魔法使いの本分11
ラーズが東に二キロ程移動するうちに、日は完全に沈み、択捉を闇が覆う。
「……ちっ。
ここにも、反応は無し……か」
今日何度目になるかわからない《ディテクトファイア》を投射して、呟く。
スパイはこの辺りに潜んでいないのか、それとも火を使っていないのか。
……そういえば、年萌湖の東に廃墟があったな。
それは放棄された温泉街だった。
温泉なら、あるいはまだ熱源があるのではないか、とラーズは考えたのだ。
距離は七キロと言った所か。地上を歩くならともかく、魔法で飛んでいくなら大したことのない距離と言える。
しかし、択捉島はかくれんぼをするには広すぎる。
「レガシーな方位磁針もつけといて欲しかったな……いや、センチュリアと地磁気の方向が一緒かもわからんから無理か」
ラーズは水平飛行に移る。
目指すのは北。有萌湖の東のキモン沼だ。
距離七キロは、VMEの支援がある状態のラーズの巡航速度なら十分未満の距離である。
熱源の探知を行いながら慎重に飛んでも、十分強で到着するだろう。
……問題は、向こうに先制攻撃を許すパターンだな。
ラーズはそう考えている。
高機動の飛行魔法は発光するため、どうしても目立つのだ。
もっとも、経験上ラーズは空を飛べない生き物は空を見上げない事を知っていた。この空を飛べない生き物、に人間が含まれる事も、だ。
ついでに、外気温は氷点下二〇度を下回り始めている。
とても出歩ける状況ではない。
このまま気温が下がれば、ラーズとてVME制御のエアコンジャケットが無ければ凍死しかねない。
そうこうしている内にラーズは、キモン沼付近に到着した……はずだ。
はず。というのはなんという事はない。真っ暗で本当に沼の上に居るのか判断がつかないだけである。
かろうじて、年萌ラボの灯りと単冠湾の『東雲』の識別灯から大雑把な三角測量で、キモン沼の辺りに居るだろう、と予想だれるだけである。
ここから北北西に、件の放棄された温泉街があるのだが……
「不味ったな。大見え切って出てきたけど、全然見えねえ」
……まあ、反応なしでも、反応がなかったでいうデータだからな。
「《ディテクトファイア》……デプロイ!」
バタバタという爆音が聞こえてきたのは、《ディテクトファイア》の投射から1分も経たない内だった。
残念ながら、《ディテクトファイア》に反応はなし。
「ヘリは味方だ。って神崎さん言ってたよな」
とラーズが呟いた瞬間。地上で閃光が走った。
「っ!?」
闇に馴れた目が眩む。
……対空ミサイル!? 速い!?
ラーズは迎撃用の魔法の準備に入った。
しかし、ミサイルはラーズの方ではなく、新たに出現したヘリ……多分陸軍の捜索チームのヘリだ。
「……避けろーっ!」
と叫んでは見たが、まあ聞こえてるとは思えないし、撃たれれば避けるだろう。
実際、ヘリは赤く輝くフレアを空中にばら撒きながら、機種を下げて回避行動を取る。
その刹那、フレアに食いついたミサイルが爆ぜて、夜空に爆炎をまき散らす。
……これは藪蛇って言うんだろ?
ラーズは一気に高度を落とす。
高度を落とすと、そこがキモン沼の南側の草むらであることがようやく認識できた。
頭の中に地図を思い描いて、ミサイルの発射地点を導き出す。
年萌川の上流。距離は八キロ。
今度は巡航速度ではなく最大速度でラーズは飛び立った。
「確か対気速度はノットで表すんだよな」
ラーズの使う《ウォースカイ》を地球大気圏内で運用する場合、VMEの支援があればその最大速度は一二〇ノットに達する。
時速換算で二〇〇キロを超える。
超低空で水平飛行に移行したラーズはちらりと北の空を見た。
先ほどのヘリは危機を脱していた。どうやら、この空域を離れるらしい。
……陸軍の増援が来るな。
相当数のヘリを上げてスパイを探している以上、その次の段階として相応の数の地上戦力を用意していることだろう。
確か、陸軍の現在の陣地は留萌にあったはず。
部隊が到着するまで、六〇から九〇分と言ったところか。
「廃墟……ね」
放棄された温泉街にたどり着いたラーズは、手近な建造物の屋上に着地した。
半分森林に飲み込まれた、二階建ての建物だ。
おそらくレストランが何かだったのだろうか?
