魔法王の記憶 冒険者の記憶8
エレーナとシーサーペントの間で、体感的な距離が圧縮される。
「《スラッシュエアー》デプロイ!」
鮮やかなグリーンに輝く光の軌跡を残して、エレーナは左手を横に振った。
不可視の刃物が、シーサーペントに向かってバラまかれる。
対するシーサーペントは、もたげた鎌首を少し後ろに下げた。
直後、シーサーペントがバネで弾かれたように、エレーナの方に跳んだ。
実際問題として、エレーナとしてはシーサーペントの牙などより、体当たりのほうが怖い。
エレーナは前に転がって、飛びかかってくるシーサペントの下を潜る。
ついでに一瞬見えたシーサペントの腹に向かって、ワースレイヤーを向けてトリガーを引く。
時間にして一秒、狙いもレーザー照準器に頼った適当な物ではあったが、数発の銃弾が確実にシーサペントを捉えた。
エレーナには、シーサーペントが多少の傷を負ったように見えた。
しかし、それは多少に過ぎない。
エレーナの持つ全弾薬を撃ち込んでも、おそらくシーサーペントは倒れないだろう事は想像に難くない。
つまり、必然的に決戦は銃火器以外による攻撃に頼る事になる。
「しゃっ!」
鋭い息を吐く音と共に、シーサーペントがエレーナに襲い掛かる。
「《ショートスキップ》!」
今度の攻撃をエレーナは魔法を使って回避する。
《ショートスキップ》は、数メートルの距離を瞬間移動する魔法である。
瞬間移動というと、結構スゴイ魔法に聞こえるが、その実は風による超高速移動であり、いわゆる《ブリンク》の魔法とは根本的に異なる。
扱いは簡単で、ただ任意方向にむかって大加速を行うだけだ。
エレーナはシーサーペントの胴体の下を左後方に向かって抜けた。
すぐに振り返って、銃のマガジンに残っている全弾を撃ち込む。
……理想的には、ここ!
シーサペントがこちらの攻撃に反応して振り向けば、その瞬間に隙が生じるはずである。
「《ウィンドシェーバー》……デプロイ!」
こちらも《スラッシュエアー》と同じ風の刃を生成する魔法だが、《スラッシュエアー》が遠隔攻撃なのに対して、こちらは近接攻撃。
鋭利な風の刃は、時に大木で切り倒す。
だが。
ごっ。という鈍い音を聞きながら、エレーナは真横に吹っ飛ばされた。
「!?」
見れば、シーサペントが尻尾を振ったらしい。
床に落ちて、横向きに二回転程転がった所で、エレーナは左手で地面を叩いて飛び上がった。
さらに空中で一回転して床に降りる。
壁に叩きつけられなかったのは幸いだが、ワンテンポ遅れて痛みがやってきた。
体全体が痛いが、右の脇腹のあたりが特に痛い。
……折れたわね……
ぎりっ。と奥歯を噛んでエレーナは、再びシーサペントと対峙する。
「……悪いけど、こっちも退けない理由があってね」
吹っ飛ばされた時に取り落としたワースレイヤーは、シーサペントの近くに落ちている。
……どうする?
と短い時間考える。
果たして、シーサペントはワースレイヤーを武器であると認識し、エレーナがそれを取りに行きたいと考えている事を読んでいるだろうか?
結論はすぐに出た。読んでいるに決まっている。
相手はキングダムの魔獣。楽観的な考えは即座に死だ。
「……なら、魔法ね」
口で言ってから、エレーナ自身が自分の胆力に驚いた。
少し前まで、アベルが守ってくれる状況ですら、こんな魔獣と戦うなど考えたこともなかった。
そして、すぐにエレーナはその理由に思い当たった。
「そうね」
その原動力は、悲しい事にレクシーに対する嫉妬だった。
深すぎる嫉妬が、キングダムの魔獣への恐怖を上回っているのだ。
「最低ね。自分でもこんなイヤな女だとは思わなかったわ」
……きっとバチがあたる。
エレーナはそう考えたが、今だけは戦う力をくれる嫉妬心に感謝もした。
何より、シーサペントはレクシーと違って倒せるのだ。
「行くわ」
床に転がったワースレイヤーを、エレーナは一直線に目指して走る。
対するシーサペントは、再び鎌首をもたげ迎撃態勢を取った。
相手の眼前に転がった武器を拾いに行くのは、控えめに言って自殺行為である。
だからこそ、相手に油断が生じるという物だ。
ワースレイヤーに向かって、エレーナは飛び込み前転で飛びつく。
シーサーペントもまた、ばね仕掛けのおもちゃのような動きで、エレーナに食らいつく。
「《エアロランス》デプロイ!」
エレーナが使ったのは、風の槍を作り出す魔法である。
その用途は、武器的な扱いではなく、相手の移動先に置いておく類の物だ。
果たして、目前に突如出現した《エアロランス》の効果範囲に自ら突っ込む形となったシーサーペントは、ごろごろと壁際まで転がって行った。
逆を言うとそれだけである。致命傷には到底及ばない。
しかし、それは予想の範疇。
エレーナは腰のポーチに吊るしていた、グレネードを右手で握りしめ、シーサーペントを追って走る。
距離にして数メートルなのだが、この時間が嫌に長い。
シーサーペントが首を上げた。
こちらも戦意は失っていない。
