竜の卵と卵の事情6
「……こういうのを用意したわ」
「あんまり人質は意味ないような気がするんだけどなあ」
引っ張り出されたエレーナを見ながら、アベルは答える。
エレーナを人質にとって、協力しなければ殺すぞ。と脅すことは容易い。アベルとしてもそう脅されれば、協力せざるを得ない。しかし、協力するのと仕事を完遂するのは違う。アベルが協力している限りエレーナの安全が保障されているなら、アベルは延々と『協力』を引き延ばすだろう。
「……答えを……聞きましょう。アベル」
「……答えはわかってるはずよな? ノーだ」
ユーノが尻尾をエレーナの首に回して、尻尾の先で頬っぺたをぺしぺし叩いている。
……かわいそうだから、止めてやって欲しいんだけどなあ。
現状、アベルとガブリエルのやっているのは、ガブリエルかそのブレインが考えた、言うなれば小芝居である。
ガブリエルにエレーナを傷つける意思がないのは明白。
しかし、それはアベルの主観であって、エレーナにはきっとわからないだろう。
「……でしょうね。ワーズワースの言ってた通りだわ」
意外にあっさり、ガブリエルが退いた。
「お姉ちゃん、弟を試すような事は嫌なのよ。
だから……返すわね」
ガブリエルの言葉に合わせて、ユーノがアベルの方にエレーナを突き飛ばす。
「……やっぱり、そう来るよなぁ?」
転がってきたエレーナを受け止めながら、アベルは言う。
「剥がしてやるから、騒ぐなよ」
そういって、アベルはエレーナの口に張られていた、テープをはがす。
その粘着力の高さに、エッグの技術水準の高さを実感する。
センチュリアで流通しているテープを口に張っても、よだれであっさり剥がれたりするからだ。
「……じゃあ、具体的にオレは何をすればいいか、聞こうか」
「ええ!?」
突然アベルが折れたので、喋れるようになったエレーナが速攻で不満の声を上げる。
「大雑把に、わたしたちがやりたいことは三つ」
そんなエレーナの声を全員が無視。ガブリエルが話し始める。
「三つ?」
アベルは聞き返した。アベルの見立てでは三つだったからだ。
「そう。
まずは、現マザードラゴンの打倒。これはさっき言ったとおりね」
「うん」
「二つ目は、言うまでもなく聖域……センチュリアの解放。
これがお姉ちゃんに協力する理由になるわよね」
聖域奪還は、マザードラゴン打倒の政治的な理由づくりだろう。とアベルは考えた。
無論アベルへの協力する理由付けの意味もある。まさに一石二鳥だ。
「三つ目は、なぜマザードラゴンがこんな凶行に及んだのか、の原因究明よ」
……なるほど、原因究明……か。
アベルの予想外だったのは、三つ目の項目である。
しかし、どの項目も大体納得は行く。
「質問……というか、確認だが……
今、提示された項目は一から三に向かって時系列、って言う理解でOK?」
「そうよ」
「……こっちから、要求……いや、これも確認だけど、これが三つ……いや四つあるんだけど?」
「当然あるわよね。どうぞ」
「……まず。エレーナの身の安全の保障は?」
「お姉ちゃんの権限で、アイオブザワールドの宿舎の一部を閉鎖してそこへ……宿舎と言っても普通のマンションみたいな物だから、生活に不便はないように取り計らうわ。
でも、出歩くのはNGよ」
ガブリエルの答えは、大筋でアベルの想定通り。出歩くな、というのもエッグがドラゴンの国であるなら、致し方あるまい。
「それと、誰も住んでない所でエネルギー使うと怪しまれるから……アベル。あなたも一緒に住みなさい」
「ええっ!?」
こちらは想定外。アベルは困惑の声を上げた。
「……お姉ちゃん。本当はどこの馬の骨どころか、ドラゴンですらない女と弟を同棲させるなんて反対なんだけど……」
「なんかヒドい事言われてむぐっ」
エレーナが騒ぎ出しそうだったので、アベルは再びエレーナの口にテープを張りなおした。
再使用にも耐えるテープの素晴らしい粘着力には、感心を禁じ得ない。
「もうちょっと、おとなしくしてろ」
「……マイスタ・アベル。意外に手段を選びませんね」
ユーノが鼻をふん、と鳴らしながら言った。
ここまで来て、選ぶような物でもないだろう。
「……エレーナの件は了解した。
次はセンチュリアの奪還時期なんだが……これは、現マザードラゴン打倒後すぐに実施する、という認識でいい?」
「その、すぐ。の認識次第だけど……マザードラゴンを打倒してクーデター政権の掌握、軍組織の掌握。これらには相応の時間がかかるとと思うわ。
これを、すぐ。と表現するならすぐ、という事になるわね」
確かに、クーデターを起こした後、軍組織をすぐに掌握できるとは思えない。事前の根回しで多少は短縮できるだろうが、無理に短縮して内政が崩壊する方がまずい。
何か月か待つのは、仕方のないと言ったところか。
「それも了解した。
次に、脱出船に乗っていたほかのメンツの捜索に、リソースを割り当ててほしい」
「……うーん。それはちょっとお姉ちゃん。この場では即答できないわ。
艦船運用局に掛け合わないと……」
ガブリエルは困った顔をした。
だが、
「……そうだ。お姉ちゃんいい事考えたわ。
アベルに艦船運営局との交渉権限を与えるわ。それでどう?」
アベルとしては特に文句は無かった。
しかし、今のガブリエルの困り顔から、答えが出てくるまでの時間が若干早いとアベルは思った。
あるいは、これも予想されていた質疑応答なのだろうか?