「……無人では……ねえな」
一メートルほど積もった雪をかき分けた後、足跡。
そして、ミサイルランチャーのブラスト痕。
先ほどの対空ミサイルはここから発射されたのは間違いなさそうだ。
ラーズはそのブラストの痕跡の脇にしゃがみこんで、足跡を見た。
「サバイバルブーツ……どこかの軍隊の装備か……
どっちみち、これで決まりだな」
ラーズは左肩に乗せていた小さな球体を取った。
「というわけで、年萌の湖の東側の温泉街の廃墟で決まりっぽい」
その球体を覗き込みながら、話しかける。
この球体はスパイカメラである。
繋がっている先は言うまでもなく『東雲』。そして、それを見ているのは神崎次官。
「さてさて」
そう言いながら、肩にスパイカメラを戻し、懐からマグライトを取り出す。
光源なら《光》の魔法でもいいのだが、指向性がないのと、消したいときにリリース作業が必要になるため、こういったシチュエーションでは使いにくい。
無理をして魔法を使うメリットはない。
「……相手が飛べないのはいいな。足跡を見失う心配がない」
……なるべく早く決着をつけたいしな。
陸軍が来れば乱戦必死である。そうなればラーズが戦線にとどまっている意味がなくなる。
ラーズが戦線を離れると、必然的に那由他を守る戦力が居なくなる。
これは良くない。
しかし、那由他などよりも問題なのがVMEである。
AiX2400のスペック上の動作温度は〇度から四〇度となっている。
実際にはマージンがあるだろうが、夜が更けて温度がどんどん下がっていく冬の択捉島で運用するには、あまりも無理があると言わざるを得ない。
……ついでに、分解組み立てを繰り返してるから、防水性にも不安があるんだよな。
足跡を追って、ラーズは建物の屋上から飛び降りる。
飛び降りてから、上を見上げるとロープが一本垂れていた。
やはり、スパイはここを通ったようだ。
「よし、先手を取れるぞ」
◇◆◇◆◇◆◇
「見つけたようですな」
『東雲』のCICのホロディスプレイの一つを見ながら浜田が言った。
「……さすが、と言ったところですね。
やや敵の藪蛇だったのは否定しませんが」
神崎が答える。
……ついに魔法を我々に見せてくれるのか?
神崎は内心呟いた。
ラーズの言う事を真に受けるなら、これからラーズが行う戦闘が分岐点。
帝国に魔法という新しいテクノロジーが、真の意味でもたらされる瞬間である。
「……CIC、電探。
年萌地区に主電探を。パッシブモード」
「主電探方位〇三五。パッシブモード。ヨーソロ」
浜田の声が復唱され、CICのディスプレイ上でも電探の探知範囲が動いたのが確認できる。
別のホロディスプレイ上では、『東雲』の遥か上空を飛ぶ『戦風改』が送ってくる映像が表示されている。
「A6KーCの映像をもっと見たいな」
「わかりました、センターホロへ『戦風改』の映像を」
何種類かの画像処理を経た『戦風改』の画像は昼間のような映像になっている。
映像は年萌の廃棄された温泉街に向けられていた。
昼間のように加工された、映像の中、赤く表示されている人型が1つ動いている。
「これはラーズ君か」
「はい。スパイカムの発信位置と座標が一致します」
「見た感じ、ほかの熱源は無さそうだな……」
「そのようです。
しかし、あそこは温泉が出ているので、熱源に紛れている可能性は十分にあるかと」
神崎の隣で画面を見ていた浜田が言った。
……実際、スパイもそれが目的であの温泉街へ潜伏したのだろう。
「……陸軍より通報!
