東京条約10
「んー?」
ラーズが俯いて唸る。
ラーズも、そんなことはないと考えているという事だろう。
「しかし、そんな事をオフレコでも言う、って事はオレに見てこいって事か?」
「まあ、そうだな。
少なくとも、長老院には知らせるべきだろう」
長老院がグレートルーンへの侵入者が居る事を知れば、いくらでも取れる手はある。
センチュリアは、文明としてはほぼ再起不能でも、局地戦力としては聖女級の魔法使いがそれなりに残っているのだ。
「……フローリアさんに殴られそう……」
アベルは呟いた。
フローリアはキングダムの時代から生きているという。魔法王の側近だったこともあるらしい。
その関係かはわからないが、とにかくグレートルーンの閉鎖にはうるさいのだ。
「……それは……仕方ないな。それよりアベル、お前覚えてるか?」
「覚えてる? なにを? 主語抜きじゃわからねえぜ」
「……魔法王の墓の壁画」
別に誰かに聞かれる心配もないわけだが、ラーズは声をひそめた。
「壁画かあ……」
ずっと昔。アベルとラーズが、まだ魔法も使えなかった頃、フローリアが語った話がある。
王の霊廟には、そこに眠る王の時代に起こった歴史的な出来事が、それはそれは見事な壁画で描かれているという。
「もしかすると、とんでもない事が描いてあるかも知れねえぜ?」
確かにラーズの言う通りである。
例えば、地球人がセンチュリアに入植した記録などが得らる可能性などだ。
入植に関しては、聖域海戦の前にラーズによってその可能性が示されているが、問題は入植した際に地球人がセンチュリアから持ち出した知識である。
「確かに気になるな……」
アベルはそう答えた。
確かにこれは、センチュリアの歴史を掘り返すチャンスと言えた。
そのチャンスの根源が、失踪した帝国陸軍の将兵だというのは、皮肉な話ではあるが。
「しかし、そうなると……ラーズ的には、次どうするんだ?」
「オレはこの後、ちょっと休暇がもらえる予定になってるんでな。
大英帝国に行こうと思う」
「イギリスか……」
イギリスはすべての始まりである一九〇〇年代に、アメリカの同盟国だった国である。
そう考えれば、当時敵国だった大日本帝国よりも、有用な情報が残っている可能性が高い。
「……確かに理にかなってるな」
……そういえば。
ふとアベルは疑問を持った。
「なあ、ラーズ。
センチュリアの話はまあ、いいとして……
お前、いいのかよ? 多分、この国的には、エッグのVIPを誘拐した事とかにされてんじゃねえか?」
「なってるだろうなあ……」
アベルに言われて、ラーズは虚空を仰ぎ見た。
なぜかラーズは笑っていた。
「アベルは気にしなくていいぜ。
まあ、悪ふざけで一緒に逃げた。とか言ってくれると、後々楽になるんだが」
◇◆◇◆◇◆◇
確かに、ラーズがアベルを連れて逃げるというのは、社会通念上色々問題がある行為と言える。
ましてや、大日本帝国の正規軍である帝国海軍の兵が、他国のVIPを連れて逃げ回るなど論外だろう。
いくらラーズでも、そんなことをするものだろうか?
答えはノーである。
「草加閣下」
半開きになっていた執務室の扉がノックされ、同時に声がかかる。
「二宮中佐か……入りたまえ」
「失礼します」
入ってきたのは、二〇代半ばのスーツ姿の女性だった。
横浜鎮守府直属の衛生部隊に所属する二宮春子中佐である。
「例の件の報告であります」
海軍式の敬礼をする二宮に、草加も答礼する。
「さすがに速いな」
「あまり時間もかけられませんので……どうぞ」
二宮は、脇に抱えていた紙の束を草加に差し出す。
この時代紙の書類は珍しい。
特に軍の基地で紙が使われるのは、機密文書以外にあり得ない。
「どれ……」
草加は、書類に目を落とした。
それは陸軍の機密文書のコピーだった。
この二宮中佐、衛生部隊に所属している事になっているがその実、参謀部子飼いの諜報員である。
二宮中佐が寄越した文書は、陸軍の機密書類だ。
「さすがだ」
「お褒めに頂き幸栄です。
しかしながら、草加閣下に用意いただいた陽動が完璧だったので、楽な仕事でした」
草加が用意した陽動。
つまり、ラーズだ。
空を飛んで逃げ回るラーズを追うために、警察と陸軍がまとまった数の人間を投入した。
その結果、霞が関の陸軍参謀本部の警備ががら空きになったのである。
「……だが、辻参謀が何を考えていたのかは……わからんな」
……神崎さんもがっかりだろうな……
この辻中佐失踪事件、軍ではなく内閣調査室の預かりとなっている。
これは有無を言わせず、辻にスパイ容疑がかかっているという事である。
そうなると、誰がスパイか分かった物ではないため、個人的に付き合いのある草加に相談が来たという訳である。
「……わからないと言えば……」
草加の言葉で何かを思い出したのか、二宮がホロタブレットを取り出して操作し始める。
「辻中佐の個人ライブラリの中に、見たことの無い文書が保存されていました。
文字情報ではなく、画像情報だったので別途保存したのですが……」
二宮が机の上に置いたホロタブレットが、奇妙な文字を映し出す。
何かの画面を直接撮影したらしいそれは、少なくとも地球上の如何なる文字とも違って見えた。
だが、草加はそれを見たことがあった。
「……エルフ語だ。
聖域の固有言語だよ、これは」
草加はラーズの持ち物の中に、その文字を見たことがあった。
「エルフ語……でありますか?
