イツカ カエル トコロ18
◇◆◇◆◇◆◇
「ラーズです」
ラーズの元に通信が入ったのは、毒ガスコンテナを離脱してからおおよそ、四〇分後だった。
ラーズはこのタイミングでルビィを連れて、港の方まで移動してきてた。
シャーベットを置いてきたのは痛恨の思いだが、軍の命令的にはどう考えてもルビィをリスクから遠ざける事を優先せざるを得ない。
それに加えてよく知らないシャーベットよりは、自分に懐いているルビィを優先的に保護したくなるのが、男のサガという物だ。
「小沢長官から連絡を受けて通信している。わたしは海軍陸戦隊の堂守少佐である」
「成分分析の件でありますか? 少佐」
ラーズは今、港近くの雑居ビルのてっぺんに設置された、どこかの旅行代理店の広告看板の上に立っている。
市民に聞かれる可能性は低いとはいえ、大声で毒ガス毒ガス騒ぐのもどうかと思ったので、あえて話をぼかす。
「そうだ。我々が成分分析するべきものがある場所を指示してくれ」
堂守も察したのか、毒ガス発言を伏せつつ要件を言った。
「ビジネス街の方から、コロニーの長辺方向の真ん中を見ると外壁ガラスが破壊されている場所が見えると思います」
首筋をポリポリと掻きながら、ラーズは陸戦隊に場所を指示する。
「見える。アメさんが揚陸に使っている穴だな」
「ヨーソロー。
その真下付近から若干港に近い方であります」
「わかった。我々はすぐに移動を開始する。君は撤収に備えるように」
「ヨーソロー。ルビィ・ハートネスト首席参謀をエッグ側に引き渡したら、撤収する部隊に合流します」
◇◆◇◆◇◆◇
約一時間後。
レクシーの元に情報が集まるにつれ、状況が想像以上に悪い事が判明しつつあった。
まずパニックルームの仕様についてリムテック社から回答があった。素早いカスタマーサポートの動きには頭が下がるが、いかんせん回答内容が最悪だ。
RIMTEC412シリーズは、コロニーに繋がっている限り、生命維持を独立系に切り替えられない。
現状、サイラース1の周辺海域は戦場なので、ほとんど漂うだけのパニックルームを放り出すのは無謀だ。
加えて、毒ガスに関しても大日本帝国海軍を経由して情報が上がってきている。
毒ガスは塩素系の遅効性経皮毒であるとされている。
すでにマリーゴールドに対して、対抗用のナノマシンを用意するように命令は出したが、どうやっても投入には数時間はかかるだろう。
そして、この毒は空気より重いのでサイラース1の一番低い場所にあるパニックルームにむかって落ちて行っているはずだ。
「あんまり楽観もゆっくりもしてられないわね……取りあえずは、ウチの陸戦部は安全圏に退避させましょう。
マリーゴールドに『グラミー』を用意させて。少々強引にでもシルクコットの部隊を回収します」
陸戦部は工作用にコロニー内に残しておくという選択肢もあるのだが、いかんせん対BC兵器装備を持たないシルクコットの部隊は、どうにも使いにくい。
ならば、ルビィもろとも回収してしまうのが上策だろう。現状では、『ユーステノプテロン』の腹の中より安全な場所はないはずだ。
「それと、現地の毒ガスの拡散のシミュレートをレポートするように」
マリーゴールドの負担がどんどん増えるが、現地に居る『ユーステノプテロン』がマリーゴールドの物しかない今、これは税金のようなものだ。
これが処理できないなら、『ユーステノプテロン』の艦長は務まらない。
「ハルゼーが突然動き出さないといいですが」
横で話を聞いていたプリシラが言う。
「まったくね。どうにもこうにもアメリカ人の考えてる事が分からなくて困るわ」
なにしろ敵前上陸に加えて、自軍の目の前での毒ガス使用である。道義的な話はもちろん、戦術的にも理にかなっていないなっていない。
上陸部隊が無事なのは、エッグ側の戦力が貧弱なのが原因である。騎士団はそれなりの規模の地上軍戦力を投射するに決まっているので、アメリカ軍の揚陸部隊はあっという間に駆逐されるだろう。
「レクシー提督。マリーゴールドです」
「早いわね。報告をお願い」
