魔法使いの本分7
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翌朝。
那由他はラーズの所を訪れると、ラーズは一人で焼肉をやっていた。
「……開幕から、なんていうかもうね……」
「やらねえぞ。オレの焼肉。
大体なぜオレの優雅な朝食に割り込んでくる?」
手にした、本……確か昨日買った『ごんぎつね』の絵本だ……を読みながら、焼けた肉をご飯に乗せて一口。
「大体、なんで『ごんぎつね』なんて読んでるのよ?」
「……実に興味深いビジネス書だからに決まってるだろ」
「?」
那由他は首を捻った。
「……ゴンさんは、ケモショタとかいうそれだけで世界と勝負できる属性を持ちながら、それを有効に活用できるソリューションに出会わなかったばかりに、致命的な破滅を迎える……なんという教訓めいた話だろうか……」
「違うから! それ、そういう話じゃないから!」
「ちがう? ……確かに兵十の方もダメだな。
猟師としては一流かも知れないが、やはり市場分析が足りてないと言えそうだ。
……ふむ。なゆ太のくせに的確なアドバイス、恩に着る」
ラーズはそう言って、再び焼肉を一口。さらに焼き肉プレートの上に新しい肉を並べる。
「主観の話をしてるんじゃないのっ! 大体、猟師の市場分析ってなによ!?」
「そりゃお前、ケモショタとオッサンだぜ。腐女子がホモォ! とか叫びながら薄い本作り始めるに決まってるだろ」
「なんで決まってる前提なのよ!? あと、ホモォの部分でこっち見ないでっ!」
拳を振り上げて喚く那由他。
「……なに? ある文献によれば、ホモが嫌いな女の子など居ないという統計データが……」
「そんな統計データないわよ!」
……一体どこで覚えてきたんだか。
おそらくラーズの知性は、地球人類が及ばない水準にある。
そして、この男はその知性を考えうる限る最も無駄に使っているのだ。
「……それはそうと本題よ」
「……うむ。オレもやはりゴンさんは強化系の方が違和感がない……」
「黙ってわたしの話を聞いて! お願いだから」
「仕方ねえなか……」
「覚えてないかも知れないけど、昨日の陸軍のトラックの話よ。
あれから気になって、霞が関に問い合わせたんだけど……」
「ほう?」
ラーズは少し那由他の話に興味を持ったようだった。
「なんでも、スパイが侵入したらしいわ」
「スパイ……まさかアメリカの?」
「まだ分からないけど、アメリカならこんな北の果てにスパイなんか送り込まないわよ。
おそらくソ連じゃないかしら。
こっちは、未確定情報だけど」
「……でもスパイを軍隊が追い回すのか? 陸軍なら特別高等警察とか言う奴らの仕事なんじゃあ?」
「……よくそんな事知ってるわね」
那由他が知らないだけで、実は実用書も読んでいるのか? あるいは漫画から得た知識なのか、とにかくラーズの言う通り通常スパイからみは特別高等警察……通称、特高の管轄である。
「確かに、スパイそのものの相手は特高の仕事ね」
ちなみに防諜の方は、内調の管轄である。
「じゃあ、なんで?」
「なんでも、特高の一個小隊が全滅したらしいわ。
それで、陸の方も択捉の国境警備から一個中隊を引き抜いて、スパイ狩りをやってるってわけ」
「怖えー」
と、恐ろしく雑な感想を述べて、ラーズは焼肉を焼く作業に戻った。
◇◆◇◆◇◆◇
日曜の昼と言えば、休日出勤である。
「センチュリアと違って、休出しても文句言われないのはいいよな。
まるでパラダイスだ。
……お疲れ様でーす」
ラーズがラボのデスクに到着すると、既に数人のエンジニアが出社していた。
まともな娯楽が皆無の択捉島では、仕事が趣味、という人間以外は生きて行けないのかも知れない。とラーズは考えている。
そしてラーズ自身、なんだかんだ言っても魔法が好きなのである。
「早速、虹色回路の実験の続きをやりたいんだが、いいだろうか?」
