魔法使いの本分16
ラーズが、再び男を追おうとしたとき、再び懐で携帯電話が鳴った。
「ラーズ君。……大丈夫か?」
「フラフラしますが……行けます」
神崎の問にきっぱりと答え、歩を進める。
あのスパイを追うのに苦労はない。雪の上に足跡が延々と残っている。
「待ちたまえ。すでに陸軍のヘリが追撃に向かっている。
下手に近づくと巻き込まれる恐れがある」
「……ちょっと待ってください! どこかに対空兵器が隠されてる可能性が……」
ラーズは言った。
実際、彼らは個人携帯可能な対空ミサイルランチャーを持ち込んでいたのである。
ほかにも持っている可能性は排除できない。
いや、わざわざ身動きが取りにくいこんな森の中まで来たのだ、目的がないとは思えない。
「それは我々も了解している。
こちらの分析では、脱出用の乗り物が用意されている公算が高いと出ている。
相手が飛んだ場合、『東雲』の対空噴進弾で攻撃する予定だ」
「宇宙艦のミサイルで攻撃……ですか?」
さすがにこれにはラーズも驚いた。
領空内の敵性航空機が相手なので、攻撃自体に法的な問題はないのだろうが。
そんなことをされたら、虹色回路の回収ができない。
「ちょっと待ってください!
虹色回路の回収……いや、スパイが何か行動起こす前に、なんとかしますから」
ラーズは比較的低い速度で、森の中を飛びながら、スパイの足跡を追う。
……罠くせえな。
そう思うが、打つ手がない。
ついでに、もうコンピュータに頼った魔法の運用もできない。
と。
足跡が九〇度左に曲がっている。
曲がった先は、茂みになっている。
……隠れ家……少なくとも、何かを隠してある場所……か。
見れば不自然な、茂みだ。
何かを無理やり覆ったような……
その時、突如として茂みの中からエンジン音が響いた。
「……くっ!?」
ほとんど同時に灯ったヘッドライトが、闇夜になれたラーズの目を襲う。
茂みを割って走り出てきたのは、大型のスノーモービルである。
乗っているのはあのスパイだ。
ラーズに向かって突っ込んできたスノーモービルだが、ラーズの直前で左に曲がる。
「やろう! 逃がさねえ、っつてるだろ!」
もうやけくそでラーズはスノーモービルに飛びつく。
スノーモービルの無限軌道などが危なくて仕方ないのだが、逃がせばそもそも追って来た意味がない。
ラーズは左腕と男の首に回し、右のこぶしで右耳の後ろを何度も殴りつけた。
男が身をひねって、ラーズに反撃を試みた瞬間、スノーモービルが跳ねた。
「……!」
地面が見えて、続いて空……ではなく木々の枝と針葉が見えた。
男と共にスノーモービルから落下するラーズの横を、無人になったスノーモービルが飛び去って行く。
盛大な雪煙を上げ、地面に落下したラーズの向こうで、スノーモービルが木の幹に衝突。爆発して火の玉に変わった。
……三〇世紀の超科学でも、事故ると爆発するんだな。乗り物。
そんな感想がラーズの脳裏に浮かんだ。
そかし、そんなことよりも追撃である。
ラーズは、やはり雪煙を上げて転がった男に向かって駆け寄り、その顔面を思いっきり蹴り上げる。
男が仰向けに倒れなおす。
……!
その手に握られているのは。
「ショットガンだと!?」
なんと、この期に及んで、男は新しい武器を取り出した。銃身を切り詰めたポンプアクション式のショットガンである。
おそらくスノーモービルと共にかくしてあったのだろう。
さしものラーズも、十二ケージの散弾を保護障壁で受けたことはない。
ズドン! とまさにそんな音。
超高質量の液体が保護障壁をなでるような、恐ろしく不快な感覚。
続いて、左上腕や左大腿部に激痛。
……保護障壁を抜けやがった!
どうも保護障壁は衝撃が分散すると個々の防御性能が落ちるらしい。
これはセンチュリアではなかったシチュエーションなので、ラーズ自身初めて知った保護障壁の振る舞いである。
男の顔に笑み。
ようやく、有効な攻撃を見つけた。と言ったところだろう。
ラーズは仕方なく間合いを開ける。
間合いが開けば、保護障壁に同時に当たる弾が減るため、防御を貫通されるリスクは激減するだろう。
しかし、その状況ではラーズも有効なダメージ魔法などつかえた物ではないので、これは一種の膠着状態であると言えた。
ただ、時間をかければ陸軍の地上戦力が追いかけてきている分、ラーズ有利であるともいえる。
……諦めて投降しろ! とか言っても聞かないよなぁ?
