魔法使いの本分17
◇◆◇◆◇◆◇
ラーズがフラフラと飛んでいると、携帯電話が鳴った。
「ラーズ君」
「神崎さん。
……もう知ってると思いますが、スパイは撃破しました。虹色回路も那由他も無事です」
「ああ。知っている。
ウチの柳葉も回収された。
時萌湖の南側に陸軍がキャンプを作っている。来れるかね?」
「……明るくなってる場所が見えます」
ラーズが時計を見ると時間は、午前七時前だった。
「……痛い。痛いぃ」
左腕の怪我を消毒されながら、ラーズが端的に痛い旨を伝える。
「なんか、毎回こんなこと言ってるような気がするぞ……
痛いっ!」
だが陸軍の衛生兵はそんな事はお構いなしである。
何しろショットガンの弾を食らっているのだ。
消毒だけでも十分に痛いが、弾が体内に残っている場所もあり、それの摘出はさらに痛い。
「……ははは。元気そうだ」
そう言いながら姿を現したのは、神崎である。
『東雲』からヘリで駆けつけて来たようだ。
「炊き出しをもらって来た。食べるといい」
そう言って、神崎は手にしたプラスチック製のトレーをラーズに差し出した。
「ありがとう……痛っ! 痛い!」
それでもなんとかトレーを受け取り、脇に置く。
手に持っていると何かのショックで投げそうだからだ。
陸軍は地上陣地を構築すると、そこに食事などを供給する補給班を置く。これは、海軍にはない特徴だ。
今回、出された炊き出しは、握り飯とトン汁だった。
極寒の夜を過ごした兵士たちにはありがたい、温かい料理である。
無論それは、飲まず食わずで一晩中飛び回っていたラーズとて同じだ。
温かい……ともすれば熱すぎるトン汁を啜り、握り飯をほうばる。
すきっ腹に、濃厚な白味噌の味と香りが満ちる。
なんという至福の時だろうか。
「しかし、ひどい有様だ」
神崎が言った。きっと率直な感想だろう。
ラーズは左腕と左足に怪我……それも散弾を受けての負傷。加えて、首を絞められた跡がくっきりと残っている。
そのほかにも、打撲跡が多数。まあ、神崎の言うとおり、ひどい有様だ。
そして、なによりこの惑星に存在する唯一のVMEであるAiX2400を喪失した。
「命のやり取りをして生きて帰ってきた以上。文句を言う気はありませんが……
痛い……ちょっとソレ超絶痛い。あああ」
トン汁は至福だが、こちらは最悪である。
しかし、銃弾が残っている状態では、魔法による自動回復は期待できないので、外科的な処置は受けざるを得ない。
魔法でなんでも治るわけではないのである。
「……しかし、反省材料は多い……」
「ほう? 反省材料とは?」
反省を口にしたラーズに対して、神崎は興味深そうに聞いてきた。
「まず、自分はこの国の外のことを知らなさすぎる」
そもそもラーズにとっての地球というのは、帝国領の内側、それも帝都と神奈川の一部、あとは択捉島が全てであり、これに加えてどこかに暗黒大陸アメリカが存在する。というだけのイメージである。
「もう一つは、国家間の諜報を甘く見てました」
センチュリアに置いての国家間の抗争は、すべて魔法使いを一か所に集めて殴り合う、という極めてシンプルな形に終始するため今回のようなスパイ事件は起こらない。
まして、スパイが人質を取って逃げ回っている、などというシチュエーションはシナリオとして存在するならともかく、自然発生的に生じることは無いのである。
ゆえに、今回起こったことの多くはラーズに取って、場当たり的対応にならざるを得なかった。
これで致命的な破たんが起こらなかったのは、敵方も魔法使いに対する知識不足から場当たり的対応になったからだろう。
「……なんにしろ、そういうのはなんかイヤです」
それがラーズの率直な感想だった。
「ふむ。いろいろ興味深い話だ。
やはり他の星の文明人なのだな」
神崎がそういってうんうんとうなづいた。こちらも率直な感想なのだろうか。
那由他が二人の黒い詰襟の人物に連れられて現れたのは、丁度ラーズがトン汁を平らげた時だった。
入れ替わりに、こちらも丁度治療を終えた衛生兵が軽く会釈して去っていく。
「よう。今日は一段と美人だな」
「人の事言えるの!?」
左の頬に大きなガーゼを張られて、髪の毛もぐちゃぐちゃになっている那由他が反論する。
確かに、ラーズもまた髪の毛はボロボロ、何度も泥水に突っ込んで泥だらけな上に、あちこちの怪我で血だらけである。
「言えない。か。
まあ、こっちは治療終わったから、あとは自動回復で今日中には治るだろ」
那由他は自然治癒待ちなので、全治三週間と言ったところか。
「それはそうと……」
那由他は抱えていたマントをラーズに差し出した。
「魔法のマント……ありがとう」
「あっ……ああ」
実際サラマンダーサーフェースは魔法のマントではなくアーティファクトなのだが、まあ否定するような物でもあるまい。とラーズは思った。
マントを受け取り、神崎に渡す。
「神崎次官」
那由他がぴっ、と敬礼する。
「……ただいまより、柳葉二等分析官は陸軍特高隊へ出頭してまいります。
許可願います」
「柳葉二等分析官。許可する」
神崎もわざわざ立ち上がって敬礼で答える。
……?
