HELLO, HELLO America12
リーチは引き続き動かない。
まっとうな生物ではないリーチは、外部から観察しても死んでいるのかどうかを判断する材料に乏しい。
何か手段はあるのかも知れないが、それが分からない以上、リーチが活動を再開する前提で立ち回るしかないのだ。
ぼぉぉぉ……と再び警笛が鳴らされた。
見れば、警笛の主は随分と港に接近している。
ちょうどその時、《ビジョンオブワイルドカード》による情報収集が終わった。
ホロウィンドウに二つの円柱が表示され、データがワークエリアブリッジを経由して、ストレージに書き込まれていく過程を表示し始める。
レイルは右手を空中に走らせて、《ビジョンオブワイルドカード》が取得したデータの中から、比較的近い空間の情報を優先的に取り出した。
「……魔力の流れ……制御用トークン」
進行度を表示しているのとは別のホロウィンドウに、無数の数字と文字の羅列が流れていく。
これらは、取得されたデータの即値であるが、レイルはこの数字の羅列からでも、十分に必要な情報を得ることができるのである。
……となると、リーチは……
その時。
「きゃははははっ」
「フフフフ……」
二つの笑い声が上がった。
「なんだあ? ありゃ?」
脇で声を上げたのはイーサンだった。
そして、イーサンの指さす先。
つまり迫ってくる船の舳先に、レイルも視線を向けた。
道化だ。
そこには二人の道化が乗っていた。
一人はひょろりと背が高く、真っ白な服を着ている。その顔に張り付いているのは、服とは対照的な真っ黒な仮面である。
もう一人は、丸まると太っていた。身長は白い道化の半分ほどしかない。そして、こちらは真っ黒な服を着て白い仮面をつけている。
サーカスで見るならともかく、真夜中の港で見るには不気味すぎる姿である。
「あーあ。僕のお人形さん。壊しちゃったんだー」
「壊す壊すこわっ」
膨れ上がる異様な気配。
「逃げて!」
レイルは声を上げて、体を返した。
イーサンがその言葉を聞いてくれたかはわからない。大体確認している余裕がない。
レイルが今しがたまで居た空間を、黒い炎のような物が走っていった。
……ただの打撃魔法、ってわけじゃ無さそうだね……
道化の使った魔法はリーチのそれより、明らかに進んだテクノロジーであるとレイルは判断した。
ほぼ同時に、道化たちの乗る船が左へ舳先を振り始める。
直線を多用したスマートな船体が、赤い月に照らされて露になった。
「……そんな……あれは『エルドリッジ』!?」
レイルはその船体に、確かに見覚えがあったのだ。
駆逐艦『エルドリッジ』。一〇〇〇年前のあの日に行われた実験、フィラデルフィア計画の主役たる船だ。
ここが異世界であるとすると、目の前の『エルドリッジ』はわざわざレイルに見せるために登場したという事になる。
……なぜ?
自問しながら、レイルは観察を続ける。
普通に考えると、今目の前にいる道化二人が仕込んだ事。という事になるだろうか。
あるいはもっと別の、黒幕が存在するか。
「……今度はキミがお人形さんになってよ」
黒い方がキンキン響く声で喋り……同時に消えた。
「……っち」
反射的にレイルは斜め後ろに飛んだ。同時に先ほどまで自分が居た空間を、横なぎに賢者の杖で払う。
同時にレイルが薙ぎ払った空間に、黒い方の道化が出現した。
ごがっ! という耳障りな音を立てて、道化が吹っ飛ぶ。
「……《エクスプロージョンブリット》デプロイ!」
ほとんど無意識の内に、レイルは追撃の《エクスプロージョンブリット》を放つ。
もちろん追撃はそれだけではない。飛んでいく金色の光球を追って、レイル自身も間合いを詰めるのだ。
……しかし、何者!?
賢者の杖の直接攻撃は、ちょっとした装甲車くらいは破壊できる程度の威力があるのだが、黒い方は吹っ飛んだだけだった。
それに、異様に手ごたえがない。
だが、それは手ごたえはあったというのと同義でもある。
レイルの目の前で、《エクスプロージョンブリット》が爆ぜた。
タイミング的に直撃であると、レイルは判断。
「きゃはははっ! スゴイすごい!」
手を叩きながら、耳障りな笑い声が聞こえてきた。
……耐えた!? 効いてない!?
体感的には後者のように感じるが、データ上は《エクスプロージョンブリット》は正常発動した事になっている。
疑問は残るが、まだレイルの攻撃中である。
レイルは賢者の杖を振りかぶって、《エクスプロージョンブリット》の爆炎の先に居る道化に殴りかかる。
爆炎で直接目視する事はできないが、《エクスプロージョンブリット》の発動時のデータから、相手がどこに居るかは容易に予想できる。
レイルは渾身の力を込めて杖を振るったが、手ごたえはなかった。
「悪魔悪魔悪魔っ! まるで悪魔の使い!」
今度は白い方の声。
そして、水音。
何事かとレイルがそちらを振り返ると、海の水が盛り上がりつつある。
「!?」
盛り上がった水が滝のように崩れ落ち、その中から現れたのは一体の巨大なイカだった。
そのサイズは水から出ている部分だけで、二〇メートルに達しようかという勢いである。全長なら四〇メートルくらいあっても不思議ではないサイズだ。
イカの目がぎょろりと動き、レイルの方を見る。
「っ! 《ブリンク》!」
巨大なイカ足が、レイルが直前まで居た空間を薙ぎ払う。
コンクリートで固められた港湾部の地面がやすやすと引き裂かれ、無数の破片が飛び散った。
……白と黒だけでも厄介なのにっ!
