東京条約3
「……条文と言うより……イチャモン付けてるように見えますね……」
ラーズは条文をテーブルに置いて、所感を述べた。
ただ、この場に政治家と軍人が集まている理由は分かった。これは不可侵条約の内容を吟味する集まりなのだ。
「なぜ、ドラゴンたちはこんな条約に際して、こんな条件を提示してきたのか……
その意図を知りたいのです」
言ったのは、こげ茶色のスーツを着た痩せた男だ。
どこか神経質そうな目をしている。とラーズは思った。
「……えーと」
「外相の木戸です」
ラーズが名前を知らないのを察したのか、木戸は自ら名乗った。
なるほど。外相に相応しい心遣いのできる人物という訳だ。
「では……木戸閣下。
この文書は、マザードラゴンが書いた物なんですか?」
「実際に書いたのは、宰相のワーズワース卿だと思いますが、マザードラゴンの名義で届いているので、エッグの総意としての文書と思って頂いて構わないかと」
ラーズには何となくドラゴン達の考えている事が分かった。
しかし、それをここで言っていい物か、悩む。
「どうか忌憚なき意見を」
とは九重の言葉である。
「間違っていても怒らないから、ラーズ君の意見を是非この爺に聞かせてくれんか」
嫌に年寄りくさい事を永井が言った。
……むー。
というのがラーズの正直な気持ちだったが、永井に促されては言わない訳にもいかないだろう。
何しろ、海軍のトップなのだ。
……しゃあないか……
色々嫌な事を言われそうだが、ラーズは覚悟を決めた。
「ええと……この文書はもう然るべき機関で分析されていると思うんですが……」
ラーズが言うと、何人かが頷いた。
雰囲気的には外務省辺りで分析したのだろう。
内閣調査室で分析すれば、神崎なら正しい答えを導き出せただろうに。とラーズは考える。
そういえば、内閣調査室の神崎次官の姿が見えない。何か、内閣調査室が使えないような事情でもあるのか。
「多分、分析官の人たちの考えすぎです」
「……考えすぎ?」
オウム返しに聞いてきたのは、木戸であった。
「要するに、ドラゴン達は怖いんですよ」
「……それは、我々日本人が、かね?」
これも木戸である。
「日本人も含みますが……地球人が全部が。です」
しばし、会議室に沈黙が流れる。
「……それは、我々が米国のようにエッグ領を侵略するとマザードラゴンが考えている。という事ですかな?」
九重がいったんラーズの言葉をまとめた。
「それも少し認識が違うと思います。
要するにドラゴン達は、そもそも地球人を区別していません。
ドラゴン達にしてみれば、基本的に全部、羽根のない生き物。くらいの感覚のはずです」
ラーズが言うと、再び気まずい沈黙がその場を支配する。
当然だろう。
人類は、一〇〇〇年以上かけて人種差別などを克服してきたという。
まあ、ラーズに言わせれば、本当? と言った風情ではあるのだが、それでも、そういった努力をドラゴン達は無視しているのだ。
……いや逆か。
肌の色、政治、宗教。もちろん老若男女。そういった差別要素を、ドラゴン達はまったく考慮せずに地球人。と一纏めにしている。
かつて人類が目指した差別無き平等が、見事に帝国の足を引っ張っているのは皮肉としか言いようがない。
「それで、我々が怖いと?」
「何しろ突然越境してきて三年に渡って領海内の惑星に居座り、三億人殺した惑星の生き物ですよ? これは怖いと思いますよ。
自分も怖いです」
真顔でラーズは言った。
「むう」
という唸り声が、会議室に満ちた。
「……私も質問していいだろうか?」
挙手をしてそう言ったのは、末席に座っていた草加である。
この会議室内では、少将の草加が末席なのだ。ラーズの場違い感たるや、言葉で言い表せない。
「どうぞどうぞ」
と九重が言ったので、草加は立ち上がった。
「ラーズ君は先ほど、基本的に羽根の無い生き物、と言ったが……それはつまり例外があると?」
鋭いツッコミである。流石に艦隊の参謀長ともなると、頭の出来が違うといった所か。
「微妙に嫌な話をしますが……
それは、魔法使いですね。
エッグは魔法文明なので、魔法を使うかどうかは全てにおいて優先されて評価されるはずです」
「……なるほど……」
そう言いながら、草加は再び席に着いた。
この情報が帝国にとって特に有用ではない、と判断したのだろう。
「結局のところ、ラーズ君はこの条約文、そのまま受けるべきだと考えるのかね?」
「下手に条文を修正したりするより、そのまま受ける方がドラゴン達にしてみれば安心かと。
無論、帝国の不利益になるような事があるなら、その限りではないですが」
九重の方に向き直り、ラーズは結論を述べた。
「そうか。ありがとう助かったよ。
この件は御前会議に上げようと思う……そこでラーズ君には、陛下に対する説明の草案を作るのを手伝ってほしい」
……ああ。そういう。
とラーズは思った。
それで、ラーズの身代わりとして特高が一個小隊ほど投入された訳である。
「……はい、お供します」
諦めの境地に達して、ラーズはそう答えた。
◇◆◇◆◇◆◇
合同連絡ワークショップというのは、ガブリエルとアベルによる週次の意見交換会の名称である。
