竜の卵と卵の事情7
◇◆◇◆◇◆◇
翌日。
プールだ。
「……わたしは一体なにをやってるのかしら……?」
医療センターのリハビリ用プールを歩きながら、エレーナは率直な感想を述べた。
プールは完全に封鎖されているらしく、誰も姿を見せない。
現在、このプールに居るのはエレーナ以外はアベルだけだ。
「……ユーノ曰く。リハビリの為に泳いでろ。
その実は、二人でこれからの事を相談しろ……って所かねえ」
エレーナの隣でバシャバシャと水を跳ね上げているアベルが答えた。
「……」
プールに入っているという事は、水着を着ているという事だ。
アベルは、短パン型の水着を着ている。まあこれはいい。普通だ。
一方でエレーナの方の水着は問題だ。ワンピースの水着……と言えば普通なのだが、背中の方がバックリ開いている。言い換えれば、ビキニの前に布を張ったようなデザインだ。トップスの方はまあともかく、ボトムのお尻の方のカットが深く、余計なところが見えていないか、非常に気になる。
別に嫌がらせで、こんな水着を渡されたわけではない事はエレーナにもわかる。背中がバックリ開いているのは、ドラゴンの翼と尻尾を逃がすためのデザインである。
「……昨日の話……その……わたしを守って、くれた?」
エレーナには、昨日のアベルとガブリエルのやり取りがよくわからなかった。
ガブリエルはエレーナを人質に、アベルに協力を迫った。これは判る。
アベルは、協力を拒否。これもわからないことはない。
しかし、ガブリエルがエレーナをアベルに返したら、アベルが折れた。これがよくわからない。
「んー。守ったというか、どうしようも無かったというか……」
「……?」
アベルの返答も意味がわからない。予想外の返答にエレーナ困惑。
「じゃあ、最初から説明するか……」
アベルが翼で水面を叩いた。
「……まず。ここ……エッグって言ったか……はドラゴンの国だ。
ここまではOK?」
エレーナは頷いた。
本当か嘘かは判らないが、そんなすぐばれる嘘はつかないだろう。実際ここまでドラゴン以外と会っていない。
「じゃあ、次にエレーナが人質に取られている状態、ってのを検証する」
アベルが歩き始めたので、エレーナもそれに倣う。
「この時、ガブリエルはオレにいう事を聞かせるためにエレーナを養う必要がある。ガブリエルの権限で養われているなら、快適性は……まあ置いておくとして、ある程度エレーナは安全という事ができるだろう」
それはそうである。
「それに対して、解放されてしまうとその、ある程度安全。をオレが保障しないといけなくなる。
もちろん、そんなことは無理だ。
なにしろドラゴンの国だ。ドラゴンじゃない奴の身元を保証できない」
ドラゴンであるアベルは、最悪なんとか生きていけるかもしれないが、エレーナは無理だ。
生きていくには、最低限の後ろ盾が必要である。
つまり、アベルがガブリエルの傘下に入ったのは、実質的にエレーナを守る為、という事になる。
「……わたし……邪魔になってる?」
半分泣き出しそうな声でアベルに問う。
「……邪魔……か……」
立ち止まってアベルは、顎に手を当てて考えるしぐさをした。
海パン一丁でやっているので、カッコ良くはないが。
「まあ、そんなに邪魔でもない……かな?
センチュリア奪還への布石としては、そんなに悪くないだろ」
「……」
「……なにか気の利いた言葉とかかけた方がいいんだろうけど……すまん。言葉が思いつかない」
◇◆◇◆◇◆◇
「ようこそ、マイスタ・アベル。
わたしは、レクシー・ドーン。本艦……E5312の艦長です。
エッグまでは一時間と少しですが、どうぞおくつろぎを」
『ブラックバス』級巡洋艦E5312。エッグフロントのアイオブザワールド管理区域に係留されていたこの船の、ゲストルームに、アベルは居た。
「……この船は、新しそうだ……」
「はい。この船は最新鋭のE5300型の十二番艦です。アイオブザワールドが受領から七週間目になります」
「あら。意外にあっさり教えてくれるんだ」
「ドラゴンマスターより、教えられることはすべて教える様に、との命令を受けておりますので……
……では、わたしはこれで失礼します。出航の準備がありますので」
そう言ってレクシーは一礼して、ゲストルームを後にした。
ゲストルームは直径二〇メートル程の円形の部屋である。赤いカーペット、ソファー、いづれも高価そうだ。
この部屋は、『ブラックバス』の背びれ付け根、前方にあるようだ。
円形の部屋の約半分を占める窓の外には、『ブラックバス』の艦首方向、主砲塔が見える。その向こうには、エッグフロントの艶のない白い構造物。さらにその先は宇宙だ。
「……本当に宇宙船……なんだよなあ。これ」
感慨深くアベルは呟く。
『ブラックバス』は全長五五〇メートル。宇宙ステーションであるエッグフロントは、一番長い辺で差し渡し一〇〇キロメートルを超える。
いづれも驚異のメカニズムである。
さすがに、アベルは単純にこれだけ見て、センチュリアの侵略者を撃退できる。などと安直な考えを起こしたりはしないが。
……なんで、これで他国を侵略する必要があるかなあ?