「わかった。自分で交渉するとしよう。
……最後に、全部の事が終わったあと……エレーナをセンチュリアに帰すのは可能?」
「……んー。特に止めるつもりはないわ。本人が帰りたいというなら、気の召すまま。といったところかしらね……
……でも、自分が聖域に帰れるか、とは聞かないのね?」
「帰してくれると?」
アベルは苦笑しながら言った。
「……残念ながら」
ガブリエルもまた、苦笑しながら首を振った。
「あなたは、これからのエッグに必要な……いえ、止めましょう」
◇◆◇◆◇◆◇
「……ガブリエルは聖域に行っていた、だと!?」
アルカンドスは手渡された、情報端末を机に叩きつけた。
そこはエッグの政治中枢、ユグドラシル神殿の近くに立っている、ビルの一つだった。
アルカンドスは、赤毛の大男で真っ黒の翼と同じ色の尻尾を背負っている。
かつて、ドラゴンマスターの座をガブリエルと争い敗れて、一〇〇〇週。アイオブザワールドを追われたアルカンドスは、反政府組織『ティルト』に身を置いていた。
「はい。内通者からの情報によると、ガブリエルの乗っていた『ブラックバス』は弾薬を消費していたとか」
連絡役の男……灰色の髪の男だ。その名もグレイマンが答える。
「なんだと?」
部下の男に対して、威圧的にアルカンドスは問い返す。
「聖域で……アメリカの船と戦闘を行ったと……」
「そんなことはわかっている!
ヤツは、わざわざ聖域で戦闘までして何をやっていた!?
ハッカーに調べさせろ!」
アルカンドスは一通り怒鳴り散らすと、部屋の奥のソファーにどかりと腰を下ろした。
「わかりました。
なにかわかりましたら、マイスタ・アルカンドスに直接連絡を」
グレイマンは一礼して、部屋を後にした。
いけすかない奴だと、アルカンドスは考えた。
アルカンドスの元にグレイマンが連絡を寄越したのは、どっぷりと日が暮れた後だった。
「……聖域から戻った『ブラックバス』は、直接エッグフロントのアイオブザワールド直轄の医療センターに付けたようです」
少々歪んだ声でグレイマンは言う。音声が歪んでいるのは、盗聴防止装置の影響だ。
「戦闘でけが人が出たのか?」
アルカンドスはわざわざ質問したが、『ブラックバス』がアメリカの艦船相手に手傷を追うようなことがあるだろうか?
聖域から帰還した『ブラックバス』に損傷があれば、もう大騒ぎになっているはずである。
そもそも、損傷があるなら聖域に行っていた事を隠す目的でも、先に船をドライドックに入れるだろう。
「いえ。『ブラックバス』のクルーにけが人が出た、という報告はありません」
それはそうだろう。とアルカンドスは思う。現実的なケガならガブリエルが魔法で治すはずだ。
……あの薄汚い女、魔法の腕だけは確かだかならな。
そう考えて、ガブリエルの顔を思い出し、アルカンドスはとても不快な気分になった。
「……なら、なぜ医療センターに船を着ける?」
「わたしの口からはなんとも言えません。
ただし、医療センターの一部がドラゴンマスター直接の命令で閉鎖されているようです。
医療スタッフもドラゴンマスターの直属以外入れない、との情報が来ています」
「けが人が居ないのに、医療センターに誰かが搬入されたという事か? 誰だ? 一体」
「それはさすがに探れません。医療センターは現在ユーノ・モスの管理下にあります」
ユーノ・モス、これも忌々しい名前だ。現ドラゴンプリーストであり、有力貴族モス家切っての才女。ガブリエルの腹心中の腹心である。
「……『ティルト』の意向はどうなんだ?」
「『ティルト』は、次の貴族連絡会の攻撃を考えています。
マイスタ・アルカンドスには、陽動としてドラゴンマスターへの攻撃をして頂きたい」
「言われるまでもない。あの女は絶対にこの手で殺してやる」
吐き捨てるようにアルカンドスは言う。
「……兵隊と武器が居る」
「用立てる様に伝えましょう……」
「それと、ガブリエルがなにをしようとしているかを突き止める。
引き続き情報の収集だ」
「……引き続き収集いたします。マイスタ・アルカンドス」
通信は切れた。
先代のドラゴンマスターの死には、数多くの謎がある。
アルカンドスはその謎の中枢部にガブリエルが居ると考えていた。もっと極論するなら、ガブリエルが先代のドラゴンマスターを暗殺して、その後に居座っていると考えている。
古竜であるガブリエルは恐るべき力を持った魔法使いであり、野心もある。
実際、ドラゴンマスターの椅子を手に入れた。あるいは、その次も考えている可能性もあるかもしれない。
先代ドラゴンマスターに可愛がられていたアルカンドスは、それがひたすら不快だった。
アイオブザワールドに留まっていれば、相応の地位が約束されていたにも関わらず、去った程度には、だ。
金竜帝の第一一四週。西暦で二九九七年九月の末。疑念と陰謀がエッグにも渦巻く。




