東京条約9
「そんなもんかー?
……そうそう、物のついでなんだが……」
「んー?」
大体ラーズの言うついでは、ついでではない。
「ちょっと『小狐丸』のデバイスドライバ見てくれよ。
あってるのかどうか、自信がなくて」
とラーズは言う。
「いいけどよ……確かマジックシンセサイザーだったか? それのハードウェアの仕様書無しじゃ、なんもわからねえぞ」
デバイスドライバとは、その名の通りハードウェアであるデバイスを駆動する為のソフトである。
まあ、アベルに言わせればデバイスドライバはソフトではないのだが、それを置いておいても絶対にハードウェアの仕様書が必要なのだ。
「ほらよ」
ラーズは左手の上にホロウィンドウを出現させて、それをアベルの方に放る。
「……!」
それを一見して、アベルは絶句した。
それは確かにマジックシンセサイザーのハードウェア仕様書だったからである。
「って、お前。いいのかよ? オレにこんなもの見せて」
この仕様書は、間違いなく企業秘密の類であることは想像に難くない。
いや、下手をすると国家機密の可能性まである。
「まあ……な?」
ラーズのあいまいな返事。
……なるほど、技術的なブレイクスルーを求めている、と。
大体の事情をアベルは察した。
要するに、ラーズがマジックシンセサイザーに対して要求する性能が出なくなってきているのだろう。
ラーズが優れた魔法使いであることは、アベルも全面的に認める所ではあるが、コンピュータ制御になった魔法は専門のエンジニア無しにその真価を発揮できないのである。
しかし、これはアベルにとっては役得。
例え元がアヴァロン・ダイナミック製のAiX2400だろうと、センチュリアより一〇〇〇年は進んでいるであろう文明が、それを再発明した結果がここにあるのだ。興味だけでもそれは見るに値する代物だ。
「そういう事なら、見せてもらうぜ……どれ……」
ラーズの提示したマジックシンセサイザーの仕様書と、デバイスドライバの生ファイルをアベルは並べる。
ちなみに、デバイスドライバなどと言うと難しそうに聞こえるが、その実態は何がどこにあるかを記載したアドレス帳のような物である。
アベルのような第一線級のエンジニアにとっては、容易い作業と言える。
「……ふん。『小狐丸』のアドレッシングは……?」
『小狐丸』のデータは、先ほど鑑定したときに既に取得済みである。
「ラーズ。制御側のプログラムのソースコードってあるか?」
「あるけど……RUBYっていうセンチュリアには無いプログラム言語だぜ?」
そう言いながらも、ラーズはさらにホロウィンドウを生成してアベルの方に投げる。
「プログラムなんて、一つ分ければ他の言語でもある程度は分かるんだよ」
アベルは各ホロウィンドウから目線を外すこともなく答えた。
「ふーん。そんなもんかー」
「そんなもんだ」
それにしても、この国で作られたVMEは興味深い。
マジックシンセサイザーの原型になったAiX2400の開発に携わったアベルだからこそわかる。
……これを作った奴らは、凄い。
それが率直な感想だった。
「……しかし、いくつか気になるな……」
「気になる? バグか?」
手元で自分もソースコードを参照しながら、ラーズが言う。
「バグっていう表現はキライだけどな……
例外の引き回しが悪いな、これ例外発生をキャッチした後の後始末してないな。
『小狐丸』のアタッチが失敗したとき、リトライに行くまでに変に時間がかかったりしないか? 多分一回、例外系のベクタテーブルに飛んだあと、プロセスリセットがかかってると思うんだけど」
「どうかな……?
ただ、マジックシンセサイザーって狂ったように処理能力高いから、リトライ周りの処理が遅くても認識できないのかも?」
……なるほど。
これはハードウェアのパワーで助けられている系の不具合だとアベルは考えた。
しかし、そうなると気になる事がある。
「……ちなみに、このマジックシンセサイザーの計算能力って一体どれだけあるんだ?」
「省電力モード無効で全開なら、エクサfrops級だ」
ちなみに、fropsというのは秒間に処理できる浮動小数点の数である。
三角関数などを頻繁に扱うVMEにとって、浮動小数点の演算能力は性能の指標と言える。
「……センチュリアで一番速いスパコンがテラfropsだから……何倍だ?」
どちらにしても、圧倒的な計算能力である。
これだけの処理能力があれば、いろいろな事ができそうだが。
……ラーズは、何か考えているのだろうか?