と、思わざるを得なかった。
宇宙など、実質的に無限の広さがあるのだ。他国を侵略するコストと、未知の宇宙を探索するコストどちらが安いのだろうか?
「……マイスタ・アベル。まもなく出向準備が整います」
ほとんど無音でゲストルームの扉が開き、ユーノが現れる。
「ここは特等席ですよ。宇宙旅行を楽しんでください……といっても一時間ほどですが」
「ああ。そうする……ところで、エレーナは?」
アベルの問いに、ユーノは脇に抱えていた情報端末を開き、視線を落とす。
「……積み込まれたようですね」
ドラゴン以外にも開放されているエッグフロントと違い、エッグ本国は外部に開放されていない。出入りできるのはドラゴンだけである。
故にエレーナをここに入れるためには、少々の無茶が必要だ。
つまり、この『ブラックバス』に積んでいる荷物と一緒に搬入するのである。
「……本当に大丈夫なのか? って聞いても、大丈夫っていう答えしか返ってこないのは、分かってるけどな」
「大丈夫です。
……としか、答えようがないですね」
「だよな」
それから、三〇分ほどで『ブラックバス』はエッグフロントの港を離れた。
「……すげえな」
アベルの口から、そんな感想しか出てこない程度には、『ブラックバス』と宇宙はすごかった。
全く揺れずに加速する『ブラックバス』は、センチュリアからの脱出船とは隔世の感がある。
レクシーが言うように最新鋭は伊達ではない、という事だろう。
あっと言う間に、エッグフロントが背後に飛び去る。
その加速性能の凄さにも舌を巻く。
「全く……すごい」
アベルは吐き捨てる様に言った。
これほどのテクノロジーがありながら、それを使う事すらできずセンチュリアを奪われた。
……なんという怠慢だ。
政治的な理由で、軍を動かすこともできずに、負けたなどと。
実際の所、アベルがガブリエルの言葉を受け入れたのは、この思いが強い。
「……」
星空が陰った。
宇宙に巨大な何かが浮かんでいて、それが星空を隠しているのだ。
「……あれは……」
「あれがエッグ。この宇宙で最大の建造物。ダイソン球。エッグです」
いつの間にか隣に来ていたユーノが答えてくれた。
……なるほど、名前の通り、こいつは卵だ。
ダイソン球とは、太陽をすっぽりと地殻で覆った構造物である。
エッグの直径はおおよそ一億キロ。途轍もなく巨大なそれは、貧弱な太陽のエネルギーを無駄なく利用するためのシステムだ。
一体どれほどの科学力があれば、こんな物を作れるのだろうか?
「……凄まじいな……これは……
あの中に国があるのか?」
「そうです。住んでいるのは六〇億のドラゴン」
「陰謀劇の観客ってわけか」
『ブラックバス』の進む先に、エッグの外穀に六角形の穴が開いているのが見え始めた。
奥には、オレンジの光が見えている。
どうやら、この六角形の穴は、エッグの外と中を繋ぐ連絡通路のようだ。
漏れてくる光は、エッグの中心にある太陽の光だろう。
「……他に誰も聞いていないなら、少々聞きたいことがあるんだけど……」
「この『ブラックバス』は、我々アイオブザワールドの船です。防諜は完璧です」
「……正直な話、クーデターをやって成功すると思うか?」
アベルは、ガラスに背中を預けて聞いた。
「簡単ではないと……思います。マイスタ・アベル。
しかし、やらなければなりません。今のマザードラゴンを倒さない限り聖域奪還は……」
「……なぜ、聖域の奪還にこだわる?」
「え?」
「……聖域を奪い返して、何かエッグにメリットがあるのか?」
「……」
ユーノは沈黙した。
「正直な話、オレには誰が正義の味方かわからない。
これからオレがぶっ潰そうとしている相手が、実は正義の味方かも?」
「……正義の味方なんか居ませんよ。マイスタ・アベル。
それぞれ個人、それぞれの組織の思惑が絡み合っています。
聖域の中でもそうではありませんか? マイスタ・アベル」
「……規模が宇宙規模になった分、さらにややこしくなった。ってか」
「ご明察の通りにございます。マイスタ」
芝居がかった仕草でユーノが一礼する。
ユーノの返答は、おおむねアベルにとっては満足のできる物だった。
自分たちが正義の味方だ、などと言ったらアベルは暴れだすつもりだったのだが。
『ブラックバス』は巨大な貨物船とすれ違う。
光が遮られて、ゲストルームに影が落ちる。
「……そして、お帰りなさい。マイスタ・アベル。ここがエッグです」
船はエッグの外穀を抜けて、内海に出た。
一気に広がった視界。黒い大地。球体の内面を利用している為、世界は内側に向かってせり上がっている。
その内側に、細い緑と青の線のような物が見える。
いや、それは線などではない。
「……あれは……街か……」
エッグの内殻の面積があまりにも大きいために、居住地域が線にしか見えないのだ。
「キレイだな……エッグ」
エッグの灯を見下ろして、アベルは呟いた。
これから、戦いが始まる。