「都築さん。いいですよ」
鞄を椅子に放り出し、ラーズは立ち上がった。
都築と呼ばれたのは二〇代後半の男で、ぼさぼさ頭のエンジニア。虹色回路検証の責任者である。
虹色回路の試作品は、三〇センチ四方のベース基盤の上に、八センチ四方の子基盤……通称コガメ基盤を乗せた物である。
虹色回路とその通信モジュールはコガメの方に集約されていて、このコガメが最終的に一つの半導体チップの上に再現されてモールドされる。
「いつでもいいよ。やってくれ」
都築がホロブックを評価基盤の傍らに置いて、画面を注視する。
「いきまーす」
声をかけて、ラーズはコガメの上に左手をかざし、魔法を構築する。
構築している魔法そのものに意味はない。ただの三角形を魔力投射しているだけだ。
「……やっぱりぼやけるな。
一応、何回かやってみよう」
「了解」
ラーズは、ベース基盤上にあるリセットボタンを押して、再びコガメに左手をかざした。
だが、やはりホロディスプレイに映し出される映像は、ブレて角のつぶれた三角形である。
ラーズが構築して投射したイメージとはかけ離れたものだ。
ちなみに、同じことをAiX2400で行うと、くっきりとした像が出る。
これは、東通工の品川ラボでの動作確認で立証されている。
……アベルやレイルは答え知ってるんだろうなあ。
と天井を見上げながらラーズは思った。
「都築さん。なんかぼやけかたに傾向とかは?」
「ん? 見た感じランダムなノイズだな……でもまあ一応、データのクリーニングをしてみよう」
「……クリーナーの動作ログ、サーバの共有ディレクトリに置いてもらえますか? 自分も見てみます」
「……カオス理論における、波動収束アルゴリズムによると……」
「いや、単なるランダムノイズに、勝手に意味をつけてるだけでは?」
「……ここの所、素数の出現周期に似てないですか?」
「素数の出現周期なら、ますますカオス理論だろう」
開発室にあるホワイトボードの前で、ホロブックやホロタブレットを持ったエンジニア達が集まって、虹色回路が期待動作しない原因をブレインストリーミングしている。
ちなみに、ブレインストーミングとは『参加者が好き勝手な事を言う』という趣旨の集まりの事を指す。
「……シャルル=ヴォイドマン予想で予言されている、『遊弋する粒子』の解法にも似てると思います」
手を上げて、ラーズは言った。
だが、シャルル=ヴォイドマン予想は魔法の発動に関する、数学的なアプローチである。
多分関係ない。
「……あっ」
腕時計に視線を落とし、小さな声を上げたのは都築である。
つられてラーズも壁の時計を見た。
すでに時計の針は二一時前を指していた。
「みんな煮詰まってきてるみたいだ、続きは明日にしよう」
都築は言った。
「よし、撤収」
声がかかり、開発スタッフ一同が開発室を出る。
と。
「……兵隊?」
「海軍の陸戦隊の制服……」
都築が呟いた言葉にラーズが答えた。
しかし、海軍陸戦隊とは珍しい。
年萌ラボまで出張ってきている理由は……やはり、朝方に那由他が言っていたスパイ絡みで警備に来たのだろうか?
……しかし、物々しいぜ。
ラーズはそう思ったが、考えてみれば地球人類初のVMEを作っているのだ、他国のスパイにそれを見せるわけには行かない、と行ったところなのだろう。
廊下や階段に立っている海軍陸戦隊の兵士に軽く会釈しながら、ラーズは帰宅の途につく。
といっても、地下道を歩くだけなのだが。
ちらりと、窓から外を見た感じ、また結構なペースで雪が降っている。
「あー。また積もるなコレ。
これで冬本番じゃないとか……」
択捉の冬は厳しい。
◇◆◇◆◇◆◇
夜半。ふと那由他が窓を見やると、外は大雪になっていた。
「冬本番かしらん……」
択捉の冬本番は十二月の末からだと聞いているが、昨今の地球は寒冷化がよく話題に上がる。
今年も本土は厳冬らしいので、択捉の冬もまた厳しいのだろうか?