とアベルは考える。
きっと考えているだろう。
新しい魔法と言う物は、常に最前線で生まれる物だ。
今ラーズが居るのは、世界と歴史の突端部分であることは、誰の目にも明らかである。
だからきっと、ラーズは何か途轍もない魔法を生み出すに違いない。
「……こんな感じでどうだ?」
アベルは手元でさらさらっとプログラムを修正した。
「何やったんだ?」
「エラーの検出とリトライをいい感じにした」
アベルの経験上、アーティファクトをVME経由で扱おうとすると、最初の接続シーケンスでエラーが出る事がある。
それは、もう一度接続してやれば解決するのだが、このもう一度接続。というヤツが中々に難しいのだ。
だが、アベルにはノウハウがある。
センチュリアのエンジニアたちが、遠大な時間をかけて蓄積したノウハウだ。
「……なあアベル」
アベルの修正したファイルをマジックシンセサイザーのストレージに転送しながら、ラーズは口を開いた。
「なんだ?」
「こいつは、オフレコなんだが……」
「オフレコ?」
つまりここだけの話、という訳だ。
現在のラーズの立場を考慮すると、ろくでもない話だろう。
「……お前、辻政信って知ってるか?」
「いや。でも日本人だよな?」
「ああ……センチュリアで行方不明になった帝国陸軍の参謀だ」
陸軍なら、歩兵同士の戦闘に巻き込まれれば、行方不明というのは普通にありうる。
もっともこの場合、行方不明というのは、死体が行方不明。という意味だが。
「で、この辻っていう人物、帝国で随分アレな感じなんだが……」
ラーズは声を潜めた。
「実は、戦闘による行方不明じゃなくて、本当に行方をくらましたんだ」
「どういう事だよ?」
「つまり、辻中佐は部下を連れてセンチュリアに消えた。
ちなみに、最後に目撃された場所はダイダリニアの南岸。そこから海に出た事になってる。
この情報は陸軍だけじゃなく、帝国海軍と捕虜にしたアメリカ兵の証言でも裏が取れている」
……なるほど、これはオフレコだ。
アベルは率直にそう思った。
言うなれば、辻という人物はエッグが保護領域に定めているセンチュリアに不当に入国したのである。
辻が正規軍の軍人である以上、これは十分に国家間の問題になりうる。
だが、問題はそんな事ではない。
「……証言云々よりも……オレはダイダリニアの南、ってのが気になるがな……」
そう言って、アベルはラーズの方を向いた。
無論、ラーズの答えは分かっている。こうして、アベルにこの話をしている事自体が答えである。
「わざわざ言うまでもないが……」
そう前置きして、ラーズは言葉を続ける。
「辻中佐は、グレートルーンへ向かったとオレは思ってる」
きっぱりとラーズは言い切った。
グレートルーン。ダイダリニアの南、赤道近くに点在するアークルーン諸島の東の端の島である。
そこには、かつての魔法王国であったキングダムの首都があった。
魔法王国の終焉の時、グレートルーンは謎の大破壊により大半が海に沈んだ。今は、三日月型の細長い島が残っているだけだ。
しかし、グレートルーンの地下には広大なダンジョンが広がっているという噂がある。
ダンジョンには歴代の魔法王が集めた金銀財宝が、もう帰ることのない主をいまだに待ち続けているという。
「財宝目当て、ってか」
アベルは少し笑った。
この話の真偽はアベルにはわからない。
だが、仮に金銀財宝を得られたとしても、センチュリアから持ち出す術はない。
無論センチュリアに留まるのも難しい。グレートルーンへの出入りはエルフの長老院によって管理されている。
侵入時は戦時だったこともあり見逃されたが、既にセンチュリアは戦争状態にはない。この状況でグレートルーンを出る事は不可能だ。
「愚かしいな」
「……オレも最初、そう思った」
アベルの意見を、ラーズは消極的に否定する。
「そう思った? ……って事は違うと?」
「なんか妙なんだよな。
神崎次官……ああ、この国の諜報の偉い人だけど……が、辻中佐が外部の人間と秘密裏に連絡を取り合っていた可能性について、指摘してる」
「外部? 外国のスパイか?」
これまた妙な話である。
その外国のスパイが、エッグのスパイである可能性はないだろう。となれば、それ以外の第三国がセンチュリアの歴史について知っているという事になる。
センチュリアはエッグの聖域。誰も入れず、中に何があるのかも知らないはずである。
「センチュリアの事を知っていたのなら、アメリカのスパイじゃないか? って話になってるんだが……」
ラーズが言う。
なるほど、アメリカなら侵攻前に何らかの手段で、聖域の事を調べた可能性がある。
あるいはセンチュリア占領後、捕虜から情報を得たという事も十分にありそうだ。
しかし、である。
「……そんなこと、あるか?」
これはアベルの率直な疑問だ。
確かにアメリカのスパイがセンチュリアに潜入していた。というのはあるだろう。
しかし、キングダムの情報そのものの機密性が高いのである。実質的に長老院しか知らないであろうキングダムの情報を、果たしてスパイが調べられる物だろうか?