「アイ。提督。
……毒ガスの拡散シムの結果ですが、最短二時間。最長六時間でパニックルームのある区画まで到達するという結果になりました。
詳細はネットワークにアップロードしていますのでご確認を」
「毒ガスも足が早いわね」
「アイ。ガスが空気よりもかなり重いので、薄まらないのが原因のようです」
報告を聞いてレクシーは打開策を考えた。
まず思いついたのは、パニックルームを宇宙に放り出して『パンデリクティス』でキャッチ。安全圏まで逃げるという案だ。
しかし、民間用のパニックルームが『パンデリクティス』のトラクタービームによる牽引に耐えられるのか? という疑問や、そもそも牽引の加速に中の住民が耐えられるのか? などの疑念がある。
これらのリスクを事前に解消できないなら、この案はやはり最終的な選択肢とするべきだろうとレクシーは結論付けた。
「そうなると、やっぱり首席参謀を連れ帰って、ネットワーク経由の遠隔操作で無理矢理外気を吸わないように制御するのが安全そうね」
「では首席参謀を最優先で回収するように手配します。
……その場合、陸戦部の回収が遅れますがよろしいですか? 提督」
『グラミー』を二隻出せば、両方速やかに回収できそうだが、この場合は一隻で回すのが正解である。
搭載艇を出し入れする時が、『ユーステノプテロン』にとっても『グラミー』にとっても一番脆弱な瞬間なので、二隻の『グラミー』がかち合って収容待ちが発生するような運用は避けるべきだろう。
「それは問題ないでしょう」
「アイ。提督。
それでは首席参謀を優先して本艦に収容します」
更に一時間後ほど経って、ルビィを回収した『グラミー』が、A5128に着艦した。
「マリーゴールド艦長。早速コンピュータ室を使わせてもらいます」
艦内通信が有効になるなり、ルビィからの通信がマリーゴールドの元に届いた。
「アイ。首席参謀。
準備は完了しています。他になにか必要な物はありますか?」
「サイラース1のなるべく中核部分にアクセスしたいわ。できるだけ太い回線でお願い」
急いで歩いているのか、はあはあと喘ぎながら矢継ぎ早にルビィから指示が出る。
「アイ。首席参謀。通信室に言って最優先の回線を用意します」
「あとコンピュータ室に、なにか飲み物を持ってきて。
甘いやつがいいわ」
「アイ。甘い飲み物をお持ちします」
一通り指示を出し終えて、マリーゴールドは艦長席に深く腰掛けた。
マリーゴールドとしては、とにかくハルゼー艦隊が動き出さないかと、気が気でないのだ。
「とにかくできることは全部やったから、あとは首席参謀に任せて我々は陸戦部の回収を進めるわ」
艦載艇の運用状況を表示しているコンソールでは、『グラミー』が補給を終えて艦を離れて行く所だ。
「早いわね。このスピードなら総旗艦にも劣らないんじゃないかしら」
とにかく話は順調の進みそうだとマリーゴールドは考えた。
後はパニックルームに毒ガスが到達する前に、ルビィが遠隔操作でパニックルームを閉鎖すれば犠牲者も出ずにフィニッシュである。
「至急! 大変です」
「大変なのはわかったから、所属と誰に向かって言っているのかを宣言しなさい」
艦には命令系統と言うものがある。誰が誰に対して何を言ったかは、いかなる場合でも非常に重要である。
「申し訳ありません。わたしは食堂担当のペネベッセと言います。すいません。
誰に報告していいか分からず……」
確かに食堂の担当者なら上位役職への報告訓練などしていないので、手順を踏めと言うのも酷な話である。
「いいわ。わたしは艦長のマリーゴールドよ。報告を」
「はい。艦長。今、部長から言われて飲み物をコンピュータ室に持っていったのですが……」
嫌な予感がした。
「首席参謀が倒れています! 意識がないようで……」
そこまで聞いた地点で、マリーゴールドは通信スイッチを切り替えた。
「医療室! 艦長のマリーゴールドです。
コンピュータ室にて意識不明者が発生。化学兵器被害の可能性あり。対応班は対BC兵器装備にて初期対応にあたって。