そんな事を考えながら、ラーズは大木の陰を走り抜ける。
男の放った散弾が、木の幹を抉った。
その瞬間は一分と経たずに訪れた。
すなわち弾切れである。
……装弾数は六発か。
ラーズはこれを機と見て転進。
木の幹を駆け上がり、一瞬で三メートル程の高さの枝へ達する。
駆け上がった勢いをそのままに、その枝からジャンプ。
男の頭上へと至る。
この間、約三秒。
反応できる速度ではない。
「っしゃあ!」
ラーズは気合の声と共に、全体重を乗せた回り蹴りを叩き込む。
……これでコイツが転がったら、《炎の矢・改》の追撃で終わりだぜ。
さすがの訓練されたスパイであっても、雪上、高い位置からの蹴り、この条件で踏ん張っているなど不可能である。
だが、それでもこのスパイは抵抗を止めない。
倒れ際にラーズの足をつかんだのだ。
そのまま倒れた男は、すり鉢のふちのようになっている斜面をラーズをつかんだまま転がり落ちる。
「痛てえぞ、クソ野郎!」
二〇メートルばかり、転がって二人は何かにぶつかって止まった。
位置関係は……ラーズが不利。
男が馬乗りになり、ラーズの首に手をかける。
「……っ!」
つかまれるのは良くない。
保護障壁の特性として、ある程度密着している物は保護障壁の内側に入ってしまうのだ。
ただ触られているだけなら、無理矢理保護障壁を割り込ませるテクニックもあるのだが、さすがにつかまれていると無理だ。
それよりなにより、この男の腕力の凄さといったら。
息より先に、頭への血流が止まる。
脳は恐ろしく効率の悪い臓器だ。酸素の供給が止まればあっという間に機能停止するだろう。
……一七〇〇光年も彼方で首絞められて死にました。とか、永久に笑いもんだぜ。
ラーズは渾身の力を込めて、男のわき腹を殴るが、まあ効いて無さそうだ。
「が……っ!」
もはや魔法を行使するにも遅い。
視界が白く狭く変化していく。
どざっ。と耳元で音がした。
どこかからの落雪。それ自体に意味はない。しかし、どこかへ行きかけたラーズの意識をまたここに戻してくれた。
「……!」
ラーズは見た。その視界の隅に青白い輝きを。
……おお! アベル!
アベルの魔法光のスペクトルの輝きだ。
ラーズはそれに手を伸ばした。
冷たい、感触。
つかんだそれを男に向かって振るう。
絶叫が辺りに響き渡った。
げほげほと咳き込みながら、ラーズは身を起こした。
先ほどまで、馬乗りになっていた男が隣に倒れている。男は左の眼窩に三〇センチほどのツララを突き立てられ、すでに動かなくなっていた。
最後の最後でラーズが振るったのは落ちてきたツララだった。
「まあ、さすがに……ここでアベルが助けに来てくれる。なんてのは甘え、だよな」
誰にともなく言う。
しかし、
「……火の魔法使いのフィニッシュムーブが、ツララで刺すとかどんなだよ」
ようやく呼吸も落ち着いてきた。
ふと、何処からツララは落ちてきたのだろう、と周りを見回すと後ろに木造の社があった。
先日倒れていた社を、ラーズが起こした物だ。
確かに雪に覆われた社には、何本もツララがぶら下がっている。
スノーモービル爆発なり、ラーズと男の格闘の衝撃なりで、落下してきたのかもしれない。
「……何はともあれ、虹色回路だ」
ラーズが男の死体の懐を漁ると、意外にあっさりとナイロン製の袋に入れられた虹色回路のコガメ基盤が見つかった。
……見つからなかったらどうしようか、とも思ったが……
と、視線を感じてラーズが振り返った。
……まだ、誰かいるのか!?
ラーズの戦闘リソースは枯渇気味ではあったが、敵が残っているなら戦闘は続行である。
だが、違う。
「……いつぞやの暫定雪女じゃねーか」
ラーズはそれを見て戦闘体制を解いた。
まあ、暫定雪女が敵でない保証など無かったのだが。
生きている人間より怖い物なんてこの世にない。と、何かに書いてあった。
暫定雪女はこちらに向けて、深々と一礼して見せた。
「……ああ。この社、あんたのだったのか。
起こした分の料金は、さっきのツララ一本でOKだぜ?」
後ろで、ドサリという雪音。
ラーズが驚いて振り返ると、社の屋根の半分程に積もった雪が落雪していた。
……あー。これはもう一回振り返ると居なくなってるパターンか。
そう思いながら、ラーズが暫定雪女の方に向き直ると、予想通りその姿は無くなっていた。
「だよな」
戦闘の興奮が幻覚を見せることは、それほど珍しい事ではない。
脳というのは案外適当な物だ。ましてや、首など絞められて酸欠状態になれば、幻覚の一つや二つでっち上げてしまう。
これも、そういった物の一つだろう。
とラーズは考えた。
「まあ、それでも……」
先ほどの乱闘で倒れたお供え物を直しながら、ラーズは言った。
「お祈りの仕方とかあるのかもしれんが、まあ……ありがとな」
ラーズは社に背を向けて歩きだした。
……《ウォースカイ》、正常動作するかな?
夜明け間際の択捉島は途轍もなく寒かったが、それはそれで気持ちよかった。
◇◆◇◆◇◆◇
『東雲』のCICで、わあ。という歓声が上がった。
徹夜で事態監視に当たっていたスタッフの中には、隣の座席同士でハイタッチしている者もいる。
ホロデッキに表示されているのは、上空からラーズを捉えた映像だった。
最後の最後、ラーズがスパイを撃破して立ち上がった直後に映像は途絶えたが、瀬石川付近に『戦風改』を進出させることで状況確認を行っているのだ。
「……本当に倒しましたね。
柳葉さんも、あの半導体も無事に取り返すとは……。
いやはや、しかし『東雲』の出番がなかったのは幸いですが、少々残念でもあります」
「まだ就役もしていない『東雲』だ。これから先、いろいろなことがあるだろう。
功を焦ることもあるまい」
「はっ。
それでは戦闘態勢を解除しますが、よろしいですか?」
「そうしてくれ。
私は、英雄の凱旋を見に行くとしよう」
神崎はCICに背を向け、出口に向かった。
……しかし、あの男。本当にソ連の間諜だったのだろうか?
そう考えていた神崎は考えていた。
確かに、スパイたちの装備はソ連製……自走対空砲まであった。
あんなものをやすやすとソ連領から、択捉に運び込めるものだろうか?
今回、残念ながらスパイたちは全滅した。
本来なら内調のスタッフを入れて捕獲したかったのだが、ラーズ絡みは海軍の発言力が強くそういう訳には行かなかったのだ。
だがラーズが見せた魔法の数々は有用な情報である。