実際の所、これらの敵をレイルが殲滅できないか、と言われれば可能である。
しかし、レイルとしては殲滅したいのではなく情報を集めたいのだ。
これはジレンマである。
もっとも、さらに敵が増えた以上、そんなことも言っていられないのだが。
「……死んだら、仕方ないしね」
《ブリンク》の効果で、真上に飛んだレイルは飛行魔法に頼る事なく、地面に落ちた。
その時である。
背後から上がった鬨の声。そして、銃声。
どうやら生き残っていた州兵たちが、イカの化け物を攻撃し始めたらしい。
……余計な事を……
レイルはそう思ったが、もはやどうにもならない。
彼らの勇猛さは称えるべき物だが、どう考えても相手が悪い。
イカの化け物は大きく腕を振り上げた。
無論、州兵の放つ銃弾など全く意に介していない。
「……でも、チャンスはありがたく使わせてもらうよ。
《偽物の太陽の終焉》デプロイ」
レイルの掲げた賢者の杖の先端に、万色の輝きが宿る。
光は甲高い共鳴を伴って、イカの化け物の振り上げた腕に向かって伸びていく。
しゅっ。という小さな音。続いて重い音を立てて、イカの化け物の腕が地面に落ちた。
州兵たちから歓声が上がる。
飛び上がったり指笛を鳴らしたりしている州兵たちに、レイルは一応手を振って答えた。
『エルドリッジ』に白と黒、さらにイカ。場が荒れすぎているとレイルは考えた。
……仕方ないね。
レイルは状況を鑑みて、物事に優先順位をつける。
まず重要なのは、フィラデルフィア計画の主役である『エルドリッジ』。これが第一目標で、最後まで残すべき物だ。
次に黒。これを白より優先するのは、ただ単に白より黒の方が話ができそう。という程度の差でしかない。要するに、白と黒の間に決定的な差はないという事だ。
そして最後に残ったのは、イカの化け物。
イカの化け物は撃破するしかないだろう。しかし、戦闘データは取っているので後から検証することは可能だ。
問題は、白と黒である。もちろん、捕らえられるならそれに越したことはないが、不可能なら撃破するしかない。
「……ペストの象徴に、海の災厄の象徴……」
……なんでボクにこんなものを見せる?
レイルは自問した。
残念ながら、今その答えをくれそうな存在は、この場には居なかった。
その代わりに、イカの化け物が残った腕を振り上げる。
「《フェアリープリズン》デプロイ」
イカの化け物は腕を振り下ろしたが、もう遅い。
その周囲に出現した、無数の光の粒同士が虹色の線で結ばれると、一斉に輝いた。
音もなく。
ただ、イカ足が見えない障壁によって弾き返された。
「《ホーリーサンダー》デプロイ」
間を置かず、追撃の魔法をレイルが放つ。
《フェアリープリズン》を構成する障壁に、青白い雷が落ちると同時に大音響を伴って障壁がはじけ飛んだ。
《ホーリーサンダー》の膨大なエネルギーが、イカの化け物の蹂躙を開始すると、たんぱく質の焼ける臭いが鼻を突いた。
もうもうと立ち込める水蒸気に飲まれるように、イカの化け物はゆっくりと浪間に沈んでいく。
……まず一つ。
レイルはゆっくりと向きを変える『エルドリッジ』を視界の隅に捉えつつ、白い方を探す。
だが、その時レイルは『エルドリッジ』の異常に気が付いた。
「……船の後ろが……」
舳先をレイルに向けていた『エルドリッジ』が、向きを変えたことで船の後部がレイルから見えるようになった。
そして、『エルドリッジ』が見せたその姿は、まさに異様の一言に尽きるものだ。
『エルドリッジ』の前部……艦橋のすぐ後ろ付近までは、普通の駆逐艦である。しかし、その後ろには本来の船体の代わりに謎の六角柱が繋がっていた。
六角形はツヤのない白で一辺が、五メートル。長さは七〇メートル程度。
各面の輪郭は赤く光を放ち、その光は脈動を繰り返している。
『エルドリッジ』は一九四〇年代の軍艦であるはずだ。しかし、その技術水準で後ろの六角形が作れるとは到底思えない。
「これが……フィラデルフィア計画の、成果!?」
……一体アメリカ人は、何をやらかした?
そして、その映像をなぜレイルが見ているのか。わからない事が多すぎる。
だからこそ、レイルは白い方に躍りかかった。
わからないなら、知っていそうな人間に聞くのが一番である。もっとも、白黒が人間かどうかは、疑わしかったが。
賢者の杖を構えて、レイルが白い方との間合いを詰める。
レイルは、白い方が間合いを開けると予想していたが、白い方は受けて立つ構えのようだ。
「きゃはははっ!」
笑い声と同時に、白い方の右手に赤と白のストライプ柄のキャンディースティックのような物が出現する。
キャンディスティックの長さは五〇センチ程か。長さが二メートル弱ある賢者の杖と打ち合うには、少々短いような気がするが、レイルが有利になる分には問題ない。
レイルが十分に速度の乗った突きを放つと、白い方が軽くステップを踏んで、その攻撃をかわす。
白い方はそのままの流れで、キャンディスティックをレイルに向かって振り下ろす。
対するレイルは、突きの勢いをそのままに走り抜けてキャンディスティックの下を潜った。
いったん、数メートル間合いを話してから、頭の上で杖を回りながら、自身も半回転。白い方と向き直る。
……なかなかの体術……
一連の流れを見て、レイルはそう判断した。