特に政治的な意味はなく、意見や情報を整理するための会合とされている。
本日アベルに連れられてきているのは、レクシーとエレーナだった。
対するガブリエルは、ユーノを連れている。ワーズワースはテレビ会議システムによる参加だ。
この会合は、特に取り決めがあるわけではないのだが、それぞれ二名の従者を連れて参加する事が定着しつつある。
これは微妙な政治力学による物であることは間違いない。とレクシーは考えていた。
政治的な意味のない会合。やってる当人たちは姉弟。それでも政治的な力学が働いてしまうのが、政治の場という物だ。
ユグドラシル神殿を構成する六つのビルの屋上を繋ぐ空中庭園……通称ピクシーガーデンの中央に立つマザードラゴンの住まう塔。
その低層に、会合の場はあった。
楕円形の会議テーブルと、十脚程の椅子。ホワイトボードと大型のホロプロジェクション……いたって普通の会議室である。
「これは、マザードラゴン。
本日も大変お美しい」
やうやうしく礼をしながら、レクシーは挨拶した。
それに倣って、エレーナが頭を下げる気配。
エレーナは相変わらずマザードラゴンが苦手らしい。
「あら嬉しい。
相変わらず、お世辞もうまいのね。レクシー……ユーノがいつでも戻ってきていい。って言ってたわよ」
「恐悦です。しかし、我が王はドラゴンマスターただ一人故」
「……モテるわね。流石はわたしの弟だわ。お姉ちゃん鼻が高いわあ」
「はいはい。連絡会議連絡会議」
パンパンと手を叩いて、アベルは席に着く。
「まず、最初の議題はエッグフロントの港湾部拡張に関する中長期の予算だな」
周りが席に着くのも待たず、アベルはホロブックを開くと議題を述べた。
「それはワーズワースの方から報告してもらうわ」
こちらも席に着きながら、ガブリエルが言う。
同時に、大型のホロプロジェクションの電源が入って巨大な水槽が映った。
そして、カメラが移動して……誰かがカメラマンをさせられているのだ……水槽の水面まで備え付けのステップを上がる。
その水面から、一頭のイルカが顔を出した。
「ワーズワース。港の件、お願い」
「……では、説明させていただきます」
ワーズワースがイルカであることは、エッグ国内においても重大な秘密とされている。
レクシーも初めてワーズワースの姿を見た時は、そのイメージのギャップに悶絶したものである。
「……じゃあ、次のお題。いいかしら?」
港湾部の話に続いて、今度はガブリエルが口火を切る。
「どーぞ」
とはアベルだ。
「……それじゃあ……
先の聖域海戦とその一連の作戦終了後、大日本帝国の外務省を通じて国交正常化の打診があったのは、全員知っているわよね?」
レクシーもまた、軍事的な観点から意見を求められたため、条約の話は知っていた。
エレーナは……知っていたのだろうか? と思ってレクシーはエレーナの方を見たが、当のエレーナは無表情だった。
……ああ。知らなかったのね。
普通に考えれば、条約締結前の条文などトップクラスの機密文書であるため、そうそう見られる物ではないのが普通だが。
ドラゴンナイトでもドラゴンプリーストでもないレクシーが知っていて、ドラゴンナイトのエレーナが知らないのは、何というか悲しみを感じるところだ。
「……で、向こうから条文の原案が出てきたのに対して、エッグ側で修正したものを送り返したんだけど……
昨日、それでOKという旨の返事が来たわ」
「……えっ、アレがそのまま通ったの?」
驚きの声を上げたのはアベルである。
レクシーは最終的にどういった条文になったのか知らないが、アベルのリアクションを見るにもう何往復かする前提だったのだろう。
「そうよ。流石ワーズワースとアベルの共同作業で作っただけの事はあるわ」
「うーん?」
とアベルは腕組をして、首を捻った。
レクシーは最終的に条文に何が書かれたのかを知らなかったが、アベルのリアクションを見るにつけ、相当無茶な事が書いてあったのだろう。
「まあ、こちらとしては要求が全て通ったので、文句を言うのはお門違いという物ですが」
これはワーズワースの意見だ。
レクシーも同じ意見だったが、特に発言を求められなかったので黙っている事にした。
「……で。よ」
「?」
パン! と手を叩いて、ガブリエルが声を張り上げる。
「お姉ちゃん。条約の締結に最新鋭艦で地球に行きたいと思うのよ」
「そんな見栄、張らなくてもいいんじゃあ?」
唸るようにアベルが言う。
「そうでもないわ。軍艦は国力の現れよ。
外交の観点から見ても、最新鋭艦のお披露目は意味があると思うの」
ガブリエルは、なぜかアベルの方に身を乗り出して、そう主張した。
「それは分かったが……そんなのここでやる案件じゃなくないか?
マザードラゴンが出かけるなら、近衛隊が連れていくのが筋だろうに」
アベルはユーノの方に話を振る。
「……確かにそうですが……マザードラゴンをお乗せする船が今の近衛隊にはありません」
「んな馬鹿な。
E2400もE4400もあるだろうに……」
この辺りで、話をアイオブザワールドに振られそうな気配を感じたらしいアベルが、消極的否定モードに入った。