あとその場に通報してきた、サービススタッフの子が居るから、一応除染して」
「アイ。艦長。医療室了解しました。
患者が誰か分かれば、教えていただけますか?」
「患者はルビィ・ハートネスト首席参謀よ」
◇◆◇◆◇◆◇
「問題発生です。提督」
「まあ、素直にハッピーエンドとは行かないと思ってたけれど……それで? 報告をお願い」
マリーゴールドからの通信で、レクシーは当初計画が早くも頓挫したことを悟った。
「首席参謀が倒れました。意識不明で医療室のスタッフが治療に当たっていますが、直近の回復は見込めないとのことです」
ルビィは例の毒ガスに接触した可能性が濃厚だったので、レクシーは正直こんな事になるのではないかと思っていたのだ。
それを口に出さなかったのは、症状が出るまで打つ手がなかった為である。
無症状の相手に、対BC兵器用のナノマシンを注射するというのはレクシーをして、あまりに無茶な話だと思われたからだ。
「シルクコットの部隊も通信に呼んで。
ルビィの作業進捗はどんな状況か報告を」
マリーゴールドが通信の外で何かを叫んでいるのが聞こえたあと、ガチャガチャと音がして通信に復帰する。
「シルクコット陸戦部長を呼び出すように部下に言いました。
作業の進捗の方ですが、機関部とソナー部からエンジニアを連れてきて確認させています。少々お待ち下さい」
「わかったわ」
それから大体五分ほどマリーゴールドは沈黙。
その間にシルクコットが通信に参加してきたので、レクシーが簡単に状況を説明する。
「こちらはソナーエンジニアのビバリー・ウィーラです。お話できて光栄です提督」
「ええ。わたしも光栄よ。それでルビィの作業進捗と作業を引き継げるか、報告をおねがい」
「作業の進捗としては、パニックルームの制御システムへの接続まで完了しています。
パニックルームのシステムにはまだ触っていないようです」
「その状態から、パニックルームの外気取り込みを停止できそうかしら?」
「何かシェルスクリプトを用意していたようですが……シェルスクリプトが書きかけなので、意図がわかりません」
そこまで聞いてレクシーは熟考した。
もちろん書きかけのスクリプトの事ではない。
損切りをするかどうか、をである。
現段階で展開している戦力を巻き取れば、アイオブザワールドとしての損害は行方がわからなくなっているシャーベットだけである。楽観的に考えればシャーベットもどこかで生存している可能性も十分にあると言えるだろう。
その場合、多少のリスクを承知の上でパニックルームを宇宙に放り出す事になるが、サイラース1に残して置いたら確実に毒ガスの餌食になるので選択の余地はない。
ふう。とレクシーはため息をついた。
「現地点を持って、アイオブザワールドは全作戦行動を中断し、速やかにサイラース1を撤収することとします。」
「待って! レクシー! 住民を見捨てる気!?」
シルクコットが話に割って入って来る。
これも予想の範疇だが。
「事態がわたしたちの対応能力を超えたのよ。ここから追加でリソースを投入しても、状況は改善しないわ」
「毒ガスが向かってるパニックルームはどうするのよ!?」
「今すぐサイラース1から離れるように、騎士団経由で拘束力のある命令を出すこととします」
レクシーとしてもこれは不本意な選択だが、放っておけばガスに巻かれて全滅なので選択の余地はない。
「ハルゼーの考え一つに依存するリスキーな選択だけど、何もしないよりマシよ。
もちろん、シルクコットに妙案があるなら聞くけれど」
沈黙。
当然、シルクコットに妙案などないだろう。なにしろ、宇宙での活動に必要なスタッフも艦艇もすべてレクシーの指揮下にあるのだから。
「代替案がないなら、この案で行こうと思うけれど? 他に異議がある者はいるかしら?」
レクシーの問には誰も答えない。
レクシーはたっぷり三〇秒、誰かが口を開くのを待ったが、意見を言うものは居なかった。
その代わりに、通信に不快な雑音が混ざる。
通常、『ユーステノプテロン』同士の超光速通信にノイズが乗ることはないので、このノイズはサイラース1の由来という事になる。
