団が行うだろうからレクシーが意見を言う機会はないだろうが。
「総じて、アメリカ側に中長期的なメリットはないと考えていいのか……」
「ない。は言い過ぎですが、デメリットが多すぎるという辺りが適切かと」
「わかった。ありがとう。
サイラース1近海に騎士団の艦隊が展開を終えたら、第一第二艦隊を一旦エッグに戻してくれ」
「アイ。ドラゴンマスター」
超光速機関の修理を終えた『ユーステノプテロン』達が、護衛の『パンデリクティス』を従えて、サイラース1近海に降下してくる。
「分艦隊を解散、主隊に合流するように。
艦隊、二重輪形陣となせ」
ほぼルーチンワークではあるが、レクシーはテキパキと艦隊に指示を出す。
「プリシラ。超光速機関の調子はどう?」
「機嫌はいいですが、なにか嫌な手応えがあります。艦長としては、一度メーカーのエンジニアに確認してもらった方がよいと考えます」
「どのみちエッグに艦隊を戻すから、その時にエンジニアを手配しましょう。
万全ではない状態で、艦隊を置いておきたくないわ」
超光速機関であるアークディメンジョンドライブには、ただデリケートなだけではなく動作原理がよくわかっていない部分が少なからず存在する。
よくわからないが、絶対に必要なテクノロジーなので、せめて万全の状態を保って置きたいとレクシーは思う。
「レクシー提督。マリーゴールド先任艦長から通信です」
「出ます。繋いで」
「アイ。提督。A5128からの通信、繋ぎます」
「マリーゴールドです。提督、回収した地上部隊は総旗艦に戻しますか?」
既にマリーゴールドの艦も、二重輪形陣の内輪に組み込まれている。
現在の内輪の直径は約三〇万キロとなっているので、『グラミー』を出せばすぐに乗員は移動させられる。
「いいえ。一応ハルゼー艦隊もまだ一〇〇〇万キロ内に居るから、余計な移動は発生させたくないわ」
実際問題、ハルゼー艦隊が全力攻撃に出たとして、レクシー艦隊の二重輪形陣を突破して総旗艦にダメージを与えられるとは思えないが、それでも艦載艇の離着艦の間に艦が脆弱になる時間があるのは事実。
不必要なリスクを負う必要はないというのがレクシーの考えである。
「それに首席参謀も動かせないしね」
ルビィは呼吸器と一部皮膚に化学熱傷を負って、目下ヒーリングチャンバーで治療中である。
未だ目覚めないが、あまり問題はないだろうとレクシーは考えている。
「アイ。提督。
陸戦部と首席参謀は本艦で預かります」
「お願いするわ」
騎士団第一一三軍隷下の艦隊がオーウェン・サイラースに降下してきたのは、それから三〇時間ほど経った時だった。
既に、派遣軍の司令官であるミルサローネ先任艦長とのすり合わせは終わっているので、レクシーは適切なタイミングでオーウェン・サイラースを離れる事とした。
「プリシラ。アークディメンジョンドライブの調子はどうかしら? エッグまで飛べそう?」
「本調子ではないので、『パンデリクティス』による牽引を具申します」
プリシラが答える。
ちなみに『ユーステノプテロン』級は総じて『パンデリクティス』級より重いが、パワフルな超光速機関を有する『パンデリクティス』は無動力の『ユーステノプテロン』を抱えても最高速でアークディメンジョンを飛ぶことができる。
なぜそんな無茶ができるかと言うと、レクシーが『パンデリクティス』級の競争入札時に要求スペックとして謳ったからである。
「オーケイ。じゃあマリーゴールドの艦以外は、それぞれ防空担当の『パンデリクティス』に牽引させましょう。
燃料が足りるかわからないから、最悪『ユーステノプテロン』から移すことにします」
「提督! 艦長!」
丁度その時、通信士官が手を上げた。
「報告を」
プリシラが報告を促す。
「ミルサローネ艦隊から、上陸部隊をサイラース1に下ろす旨の通信が発せられました。平文です」
これは主にサイラース1の民に向かって、騎士団が来たことをアピールしているのだろう。
「ハルゼーが襲ってこないですかね?」
「まあ一〇〇〇万キロくらい離れてるから、問題ないでしょう」
地球のテクノロジーでは一〇〇〇万キロを隔てて、いきなり艦隊を攻撃するのは不可能である。
あるとすれば艦載機による攻撃くらいだが、それとて『ユーステノプテロン』の目をかいくぐって行うのは困難を極める。
「ミルサローネの手持ちは『イクチオステガ』が六隻に『ブラックバス』が十四隻、『ブラックバス』は最終型のE1300だから正面戦闘でも負けないという読みでしょうね。もちろん増援も後続してるでしょう」
「贅沢な艦隊運用ですね」
「正規軍だもの。正規軍の海軍が財布に気を使いながら戦うようになったら、もう終わりよ」
ましてやミルサローネは一〇〇番代の軍所属。一〇〇番代は騎士団の中核戦力で編成された軍だ。
出し惜しみなどする必要がないくらい、大量のリソースを持っている。
「でも一応、騎士団の揚陸作業が終わるまでは、この海域に留まる事とします。
各『ユーステノプテロン』はペアの『パンデリクティス』に曳航してもらう準備を進めて。
それと、マリーゴールドに艦隊の先頭に立つように命令を出します」