なんと書いてあるのでしょうか、閣下」
二宮が詰め寄るように言う。
しかし、エルフ語は聖域固有の文字であり、聖域はドラゴン達に封鎖されていた。
つまり翻訳に必要な辞書が存在しないのである。
そして音声言語と違い、文字の翻訳はリアルタイムで辞書を作ることも難しいのだ。三〇世紀のテクノロジーをもってしても、そうそう実現できない。
「残念ながら、読めない。
ラーズ君は当然読めるだろうが……」
この後の予定では、ラーズは横浜鎮守府の衛兵が『偶然』発見して捕らえる事になっている。
これは鎮守府内で捕らえた事を理由に、外部機関への引き渡しを拒否するための布石だ。
「……時間があったら、ラーズ君に呼んでもらおう」
ラーズはほとぼりが冷めるまで、どこかに隠す予定になっている。
本人は英国行きを希望している為、一旦満州へ出国させた後、英国へ行かせる算段で内調なども動いているのだ。
果たして、時間がある物だろうか?
◇◆◇◆◇◆◇
「いやあ、遊んだ遊んだ」
赤坂プリンスホテルの正面玄関前に、突如としてアベルが降り立ったのは、午前二時過ぎだった。
そして、それを警備にあたっていた警官が見つけるなり、甲高い音の笛を吹きならす。
「ドラゴンマスターはっけーん! はっけーん!」
そこかしこで、大声が上がり大騒ぎが起こる。
そして、一分と経たず無数の人間が集まってきた。
服装から判断するに、警察関係者七割、陸軍関係者三割と言った比率で総数は二〇〇人前後と言った所か。
「ドラゴンマスター確保! 確保ーっ!」
再び甲高い笛が鳴らされる。
「ドラゴンマスター様。ご無事で? お怪我は?」
人込みをかき分けて現れたのは、あの顔の怖い警視庁の人間である。
「ケガする要素なんか、何もないぞ?
それより、ウチのドラゴンナイトは?」
アベルが見た限り、エレーナの姿はない。
エレーナのような金髪の人間はこの国にはほとんど居ないようなので、居ればわかるだろう。
「一時間ほど前に、夜食を食べた後、寝ると言ってロビーのソファでお休みになられていますが……」
流石にエッグ勢の中ではアベルとの付き合いが一番長いだけあって、エレーナの行動は的確である。
要するに、待つだけ無駄、心配するだけ無駄、追いかけても無駄、という事を悟ってさっさと寝たという事だ。
余計なエネルギーを使わないのは、魔法使いの誉れである。
……まあ、気分的にはマイナス査定だけどな。
別に起きて待っていてほしいわけではないが、何か負の感情が沸きあがるのが男心という物だ。
「それより、賊はどうされました!?」
名目上アイオブザワールドのナンバーツーであるエレーナを、それ呼ばわりするのも大概だが、ラーズを賊呼ばわりするのも許せない。
「オレが頼んでラーメン喰いに行ったのに、賊とは随分な言い草だな」
腰に手を当てて、アベルは言う。
実際の所、別にアベルが頼んだわけではないのだが、どうせ追検証など不可能な事である。
それにこうしておけば、ラーズへの追及は及ばない。
これも、保険の一種という訳だ。
「……そんなっ!?」
顔の怖い警官……安西とか言ったか。は驚いた表情を浮かべた。
本気で、ラーズを誘拐犯扱いで探していたのか、あるは何か別の意図があったのか?
……しかし、どこも一枚岩ってわけじゃねえんだよなあ。
まあ、一枚岩の国家というのは完全な独裁国家ということになるので、それはそれでどうかと思うわけだが。
「とにかくご苦労様。
そもそも、アイオブザワールドとしては警備は頼んでないわけなんだが・・・」
そう言い放って、アベルはホテルの部屋へ向かう。
ラーズにあわせて結構なペースで、結構な距離を高機動魔法で飛び回ったせいで、なかなか消耗したのだ。
……興味深いぜ……
赤カーペットのロビーを歩きながら、アベルはそう考える。
飛行魔法というのは、時に魔法使いの性能を測るベンチマークとなる。 最高速度から得られる魔法の最大出力はもとより、継続的な加速曲線から負荷の変動に対する出力特性の変化追従性まで、かなり正確なデータを得られるのである。
一般的に魔法使いは、魔法使い同士で競い合うことで成長すると考えられているので、魔法使いの居ないこの国でラーズがパワーアップしている事は考えられない。
センチュリアの魔法使い達が一〇〇〇年かけて構築した、魔法の常識が崩れていっている事の査証である。
「……時代が変わっていってるんだろうな……」