「シルクコット。このノイズはなに?」
「ちょっと待って。今通信兵に調べさせてるから……
ノイズじゃない? じゃあ、これはこういう音をマイクが拾ってるって事?」
シルクコットのマイクの向こうのやり取りが漏れてくる。
どうも機材トラブルらしいとレクシーは考えた。歩兵の持ち歩く無線機が壊れるなど、別に珍しくもないのですぐに代替機に交換するだろう。
だがレクシーの考えに反して、ノイズに変化があった。
「……っ。……す……」
「ノイズの向こうで誰か喋ってる!? マリーゴールド艦長。ノイズのクリーニングは可能?」
「試させます」
マリーゴールドが答えると、一旦ノイズが消えた。
数秒後。
「レクシー提督! シルクコット陸戦部長! シャーベットです。聞こえ、ますか」
まだ端々にノイズが乗っているが、音声は極めて明瞭になった。
「シャーベット! 今どこにいるの? いやそれより無事なの?」
「サイラース1……のかなり深い所まで……降りて、来ました」
苦しそうなシャーベットの声。
「マリーゴールド艦長。シャーベットの通信位置を特定して。
シャーベットは、近くに何が見えるか報告するように」
「マズいです! 提督!
ドラゴンプリーストの位置は、例のパニックルームの至近、約二〇〇メートルです。位置的に、もう何分もかからずガスが到達してしまいます!」
「なんですって!?」
降りて来た。というシャーベットの発言から、レクシーもパニックルームに向かって移動しているのだろうとは思っていたのだが、それにしては現れるタイミングが遅すぎる。
パニックルームは安全設備だからして、必ず誘導表示があるはずなので、迷ったとは考えにくい。
しかし、ウジウジ考えている時間が今はない。
……。
「シャーベット。あなたもパニックルームに入って。もうすぐそこにも毒ガスが達するわ。
毒ガスがパニックルームに入る前に、サイラース1から切り離す必要があるの」
「……」
しばしの沈黙。
「……すいません提督……もう、走れそうに、ありません……」
今度は重たい沈黙が、旗艦のブリッジに流れた。
わかっては居たのだ。極めて短時間で離脱したルビィの症状を見れば、それより長時間毒ガスに暴露したであろうシャーベットが無事では居られない事を。
「……シャーベット……」
レクシーはここで決断を迫られる。
「聞いて。パニックルームを毒ガスから守るために、外に放り出すのはリスクがあるの」
「はい……わかります」
「パニックルームは外部からの電源供給が止まれば、外気取り込みが停止されて閉鎖系の生命維持システムに切り替わるわ」
「……はい」
だが問題もある。正攻法で電源を落とすのは時間的にもシャーベットの体力的にも不可能であると考えられる点だ。
レクシーは素早くサイラース1の設計図に目を走らせる。
「よく聞いて。そこから少し戻った所に、上のフロアの貨物用エレベータの動力室があるの。わかるかしら?」
はあはあという苦しそうな息遣い。
「はい……わかり、ます」
「いいわ。そこへ行って電源をショートさせて。それでそこ区画の電源が落ちるわ。
外部電源を失えば、パニックルームは自立モードに切り替わるから、外気も取り込まなくなる。それで毒ガスの脅威はないわ」
「ちょっとレクシー! シャーベットを殺す気!?」
シルクコットが大声で叫ぶ。
そろそろシャーベットの位置にもガスが到達し始めている可能性もある。そこを戻れと言っているのは、実質的に死ねと言っているのと変わらない。
それに、パニックルームが自立モードに切り替われば、もう入ることもできない。万に一つもシャーベットが助かる可能性は無くなるだろう。
「わたしはシャーベットに死ねと言っているわ。これはただの綺麗ごとよ。それも後々の政治的な取引に使うための、ね」
ひどい話だとレクシーは思うわけだが、この命令が下せないなら指揮官は勤まらない。
「……行きます……後はお願いします」
多少の沈黙の後、シャーベットは答えた。
ユニバーサルアーク