わざわざそんなやり取りをしている意味が、ラーズにはわからなかった。
「失礼します」
そういうと、黒い詰襟の一人が那由他の両手を後ろに回して、樹脂製の手錠で拘束する。
「……ちょっと!?」
ラーズは立ち上がって声を上げたが、神崎がそれを制した。
「スパイが敵性スパイと接触した以上。これは仕方ない処置なんだよ」
そう説明してくれる。
ようするに、敵のスパイに通じていた事を疑われているのである。
「それはいくらなんでも……」
「なに。形式的な物だ。
一定期間の拘禁と、尋問があるだけだ。それほど酷いことはされない」
神崎は言うが、それはある程度は酷い事があると言うことだろう。
少なくとも、二重スパイが事実関係を諸べりたくなる程度には痛めつけるという事だろう。
……許容できない。
ここ数時間で相当消耗したとはいえ、まだラーズは戦える。
ラーズの立てる殺気と、物理的な熱エネルギーすら伴った圧力に特高に二人がたじろぐ。
だが、それを鎮める声は当の那由他なら上がった。
「大丈夫だから。
こんな事に魔法を使わなくていいから。
内調のスタッフになった時から、こんな事もあると……教育されているから」
救出対象にそう言われは、ラーズとしても立つ瀬がない。
矛先を収めざるを得ない。
「……神崎さん! いいんですか?」
「内調としても遺憾だが、そういうルールである以上しかたない」
どうやら、神崎は那由他を助けるつもりはないらしい。
それは、やはりある程度の安全が保障されていることの査証なのかも知れないが。
「……ところで、ラーズ君はこの後どうする?」
「今、陸軍の人が虹色回路の基盤から指紋やDNAを取ってるらしいです。
それが終わったら、基盤を持って東通工の時萌ラボに戻ります。
二日連続で休めないので……」
そして何より、虹色回路が正常に動かない理由が、ここ二四時間でわかったような気がした。
故に早く戻って実験したいのだ。
「……ふむ。陸軍の調査担当には情報統制をかけて置かないとな……」
神崎は顎に手を当てながら、誰にともなく言う。
そして、ラーズの方を向き直り続ける。
「……わかった。時萌ラボまではヘリで送らせよう。自分で飛ぶのも大変だろう。
虹色回路の件は吉報を待っているよ」
センチュリア製のVMEは修正不能なレベルで破壊されたので、もはや虹色回路を作らなければならない。
◇◆◇◆◇◆◇
ラーズがヘリに乗って去った後、神崎は破損したVMEとマントをジュラルミンケースに詰め込んだ。
VMEは機能を喪失したというが、その製造テクノロジーは調べるべき事がまだあるはずである。
魔法のマントもまた、同じだ。
……ラーズ君は結果に不満があるようだが……
神崎としては、十分満足できる結果だった。
那由他を数か月間失ったのは痛かったが、ラーズの魔法とその運用も見れた。
それよりなにより、ラーズが外的なストレスに対してどんな反応を示すのかが見れた。
これは極めて有用な情報である。
神崎は『東雲』に戻るヘリに向かいながら考える。
……しかし、もっと攻撃的な性格をしていると思ったが……
神崎の所感として、見た目の印象よりはるかにラーズはメンタルが弱い。
その弱さが、元来の物なのか、外的要因に由来する物かは判断は付かなかったが、ラーズが地球文明に触れたから約3か月。
これだけの期間を経て、変化していないなら、今後も変化する可能性は低い。
少なくとも『聖域』関連の事象に触れるまでは、現状のままだろうと神崎は考えていた。
ヘリに乗り込み、神崎は分析を続ける。
ラーズ関連で最大の問題が、今回陸軍もラーズと魔法の存在を知った事だろう。
これは今後ラーズ自体の扱いが政治的な影響を受けるようになるだろう。
これから神崎が書く報告書が九重総理の手に渡った時、この国はどう動くだろうか?
神崎は考えた。
ラーズは極めて優秀な魔法使いであり、エンジニアである。
その力を『聖域』解放の為に、帝国に無制限に提供するだろう。
「恐ろしいな……」
神崎は思わず口に出して呟いた。
その呟きは、ヘリの轟音にかき消されて消えが……
……なるほど、ラーズ君の言いたかった事はこういう事か。
すなわち、魔法使いの本分は魔法を使う事ではない、という事。
自身が魔法を使うかどうかではない。ラーズという1人の魔法使いを迎えたその時から、この国の上層部は既に魔法の運用を考えている。すでに魔法使いなのである。
眼下を見れば、陸軍の地上部隊が撤収していく。
彼らもまた、魔法の存在を認識しただろう。
……文明汚染と言うが……
これは逆だな。と神崎は考え苦笑した。
かつて、地球の文化で『聖域』の住人であるラーズを汚染することを政府は警戒していたが、実際に汚染されているのは大日本帝国であったという事だ。
ユニバーサルアーク