マリーゴールドのA5128は艦隊で唯一無事な『ユーステノプテロン』なので、水先案内をしろという事だ。
◇◆◇◆◇◆◇
「この距離、どうなることかと思ったけど、さすがは『パンデリクティス』級。パワフルだわ」
艦隊は最後のADDを終えて、エッグフロントの近海に降下。目下投錨地であるアクアリウムに向かって移動中だ。
マリーゴールドの艦はアクアリウムに行くが他の『ユーステノプテロン』達はエッグフロントにあるアイオブザワールドのドックに向かう。
造船や船舶機関メーカーのエンジニアによる、詳細な検査を受ける予定だ。
ちなみにアイオブザワールドの港湾施設は元々は十二隻分が確保されていたのだが、『ユーステノプテロン』級の就役に合わせてドックの拡大を行ったため、現在は八隻分しかない。
レクシー艦隊の『ユーステノプテロン』は合計九隻なので、マリーゴールドのA5128は入るドックがないのである。
「本艦以外の『ユーステノプテロン』、離れていきます」
航海士が報告してくる。
プリシラのA5126を先頭に、エッグフロントへ向かう『ユーステノプテロン』達が商用航路へ入っていくのが見えた。
「これはしばらく開店休業ね。休みを取りたいスタッフは、今のうちに休みを取るように勧告しましょうか」
そう言いつつ、マリーゴールドも有給休暇の申請を出そうと考えていた。
◇◆◇◆◇◆◇
「ところでアーレイバーク参謀長」
「はっ。なんでありますか、閣下」
旗艦『ノースカロライナ』の長官席に座ったスプルーアンスは、手に持った紙のファイルを差し出した。
「君はニーベルングの指環を知っているかね?」
「確か……ワーグナーでしたか、ドイツの」
ファイルを受け取りながら、アーレイバークは答えた。
「その通り。そして、ファイルの内容だ」
どうやらファイルの内容は、ニーベルングの指環に関わる物らしいと、アーレイバークは思った。
一応視線でファイルを見てもいい事をスプルーアンスに確認して、アーレイバークはファイルを開いた。
「……ノートゥング……作戦。で、ありますか」
「ノートゥングは戯曲ニーベルングの指環に出てくる魔法の剣だよ」
「魔法……」
どう反応していいかわからず、アーレイバークは口を閉じた。
代わりに、ファイルをパラパラとめくって作戦の概要に目を通す。
「……エッグ攻略作戦!」
思わず声に出してしまってから、アーレイバークは慌てて周囲を見回した。
幸いにして、アーレイバークの言葉を聞いた者は居ないようだ。
「気にしなくても良い。あと数時間で艦隊の全員が作戦の概要を知ることになる」
特に気にする様子もなくスプルーアンスは言った。
「しかし、スプルーアンス閣下。
いくらなんでも、この作戦は無謀であると感じますが……」
なにしろエッグの首都であるエッグ1は、ダイソン球の内側に築かれたドラゴンの国。
地球人類が未だ建造できないダイソン球に守られた、究極の要塞である。
海軍だけではない、全てのアメリカ軍の戦力を投入しても、攻略できるとは思えない。
「確かに無謀に見えるし、大統領選挙向けのパフォーマンスのようにも見えるが……」
少しばかり意味深に、スプルーアンスは間を取ってから続ける。
「内部に協力者が居るとすれば?」
この場合の協力者とは、ダイソン球の中へアメリカ軍を招き入れる者だろうか。
「その協力者とやらは信用できるのですか? 長官」
「それはわからないが、ハルゼー長官が行っている枝作戦は順調に推移中という報告が上がってきている」
「なるほど」
上層部はハルゼーの作戦の進捗を見て、協力者が使えると判断してこちらの作戦決行を決めたらしい。
「しかし、その協力者とは何者なのですか? 二重スパイの可能性もあります」
「わたしも協力者の正体については聞かされていないが……普通に考えればCIAの工作員だろう。
いけ好かないが、優秀だ」
アーレイバークは、実はスプルーアンスもこの作戦には乗り気ではない気配を感じ
た。
おそらくその理由は、アーレイバークと同じ疑念からくるものだ。
しかし、ハルゼーに騎士団の戦力の一部が引きつけられている今が好機であることも事実。
「それに一両日中には、上陸部隊を乗せた兵員輸送艦が到着する」
「我々の意志に関係なく、作戦は始まっているというわけですか」
「その通りだよアーレイバーク参謀長」
その翌日、一〇〇隻を超える兵員輸送艦がスプルーアンスの配下に加わった。
兵員輸送艦が載せているのは、十万に達する陸軍将兵と大量の物資である。
『ノースカロライナ』の艦橋から見えるこの光景。流石にこの圧倒的な物量を目にすると、アーレイバークの心配事も吹き飛んでしまうようだった。
「ところで閣下」
アーレイバークは、隣で兵員輸送艦の群れを見ているスプルーアンスに話しかけた。
「なんだね? 参謀長」
「聞きそびれていたのですが……ノートゥングとは、戯曲の中でどのように使われた剣なのですか?」
「ノートゥングは……竜殺しの剣だよ。ドイツ製というのが少々いただけないが、我が国には残念ながら竜殺しの剣は存在しない」