「ほれ、シャーって言ってごらんなさい!」
エレーナの言葉に答えたわけでもないだろうが、シーサーペントは毒の滴る牙をさらして、シャーと警戒音を出した。
勝負は一瞬。
グレネードを持った右手を、エレーナは勢いよくシーサーペントの口に突っ込む。
シーサーペントは基本的には蛇である。ならば、横から深々と腕を喉の奥へ入れてしまえば噛まれる心配はない。
もっとも、シーサーペントがその巨体をよじれば、エレーナの腕など簡単に折れてしまうだろう。
故に最速でエレーナは手にしたグレネードを手放した。
このグレネードは標準的な破片手榴弾だが、さすがに腹の中で爆発すればシーサーペントと言えども無事では済まないだろう。
見えたわけではないが、グレネードはシーサーペントの食道を、滑り落ちて行ったようだった。
直後、ドン! という重い音がエレーナの一メートル程先から聞こえた。
グレネードが爆ぜたのである。
シーサーペントの内臓に阻まれて、破片はエレーナには届かなかった。
だが、それでもシーサーペントにとっては致命傷にはならないらしい。
あろうことか、エレーナの腕を咥えたまま、狂ったように暴れ始めたのだ。
想像を絶する力で振り回され、上下の感覚はすぐに失われた。
ぐるぐるとまわる景色の中で、エレーナは幾度となく床や壁に打ち付けられる。
……保護障壁がなかったら、即死なんでしょうね……
エレーナはそんなことを考えた。
よっぽど強く咥えているのか、腕は抜けない。
このまま床や壁に叩きつけられ続ければ、エレーナの貧弱な保護障壁は持たない。
同様に、シーサーペントの下敷きになるような事があっても、保護障壁は砕けるに違いない。
「このっ!」
エレーナが叫ぶと、血の味がした。
口の中を切ったのか、あるいは内臓を損傷したのかも知れない。
だから、決着を今付ける必要がある。
「《ウィンドシェーバー》デプロイ!」
この至近距離なら、絶対に外れないし、防御手段もない一撃である。
エレーナの左手に生じた風の剣が、シーサーペントのアゴから喉にかけての肉を切り裂く。
反時計回りに体を翻しながら、エレーナはシーサーペントの口から右手を引き抜いた。
骨折くらいは覚悟していたのだが、意外な事にけがはなかった。
蛇と言えども、頭と喉の位置関係はそれほど変化しないのだろう。
「勝った!?」
思わず疑問形で口走ってしまう。
シーサーペントは横倒しになり、もがいていたがすぐに動かなくなった。
切り裂かれた喉からは赤黒い血が流れ続けている。
その瞬間は唐突にやってきた。
丁度、エレーナがシーサーペントに背を向けて、床に転がったワースレイヤーを拾い上げようとした時である。
突如、水面が盛り上がった。
「!?」
そして、盛り上がった水の頂点から出現したのは、一匹のエメラルドグリーンの蛇だった。
シーサーペントよりは随分小さく細い蛇だが、その目の輝きが尋常ではない。
エレーナに迷いが生じた。
戦うか、逃げるか、アベルに助けを求めるか。の三択である。
もちろん理想は戦う事。この蛇のサイズは、シーサーペントより小さい。単純に大きさイコール戦力とするなら、シーサーペントよりくみしやすい相手という音になる。
逃げるのは論外だ。いくら何でも、寝ているアベルを抱えて逃げられない。
第三の選択肢である、アベルに助けを求める。はどうだろうか?
エレーナの思考がそこまで到達した時、突如として蛇が動いた。
「速いっ!?」
足を狙ってきた蛇の一撃を、なんとか後ろに跳んでエレーナはかわす。
執拗に蛇は追ってくる。
そして、エレーナは見た。
水面から、異様な物がこちらを見ている事に。
それは、黒山羊に似ていた。しかし、その大きさは決して山羊のそれではない。
そして、山羊の目は赤く輝く物なのだろうか?
「《ダークストリング》」
唐突に、山羊の周囲に魔力が投射され、魔法が展開する。
……これはまさか……
エレーナは着地、さらに後ろに跳んで間合いを開ける。と言いたいところだが、今しがた踏んだ地面から足が離れない。
黒山羊が使った魔法の効果である。
動きを止めたエレーナの原に、蛇が牙を突き立てた。
やすやすとドラゴンナイトの式服を貫通した牙は、最初に激痛を、次に冷たい感覚をもたらした。
……毒。
すぐに視界が狭くなり、目が見えなくなる。それと同時に手足の間隔が消え、奇妙な冷たさだけが残った。
……キマイラ。
キマイラというのは、キングダムが魔獣製造の歴史の最後に生み出した最強の魔獣である。
文献によっては、キメラやキメイラとも称されるこのモンスターは、ライオンの上半身と前足のない黒山羊、巨大なコウモリの翼、大蛇からなる。
モンスターの中核は黒山羊であり、黒山羊はその邪悪な知識をもって、暗黒の魔法を使うと言う。
力の象徴たるライオンは、その巨躯に恥じない戦闘力を有し、口からは熱線を投射する能力を持つ。
巨大なコウモリの翼で空を飛び、蛇の視野は全周に死角を作らない。
まさに最強の万能戦闘マシンである。