我、出撃。侵入者を撃滅せんとす。
以上です」
通信のスタッフの言葉に神崎は苦笑した。
「ヘリを撃たれて、ずいぶん怒っているようだ。
作戦区域まで一時間と言ったところか。
ラーズ君がそれまでに決着を付けられるか……」
「神崎さんは、どちらに勝ってほしいと?」
「そりゃ、ラーズ君だよ。
柳葉はそれはそれで優秀なスタッフだ。
失いたくはないな」
無論、内閣調査室は情報屋であるので、必要なコストとして諜報員を切り捨てることはある。これはどこの国も同じだろう。
「艦長! 『戦風改』からの索敵情報の解析完了しました」
「どれ見てみよう」
CICのクルーの報告に浜田はホロディスプレイを覗き込む。
「これは?」
「『夜鴉』への対空ミサイルの発射後の発射地点の様子です」
そこには赤い人型が二つ。一つは棒状の物を担いでいる。
「……やはり侵入者は複数か」
「ある程度予想のうちでは? 神崎さん」
「そうだな。いくらなんでも単独でウチのエージェントを拉致はできんよ」
◇◆◇◆◇◆◇
神崎と浜田の会話が行われているまさにその時、ラーズもまた同じ結論に達していた。
……足跡が分かれてる、最低2人。
加えて、那由他をどこかに監禁しているなら、見張りが一人ということは無いだろう……一人だと不慮のトラブルで無力化されたときにフォローできない……ゆえに二人以上。
つまり敵は少なくとも四人。
ついでに言うと、対空ミサイルまで持ち込んでいる以上、ほかの武器も持ち込んでいると見ていいだろう。
「……ちっ」
とラーズは舌打ちした。
雪の上に自分の足跡を残して来たのは失敗だったと悟ったからだ。
「……《レビテーション》デプロイ」
《レビテーション》は、空中を推進力に依らずに飛ぶ特殊な魔法である。
スピードが出ない代わりに、ペイロードが大きく静かで発光もしない。
ラーズは、この魔法で温泉街の中心辺りにある防火櫓を目指して飛ぶ。
距離は一〇〇メートル程だが、この《レビテーション》という魔法はやたらと遅い。秒速三メートルから五メートルといった程度の進出力しかないのである。
一〇〇メートルの距離をたっぶり三〇秒ほどかけて、ラーズは防火櫓の上に降り立った。
風が吹き抜けるためか大して雪は積もっていないが、ラーズが《レビテーション》を解除すると防火櫓を構成する鉄骨がギシギシと嫌な音を立てる。
「さて……あんまり時間がないぞ……」
一瞬短気を起こして《ブラスト=コア》辺りの魔法でその辺を焼き払うか? とか言う考えが首をもたげるが、それを見てスパイが出てて来るとは限らないので止める。
……うーん。なゆ太がなにかアーティファクトでも持ってりゃあなあ……
魔法文明のセンチュリアでも、ほとんどないのだ。魔法文明が存在しない地球にあるわけがない。
……かといって熱源探知は無理があるしなあ……
なにしろ、放棄されていようが温泉街。地熱が十分な温度を持っているため熱源探知を妨害する。
「直接何か燃やしてれば……探知できるんだが……」
やはりこういったシチュエーションでは支援型の魔法使いが必要であるとラーズは思った。
支援型のアベルであれば、きっと有用な探知魔法を持っているだろうし、ラーズと同じ攻撃型でも万能寄りのレイルも然りである。
攻撃型の可用性の低さがもろに出ている格好である。
……魔法の知識は役に立っても、魔法そのものが役に立たないとか、悲しすぎだろ。
しかし、ラーズが自分のビルドを憐れんでいると、ラーズの視線の先で動く物。
「!?」
なるほど、幸運の女神はまだラーズを見放していないようだ。
……だったら、宇宙人なんか寄こすな。くたばれ女神。