「さて、今日のレポートを書いて……」
と那由他がカーテンを閉めようと手を伸ばした時、視界の隅に赤い閃光が走った。
「!?」
よくよく目を凝らしてみると、何かが空に向かって舞い上がっていく。
「なに? UFO?」
違う。舞い上がって行ったのはラーズだ。
高度五〇メートルほどまで上昇したラーズは、北の方に向かって水平飛行に移行する。
丁度、那由他の真上辺りを通り過ぎ、どこかに飛び去って行った。
……わたしは何も見なかった。
自分に言い聞かせる。
ラーズがどこかに行くのに気づいてしまったら、その後を追わなければならない。
しかし、外は大雪。気温は余裕で氷点下二〇度を下回るだろう。
そんな中で、魔法で飛び回るラーズを追うなど自殺行為以外の何物でもない。死んでも生命保険も下りないだろう。
◇◆◇◆◇◆◇
「あー。もっと厚着してくりゃよかったな……」
ラーズはぼやいた。
雪の降りしきる択捉の夜空の気温は相当低かった。
……エアコンジャケットがなかったら速攻で凍死だな。こりゃ。
エアコンジャケットは、術者の周囲の温度を調整してくれるが、VMEによるコンピュータ制御を行っていないのに加えて、単純に外気温が低いため暖房の効きは今一つである。
ちなみに、ラーズの恰好は先日那由他に買ってもらった物、そのものである。
「しっかし、何処だ?
……感覚的にはこの辺だと思うが……」
なんのことはない、ラーズは何かの不審な音……いや、気配を察知してここまで飛んできた。
「森の精霊がエルフを呼んだのかー?」
センチュリアにおいて、森とエルフに密接な関係などない。無論、森の精霊などという概念もない。精霊などただのオカルトである。
あくまでの地球でのイメージの話である。
ラーズは、高度を落としながら次の魔法を用意する。
「《光》……デプロイ」
地面に降りる直前に、自分の真上に光源を投射。
同時に、高機動魔法をリリースして地面……雪の上に降り立つ。
「ふむ……」
森の中は上空と違って、そこまで風が通らないので寒くはない。
迷子になる可能性は否定できないが、ラーズに限って言えば飛んでしまえば大丈夫であると言える。
夜の森の中は静かだ。
ラーズを持ってして、夢の中か、と疑ってしまう程である。
もっとも、夢であるならセンチュリアで目覚めろ、といった風情ではあるのだが。
「……ちょっと歩いてみるか……寒いけど」
森の木々に遮られて、積雪はそれほどでもない。吹き溜まりで一メートルといったところだろうか。
ラーズはカンで進む方向を決めた。
……いや、何かに呼び寄せられているのかもな……
そう考えて、笑う。バカバカしい。
数分、歩いた。
距離にして、一〇〇メートルほどだろうか。
雪の塊が、大木の根元にあった。
「?」
リン! と何かが鳴った。……ような気がした。
ラーズはその雪の塊に手を伸ばした。
「……これは……社?」
雪の中から現れたそれは、横倒しになった社だった。
……どうすっかな。
別に捨て置いてもいいはずだ。
帝国の北の果て、誰も来ないような森の中にある社。それに意味があるとは思えない。
まして、この国は宇宙を光の速さで旅する文明である。オカルトの介在する余地などないだろう。
それでもなお、ラーズはその社を放って置けなかった。
フローリア曰く、社に祀られているのは、誰かの思いだという。それは、時として魔法的な意味を持つことまであるそうだ。
「……おこすか」
もう少し、雪を払ってラーズは社の横に回り込んだ。




